この街に--都心にて--
「なんかこう、この匂いは懐かしい気分にさせられますね。」
プラスチックのカップを片手にオフィスビルの小さなベランダ状の避難スペースで、壁に凭れてケイは目の前の新しい上司に声を掛けた。そこから見えるのは草臥れたような古いビルと色褪せた煉瓦造りの高架橋。
その男は「ん、煙草の煙がか?」と言いながらこれ見よがしに煙草をふかした。
「んなわけないでしょ。この街の空気って言うかな、雰囲気がね。」
「別に美味い空気だとは思わないけどなぁ。部屋の中の方が落ちつくだろうに。」
「いや、まだ中の空気に馴染めてなくてね。
それより、この界隈には縁はないけどこの街はやっぱり同じ空気を感じるもんで。」
「この街に住んだことはないんだろ?」
「産まれたのはこの街だし、最初に働いていたのもこの街なんでね。」
「そうなのか。そう言えば昔の話は聞いてないな。」
「そりゃぁ、誰にでも話すわけじゃぁないですから。それに、その頃はあの街に住んでこの街で働いていた。つい先週まではあの街で働いていた。そして再びこの街で働くことになった。
私にとっちゃ、狭いあの街よりもこの街の方がよっぽど居心地がいいって言うか、そんな感じでね。」
「君にとっては新天地ではないってことかな?」
「ある意味ではそうですね。今はあの街でもこの街でもない山の中に住んでるわけですが、電車で一本だし寧ろ帰ってきた気分、かな。」
「俺には判らんなぁ。こんな大きな街なんか、人間の居るところじゃぁないとさえ思っちまうけどな。」
目の前を走る長距離列車を目で追いながらその上司は大きく煙を吐き出す。
「それこそ、アレに乗って帰りたくなりましたか?」とケイは混ぜ返してからコーヒーを飲み干して、「私はこの街の人間だってことですよ」と応える。
「いずれにしても、この街が俺達の舞台だ」煙草を吸殻入れに放りこみながらそう言う上司にドアを開けてやり、「ですね、それじゃ、行きますか」そう応えたケイの顔には、もう迷いは見られなかった。
えー、皆様方毎度お世話になっております、性悪狐の清水悠と申します。
いかがでしたでしょうか。先ずはお読みいただきありがとうございます。
今回もあらすじにあるように再掲載です。尚、初出は2004年9月27日です。
街と人をテーマにした作品群の第二話となります。既投稿分が三話ありますので、順次再掲載します。
と言うわけで今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。