Episode:64
椅子にかけて、ペンを手に取る。
地球にもあった、書いたとおりに画面に表示されるタイプのものだ。
イノーラは自分でも、あまり地球人ぽくないと自身を思う。
小さいうちに宇宙へ出てしまったために、ほとんどのことが銀河式だ。
ただこの「手で書く」という行動だけは、今も捨てられないでいた。
単にデータを入力するだけなら、パネルを使ったほうが早い。
だがこういう数式や絵となると、やはり手で書くほうが早いのだ。きっと宇宙へ出る前から、手にペンを握っていろいろ書いていたせいだろう。
人間の基本的な行動様式は、物心着く前に決まってしまうのかもしれない。
そんなことを思いながら、次々と目を通していく。
「あら……」
つい声が出た。並んでいる数式の一部が、重複していたのだ。
イノーラは考え込んだ。
いままでこれらの式は、関係はあってもそれぞれ独立しているのだと思っていた。
だがこの重複部分を見るかぎり、「すべてでひとつ」の可能性がある。
だとしたら、最初からすべてチェックしていけば、何か見えてくるはずだ。
慌てていちばん最初の式へ戻る。
――大統一式。
やはりここから始まるのだ。
推測だが……大惨事の中、なぜかあそこに居合わせた者たちは脱出を諦め、この数式を書き記すことに没頭したのだろう。
そして膨大な量にのぼる式を、手分けして書き残したのだ。
つまり、それだけ重要な物と言える。
(何なのでしょうね……)
命と引き換えにするほどの物が、そうそうあるとは思えない。
だがあの場に居た者たち――おそらくは科学者――にとっては、命を賭けるに値する物だった。
その理由は、この膨大な数式の中だ。
数式の、おそらくは最終行と思われるものを見てみる。
(これはもしかして……?)
まだこの星独特の記述方式がすべては分からないため、あくまでも直感でしかないが、ワープする際などに使われる「次元理論」で使われる物に似ていた。
ペンを手に取る。
この難関に挑めたのは幸運だ。
何かが少し違えばこの式は、超新星爆発の余波で消えてしまったかもしれない。
あるいは消えなくても、自分が目にすることはなかったかもしれない。
だがそれがふとしたきっかけから、過去に作られた式が、よりによって自分の手元へ来た。
ならば、解明する義務がある。
(でも、非科学的ですわね)
偶然に意味を見出そうとする思考回路を自分で笑いながら、イノーラは式を解き始めた。
例の機械のためにイノーラを引っ張り出せたのは、夕食時だった。
思ったより早かったな、とエルヴィラは思う。下手をしたら取り掛かるまで、数日かかると覚悟していたのだ。
数字が苦手なエルヴィラにしてみれば、あんなものに一人で挑むほうが無謀だし、何より行き詰らないほうがおかしいと思う。
だがイノーラは、それがどうにも気に入らないようだ。
才能があるというのは大変だなと思いながら、姪っ子の大好物を並べてやる。
あれだけ頑張っているのだ、このくらいはしてやってもいいだろう。
料理や何かは、エルヴィラの担当だった。
といっても、けしてエルヴィラが上手いわけではない。
イノーラが下手すぎるのだ。
何しろこの姪っ子、エイリアンペットとして育ったせいなのだろうが……やることが逐一おかしい。
食材の選び方自体がおかしいのに始まり、肉を焼くのにガスバーナーを出してきたり、冷たくするのに宇宙空間へ放り出そうとしたりする。
しかも不思議なことに機械全般と相性のいいイノーラが、なぜか自動調理機械とだけは相性が悪い。
正確には機械そのものは使えているのだが、きちんとした「料理」が出来上がらない。
原因は、勝手に設定をいじるからのようだ。
機械に任せておけばいいのにそれが出来ず、「微調整」と称していじっては、食べられない代物を作る。
そんなわけで料理は、エルヴィラが担当するようになった。
「ほら、そこ座って座って」
台所と食堂と居間とをすべて兼ねる部屋の、小さなテーブルに姪っ子を着かせる。