サイクル
赤く尖った山々。漂う熱風。地面の至る箇所にある穴から吹いて出る蒸気。業火、剣山、そして巨大な城。
――此処は“地獄”。
「黒縄、来たぞ!」
「…………んぁ? 何、等活」
「寝てんなよ!」
地獄のとある場所にある、とある大きな土管の前で立っている2人。
彼等は地獄の8つの形相、つまり8つの刑罰を司る、地獄の最強集団“八熱地獄”の中の2人。
同時にこの土管の管理人でもある。
八熱地獄で統一されている、黄、深緑、紫が主な色の、濃い和の着物を翻しながら等活が黒縄を呼んだのは、土管の中からモンスターのフィギュアが、土管の中で昇降する、立体的に丸く造られた床により大量に押され出て来たからだった。
フィギュアは丸い床により、土管に沿う様に周りに開いているドーナツ型の深い穴に自然と入り、深い深い所へと落ちていく。
そうして全て落とし終わると、フィギュアを押し上げていた土管の中の丸い床は急降下していった。
そして、その土管の真上に設置してある3つの小さい土管から、大量のお金が土管の中に入っていく様子を2人は窺う。
「……しかし良く倒すよなぁフィギュアセラーさん達。今のフィギュアの中に、見ろよコレ」
等活は落ちる前にフィギュアの中から適当に1つ取っていた物を黒縄に見せた。
それを見た黒縄は、眠たそうに半開きにしていた目を大きく見開く。
「へぇー、何処の誰だか知らないけど、あの“カウー”を倒すとはねぇ」
Lv.9の一種、カウー。あらゆる部分に鎧を埋め込んだ大きな馬のモンスターのフィギュアが、等活のツギハギだらけの掌で踊る。
黒縄が欠伸を催す隣で、等活はカウーのフィギュアをドーナツ型の穴に放り込んだ。
――その時だった。
いきなり周りの壁に取り付けてある赤いサイレンが鳴りだし、緊急事態を知らせた。
「エラーだぞ黒縄!」
「何処の店よ?」
サイレンがまだ鳴り止まない中、黒縄と等活は目を瞑って一切の声も出さずに、独自の心に静寂を作り出す。
まるで、何かを感じ取っている様に。
「……日比谷灯馬という男の店だ。随分な場所に位置してんな」
「あぁ。俺が2人に連絡する。黒縄はサイレン音の処理を頼む」
「へーい」
特殊な能力なのか、瞑想とも言える程の静寂を見せた2人は、エラー対象の店を割り出してみせた。
そして等活はこのエラーを誰かに伝える為、まるで漫画の忍者の様に一瞬にしてこの場から消え去ったのだった――。
――廃れた街――
「どうした灯馬ー?」
一方、灯馬の店では、カウンター席に座っている執平がフィギュアを渡して金を貰ってから、灯馬が店の奥から出て来ないのを不安に思っていた所だった。
「土管の中から出て来ねぇんだよ金が! コノヤロー!」
この日は幽皇の件があった次の日。
スレワドやサクフマンのフィギュア、他にも乃南と幽皇が持って来たフィギュアを入れたのだが、肝心の灯馬の収入が土管から出て来なかった。
――どうやらこれがエラーの原因のようだった。
だが、無論エラーとは気付かない灯馬は乱暴に土管をバンバン叩く。扉を開けている為、その音は直接カウンターにいる一同の耳に入った。
それを聞いて怒鳴る男が1人。
「おい、むやみに土管叩くな! 土管が壊れたらどうすんだ!! なぁ師匠!?」
他でも無い、芽吹幽皇である。
「幽皇さん、凄く性格――というか態度が変わってますね。……それと師匠って呼ぶのは……」
執平と同じくカウンター席に座っていた乃南は、自分の事を師匠と呼ぶ人が1人増え、これまでに無い程の大きな溜め息をつく。
“諦め”の2文字が窺える今日この頃。
幽皇がビンタによって心を入れ替え、前とは比べ物にならない程優しくなった分には、彼女にとっては良い事だったのだが。
「ていうかまだ居たのか芽吹幽皇! 帰れ人間のクズ!!」
その時、灯馬が奥から出て来て、壁に寄り掛かって腕を組んでいる幽皇に暴言を吐いた。
いきなり罵られては、流石に幽皇の短気な性格が露になった。乃南がおよおよする中、案の定短気な彼は灯馬の胸倉を掴む。
「んだと不完全銀髪!! 俺より弱ぇ癖によぉ!!」
「あぁ!? やんのかこの人殺しグラサンが!!」
『犬猿の仲』とも言えなくはない灯馬と幽皇は、2人して睨み合って火花を散らした。そんな2人の共通点は“挑発大好き”。
そこへ2人の仲裁役である執平が間に割り込み、腕で2人を突き放す。
「やめろってお前等。師匠泣くから」
「あ、すんません師匠!」
喧嘩を止めるべく発した執平のでたらめな言葉を信じた幽皇は、睨み合うのを止めて乃南の方を見て深々と頭を下げた。その姿には、元暴走族総長の欠片も無い。
それに対し、カウンターに両肘をつきながら、例の如く溜め息をつく乃南。
――4人がそんな時間を過ごしていた、その時だった。
店の外から大きな爆発音がして店内に響いて轟いた。それは4人の顔を一斉に同じ表情に仕上げた。
「な、何だ!?」
4人は爆発音のした方ーーつまり扉の方を見る。
「モンスター……でしょうか。もしくはゴロツキ?」
「何にしても、人ん家の前で馬鹿騒ぎするとは、良い度胸じゃねぇか」
灯馬は例のハゲ中心のゴロツキ基、幽皇の元部下達を思い出し、苦笑いしつつ扉を開ける。
「おい誰だ、この昼飯時に人ん家の前で遊んで――」
扉の鈴を鳴らしながら外を見た彼のその顔は、怒りを表した苦笑いから、何故か驚きの顔へと次第に変化していった。ドアノブを握っていた手は、ドアノブから離れ力無くぶら下がる。
共に、注意を呼び掛ける声も途絶えさせてしまった。
――そこには2人の、色の濃い地獄の衣装を身に纏った人物が煙と共にやって来ていた。
奥からそれを覗いた執平達3人は、2人が誰だか分からないでいる。しかし、灯馬はその奇異な2人の姿を知っていた。
「……焦熱、大焦熱……!」
「カハハハハ!! 久し振りだな日比谷灯馬ぁ!!」
「フハハ……。まぁそう驚愕しなくとも良いだろう。要件は、お前の土管を直しに来た、それだけだ。地獄に堕ちるような事を、犯していないと言うのならな」
すると幽皇が息を呑む灯馬のすぐ後ろまで近づき、睨みを利かす。
「誰だよコイツ等? 見るからに怪しい着物来てやがって、臭そうな奴等だな!」
先程の土管に対して見せた優しさは無く、早速喧嘩腰な彼の鳩尾に灯馬の肘が当たる。
幽皇がその痛みに堪えながら怒鳴るその後ろで、乃南が隣で座っている執平の耳に顔を近付けて、聞こえない様に小声で話し掛けていた。
「……なんかあの人達、気味が悪いですね。肌が黒いのはまだしも、オレンジ色の髪と瞳に、黄緑色の髪と瞳……。それにかなり尖った耳が……。この世の者ではないような……」
「なんか灯馬、アイツ等の事知ってるみたいっすね」
執平も奇怪なオーラの漂う彼等を見ながら、乃南に小声で言葉を返した。
執平達がそうやって密かに話している内に、焦熱と大焦熱、そして灯馬は店の奥へと黙りながら入っていく。
「ち、ちょっと、灯馬さん!?」
「アイツ等、俺の挑発シカトかよ!」
執平達もそれに気付いて、訳も解らずに3人の後に続いた。
――土管の設置してある部屋は、店の1番奥にあった。意外にも、執平達も初めて入る部屋だった。
土管を見付けた大焦熱は片膝を床に付けて、土管を触りながら至る箇所を見始める。
その時灯馬は腕を組みながら指で二の腕を何回も叩き、何故か終始落ち着かない表情だった。
「土管の内側、深度約50m地点の地獄へ繋ぐルートにちょっとしたひびがある。大した事では無い。……焦熱」
「おう!」
大焦熱は立ち上がりながら、両手を頭の後ろにやって暇そうにしている焦熱を呼んだ。
そして彼は待ってましたと言わんばかりに、腕を捲る。
土管の口の大きさは、人が入れる程の大きさであり、過って落ちるといけないので、普段は重い蓋を被せていた。
焦熱はその蓋を開けると、慣れた動作で入っていった。
「蓋して閉じ込めてしまえー」
焦熱と大焦熱の容姿が理由無く少し気に入らなかった執平と幽皇は、焦熱に聞こえる様にわざと土管の穴に向かって言い放った。
「ちょちょちょちょ!! 閉じ込めんなよ!?」
それを土管の中で聞いた彼は両手両足を壁に押し付けて素早く登りながら慌ててガバッと飛び出る。執平と幽皇は思わず顔を退け反った。
「ていうか、この土管って地獄に繋がってんのか……。地獄って本当にあんのな」
焦熱が再び今の体勢のまま土管に恐る恐る入った後、執平は暗闇で何も見えない土管の中を覗きながらそう呟いた。
「執平、“サイクル”知らないのか?」
その時、隣にいる幽皇が呆気に取られた様な顔でそう聞いてきたので、執平は頭上に疑問符を浮かべながら幽皇の方を振り向く。
――と同時に、少し後ろで腕組みをしていた灯馬は、驚いて目を見開いた状態で幽皇を見て、冷や汗を垂らした。
そしていきなり幽皇の服の袖を引っ張ると、一緒に部屋から出ていき、そのまま2人して鈴を鳴らして店も出て行ったのだった。
「何だアイツ等? ……サイクルって?」
今の灯馬の行動も更に理解出来ず、執平は首を傾げている。乃南も同様の表情を浮かべていた。
――店の外で灯馬から解放された幽皇は、若干の驚きを見せながら彼に突っかかる。
「オイオイ! 何だよ日比谷、どうした!?」
「灯馬と呼んでくれ! ……いや、今はそんな事どうでもいい。なんでお前サイクルを知ってんだ!?」
「そんな事で此処まで引っ張ったのかよお前!? ……まぁいいけど」
幽皇は灯馬の行動の理由に半ば呆れさせられたが、ズレたサングラスを中指で調えて灯馬の質問に素直に答える。
「前に、何処で聞いたか忘れたけど、あるフィギュアバイヤーに土管の仕組みについて気になったから教えて貰ったんだよ。半ば強制的に」
幽皇は当時の強暴な自分を思い出し、卒業アルバムでも見ているかの様に、懐かし気に斜め上を向いて笑った。そんな彼に対し、灯馬は冷や汗をかきながら指を指して注意を促す。
「いいか? 執平にだけはサイクルについて何も教えてくれるなよ。アイツ、前にな、故郷をモンスターの集団に襲われたって言ってたんだよ」
それを聞くと、幽皇も笑うのを止め、次第に驚きの顔を見せた。
「モンスターの集団!? 噂に聞いた事あるぞ。10年前の“何とか村”……」
「あぁ。“テイグン村襲来事件”。普段、別種族での集団行動を起こす事の無いモンスターが、数多現れて一斉に村を壊すという暴動を起こした事件。その村は、執平の故郷なんだ。……地獄内では“サイクルの不整備”と言われてるらしい」
――執平の過去。
それは10年前、林に囲まれた広大な平地の中心に造られた“テイグン村”という故郷が大量のモンスターに、しかも訳も解らずに壊滅させられたという過去。
その後、生き延びた村人達で別の場所に新しいテイグン村を造ってから、執平は旅に出たのだった。
貧乏が嫌という理由もあったが、この出来事もフィギュアセラーになった理由の1つとなっていた。
執平は奇特で、そして悲哀な境遇から生まれたフィギュアセラーなのだ。
――そんな執平は今、幽皇が言っていた“サイクル”というものについて気になっていた。
「あの、師匠はサイクルって知ってます?」
「いいえ。あの大焦熱って人に聞いてみますか?」
執平は乃南と共に大焦熱のいる方を窺う。
すると、その2人の会話を端で聞いていた大焦熱が、唐突に2人の前に乗り出してサイクルについて淡々と話し出した。
「“サイクル”。それはモンスターの循環の事だ」
大焦熱にいきなり近付いて来られて乃南は少し驚いたが、好奇心のある彼女はすぐにサイクルの話に乗る。
「『モンスターの』って、どういう事ですか……!?」
彼女は『循環』と聞いて、内心、大方の意味はすぐに理解する事が出来ていた。
だが未だに頭を悩ます執平を見て、大焦熱は話を続ける。
「フィギュアセラーをスタートとしよう。お前等の仕事はモンスターを殺す事。そして次にフィギュアバイヤーの仕事はフィギュアになったモンスターを買う事。解るな?」
「解るけど……」
「サイクルを完成させる秘訣はフィギュアバイヤーの収入源。つまり、この土管。そしてこの土管が何処に繋がっているかは、さっき知ったよな?」
執平は自分がつい先程言った言葉を思い出し、呟く。
「……地獄」
「そうだ。そして最後に、モンスターは地獄で100年かけて再びこの世に生まれ戻る。この一連の流れが“サイクル”。フィギュアセラーからフィギュアバイヤー、フィギュアバイヤーから地獄へ、そして100年後、再び表の世界のフィギュアセラーのもとへ。更に、フィギュアバイヤーと地獄はサイクルを成立させる為の契約を結んでいる」
執平と乃南は暫く黙り込んだ。大焦熱はそれを見て話を中断し、2人の反応を見計らう。
すると、頭をフル回転させている執平が先に重たい口を開いた。
「じ、じゃあ、俺達が今までしてきた事は100年後のフィギュアセラー達に影響を及ぼす……って、事か?」
「あぁ、そうだ。換言すれば、今生きているモンスターの殆どは約100年前に殺され、フィギュアバイヤーと地獄を経由して来たモンスター達だって事だ」
大焦熱が執平の発言を合図にしたかの様に再び話を始める中、今の言葉を聞いた執平の脳裏を、“あの骸骨の言葉”が瞬間的によぎった。
『100年――』
『子孫――』
『孤魔寺家――』
「……そうだったのか」
「え?」
大焦熱の話に何回も驚かされていた乃南だが、何かに気付いたようである執平に気付いてその方を向いた。だが執平は自分の独り言に反応した彼女に気付き、手を横に振って何でもない事を伝える。
一方大焦熱はそれを気にせず、黄緑色の長いストレートの髪を揺らしながら、2人の周りをゆっくりと歩いて話を更に続けた。
「丁度100年後に生まれ戻るから、毎日の様にモンスターを殺していても、100年前に殺されたモンスターが毎日の様に生まれ戻って来る。詰まる所、モンスターに終わりは無いのだ」
彼は2人の眼前に戻った時に再び立ち止まった。話をしっかり聞いていて理解の出来ている乃南の隣では、執平が流石に頭を悩ませていた。
「なんか……、聞かなきゃ良かったなぁ。フィギュアバイヤーが契約してるだとか、100年前だとか後だとか。サイクルって、深いな。うん」
「フハハ。『深い』の一言で纏められる程、“サイクル”というものは単純じゃないが、まぁ簡易に捉えてくれても良いだろう」
大焦熱は、考えるのも億劫そうな彼の表情に対し、少し微笑を見せる。
その時、店の扉が開いて灯馬と幽皇が入って来た。扉が開く時の鈴の音色を聞いて、それを知った一同。
執平はサイクルについて灯馬に聞きたい事があったので、土管の淵に座りながら2人を待ち構える。
そうして、土管の部屋まで戻って来た2人は、執平が持ち出した話をいきなり聞かされる事となった。
「灯馬、幽皇。サイクルの事全部聞いた」
「え、うわーやっぱ遅かったか……。テメェが話せ話せってしつこいからだぞ糞グラサン」
「だって気になるじゃんかよ! あの――」
「まぁまぁ2人共! なんか執平君が灯馬さんに話あるみたいですよ?」
今回は乃南が2人の間に入って仲裁に入った。乃南に止められた灯馬と幽皇は、黙って執平の方を向く。
特に灯馬は何処か落ち着かない感じで立っていた。
「シルクハットの野郎が言ってたアレってのは、契約の事だったんだな? フィギュアになったモンスターを土管を通じて地獄に送り、甦らせる。……これがフィギュアバイヤーの本来の仕事内容」
執平に隠していた事を知られた灯馬は、溜め息をついて髪をクシャクシャと掻いて心中を露にした。
「……知っちまったか。ほら、お前って昔に故郷をモンスターの集団に襲われたって言ってたろ? そのモンスター達が当時より100年前のフィギュアバイヤーによって甦った物だと知ったら、お前はフィギュアバイヤー自体を恨む。そして俺の事も、少なくとも軽蔑するに違いない……。だから、お前にだけはサイクルの事は知られたくなかった」
灯馬が隠していたフィギュアバイヤーの真実――サイクル。
その全てを知った執平は、彼の本音を聞いて軽く溜め息をつく。
「馬鹿だな、灯馬」
「……あ?」
「それは10年前の話だ。つまり、お前が言ってるフィギュアバイヤーは110年前の奴等だ! なんで灯馬が責任を背負う感じになってんだよ?」
執平は土管の淵から立ち上がると、灯馬の肩を軽く押してからかう様に笑った。乃南は微笑ましい表情で2人を見る。
「それさ、俺も言ったんだよ! そもそもフィギュアバイヤーだってフィギュアを地獄に送り返さねぇと生活出来ねぇだろってよ! ははは!!」
そして幽皇は執平よりも大きくうるさい声で笑っていた。
「まぁ、そうなんだが……、少し心配性な所があるからな、俺は」
俯いていた灯馬は顔を上げて執平達と共に笑いながら、頬を指で掻いた。
「オイお前」
そんな穏やかなムードに横から割って入って来た大焦熱。彼自体このムードを壊すのも悪い気がしていたが、彼は執平を名指しする。執平は笑うのをやめると、彼の呼び掛けに素直に返事をした。
「何だ?」
「10年前に故郷が襲われた、と。そう言ったな」
大焦熱の言動に、執平はただ黙って頷く。その隣で、灯馬と幽皇は大焦熱がこれから何を言おうとしてるのか素早く察知した。
幽皇はその真相を知っている訳では無いが、目を見開いている灯馬の心中を読んで咄嗟に大焦熱の口を塞いだ。
「何があったかは知らねぇ……。だがお前等、恨まれるんじゃねぇか?」
幽皇は大焦熱の尖った耳の近くに口を寄せ、小さく意中を伝えた。幽皇の小さい声は常人の普通の声に近い音量故、執平にも結局聞こえたのだが。
「う゛ぁう゛ぁう゛ぇ」
「は? おい幽皇、離してやれ。何言ってるか分かんねぇ」
幽皇の掌に阻まれて届かない大焦熱の声。その声を救おうと、執平が幽皇の側に近寄った。
ーーするとその時、大焦熱の口をずっと押さえている幽皇に異変が起きる。
「……あっっちぃぃぃ!!!」
と言うのも、急に彼が大焦熱から手を離し、その口を押さえていた右手を振って暴れ出したのだ。
執平は幽皇が飛び掛かって来る様に自分に向かって来たので、思わず即座に離れて壁に寄り添う。
「ど、どうした幽皇!?」
「て、手が! ヤベェ、水くれ! 水だ!!」
見ると、幽皇の右手は尋常じゃない程赤らんで煙を放っていた。それを見てすぐさま灯馬がキッチンからバケツに水を汲みこみ、氷も入れて来る。
幽皇はしゃがんでそのバケツに手を入れると、安堵と疲労の溜め息を何度もついていた。
執平と乃南がおどおどする中、灯馬は大焦熱の肩に手を置いて、彼に今更な注意を促す。
「大焦熱は、熱を自由自在に操る事ができる。まぁ大焦熱だけじゃない。地獄の奴等は皆そういう体質なんだ。気をつけろよ」
「先言えや黒銀髪ゴルァ!!」
大焦熱は幽皇の哀れな姿に、同情の意味で溜め息を漏らす。
「全く。俺達が恨まれる事を気にかける暇があったら、もっと自分を強く鍛え上げてみろ。……さて、話を戻そうか」
剰え彼を弱者と称した後、大焦熱は濃い灰色の顔を険しくして執平へと近付いた。
「今から話す事実はお前には苦になるかもしれないが……、聞くか?」
大焦熱の一言に執平は顔を少し俯かせ、じっと黙って考えた。
恐らく大焦熱は、10年前に何故自分の村が襲われたのかを知っている。そして、幽皇が『恨まれる』と言っていた辺り、元凶は大焦熱等、地獄の住人なのではないか、と。
彼は大焦熱を見た。奇怪な容姿、明らかに人間ではない。考えた末、自分にそれを聞いてモンスターではないが人間でもない彼に、槍を向けずにいる精神力は無い、と判断する。
「……俺はあの事件で、フィギュアセラーになった。あの事件はモンスターの所為だと思ったからだ。モンスター以外でこれ以上恨みの種は増やしたくないんだよ」
「聞かないんですか? 真相が明かされるかも知れないのに!」
乃南が彼に半ば驚いた顔を出して意見を唱えるが、執平は本当に今は聞く気が無いようで、黒髪をクシャクシャに掻いて理由を説いた。
「サイクルの事聞いて頭少し混がらがってるし、こういう事は知らなきゃならない時が来た時に教えてもらう事にしたっす」
「それってどんな時だ?」
バケツに腫れた手を入れたまま質問をした幽皇は、バケツの中の氷を食べているらしく、口の中からバリボリと音を鳴らしている。
「さぁ、どんな時だろうな?」
「聞くのが怖いだけなんじゃねーの?」
更にもう1個の氷を手に取って頬張り、バリボリ鳴らすうるさい幽皇に見事に図星を突かれ、執平は苦笑いを浮かべた。
「喧しいよ、どうでもいいだろ! あと氷うるせぇ!」
執平と同じで考える事が比較的苦手な幽皇は、自分が火傷を負ってからというものそればかりに意識が行って、彼とは違ってこの話自体がどうでも良くなって来ていたのだった。
「まぁ、良いだろう。聞きたくなったら日比谷経由で呼べ。余暇がある時に来よう」
そう言って執平に背を向け、蓋の開いている土管の前で再び焦熱を待ち始めた大焦熱。その時丁度良い具合に焦熱が土管から頭をモグラの様にひょこっと出して来た。
「オイ、直ったぞ日比谷。ほら金だ!」
「あ、おう。サンキューな」
土管から上半身だけを出したまま、灯馬にエラーで出て来なかった分の金の入った袋を投げ渡した焦熱は、一息ついた後大焦熱の方を振り向いた。
そして土管に入る前より、周りが妙な空気で沈んでいる事に気が付く。
「……兄貴? どうした」
「いや、何でもない。さぁ帰るぞ焦熱。用は済んだ」
大焦熱の言葉に首肯した焦熱は急いで土管から飛び出し、兄の後を付いて行く。
そうして外に出た2人を、執平達は揃って見送る。
「ていうか、兄弟だったんだな」
「言ってなかったか?」
すっかりお互い顔馴染みとなった。
だが、改めてまじまじと容姿をじっと見る執平は、人の形をしていても種族の違いが如実に現れている事に対して溜め息をつく。
「な、なぁ、大焦熱。今度はいつ来るんだ?」
「できれば極力来ないで欲しいんだが。お前等地獄の住人がこっちに来る時ってのは、良い時じゃない」
大焦熱と目を合わせずに、恐る恐る尋ねた執平と、躊躇無く拒否反応を示した灯馬。
その隣で幽皇は氷を口に入れながら未だに手をバケツに入れていた。更に隣で乃南も氷を貰っている。
「土管が壊れた時か、貴様等の誰かが俺達を動かす程の重い罪を犯した時だ。確かに良い時ではないな」
その時、幽皇はビクッと肩を震え上がらせ、溶けかけた氷を口から吹き出す。
無理も無かった。暴走族にいた時に何人もの人間を事ある毎に病院送りにして、最悪殺していたのだから。焦熱の言葉を自分に置き換えたのだ。
過去を振り返り、溜め息をつく幽皇を見て焦熱は笑う。
「カハハ、安心しな芽吹幽皇! 俺等は基本この世の“警察”って奴等に任せてるから、そっちの点で現れる事は無ぇよ! 俺等がいちいち出てたらキリが無ぇだろ?」
嫌味気に言った焦熱に対し、犯罪者の幽皇は苦笑いを浮かべた。
同時に彼の中で、みるみる内に疑問が浮かんでくる。
「……ていうかなんで俺の名前知ってんだ!?」
先程の焦熱の言葉の中に自分の名前が入っていた事に、幽皇は少し遅れて目を瞠る。焦熱はその反応を見て、何処か誇らし気に笑みを浮かべた。
「警察に追われている身の奴等は“堕とす候補”として一応地獄にも載るからな。まぁ勿論警察はこの事を知らない」
彼は幽皇の名前を知っている理由を言うと、呆気に取られてから寒気を覚えている幽皇を鼻で笑い、その後に指を鳴らした。
それと同時に爆発音がして、目の前に赤と黒の入り乱れた空間の穴が現れた。最初の大きい音はこれだったのだ。
「じゃあ俺達は行く」
「これからもモンスターを殺して生き残るこったな!」
4人に別れを告げて、空間の穴に入ろうとする2人。
しかし、乃南が何かを思い出したかの様に2人を引き止めた。
「あ! ち、ちょっと待ってください!」
乃南は彼等を止めるとすぐさま灯馬の店に入り、執平から借りているモンスター図鑑を持って来ると、ある頁を開いて大焦熱と焦熱に渡して見せた。
大焦熱がモンスター図鑑を持っているのを、執平は反対側から覗く。すると、執平は目を見開いた。
その頁には、あのモンスターが載っていたからだった。
「……ノーム・フォグブロ」
「このモンスターの生息地は、貴方達の住む場所、地獄です。私達、前に森でノームの霧を見ました。何故森に現れたか、ご存知ですか?」
大焦熱と焦熱は互いに顔を見合わせる。それから大焦熱は彼女の質問に対し、表情を崩さずに答えた。
「何故森に出たかは知らんが……。ノーム・フォグブロは、100年と数週間前に殺された記録があるのを覚えている」
大焦熱の言葉に、灯馬と乃南は驚いた。ちなみに幽皇はそのモンスターに遭遇した事は無く、全く解らないので反応に困っている。
一方、執平は驚きよりも、何かを確信を得た様な笑みを込み上げていた。
「予想的中だ……」
「え?」
執平の独り言に、乃南を始めとして全員が反応して振り向いた。
執平は彼等の目線に恥ずかしさを覚えて頭を右手で掻くが、それでも自分の意中を、特に大焦熱を見ながら語り出した。
「サイクルの話とアイツが言ってた事を重ね合わせると、100年ぶりっていう言葉に納得がいく。更に、子孫、孤魔寺家。……そんな意味深な言葉を俺に言うって事は、100年前ノームを殺した奴ってのは、その長さからして恐らく俺のひい祖父ちゃんだからだ。まぁ俺はひい祖父ちゃんなんて、顔も知らないけど」
執平の立てた仮説を聞いて興味をそそられたのか、大焦熱は正面から執平と対峙して耳を傾けた。
「確証は」
大焦熱の短い問いに、執平は脳裏に閉まってある過去を蘇らせながら答える。
「故郷を襲われる前の記憶だけど、祖父ちゃんの話だと、祖父ちゃんが生まれたのは80年前。その時ひい祖父ちゃんは45歳らしい。つまり、今生きてたとしたら125歳だ。そしてノームが生まれ戻るまでの100年を引くと、25歳。俺のひい祖父ちゃんがアイツを殺したのなら、当時の年齢は25歳って事になる。フィギュアセラーとしてLv.10を相手にするのに、きっと妥当な年齢なんじゃないか?」
執平にしては珍しく的確な数字計算をして、顎に手をやりながら大焦熱に共感を求める。
だが大焦熱は、それよりも先程言っていた『孤魔寺家』の方に興味を示していた。
「妥当かどうかは定かではない。フィギュアセラーは何歳にでも就けるからな。……しかし、孤魔寺家とはな……。そうか、お前があの時のーー」
対話する彼の、言いかけた今の言動に疑問を持ちって頭を傾げる執平。灯馬と幽皇は険しい表情でそんな執平を見て、反応を窺う。
そこへ、何かを思い出した様に焦熱が割って入って来た。
「孤魔寺ってさぁ、まさか10年前のサイクルの不――」
『不整備』と言いかけた所で、幽皇に咄嗟に口を抑えられた焦熱。
そして幽皇は結局、哀れにも大焦熱の時の様に再び手に火傷を負ってしまうのだった。
幽皇が再びバケツに手を入れて、ズレたサングラスを直しながら安静にして溜め息をつく中、大焦熱と焦熱は生み出した空間に足を跨いで、今度こそ帰ろうとしていた。
「きっと、ノーム・フォグブロはいつか強くなったお前を殺しに来るだろう」
大焦熱がその日を楽しみにするかの様に微笑しながら、執平にプレッシャーをかける。その言葉に思わず執平もニヤける。
「……だろうな。俺のひい祖父ちゃんが生み出したであろう因果関係ってやつだ。とんだ血縁関係持っちまって、迷惑だよ本当」
「マイノリティは特に人と等しい感情を持つ奴が多いからなぁ」
焦熱は足を完全に異空間の狭間に入れながら、からかう様に笑った。
この時、時刻は午後1時半だった。それに気付いた灯馬は軽く2人に別れの挨拶を済まして、昼食を作ろうと店に戻っていく。
執平達3人も、初対面で印象悪かったが少し免疫が出て来たので、2人の地獄の住人に遂に別れの挨拶と握手を交わした。
だが別れ際、3人は異空間を少し歩いた大焦熱からある言葉を告げられる。
「フィギュアセラー達よ……。覚悟は出来ているんだろうな」
大焦熱は背を向けながら尻目に話し出したが、執平、乃南、幽皇はその背中をただ見つめながら黙って耳を傾けた。
「就いたならば、死ぬまでその職を続ける事だ。モンスターは俺達の手によって、現時点でも生まれ戻っている――サイクルが続いている。……地獄がある限り、モンスターに終わりは来ないのだからな」
そして彼等は出現させた異空間と共に、まるでテレポートの様に消えて失くなったのだった。
執平達はただ黙ったまま、まだ残る湯煙にも近い微かな熱気を肌で感じながら、各々顔付きを強張らせていた。
――フィギュアセラー。モンスターを殺す職。
この世がサイクルにより奇怪な化け物で埋まらないように、フィギュアバイヤーと共に遥か昔から続く職――。