Episode:56
「なんかね、見たらあっちこっち書いてあるんだよね」
「あら……」
イノーラが興味深そうに覗き込んだ。
「この式、片方は銀河標準数字ですわね。
でも隣は……ここの数字でしょうか?」
「あたしに訊かないで」
商売の交渉ならともかく、数式など間違っても見たくないエルヴィラだ。訊かれて分かるわけがない。
「あぁ、おばさまはそうでしたわね」
姪っ子が嫌味たっぷりな声で返したあと、続けた。
「おばさま、私ここを全部調べて、すべての引っかき傷を書き留めてから帰りますわ」
「え……」
数式が相当気に入ったのだろうが、イノーラの言うとおりにしたら、いつまでかかるか分からない。
「本気で、書き留めるの?」
「ええ。
何となくですけれどこの式たち、何かを教えようとしてる気がするものですから」
エルヴィラは考え込んだ。
イノーラは、数字の申し子とでも言うべき存在だ。
何しろ生体コンピューターの異名をとるベニト人でさえ、彼女の能力には一目置いていた。
その姪っ子が言うのだ。可能性は高い。
「えーとさ、じゃぁね、画像じゃダメ?」
提案してみる。
なにしろこの広さのホールだ。
引っ掻いて書いたものがどれだけあるか分からないし、全部書き写すとなると、かかる時間も膨大だ。
何よりそのやり方では、エルヴィラは手伝えない。
だが画像なら写すだけだ。
ひとつひとつが短時間で済むし、これならエルヴィラでも手伝える。
「なるべく大きく撮って、船に戻って解析じゃダメかな?」
「あぁ、それでも構いませんね。
むしろその方がデータベースが使える分、効率がいいでしょうし」
イノーラの言葉を聞いて、よほど舞い上がっているのだな……などとエルヴィラは思った。
何事も合理的な姪っ子が、目の前のことに気をとられて効率を忘れるなど、初めてと言っていいくらいだ。
逆に言うならこれは、それほどの「大物」なのだろう。
もしかしたら、あとで何か大きな話の一部に、繋がる可能性だってある。
「じゃぁ、あたしも手伝うからそうしようよ」
「ええ」
珍しく、毒舌ナシに話がまとまる。
「じゃ、手分けしてやろう。
上のほうと下のほうに分かれて、一段ずつ見ようか?」
「分かりました」
内心、これで書き写すより早くここから出られると思いながら、エルヴィラは作業に入った。