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秀次の死後
秀次の死。
そのご秀次家臣達で生きたものは徳川、石田、前田、佐竹、上杉、小早川、堀、中村
などに召し抱えられた。
また一豊は秀次遺領より加増(8000石)された。
そのうちほとんどは手を付けず将来幸太朗に与えようと
心に決め、罪悪感を少しでも拭うようにした。
また、その遺領を黒田に整備させ
その功と名を変え加増した。
勿論これは養育費の足しにして欲しいという
思いもあり、心衛門も勿論理解していた。
幸太朗は恨みを忘れず
今はただ成長するのを待つのみであったが
同時期に黒田の嫡男として産まれた新助とともに
育てられることもあり、将来友人になれることを
楽しみにしていた。
また、複雑な心境であろう
黒田心衛門、いつも幸太朗、新助ともに
大切に育ててくれた。
...それから三年後。
豊臣秀吉は死んだ。