貧乏生活
――廃れた街――
「待てよコノヤロー! 必ず売ってやるぜ“ゴルソー”!!」
――夜。
廃れた街中の独特の静寂を極力守っているかの様に鳴き声を小さく荒げて、あらゆる方向へと駆け回る金色の鼠のモンスター、ゴルソーを、必死に追い掛けている“フィギュアセラー”が1人。
少し長い黒髪を揺らす男、名を孤魔寺執平。
陽気な彼が夜の静寂を笑顔で破りながらゴルソーを必死に追う理由とは、洞窟が生息地である金色の鼠ゴルソーが、この近くではなかなか見られない為だった。
――逃走の末、遂に3方を廃れた建物の壁に、後ろを執平に挟まれて逃げ場を無くしたゴルソーは、爪を立ててブレーキをかけた。
「ハァ……ハァ……。よし」
息切れしつつも、勝利を確信した目で笑いながら、執平は手持ちの槍を眼前の少し大きな鼠に構える。
しかし、ゴルソーはそんな彼の股下をくぐり抜けようと、全身同様に金色に光る長い尻尾を揺らしながら、一か八か遁走に出る。
「甘えよ!」
執平は槍の刃先を真下に向けると、走るゴルソーへと一気に突き刺した。
背中を槍に貫通されたゴルソーはそのまますぐに息絶え、少し光り輝いたかと思うと、フィギュアと化してその場に落ちた。
「いくらするかな。Lv.1とは言え、この辺りじゃ見れねぇし、何より金色だからな!」
歯を見せて笑うフィギュアセラーの執平は、夜の星に負けない位に輝く鼠のフィギュアを片手に持って嬉しそうに眺めながら、少し歩いた所に構えている店へと浮かれ気分で入っていったのだった。
扉を開けたと同時に、来訪者を知らせる用に設置された鈴の音が店に響く。
更に言うには、1階建ての白く塗装されたその店は夜にも関わらず、電気を点けずに蝋燭を何本か立てて明かりを燈しているだけだった。
すると店の奥から、変わった髪型と決まり文句と共に、1人の男が現れた。
「いらっしゃい」
「見ろよ灯馬、ゴルソーだぜゴルソー!」
執平が店内で嬉しそうに叫びながら話し掛けた、すらっとした顔立ちのこの男――この店のオーナーである日比谷灯馬だった。
所々銀に染まっていて、ほぼ全体を後ろに流して立たせている髪を掻き上げ、彼は執平の嬉しそうな様子を見つける。
――かつて、生まれながらの貧乏生活に嫌気がさし、半年前からフィギュアセラーとして旅をしていた執平。彼が人の気があまり無いこの街に空腹で倒れそうな身体でやって来た時、とうとう耐えられずに倒れていた所を助けてからの仲だった。
「へぇ。この辺りじゃ、あまり見ない奴だな。良く見付けたな」
「いくらするんだ!? やっぱり高いよなぁ、金色だもん!」
執平に急かされながらも、灯馬はカウンターの椅子に座ってゴルソーのフィギュアを3本の指で持ちながら、眼鏡を掛けてじっくり見て鑑定に入った。
彼は、俗に言う“フィギュアバイヤー”である。
鑑定が終わると浅い溜め息をついた灯馬は、無表情で言う。
「500円だな」
「え、ご……?」
予想外にも安かったまさかの値段に、これまでに無い程呆気に取られて固まった執平。
彼に対して灯馬は、ゴルソーのフィギュアをカウンターに横にして置いて指で転がしながら、まだ無表情のままコクリと頷く。
「……ま、待て待てコノヤロー。金色だぞ!? なのに普段のLv.1の奴等と少ししか値段変わらないって……、おかしくない? ねぇ、おかしいよねー。金色だもん!」
貧乏人の執平は、先程からやけに金色に拘っていた。
「ほらよ500円。また来なよ」
「無視ですか灯馬さん!」
執平は後ろを振り返る灯馬に同情を求めようと、自分の今の情けない境遇と迫り来る末路を、カウンターを両拳で叩いて彼に力説し始めた。
「俺マジやばいんだよ灯馬! 手持ち160円だよ? その500円合わせても今日の夜飯買うので全部使い切っちゃうんだよ!? 明日俺の白骨死体が見つかってもいいのか!? あ、後――」
「夜飯を我慢すればいいし、人はそんなに早く骨になんねぇし、ここには泊めねぇ」
そんな力説もお構い無しに、灯馬は無表情の顔を戒めの表情にして、口を開いたまま静止している彼をあしらった。
次に言おうとしていた事まで見透かされた執平は遂に言葉を失い、拳をカウンターから離して俯き、黙り込んでしまう。
――聞こえるのは、店の壁に掛けてある時計が時を刻む音のみ。
その静寂の中で、俯く執平にずっと光を浴びせていた蝋燭の火。その火の光が希望を呼んだのかは定かではないが、灯馬は仕方無さそうに溜め息をつくと、執平の言い分に折れたのだった。
「……わかった。夜飯は俺が作ってやる」
「え、マジ?」
「ただし、食ったら出てけよ」
そう言って微笑する灯馬の唐突な優しさに、執平の顔にはだんだんと笑みが込み上がって来ていた。
そんな彼の右手には、大事そうに握られている小銭4枚、660円。その660円が明日の分に回ったのだ、と思って無性に嬉しくなっていたのだった。
そして灯馬は機嫌の良くなった執平を、店の奥にある清潔感のあるキッチンに連れてテーブルで待たせ、早々と食事を出す準備をしていった。ちなみに、此処では電気を付けていた。
――キッチンに入ってから約10分後、執平の目の前に美味しそうな料理が並べられる。
「いただきまーす!」
「残したら殺す」
安易かつ冷静な気持ちで衝撃的言葉を軽々言い放った灯馬は、テーブルを挟んで執平の向かい側にある木の椅子に落ちる様に座り、ガタンと音を鳴らす。
メニューは冷凍してあるのを温めた白い御飯と、今日の灯馬の夕飯の残りである肉じゃがだった。そして今作ったツナとコーンのサラダ。ちなみに、ドレッシングは前から置いてある灯馬の手作りだった。
「んー! やっぱ美味ぇなお前の飯は!」
人生2度目の灯馬の飯に超御満悦の執平は、箸を持つ手を1秒足りとも止めず、早くも完食する。その食べっぷりを灯馬も腕を置いて満足そうに見ていた。
そして一息つくと、執平のこれからについて、2人で話し始めた。
「いやー、今までモンスターに全然会わなくて、その時の所持金で食い繋いでたら残り160円でさぁ。久々の獲物のゴルソーも500円とか言われてさ……、ショックだった訳よ」
――先程のゴルソー。
Lv.1と明記したが、それは1番弱い事を表す。
Lv.1のモンスターは、モンスターだ、という先入観の恐怖さえ取り除けば非力な者でも難無く倒せる。
ちなみに、その弱さ故、フィギュアセラーになりたい者がまず狙うのはLv.1。
いわば、入門者や初心者には恰好の餌食という訳であった。
――故に、安い。
しかし、執平が手に入れた500円はその中でも良い方だった。
「ていうかお前1食にいくら使ってんだっけ?」
「600円ぐらいかなー。だから明日やばいって言ったろ?」
汚れた口をテーブルに置いてあるティッシュで拭きながら、執平は呆れる灯馬の前で改めて身の危険が迫っていた事を話した。
「お前夜飯なんて、学校の受験生じゃないんだからいい加減辞めたらどうだよ? そしたら2400円も1800円になるぞ。ていうか600円自体、貧乏人が1食に使う額じゃねぇだろ……」
灯馬は用意したインスタントのブラックコーヒーを静かに啜りながら、食器を纏めている執平にもっともらしい意見を唱える。
――昔からの貧乏生活が嫌でフィギュアセラーを始めてから、優越感に浸る為に何故か“1日4食”を基本にしてしまい、逆にそれが再び貧乏生活を招いてしまったという情けない事情を持っていた執平。
灯馬が呆れるのも無理は無かった。
「……じゃあ、我慢する」
彼は灯馬の意見を聞きながら食器を纏め終えると、テーブルに顎を置き、名残惜しそうに承諾した。
――その時、正面扉の鈴の音が2人の会話を遮った。それを聞いた灯馬はブラックコーヒーを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がる。
「客が来たみたいだ。じゃあお前は最後の夜飯食ったんだから出てけよな」
そう言って彼は、再び蝋燭で燈されたカウンターに戻って行ったのだった。
「最後ね……最後! やってやるぜ!! 今思えば1日2400円は俺には無謀だ!」
その後ろ姿を見ながら決心が付いた執平は、先程まで料理が盛られていた食器を適当に洗って片付けた後、キッチンを後にした。
そして貧乏生活のおかげで我慢には慣れていた執平の脳内には、最初の名残惜しさは既に何処かへ飛んで失くなっていたのだった。
灯馬は自分専用のカウンター席に座りながら、来客の顔を確認していたところだった。
「いらっしゃい……ん? 見ない顔だな」
「あ、こんばんは。私、フィギュアセラーとして旅をしてます、椎名乃南といいます。この一風変わった街が気に入りまして、暫くこの街に留まろうかなぁと思っていまして」
そう言って微笑みを浮かべてカウンター席に座る女のフィギュアセラー、椎名乃南。
髪の毛は肩辺りまで伸びているセミロングで明るい茶色。腰にはナイフを数本挿して装備。そして金色と銀色2つの細い腕輪を片腕に付けている。灯馬はそれ等の特徴を見つめてから、微笑んで挨拶を交わした。
「フィギュアバイヤーの日比谷灯馬だ。で、どんなモンスターを売りに来た?」
灯馬はフィギュア鑑定の用意をして、乃南にフィギュアを出すよう指示した。向かい側の席に腰を下ろした彼女は、蝋燭の明かりを頼りにバッグからフィギュアを取り出し、カウンターに並べ始める。
――その少し前にキッチンを出て、その成り行きを陰で偶然見付けた執平は、情けなく口を開けて驚愕した。
「……何だアレ……!?」
と言うのも、カウンターに並べられた様々な種類のフィギュアは、フィギュアセラーになってまだ日が浅い執平にとっては未だ見た事無いモンスターばかりだからであった。
この時、気付けば彼の身体は動いていた。
「オイあんた!!」
と言うのも、見た事無いフィギュアに興味が湧いたのが原因であるからだ。執平は夜の店内で傍若無人にも大声を張り上げた。灯馬と乃南はそれに驚いて、店の奥からいきなり現れた執平を瞠目して見つめる。
「ど、どうした執平?」
「えー……と、私ですか?」
初対面の人に怒鳴る様な声で呼ばれたのを恐ろしく感じた彼女は、椅子をすぐに立ち上がって逃げられるような体勢になりながら、恐る恐る用件を尋ねてみた。
「そうだ! 一体そのモンスター達は何処で手に入れたんだ!?」
蝋燭の明かりを浴びながらカウンターに並べられたフィギュアを思い切り指指す執平の尋問内容を聞いた乃南は、少し一驚した表情を見せて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「あの、もしかして全くの初心者……なんですか?」
「え?」
「だって、見た事無いって」
唐突に図星をついて来た彼女の質問に、初心者フィギュアセラーは戸惑いと屈辱感を隠せず固まる。
フィギュアを指していた指も下ろせずにいたのだが、そんな初心者は少し間を空けた後で口を開いて返答した。
「……ま、まぁまだ1年経ってないし、Lv.1しか相手にした事無いから……えぇー……」
何故初対面の人にいきなり意表を突かれなきゃならないのか、と困惑の執平を他所に、灯馬はカウンターに背を向けて笑いを堪えていた。
「あ、す、すいません! 思い詰めさせる為に尋ねたわけではないんですよ!? 私もそんなに言えた立場じゃないし……!」
端から見ても刃に衣を着せてなかった発言だったが、別に悪気は無かったという、そんな無邪気な彼女も、汗の止まらない執平を流石に心配して焦り始めた。
しかし執平は腕を下ろして深呼吸し、すぐに平静を取り戻すと、話もなんとか取り戻してみせた。
「とにかく、あんたそのモンスター何処で……」
彼は乃南の隣に立ってフィギュアをある程度弄って確認しながら問い掛ける。
乃南も安堵の溜め息をつくと、少し微笑みながら返答した。
「少し遠くにある森にいたので取り敢えず……って感じですね。私の所見では、あの森にはLv.2から3まで潜んでいるかと思います」
「本当か!? じゃあ明日にでも行くかな! どうせ暇だし」
丁度Lv.1相手では流石に飽きて来ていた執平は、蝋燭に劣らない程までに瞳を輝かせて気持ちを新たにする。
だが2人の方を向き直した灯馬は、浅い溜め息をついた。
「お前自分の実力分かってんのか? もう少し後にしとけ」
「何言ってんだよ灯馬! 俺はもっと強くなりたいの!」
片肘を付いて体重を掛けて座っている灯馬の発言に、執平はカウンターに両手を置いて反論した。
すると、それを仲裁するかの様に乃南が何かを思い出して、少しだけ手を挙げながら発言する。
「あ、私がLv.2を相手にしたのはフィギュアセラーを始めてから約半年後ですよ。参考になれば幸いです」
隣でその助言を聞いた執平は、乃南に感謝の笑顔を振りまいた後、灯馬の方に向き直り、彼女を指指す。
「ほぅら丁度いい! 俺今半年だもんねー!」
彼はカウンターに直接腰を下ろして上半身を横に反らし、勝ち誇ったかの様に踏ん反り返った。
だが、顔に笑みを浮かべる彼に、乃南は思い出した様にもう一言付け加えようとする。
「あ、あのですね。その時私結構ギリギリで――」
「やってやらぁー!!」
しかし、夜にも関わらず大声を出した執平により、その忠告はまんまと潰された。そして今出掛ける訳でも無いのに、執平は大声を張り上げて満面の笑みを浮かべたまま即座に店を出て行ってしまったのだった。
「……あの、彼は何処に住んでるんですか?」
言いそびれた言葉を伝えようと考えた乃南は、開いたままの扉から、星と月の光に少し照らされた夜の廃れた街を見渡して灯馬に尋ねた。
灯馬は彼女の質問に多少戸惑ったが、扉から身体の前半分を外に出している乃南に近寄って答える。
「アイツは野宿だよ。一応この街にもマンションあるけど、家賃払う余裕無いからな、執平は」
それを聞いて、乃南は目を瞠り、信じられないと言わんばかりに驚く。
「野宿って、此処街ですよ? いくら人が居ないからって、廃屋ばっかの所で」
「その廃屋を、使ってるんだよ。この街には腐る程あるからな。およそ半年前に此処に来た時から、広いやつを見つけて執平は使ってる。……あ、ちなみにアイツの名前、孤魔寺執平って言うんだけど、次合ったら名前教えてやんな。同じ街に住む以上、付き合いは大事だからな」
乃南は執平の無鉄砲な姿に、付き合えるかどうか一抹の不安を覚えたが、取り敢えずの二つ返事で応えた。
「分かりました。日比谷さん」
「あー、『日比谷さん』はやめてくれ。俺はその苗字好きじゃねぇんだ」
灯馬は嫌そうに言い返しながら手を横に振った後、渡し忘れていたフィギュアに見合った金をすぐに乃南に渡す。
「マンションを見かけたか?」
「はい、道中にありました。そこに住もうかと」
そしてこの街にある唯一のマンションを紹介してから、乃南と別れを告げたのだった。
――とある廃屋――
「……あー、やってやるとか言ったけど初めてのレベルだから緊張するなチクショー」
その頃、とある廃屋のとても広い部屋には、持参の枕に頭を乗せ、灯馬から貰った毛布を掛けて、うずうずしながら横たわっている執平の姿があった。
周りには執平が持って来たランプが4つ、暗い廃屋の一部をその火で明るく燈していた。
そして専用武器の槍が執平の近くに転がっており、廃屋に何故か元々置いてあった箒が1本壁に立たせてあった。
バッグにも執平が村を出る際に判断した必要最低限の物は入っていた。
(今の貧乏生活を振り返ると、最初5万円持って来てた頃に戻りたい気分になるな)
――執平の脳裏に蘇る、5万円を手にした時の自分の綻び。その5万円は1日4食によって無惨にも消えていったのだった。
最初からその様な事をしなければまだ660円よりかは幾分残っていたかも知れないのに、哀れ過ぎる執平には客観視しても同情の意さえ起きない。
そして彼は毛布を持ちながら寝返りをうつ。
「そろそろ寝るか。明日に備えて」
まだ見ぬモンスター相手に緊張感が高ぶる執平は、吐息で近くのランプを2つ程吹き消した後、言った通り明日に備えて、枕と毛布のみの薄い装備で就寝するのだった。