鮮血に染まる兎
――灯馬の店――
「……嫌な予感がする」
執平達がレインベインと対峙している頃、先程まで4人がいた店では、灯馬が客側のカウンター席に座りながら眉を顰めていた。
そして何を思ったのか、奥の部屋から2丁の拳銃を取り出し、それを腰に装備する。
「街を回ってみるか」
何とも言えない少しの不安感を抱いていた彼は、杞憂かどうかを確かめる為に店を出て歩き始めた。その足取りは若干重たい。
「本当に杞憂だったらそれでいいんだがな……」
――大通り――
「俺から行く」
灯馬が店を出た頃、そう言って首の骨を鳴らしながら更に前に出たのは幽皇だった。しかし今の幽皇の言動に驚きを隠せなかった乃南は、慌てて彼を呼び止める。
「え!? 力を合わせるとかそんな感じじゃないんですか!?」
ずっと4対1だと思っていた乃南には、とんだサプライズだった。
共感を求めようとして執平と蓮の方を向くが、2人は互いに顔を見合わせて乃南に応える。
「俺は幽皇の考えで構いませんけどね」
「怖い気持ちは解らんでも無いけどな」
「あ、相手はLv.7なのにぃ……」
彼等の言葉が胸に嫌な音で刺さって一気に失望感と敗北感を味わい、どんよりと頭を抱える乃南を横目に、準備運動やら何やらをしていた気儘な3人。
「ぃよし! さぁ来いやぁ!!」
彼女とは正反対にやる気充分な幽皇はボクシングの体勢を取り、様子を見ているのか、先程から動かないレインベインを剣幕な表情で睨み付けた。
しかし幾ら待っても、レインベインは幽皇の呼号にも全く応えず黙り込んで、佇んだままでいる。不気味とも捉えられるその態度に怒りを覚え、血管を額に浮き立たせた幽皇は、先手必勝と言わんばかりに即座にレインベインの超近距離まで駆け寄り、右フックを括れのある脇腹にくらわせた。
無口な兎は、少しぐらつく。
(どうだ!?)
幽皇は心中でレインベインのダメージ具合を調べた。幽皇の拳は手応えを感じている。
しかし、レインベインはフックをくらった状態から身体を動かさずに、その赤い目だけを動かし幽皇を睨み付けてくる。
常人なら倒れ込む程重い幽皇の拳をくらったにも関わらず、少しも動じていない様だった。モンスターは常人ではないが、それにしても少しも痛みを感じていない様に幽皇の後ろで見ている3人には見受けられた。
(見た目は細い身体をしている癖に、中身は結構頑丈らしいな)
「じゃあ此処なら」
それでも確かに手応えは感じていた幽皇は、少しばかり疑心を抱きながらも体勢を立て直し、次に兎顔の顔面に向けて右ストレートを放つ。
――その瞬間、この場にいる全員が、聞いた事の無い音と見た事の無い光景に、視聴覚を震わせた。
何かを躊躇い無く突き刺し、潰した様な音だった。
それを聞いた幽皇の後ろにいる執平達は、見た事の無い光景を同時に目の当たりにする事で今の音が何なのかを即座に理解する。
――レインベインの、ドリルとも形容出来る細い腕が、幽皇の右肩部分を貫通している。
レインベインはカウンターを繰り出していた。その細い腕を引き抜かれると、幽皇は肩を押さえて何も言わず歯を食いしばった。
飛び散った返り血が、白兎の白い顔と手、黒いコートを赤く染めている。
「ゆ……幽皇」
3人は驚愕した。
特に執平と乃南に関しては、戦闘力の高い幽皇が一撃でやられるとは思っていなかったので、化石の様に、動く事を忘れる程だった。
しかし残酷にも、レインベインは更に幽皇の左肩に同じ腕を突き刺す。
再び耳を襲った酷い音。再び目を襲った飛び散る鮮血。
こんな事は当然の如く、その雨をビチャビチャと浴び続ける残酷なレインベイン。幽皇以外の3人には、人の形をした白兎の赤目と獣の口が笑っている様に見えた。
――ノーム・フォグブロにも劣らない程の恐怖と威圧。
「――クソ」
筋肉と関節の一部分をやられて、止まらない血を流しながら仰向けに倒れた幽皇は、何故だかは解らないが脳裏に昔の事を蘇らせていたーー。
「ーーフィギュアセラー?」
「はい、公には出ていない職業です。内容も芽吹総長にぴったりかと」
――場面は、幽皇が暴走族を辞める少し前の事。
「……なんでお前が知ってんだ、そんな職業」
「俺の祖父がその職をやってたんですよ。それに就く条件ってのが、モンスターをフィギュアにして、ある店で売る事らしいです」
子分から、いずれ就く事となるフィギュアセラーについて初めて聞いていた幽皇は、子分の言っている事が良く理解出来ず、腕を組んだままで首肯という訳にもいかなかった。
「ある店ぇ?」
「はい。その店は世界に幾つもの店舗があって、公では“フィギュアを買ってくれないフィギュアバイヤー”とかいう名前で知られています」
「何だそりゃ?」
「フィギュアバイヤーというのが本来の職名なんですが、昔、その名前から職の内容を判断した客が要らなくなったフィギュアを持って来ても、結局買ってくれないからこの通称がついたそうです。今となっては職の存在すら忘れられてるかも知れませんが……、どうやらモンスターフィギュアしか取り扱わないみたいですよ。殺したモンスターを持って行くんです」
そして幽皇はその部下から更に詳しく話を聞き、フィギュアセラーはモンスターを倒す職と理解し、顎に手をやって少し考える表情を見せる。
「……よし、サンキュー鹿島! 殺し合い上等の俺にぴったりの職業だぜ!! ……見てろよ。モンスター倒しまくって更に強くなって、いつか糞親父越えるぞコノヤロー!!」
「ーーウウゥ……」
次は誰にしようかと言わんばかりに、レインベインが3人の方を向いてじわじわと近寄って来ていた。
「ク、クソ兎がぁ!!」
執平は倒れている幽皇を見て歯軋りをした後、敵討ちとしてレインベインに向かって槍を腹に突き刺そうと物凄い剣幕で走り出す。
だが冷静なレインベインは、突き刺されそうになった瞬間に槍の刃を掴んで勢いをいなし、その行動に驚く執平ごと持ち上げて反対側に叩き落とした。
「し、執平君!」
地面に叩き付けられて思わず槍から手を離してしまった執平を、乃南が憂色を漂わせて近寄ろうと動く。
しかし、レインベインが刃を掴んだ手から滲み出ている自分の血を、槍を投げ捨てた後で舐めながら、乃南と蓮に近付いて進行を妨げる。2人は、その姿に思わず退いた。
――だがその時、レインベインの後ろで、肩から血を少しずつ絶え間無く流している幽皇が、ゆっくりと起き上がって来たのだった。
「俺はな……、こんなんで死ぬ様なタマじゃねぇんだよ!!」
幽皇は余程の体力が無いと耐えられないであろう激痛をどうにか堪えてジャンプし、レインベインの首筋に渾身の飛び膝蹴りをくらわせてみせた。
気を失ったのか、息を切らす幽皇を背にしたまま、今度はレインベインが倒れる番になる。
「ハァ、ハァ……。親父に叩き込まれた、体力とパワーで、負ける筈無ぇんだ……!!」
幽皇は腕をぶら下げながら歯を軋り、下を向いて安堵の溜め息をつく。そして幽皇に続いて執平も、早くも元気良く立ち上がる。
「オイオイ兎さんコノヤロー、俺はまだピンピンしてんぞ――って、あれ?」
彼が立ち上がってまず見えたのは、俯せに倒れ込んで動かないレインベインだった。そして、フィギュアにはなってないので気絶だろう、と執平は心の中で認識する。
更に、その近くで息を切らしている血塗られた幽皇の痛々しい姿に気付くと、憂色を漂わせた。
「だ、大丈夫か……!?」
執平は息を切らす幽皇に駆け寄り、肩を見て冷や汗を垂らす。それに応える様に、汗だくの幽皇は肩を軽く回そうとした。
だが、大きくはないが穴を開けられ、血を流していて大丈夫な訳が無く、回す直前で激痛が幽皇を襲う。
「お、お前、そんな無茶せんと……」
「ハァ、おう、大丈夫大丈夫。それより、とどめ刺すぞ――……いや、頼む、執平」
こんな両腕では、自分ではとどめが刺せないと判断した彼の表情は、落胆していた。自分の不甲斐無さに舌打ちをする。激痛による思考の混乱で足を使う事は考えつかなかった――否、先程の飛び膝蹴りの反動で、激痛も伴って襲って来たようだった。足すら使わない方が良いだろう、と彼は判断した。
「……おう、任せろ」
幽皇の悔しい気持ちを汲んだ執平は、彼を心配しながらも投げ捨てられていた槍を拾って振り上げ、倒れているレインベインの頭に向かって振り下ろす――その、筈だった。
4人の眼前にあるのは、ただ地面に刺さっただけの執平の槍だった。
レインベインの姿が、無い。
「そんな……、この一瞬で」
「野郎、何処行きやがった!?」
執平達はいつ現れるか解らない敵である事を理解し、恐れて、血眼になって辺りを見渡す。
その時、1番後ろにいた乃南は、自分の後ろに誰かが走り過ぎた時に似た微風を感じる。
それと共に殺気も感じて、彼女は恐る恐る後ろを振り向いた。他の3人も丁度乃南の方を振り向く。
――そこには深閑として佇むレインベインの姿があった。
「イヤ……!」
それを見て、思わず肩を手で抑えた乃南。だがレインベインの狙いは肩では無かった。
その赤い兎は抵抗する乃南の頭を血の付いた掌で素早く掴むと、建物に向かって投げ飛ばした。
「師匠!!」
「師匠!!」
乃南が建物に激突する光景を見て同時に叫んだ執平と幽皇は、それによる激昂のあまり、怒りのボルテージが頂点に達す。
「殺す!!」
「死ね兎!!」
執平は槍を突き刺そうとし、幽皇は血を散らしながらも蹴り倒そうと迫った。もはや肩の痛みさえ忘れていたという訳では無いが、今の幽皇にとってそんな事は関係無かった。
しかしその攻撃を避ける様に、唸る兎はまたもや消える。
「チッ、糞が!」
乃南を心配しつつ、再び周りを警戒し始めた一同
だったが、レインベインは今回はすぐに現れた。しかも、幽皇の両肩の刺し傷に後ろから指を添えている。
そしてその穴を、残酷にも指で刳る様に弄り潰していく。
「う……うああああ!!!」
我慢も限界を超え、レインベインに促されて激痛が再び幽皇を襲った。
「ええ加減やめぇ!!」
あまりにも見ていられなかった光景に、蓮が1本の矢を横から放つ。
血と肉に夢中だったのか、弄りながら何処と無く笑っているレインベインは、その矢に自らの括れている脇腹を貫かれ、思わず停止した。
そして手に付着した幽皇の血を舐めながら、標的を蓮に変えてきた。思わぬ激痛からの解放により、幽皇は遂に力無く俯せに倒れてしまう。
「ウウゥ」
レインベインは何処か怒れた表情で蓮に迫り来た。だが矢を放った彼は、緊張による汗を垂らしながらも僅かな笑みを見せる。
――その時、その思惑を晒すかの様に、レインベインの腹部にある異変が起きた。
レインベインはその矢が刺さった部位にただならぬ違和感を覚えて、様子を覗く。
すると、矢が刺さったレインベインの括れた腹は、その傷口を中心にしてメラメラと燃え始めていたのだった。
それを見た兎、そして執平は愕然とした。
「な、何だありゃあ!?」
「今の矢の先端には特別な赤い液体が塗り込んであってな。射止めるだけで簡単に火が生じる仕組みになってんねん」
開いた口が塞がらない執平に対し、蓮は予想通りの反応に少し会心の笑みを浮かべながら説明した。
だがこの不可思議な現象にもレインベインは負けておらず、自らを焼け焦がす火に耐えながら、自分に刺さった矢を思い切り引き抜く。そしてそれを倒れている幽皇目掛けて孤を画く様に投げた。
その行動を見た蓮は、自慢する様な微笑顔から、困惑した表情に早変わりする。
「アカン! 先端にまだ液体が残っとる、今度はアイツに発火してまうで!!」
「マジかよ!?」
執平は幽皇に刺さろうとする矢をキャッチすべく走ろうとするも、その様な芸当は無謀だった。間に合う筈がなく、執平は自らでも知らず知らず諦めの表情を見せていた。
ただ目を瞑り、必死に声を張り上げる。
「逃げろ幽皇ー!!」
――その時、執平が大声をあげたと同時に、何処からともなく銃声が聞こえた。
執平が音に反応して目を開けると、当たる寸前で何かに折られ、幽皇の近くに転がっている矢が視界に入った。
「誰や……?」
蓮は音のした方に首をやる。すると、同じ通路の遠くで銃を構えている1人の男を発見した。
その姿は、やはり2人共見覚えがあった。
「全く、妙な胸騒ぎの正体はやっぱりお前達だったんだな!」
「灯馬!!」
「さっきのフィギュアバイヤー!!」
灯馬の登場によって2人は驚きの表情を見せるも、少し安堵感を持って肩の力を抜く。幽皇を救った彼は、銃をレインベインに構えながら、歩いて状況を見極め始めた。
(肩に小さな穴が空いて、血を流しながら倒れている幽皇。建物の近くで、頭から血を流して気を失っている椎名。返り血だらけで、何故か燃えている兎。ほぼ無傷の執平と蓮……)
「戦えよお前等も」
「えぇー……!?」
状況を少し誤って理解してしまった灯馬に無表情で説教を言われた2人は、戦ったのに酷い、と少しばかりの憤りを感じる。しかし今はその言動にツッコミを入れる余裕は無論無い。
いつの間にか火を消し終えていたレインベインはまた姿を消し、3人の隙をつく様に、次は蓮の前にいきなり現れたのだ。
「うわっ!」
この兎の顔と俊敏さに慣れる筈が無く、当然ながら蓮は怯んだ。だがそこへ偶然蓮に目を向けていた執平がすぐに反応して、レインベインの脇腹を上段の構えで蹴りを入れる。
勿論、幽皇の拳が効かなかったのに執平の蹴りが効く訳が無かった。
――しかし、相手の反応は意外な物だった。
「ウゥ……?」
蹴り出した張本人の執平さえも想像していなかった、レインベインのその反応。というのも、レインベインは、執平の今の蹴りでバランスを崩してグラッとよろめいたのだ。
それを見て疑惑を持った彼は、未だ脇腹に押し込んでいる足の感覚から、何かに気付く。
「コイツ――」
その時、レインベインが執平の胸倉を力強く掴むと、幽皇の時の様に、執平の右肩に赤く細い腕を突き刺した。
同じ様に飛び交う返り血が血塗られた光景を作りだし、それを目の当たりにした灯馬と蓮は背筋を震わせる。
「執平!!」
だが灯馬はそれよりも、力無く倒れ伏せる彼の事を気に掛けて近くまで駆け寄った。
レインベインは、それ等を高みから見下す様に目の前に立っている。
最早この奇怪な兎の本来の白い身体と黒いコートは殆ど赤褐色に染まり、見る者に更なる恐怖と不快感を与える物と化していた。
「兎の分際でコノヤロー!!」
灯馬はレインベインに向かって銃を撃とうと構えた。しかし、その銃口の向く方向に、またもやその姿は無い。
「隠れんとはよ出て来いや! チキンかお前はぁ!! ……あ。……兎なのに……チキン! プフーッ!」
この戦況の中、蓮は自分が言い放った言葉のちょっとした矛盾――駄洒落に気付き、思わず口を押さえて笑う。緊張感よりも笑いの高揚感が上回った気まぐれな蓮を、もう1度殴ってやろうか、と灯馬は思ったが、その心を抑えて蓮に会話を持ち込んだ。
「……と、とにかくだ! 次何処にあの兎が出て来るか解らねぇんだ、気を引き締め――」
灯馬が笑いを耐えようとしている蓮に対して真剣に注意を促していたその時、その灯馬の背後からいきなり背中を攻撃して来た者がいて、灯馬は飛んで転げ回った。
蓮はすぐさま矢を取り出し、灯馬は体勢も立て直せないままだがすぐに後ろを振り向く。しかし、殴った犯人の姿は無い。
「あの小動物、消えたまま攻撃しよった!」
「こんな攻撃もするんだな。……消えたというよりも高速移動か。クソ、投擲された矢ならともかく、対象が見えねえんじゃ狙えねぇ」
膝を付いている灯馬は背中の鈍く伝わる痛みを堪えながら、転んで落とした銃を拾って悔しそうにそう呟いた。
「せやけど、このままじゃ袋叩きにされてまうで!」
2人の言う事はまさしく正論であり、灯馬の銃も蓮の弓矢も、見えない敵相手では対応出来ないのは言うまでも無かった。
そして案の定、蓮も見えない兎に瞬時に腹を蹴られて、その勢いで建物に思い切り激突してしまう。
「蓮!」
蓮の方を見て焦燥に刈られて立ち上がろうとする灯馬。そんな彼の横に現れた、赤い兎。
気配に気付いて横斜め上を振り向いた時は既に遅かった。腹を、サッカーボールを遠くに飛ばすかの様に強く蹴られ、彼は吹き飛ばされた。
強烈な痛みによる叫び声と血を飛ばしながら大通りをまっすぐ吹っ飛び、落ちて背中を地面に強打して転がる。
――これで全滅。
見えぬ程に素早い敵を、血に染まる好戦的なこのモンスターを、捕えられる者はいなかった。
「ウウゥゥゥ……」