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由姫は一人で天神の繁華街を歩き、人ごみの中をかき分け自宅に向かった。こんなはずじゃなかったと由姫自身が最も感じていた。大杉くんは確かにあの時は輝いていて、誰よりもかっこよく見えた。しかしその顔には仮面が着いていた。
当たり前だ。剣道の試合中なのだ。
防具がないと、大杉くんは死んでしまうではないかと由姫は考えた。私はそんなことも分からずに大杉くんをイケメン系男子に入ると勘違いしていたのだ。
由姫から見て大杉くんは、ブサイクで売っている芸人よりもブサイクな人間だった。由姫の恋愛対象としては論外である。由姫は彼氏の条件としては、ダルビッシュよりもキムタクよりも福山よりも、漫画で出てくる道明寺よりも花沢類よりもイケメンでないといけないのだと考えていた。
その条件に合致するのは駿馬英だ。
『王子様学校』という漫画に出てくるに出てくる駿馬英さまほどイケメンでないといけないのだと由姫は感じていた。
由姫にとって駿馬英はとてもイケメンで、ケンカも強く勉強もできるすごい人間であった。おまけに日本語、英語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、アラビア語、韓国語、中国語を操り、どこに行っても生きていけそうな人であると由姫は考えていた。由姫にとって、駿馬英はルフィよりもドラえもんよりもすごいお方であったのだ。
天神から由姫の自宅に近い中州に出た。すでに夕方になっており、ホストやキャバクラのキャッチが街をうろついていた。由姫はホストのことをイケメンではないと考えていた。由姫にとっては、なりきりイケメンであった。その理由は、全員前髪を片目がかぶるくらいまで伸ばしており、鬼太郎のような感じになっているからだ。それがかっこよく見えるのは、おそらくジャニーズくらいではないのかと由姫は思っていた。したがって、由姫はホストにはまることはなかった。
由姫が自宅に帰宅すると、すでに父親はリビングの椅子に腰かけ、ビールを飲んでいた。由姫は今日のことを忘れ去りたいと思い、「お父さん、私も飲んでいい?」と言った。父親は優しい声で、「いいぞ」と言った。
「ありがとう」
「どうした?由姫がビールを帰ってきてすぐに飲むなんて可笑しいな」
「ううん、何でもないよ、ただ飲みたかっただけ」
由姫はそう言いながら親は鋭いと感じていた。
こうして今は優しい父親であるが、由姫と両親がずっと仲が良かったわけではない。それもそのはずである。由姫は1人っ子だ。
中学生の半ばくらいから急激に反抗期が来た。由姫は少し不良がかっていた友人と夜遅くまで遊び帰宅した日のことだ。父親は「今何時だと思っているんだ!」と由姫の両の頬を叩いた。由姫は泣きながら「良いだろうが、今までいい子にしてきたんだからこのくそ親父!」と言い返した。その後、母親にも叱責された由姫は、何カ月もの間、自分から親に話しかけなかった。
しかし高校受験間近に迫った日のことであった。福岡の名門、小勇館高校を目指していた由姫は、点数がなかなか上がらないことに悩んでいた。由姫は発狂しそうにもなった。友人に相談しようと思ったが、友人も受験で他人のことにかまう場合ではなかった。もうダメだ…。由姫がそう考えていたとき、救いの手を差し伸べてくれたのは父親と母親であった。
「どんな結果になってもいいから、由姫は由姫らしく頑張りなさい。やりたいことがあるから、あんなに難しいところ行くんでしょ」
両親は高校の偏差値とかを気にしないタイプであった。由姫が小勇館を選んだのも、学びたいものがあるところを選びなさいという教えが影響したものだとその時から感じていた。
由姫の成績はその日を境に伸びを見せ、高校には合格した。
由姫は、ビールを飲んだ。乾いていた口の中に、冷たいアルコールの入った炭酸水が染み渡った。これですべてを忘れられるかと思ったその時であった、由姫のスマホが鳴り、由姫は画面を見つめた。電話の主は、藍佳であった。その時、由姫は「謝らないと」と呟き、電話に出た。
「もしもし藍佳…今日はゴメン…」
「由姫…それは私に言うことじゃなかよ」と藍佳の声が突き刺さるように響いた。
「うん、だから大杉くんに…」
「大杉くんにもう1回会いなさいよ」藍佳の声が、由姫の言葉を遮る。
「どういうこと?」
「大杉くんね、由姫は優しくて可愛いて、一目ぼれしたみたいよ」
と藍佳は由姫にとって衝撃的な一言をつぶやいた。由姫は、その一言に言葉が出なかった。
「由姫、責任感じてるならさ、1回くらいデートして、大杉くんの物的な部分じゃなくてさ、プラトンの言う人間、精神を見てやりまさいよ」
藍佳の言葉は、由姫の胸に突き刺さっていた。