弓矢使い見参
「ブワァ! ブワァ!」
――此処は廃れた街に隣接している、小規模の、と言ってもやはり広大な砂漠。
深夜そこに、月が仄かに明るく照らす中、砂の中をバタフライで進みながら、ある男を追い掛けているモンスターがいた。
“スイム・ミイラ”。Lv.4。人型で、目と口以外はボロボロの包帯で覆われている、まさにミイラと呼称すべき容姿のモンスター。
追い掛けられているは、フードとマントで身を纏った男。弓と矢を肩に担ぎ、前に何も見えない砂漠の中を息を切らしながら逃げ惑う。
「クソ! めんどいのぅ、何やねんアイツは!?」
言葉に訛りが入っているその男は、舌打ちをしながら後ろのスイムの凄まじいバタフライに少しながら怯える。
「……しゃあない。この矢放ってみるか!」
これではキリが無い、と判断した男は逃げながら、弓と、鏃と羽の赤い矢を持ち、振り返って立ち止まるとスイムに構えた。
「ふっ!」
男は一気に集中力を高め、マントを翻しながら矢を放った。
閃光の如く放たれた赤い矢は、まるで吸い込まれる様にスイムの頭に刺さる。
「ブワーー」
この攻撃に怯んだのか、泳ぐのも鳴くのも止めて静止したスイム。だが、痛がる様子も見られず、どうやら効果は無い様に見えた。
――しかしその時、矢の刺さった箇所が突然発火し出した。
いきなりの火に驚き、水掻きのある平手で頭を叩きながら火の勢いに抗ったスイム。しかし、火は全く消える様子は無く、スイムを苦しませ続けた。
「ブワァ、ブワァー!!」
そして断末魔の様な叫び声をあげながら、スイムは無惨にも熔け出した。
Lv.4といっても、相性が悪いとこんなにも脆い。
「お、やっぱ効果有り!」
特に火は決定的弱点だったようで、とうとう全身を焼かれたスイムは完全に消えて失くなったのだった。
だが、一難去って安堵感に浸りながら灰燼を見ていた男の目が、だんだんと喫驚の表情に変わっていく。
と言うのも、燃え残った灰が灰のままで人の形を作り出し、手を前にして男にゆっくり迫って来たからだった。
「ちょっ、うわぁぁ! 何やねんホンマに!」
スイムの恐るべき生命力に物怖じして、男は急いで背を向けて再び逃げようと走る。
だがすぐにその必要は無くなった。灰の身体となったスイムは砂埃と共に消えていった。
そしてその下からは、砂を少し被ったスイムのフィギュアが出て来たのだった。
「……死んだ、みたいやな。あーもうびっくりさせんなやぁ、このミイラ」
そう言って男は今度こそホッと胸を撫で下ろして、フィギュアを拾って砂を掃い、夜の肌寒い砂漠をまた1人歩いていったのだった――。
――廃れた街――
「はっ! てぃやぁ!」
時を同じくして、月と街灯が辺りを照らす真夜中。その明かりの中、たった1人で懸命に槍を棒術の要領で振り回しながら、ひたすら修業している執平がいた。
両手で左右交互に縦に回したり、その場にあった植木を片手で連続で突いたりしていた。1秒間に約3回、彼は疲れるまで続けている。
その植木は幾つもの斬撃に耐えられずに、バキバキと音を立てて倒れる。そして周りには、何本もの植木が既に折られていた。
「もっと、もっと強く! まだ足らねぇ!」
そう言って執平は頭上で槍を片手で回しながら思い切りジャンプして、即座に両手に持ち替えて回転を止め、着地と共に倒れている植木を一気に両断した。
それにより少し生まれた風が、執平の周りのゴミや塵を掃い除ける。
――植木も、植えてもらった時はこんな事になるとは思いもしなかっただろうに。
そんな哀れな植木を他所に、息を切らしながら持参のタオルで汗を拭っていた執平は、手慣れている槍をじっと凝視して1人呟く。
「攻撃範囲を、もっと広く出来ねぇかな」
――さて、ちなみに執平の槍の構造とはどういう物なのか。
棒の先端の断面にある程度穴を開け、一般的な片刃の刀を3分の1程切断し、それによって出来た3分の1の刀の根元を棒の穴にしっかり挿入出来るような形にする為、バランスも考えながら削り取る。
そして穴に合わせて削った刀を挿入した後、更に棒ごと針金で巻き付け、布を縛って固定して出来上がる。
複雑な構造だが、取り敢えず刃は絶対に取れはしない。
それが執平の槍――。
その構造を執平は知っているのだが、実際は彼が作った物ではなく、随分昔からある槍だそうだ、と彼の祖父が昔、小さい頃の執平に言っていた記憶が彼の中にはあった。
その随分昔に造られた槍に対し、執平はこの場で少し不満を覚えていた。
「この槍を長く、強くするには――」
全ては強くなる為である。前髪を吐息で吹き掛ける彼は、武器の改良策に頭を抱えるのだった。
――翌朝――
午前6時。いつも8時位に起きている灯馬は、珍しくこの時間帯に起床した。
眠気覚ましに街中を散歩していた彼は、普段全然通らない道に差し掛かった時、植木が何本も斬られて倒れているのを発見してふと冷静になる。
「……暫く通らない内に変わり果てちまったなぁこの通り。特に植木。ていうかこの状態は絶対誰かの故意だろ……。何だよこの状況」
真っ二つにされた植木の行列を眺めながらそんな事を呟いていた矢先、灯馬の目に、向こうから1人の、見覚えのある顔の男が歩いて来るのが見えた。
その男は彼に気付くと、笑いながら走って向かって来る。
「灯馬ぁ! 見ろよこの木の残骸の数々」
「残骸って……。執平お前なぁ、何やってたんだ」
走って向かって来た男が執平で、彼が犯人だと知った灯馬は、辺りを見渡しながら当然の質問をした。
「修業だよ修業! 実は前々から此処でやってたんだよねー、俺」
自慢気に灯馬に言った後、眠たそうに欠伸をする執平。灯馬は彼を見て呆れて溜め息をついてから、あの猛暑の日を思い出した。
「この前10時に朝飯くれとか言ったのも、修業の所為で遅く起きたからか?」
「その日は単なる朝寝坊だよ。毎日夜遅くに修業なんて、やらねーよ流石に」
灯馬は再び欠伸をして涙目になる執平を呆れつつ少し笑った後、怠そうに歩く彼と別れてまた散歩を続けた。
執平は疲れを睡眠で癒す為に直行で廃屋に戻っていったのだった。
――それからまた時が過ぎる事数時間、木の棒を地面についてよたよた歩きながら、街のゲートを潜る1人の男がいた。
「はぁ、はぁ、水……、誰か水ぅ……」
フードにマントのその姿は、まさに深夜に砂漠を歩いていた弓矢の男だった。
この廃れた街は、西の方角に少し歩いて行くと小規模の砂漠が広がっている土地に存在している。つまり男はその方角から来たのだった。
街を少しずつゆっくりと徘徊しながら、フードとマントを脱ぎ捨てて私服姿になる、黒に近い緑色の髪の男。
「誰も、おらんのか……。まぁ、廃れた街やとは、思っとったけど……な――」
男はそう呟いた後、砂漠等の道程を歩いて体力の消耗が激しかった為か、とうとうその場に力無く倒れ込んでしまった。
――そして男が音も出さずに、ただただ俯せになっている事数分間。
その間に、その男を偶然、建物の陰からサングラス越しに見付けてしまった幽皇。
唖然となった彼は、ゆっくり建物の陰に身を潜めた後、腕を組んで何かを考え始める。
「こういう時師匠なら、例え死んでたとしても助けるよな……?」
椎名乃南という、尊敬に値する“心の師匠”の優しくまっすぐな性格が今取るであろう行動を考えた彼は、意を決して倒れている男に近付き、片手で担ぎ、そして取り敢えず灯馬の店まで運ぶ為歩いていく。
最初の頃とは段違いで大人になっている幽皇のその背中は、目を瞠る物があった。
「アイツ、なんで俺んとこに持ってくんだよ!! とか言いそうだな」
――灯馬の店――
「なんで俺んとこに持ってくんだよ!!」
「しょうがないだろ? 放っとけっつーのかお前は」
幽皇が察していた通り、灯馬は怒っていた。察しられる程の典型的な怒り方であるという事か、それとも、灯馬が幽皇に読まれやすいだけなのかは定かでは無いが。
「み……水……」
「水が欲しいのか。ちょっと待ってろよ」
店内で苦しそうに俯せに倒れている男を睨み付けながら、男のやっとの一言を聞いた灯馬は、水遊びの際に使ったのと同じバケツに水をたっぷり入れて持って来た。
そして呻いている男の肩を持ち上げて不気味に笑うと、苦しそうなその顔をバケツに無理矢理押し込む。
「ガボ!!? ガボボボボボ!!」
灯馬の手に、彼は床に手を付いて抵抗した。幽皇は元気になった男の姿を笑って見ている。
そしてやっと解放された、顔の濡れた哀れな青年は、膝を付いたままで灯馬に激昂した。
「ハァ、ハァ……、何すんねん自分!!」
「え、だって水欲しいって言ったじゃねーかよ、なぁ幽皇?」
壁に寄り掛かっていた幽皇は、灯馬の悪戯な行為に笑いながら何回も頷く。
「何あんたも笑っとんねや!! 助けてくれた事には感謝するけどなぁ、この水の件は許さへんで――って、これ水やん!!」
顔の濡れた男は何故か今水の存在を認識したらしく、バケツを両手で持って、口から少し零しながらも水をガブガブ飲み始めた。
幽皇は男と同じ目線になるようしゃがむと、また笑う。
「なかなか面白い奴だなお前! 俺は芽吹幽皇!! 元暴走族総長だ!! お前は!?」
「俺か? 俺は棗川蓮や。ていうか、身長も声でかいなぁ自分」
棗川蓮。
この男性陣の中では執平と差程変わらないが、1番身長が低く、1番童顔な19歳。弓矢を使うフィギュアセラー。
少し緑色を含んだ黒髪で、襟足は首の真ん中辺りまで伸びている。伸びているというよりかは、少し短いとも捉えられる。
「で? 棗川蓮、フィギュアセラーがフィギュアバイヤーの店に来て、何もしないで帰る訳無ぇよなぁ」
灯馬も、顔をゆっくり蓮に近付けて脅し出す様に言い迫る。蓮は自分の意志で来た訳では無かったのだが、彼の水の恩には逃げる術も無いようだった。
「……そ、そない脅す様なニッコリ顔せんでも、わかっとる! フィギュアを売れゆーんやろ?」
灯馬がフィギュアバイヤーだと知った蓮は、そう言って負けじとフィギュアをバッグから幾つか取り出してみせた。無論、スイム・ミイラもその中の1つに入っている。
そのスイム・ミイラのフィギュアを見て、幽皇が珍しそうにフィギュアを取って眺める。
「コイツは確か火以外じゃ倒せない筈だ。て事はお前の矢、燃えるんだな!」
背負っている弓矢を見る幽皇の関心の言葉を聞いて、蓮は灰になったスイムを思い出し、1発で倒せた事に納得した。
自分の勘の冴え具合を知り、1人で勝手にご機嫌になった蓮を横目に、スイムを見続けていた幽皇。
――その時、鈴が鳴ると同時にゆっくりと扉が開いた。入って来たのは乃南だった。手にはフィギュアを入れた袋を携えている。
「あ、師匠! おはようっす!」
「よう椎名」
灯馬と幽皇はそれぞれ挨拶を交わし、フィギュアを持っている乃南を歓迎した。灯馬はカウンター席に座り、幽皇は壁に寄り掛かるのを止める。
「昨日倒したモンスター売りに来ました――アレ?」
乃南はそこで、顔の濡れている蓮に気付く。
蓮も彼女の方を向くと、口を開けて眉を上げ、少し珍しげに話し掛ける。
「女でフィギュアセラーやってるんか? 凄いなぁ」
「貴方もフィギュアセラーなんですか? ていうか……、顔、濡れてますが」
「砂漠歩いてて死にそうだったところを俺が水をくれてやったんだ」
自己紹介と少しの会話を終わらせ、水の件で些か苦笑を浮かべた乃南は、カウンターに座ってフィギュアを取り出した。すると蓮も同じく座って灯馬にフィギュアを渡し、金を受け取る。
だが、蓮は掌に受け取った金額を見ると、不満気な顔で灯馬に目をやった。
「おい、そこのバイヤー。あんだけモンスター出したんにこないな額じゃ不釣り合いちゃうんか?」
「…………何?」
彼のクレームを聞いて、灯馬は呆然と立ち尽くす。こんな事態は初めてだからである。乃南と幽皇も、クレームを言った事が無い身として呆気に取られて蓮を見た。
だが、灯馬はこんな時にも普段通り冷静に対処しようと、真剣な表情で蓮と対峙する。
「これが俺にとってもお前にとっても妥当な額だと――」
「スイム・ミイラを2万円にせぇ!!」
だが、カウンターを叩きながら反撃に出た蓮の言葉を聞いて、彼は冷静な顔から少し驚きの顔に変化した。
「ば……馬鹿言うな! 1万3,000円が限度だ!」
「俺前々から思っててん、買う側が値段決めてええんかー? 土管から出てくる金額は売る側にも知る権利はあるでー?」
「こっちも商売でやってんだ! 原価教えられるかよ!」
蓮はカウンターを挟んで灯馬に顔を近付けた。水の恩等もはや何処へやら。
そんな彼の、童顔の癖に金に卑しい表情と態度がムカついた灯馬は、唐突に顔面に右ストレートをお見舞いしてやったのだった。
「ゴブッ!」
口論だった筈が、予想外の物理的反撃をまともに受け、座っていた椅子から後ろに落ちて仰向けに倒れて気絶した蓮。
灯馬の行動にまで呆気に取られた乃南はふと我に返り、急いでしゃがんで蓮の身体を手で揺らす。
「うわっ、大丈夫ですか!? と、灯馬さん! 駄目ですよ、弱ってる人にこんな事しては!」
「さっきのコイツの表情見たろ。弱ってる奴のする顔じゃねぇよ。それに、殺さなきゃいいんだろ?」
灯馬は椅子に座って片肘をついて頭を支える形をとり、乃南に金を渡しながら嫌味気に言い放った。灯馬の言動に少し頬を膨らませた乃南は、ひとまず蓮の身体を少し揺らしながら小声で囁く。
「あのぉ、しっかりしてくださーい……」
すると、丁度その時、何やら考え事をしている執平が扉の鈴を鳴らして店にやって来た。
「なぁ灯馬。俺の槍の事なんだけ……ど――!!」
どうやら灯馬に槍の事で尋ねに来たらしかったのだが、不意に視界の下に入った乃南と蓮を見て、彼は言葉を失い、口をあんぐりさせて固まった。
なんと執平には何故か、“乃南が蓮に囁いている姿”が、“師匠が誰とも知らぬ男の頬に嫌々キスしようとしてる姿”に見えてしまったのだった。
「ストォーーップ!!!」
気絶している蓮以外が執平の方を振り向く。執平はその何故か気絶している“誰とも知らぬ男”の胸倉を怒りの形相で強く掴んだ。
「俺達の師匠に嫌々キスさせようたぁいい度胸じゃねぇかオイゴルァ! 幽皇!! なんで黙って見てた!?」
執平の目付きが普段と全然違って悪魔の様になっていた事に流石の元暴走族総長も威圧感を感じて、苦笑いして壁に寄ってなるべく執平から離れた。
しかしこのままでは収拾が着かないので、意を決した幽皇は壁に寄り添ったまま苦笑いで説明する。
「いや、師匠はキスしようとしたわけじゃないんだけどよ」
「は?」
――その後、目付きが普段の状態に戻った執平は、幽皇から真相を聞いて少し赤面しながら、蓮の近くでしゃがんでいる乃南に頭を下げた。
「いや、本当にすんません師匠! とんだ勘違いでした!」
本当にとんだ見間違いを冒した執平に、乃南も少し照れながら彼の顔を上げさせる。そんな中でも肝心の蓮は未だ目覚めないでいた。
死亡疑惑が浮上したが、あれ位では流石に死なないという事で、4人は取り敢えず目覚めるのを待つ事にしたのだった。
――それから5分もしない内に、4人が見ている中で蓮は自然と閉じていた瞼を、重そうにゆっくり開いた。
「んぁ? ……うわー、気絶しとったみたいやな――って、鼻痛っ!」
目覚めるやいなや、蓮は鼻を押さえて暴れ出す。灯馬の右ストレートは鼻を傷付けていたらしく、目覚めた蓮に今更痛みが襲い掛かって来た。骨折程度ではなかったのだが。
しかしながら目覚めてから終始暴れている蓮に、灯馬は冷や汗を垂らしながら近寄って肩を叩いた。
「ま、まぁ、鼻ぐらい気にすんなよ? スイム・ミイラの分を1000円プラスしてやっから」
そう言って灯馬は自分の財布から1000円を指に挟んで取り出し、未だ仰向けになっている蓮に渡す。
悪気があったからこその1000円だが、やはり灯馬はケチだった。
「こないな額で機嫌は直らんけど……、まぁ、ええわ。ほな俺はそろそろ帰らせて貰うわ。世話になったなお前等」
やはり何処か納得できない顔をした蓮は、ひとつお辞儀をするも立ち上がってから店を出るまでその顔を保っていた。
ちなみに執平は、勘違いした事を謝ろうとしてたじろいでいたのだが、気絶していたから知らないだろう、と考えて心の中に留めて置いていたのだった。
――店を出た蓮は街中で上を向いて一息つくと、日が照り付けるこの廃れた街を、その足で少し歩く。
「……にしてもホンマに廃れた所やなー。まともなんはあのマンションぐらいやで。よう此処に店構えとるなあのフィギュアバイヤー」
蓮は呆れ返りながらそう独り言を呟き、乃南が居住するマンションを横目に通り過ぎていった。
それからまっすぐに少し歩いていったその時、何やら黒い影が後ろから蓮の上を飛び越えた。
通り過ぎる影を地面に見た蓮は、つられて上を向く。
「え、何や!?」
自分を飛び越えた影の物体が前方に現れたのを知り、驚きながらもその物体を確認しようと、蓮は上方から前方に目を移す。
――その正体はなんと、人間の身体を持ち、黒いコートを着た“兎”だった。
「ウウゥ……」
「な、何やねん、このモンスター……!? 見た事あらへん」
その奇抜な姿を見て少し慄いた蓮だが、すぐに険しい顔をして、背負っている弓と矢を手に持って身構えようとする。
だが兎は、彼に構わず物凄いスピードで地上を動き、細い腕を伸ばして飛び掛かって来た。
「うわっ――」
――灯馬の店――
「この槍を強化してほしい!」
「無理だ」
その頃、執平はカウンターに槍を置き、席に座っている灯馬にそれの強化を頼んでいた。
だが彼でも流石に武器を直すような技術は持ち得ていないらしく、槍を手にして執平の身体に押し付ける。
執平も実際のところ、灯馬には無理だろう、と薄々感じていて断られる事を承知で頼んでいたのだが、冗談混じりに灯馬に怒鳴り付けた。
「灯馬の実力はそんな物だったのかよ! ヘタレ鬼灯!」
「撃つぞ」
灯馬は席に座りながら、下からの目線で執平を睨み付けた。彼の形相に恐怖を覚えた執平は、素早く乃南の背中に身を置く。
すると、苦笑する乃南の隣で、執平の用件を傍らで聞いていた幽皇は、ある1人の人物を思い出した。
「俺の子分の1人にそういうの得意な奴いたぞ。よくバイクとかの修理とか武器の作成やってくれたりしてたな」
それを聞いた執平は驚きつつも笑みを込み上がらせ、掴んでいた乃南の肩から手を離して機嫌良さそうに幽皇に近寄った。
「ナイス幽皇! で、そいつは今何処に居るんだ?」
幽皇は目を瞑り、その人物は故郷が何処だと言っていたかを必死に思い出そうとして、脳内の記憶をいろいろと蘇らせる。
「あ」
そして遂に脳の引き出しを開ける事に成功した幽皇。しかし、少し困惑した顔を浮かべたので、先程まで喜んでいた執平も次第に眉を潜め、疑問を生じさせた。
「どうした?」
「……モクセツ村。モクセツ村に居るよ、アイツ。遠いんだ」
幽皇が困惑した理由。それは、モクセツ村という、とにかく遠い場所に彼がいるからだった。
そこへ、モクセツという村を聞いた事があったらしく、興味を示した乃南も会話に参加する。
「モクセツ村と言えば、此処からで言えばずっと北方向にある村ですよね? 年中雪が降ってるとか……、降ってないとか?」
どっちなのかど忘れして、腕組みをして首を傾けた乃南。
そんな彼女は置いといて、2人は話を勝手に進めていた。師匠の言葉を無視するとは、この2人もいろんな意味で成長しているのである。
「よし、じゃあ今すぐ行こう!」
「遠いけど行くか!」
「あ、私も行きたいです! 待ってください!!」
話が弾みに弾んで何故か今行く事になり、次々に店を出ていった3人。
「……元気だなぁアイツ等」
この時、会話に入るタイミングを見失っていた灯馬が何故だか少し悲しい気持ちだったのは、彼自身の内でずっと秘密にされた。
そんな彼の気持ちなど露知らず、街中を走り出した男2人と、それを必死に追い掛けていく女1人。
「執平! 勢いで賛成したけどよぉ、歩くにゃやっぱり目茶苦茶距離あるんだぞ!?」
「今更だな! 行くって言ったら行くのー!」
2人はいつの間にやら競る様に走っていた。タフな男の走りに追いつける筈が無かった乃南は、息を切らしながら立ち止まると、諦めて近くの建物に寄り掛かって休んでしまった。
彼女は不意に向かい側の建物と建物の間隔の隙間を、汗が今にも入りそうな目で見る。
「……ん?」
そこに僅かに見えた光景は、乃南の目を大きく開眼させ、更に疲れを忘れさせた。
頭が兎の人間にアイアンクローの形で持ち上げられて、今にも力尽きそうな弓矢使いの蓮の姿が乃南の目に映ったのだ。
(ヤバイ!)
直感的に蓮の救出を決断した乃南は建物の隙間を縫う様にして駆け抜け、その間に腰に挿してあるナイフを取り出し、兎のアイアンクローをしている腕を切ろうと狙った。
――1人の女が、建物の間から飛び出して来た。
その事に気付いた兎はすぐに蓮から手を離し、飛び跳ねて少し後退りして乃南の方を赤い目で睨み付ける。
「ウウゥ……」
「どうやら人間の身体を持ってても、マイノリティではないようですね……。“レインベイン・バニー”。Lv.7」
この兎のモンスターを図鑑で見て容姿とレベルを既に知っていた乃南は、疲れの他に緊張と不安による汗を流す。
果たして自分がLv.7に勝てるのか、と。
しかし、知っていて立ち向かったのは自分の意思である為、掌を返した様に退いて意識朦朧の蓮を放るという選択肢は、今の乃南には与えられている筈も無かった。
そして痛みから解放されて力が抜け、膝を付いて痛そうに頭を押さえ込んでいた蓮は、何が起きたのか理解出来ぬままで彼女を発見した。
「お前、あん時の女」
「……椎名乃南です」
『あん時の女』と言われたのが少しばかり気に障り、もう1度はっきり自己紹介をした乃南。
蓮は彼女が助けてくれた事が解ると、頭が痛いのを堪えて咄嗟に体勢を正座に変え、乃南に深々と御礼を言った。
そんな、たまに丁寧な蓮の行動を乃南が止めさせようとしていた時、建物の向こうから声がする。
「師匠がいねぇー!!」
「落ち着け幽皇、師匠の事だ。きっとモンスター見付けて倒そうとしてんだ!」
建物を隔てて聞こえてきた大声の主は、乃南を見失った事に慌てて、ひたすら捜している執平と幽皇だった。
その声を聞いた乃南の顔からは、だんだんと安堵の笑みが込み上がって来る。
「執平君! 幽皇さん! 私は此処です!!」
乃南は、相手はLv.7という地獄に、仏が来たと思わんばかりに声を出して呼ぶ。声の発生源を見事に瞬時聞き取った2人は、建物と建物の隙間から一緒に走りながらやって来た。
「此処にいたんすね師匠! 良かった!」
「で、なんで弓矢野郎もいるんだ?」
幽皇はサングラス越しに、不思議そうに蓮を見た。同じく執平も蓮を視界に捉えたのだが、1人だけ少し気まずい感じになった事は言うまでも無い。
「棗川蓮や言うたやんか! 失礼な奴やなぁ」
――そう言う蓮も、もう1度自己紹介をされるまでは、乃南の名前を完全に忘れていたのだったが。
「……このモンスターが襲い掛かって来てたのを助けてもろたんや」
さて、蓮は眼前にいるレインベインの姿を指指し、執平と乃南と幽皇の目線を、憎きレインベインへと移させる。
「兎と思って甘く見てはいけませんよ。相手は、Lv.7です」
そして乃南が険しさに不安感を募らせた顔をして、警戒態勢に入っている3人に補足として伝えた。
勿論、他の3人は驚いた。と言うのも、Lv.7のモンスターとは全員が全く相手にした事が無いからであった。
しかし執平は負けまいと、奇妙な格好の兎――レインベインと正面を向いて対峙する。
「コイツを倒せるぐらいじゃないと、ノームは倒せねぇからな」
その顔は至って真剣そのものだった。彼は槍を片手で軽く回してから、その刃先をレインベインに構えた。
それにつられたかの様に、幽皇もにやけながら前に出る。
「テメェだけ良いカッコしてんじゃねぇよ!」
そう言って幽皇は戦闘体勢に入って指の骨を鳴らした。更に乃南もナイフを取り出して、3人並んだ状態になる。
そして3人の後ろでずっと膝を付いていた蓮に、幽皇が後ろを向いて嗾ける様に嫌みを言い放った。
「弓矢野郎、怖いんだったらテメェは建物に引っ付いてびくびく震えながら眺めてて良いんだぞ?」
「んなっ」
彼の言葉に、汗を垂らしながらも眉間にしわを寄せた蓮は、自らを鼓舞する様に叫ぶ。
「ぜ、全然怖ないわ、こないな小動物! 頭掴まれたぐらいで怯むかボケ!」
――ちなみにレインベインの大きさは幽皇とほぼ同じであり、小動物の顔を持ちながらも、その身体は大きい。
「フン……それに3人より4人の方がマシやろ?」
まんまと幽皇に唆されて、落ち着きを取り戻して立ち上がった蓮は、前に出て弓を取り出した。
3人は誰よりも前に出ている蓮を見て微笑んだ後、再びレインベインの方に首を向かせる。
そうして蓮も、弓を力強く握り絞めて呟くのだった。
「よう見とき……、俺の弓矢の威力をなぁ」