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由姫が藍佳から電話で連絡を受け取ったのは、美容院で髪をショートにしてから2日が経った日のことであった。
「大杉くんのアポとれたよ!」と藍佳は少しだけ明るい声で報告してきた。由姫は思わず、「いつ、私はいつ大杉くんに会えるの?」と浮足立って藍佳に聞き返した。
すると「明後日は、由姫空いてるの?」と藍佳は由姫のスケジュールの確認をしてきた。しかし、少しテンションが高くなっている由姫に自身のスケジュールを確認する余裕はなかった。
「空いてる!空いてなくとも行く、行く!」と由姫は答えた。
藍佳は少し間を空けてから、「分かった、じゃあ明後日の3限の授業が終わったあとね!」と言った。それに対して由姫は「はーい」とだけ返事をした。
由姫が電話を切ろうとしたその時、藍佳が「ちょっと待って」と慌てた口調で言った。由姫が「どうしたの?」と聞き返すと、藍佳はこう言った。
「ちゃんと最後まで居てね、大杉くんは練習前の貴重な時間を空けて来てくれるんだから」
由姫はその愛かの言葉に対して少しあきれながら、「私、そんな常識のない人間じゃないよ」と言った。
それから由姫は電話を切り、「やったー」と言いながら、iPhoneと高々と投げた。iPhoneは宙を舞って、由姫のベッドに着地した。由姫はそのiPhoneを追いかけるように、自分もベッドの上に飛び込んだ。
由姫は早く2日間経たないだろうかとベッドの上で考え込んだ。よく遠足前の小学生は、こういった気分になるということを聞いているが、由姫は小学生のころ、遠足と言うものがあまり好きではなかったので、こんな気分になることはなかった。家族と行った旅行も、毎年同じ所へ行っていたので、出発の数日前にワクワクする気分になったことはなかった。したがって、由姫にとってこのような気持ちになるのは初めての体験であった。
由姫が思っていたよりも早い感覚で2日間は過ぎていった。美容院でショートにした髪も、見た感じまだ伸びてはいなかった。由姫は鏡の前でそれを確認すると、小さくガッツポーズをした。
「なんかいいことあったの?」と突然、由姫の背後から少し低めの女性の声が聞こえた。由姫が振り向くと、そこには母親が立っていた。由姫は「いや、何でもないよ」と慌てて言った。
「そう、そうならいいけど、最近何だか由姫が可笑しくなった気がしてね」
母親のその言葉を聴いた由姫は、親という存在はすごいと感じてしまった。これまでも何度かそういった経験をしたことはあったが、今日の経験はこれまでと違い、若干の恐怖が入り混じった感覚を由姫は受けてしまった。
「お母さんの気のせいじゃない」
「そうかね…?いっつも、鏡ばかり見てるし、いきなり髪の毛は短くなるし」
「前の方が良かった?」と由姫は、母の言葉に少し不安を感じて聞き返した。
「いや、すごく可愛いわよ、あなたは顔立ちがとてもいい方だから、どんな髪型になってもうまくいくと思うし…」
「そう!良かった!」
「ただ、ずっとロングだったのにどうしたのかなって思ってね…」
由姫は母親と話していると、自分も子どもができた時、こんな風に心配してしまうのだろうかと考えた。母親は、由姫が子どもの時から、「あなたが死んだら、私も死ぬから、絶対に生きるのよ!」と由姫に語り掛けていた。それは父親にとっても同様であった。だから由姫は、両親を死んでほしくないので、何があっても生きようと考えるようになった。
しかし、今日、母親の本当の娘への思いが分かったような気がした。娘のことがただただ心配なだけなのだ。心配をかけた覚えが由姫になくとも、母親は自分の娘のことが心配なのだ。故に、由姫が母親にとって命よりも大切なものなのだ。
由姫は、その後母親が作った朝ごはんを父親と一緒に食べ、あの日天神の地下街で購入した洋服を着て家を出た。ちょうどその時、仕事に行こうとしていた父親と一緒になった。
「由姫、なんだか最近、可愛くなったな…」と父親に言われた。その表情は少し心配そうな感じであった。
「お父さんは、由姫が可愛くなったら心配になる?」と由姫は父親に聞き返した。
すると父親は、少しはにかんで、「そりゃあ、変な男に捕まったら嫌だからな…」と答えた。