Episode:63
叔母のエルヴィラと話し合う必要はあるが、そこさえクリアすれば、どこへでも好きに行ける。
そのことに初めて、イノーラは気が付いた。
エルヴィラが切望して止まなかったもの、それがこの「自由」なのだろう。
イノーラ自身は、まだ戸惑っている。
実は銀河市民権を得ようと言われたときも、さほど乗り気ではなかった。
一生心配があるわけでなし、今までどおり暮らせばいいではないかと思ったくらいだ。
承諾したのは単に、「宇宙船を任せてくれる」とエルヴィラが言ったからだった。
元々イノーラは、機械とはすこぶる相性がいい。
見れば扱えるし、中で何がどう動いているかも、手に取るように分かる。
そんな彼女にとって、宇宙船は憧れだった。
他のことはともかくとして、自分の手で船を操作し、自由に宇宙を駆けてみたい。その思いだけは常にあったのだ。
だから、話に乗った。他に意図は無い。
イノーラにしては珍しい、行き当たりばったりに近い決め方だったが、後悔はしていなかった。
宇宙に出て未知のものに次々と遭う生活は、十二分に面白いのだ。
何より、船を操るのが楽しかった。
エルヴィラは船を選ぶとき、イノーラに任せてくれた。そして彼女が選んだのが今の船だ。
予算の関係で旧型のものしか買えなかったが、イノーラ自身は気に入っている。
けして負け惜しみなどではなく、最新型も触らせてもらった上で、それでもこの船ならいいと思ったのだ。
新型の船は、たしかに安定していた。それに最新鋭の機能が満載で、便利なものばかりだった。
だが一方で何もかもが自動化され、誰でも操縦できる安直な船でもあった。それがイノーラには気に入らなかったのだ。
この船はたしかにボロだが、システムはいい。
エルヴィラには言っていないが、前の持ち主は何か改造しているはずだ。
そのせいだろう、こちらの指示に対する反応がいい。
また旧式なだけに手動部分が多く、そこも気に入ったポイントだった。
自動のシステムは便利だが微調整が効かない。
その程度、どうということは……と言う人がほとんどだろうが、イノーラにとってはその僅かな違いがどうしても許せなかった。
僅かとはいえ明らかによりいい方法があるのに、自動操縦だとそれが出来ないのが、どうにもイヤなのだ。
けれどこの船なら、そんなことはない。
自動化されているのは本当に煩雑なところだけで、かなりの部分が手動だ。そのおかげで、思う存分操船できる。
航行していると、操作盤に浮かび上がるさまざまなデータが実感を持って迫ってくる。
船の内外で何が起きているのか、手に取るように分かる。
今ではもうこの船は、イノーラの分身と言ってよかった。
だから安穏とした生活を捨て、今のちょっと厳しい、だが魅力ある生活を選んだことに後悔はない。
ただそれでも、時々思うのだ。
――もしかしたら両方取れたのではないか、と。
暮らすに困らない箱の中の生活と、宇宙船を駆る生活、その両方をやれたのではないか。
何もわざわざ、飛び出さなくても良かったのではないか。
叔母のエルヴィラが聞いたらなんと言うか分からないが、イノーラはそう感じている。
そうは言ってもただ箱の中に居るのと宇宙を駆けるのと、どちらかを取れと言われれば、迷わず後者を選ぶのだが。
だが今は船のことより、この数式のほうだろう。
飲み物を淹れながら、式の数々を思い出す。
それぞれの式同士は、一見関係性が有りそうで無い、というどれも微妙なものだ。
ただ式のどれもが間違いなく、大統一式とは関係がある。
つまるところあそこで議題になっていたのは、大統一式を中心に展開する「何か」と見ていいだろう。
それが何なのか。
(やっぱり端末の中、でしょうか)
飲み物を立ったまますすりながら――いつも叔母に行儀が悪いと怒られる――イノーラは、また映し出されている数式の数々に目を落とした。
やっと読めるようになりはじめた、この星の数式。
これからはスピードも上がるはずだ。