Episode:03
「保持システムのエネルギー、推力に回して」
「船体を壊すおつもりですの?」
イノーラの声が氷原のように冷たくなる。
「完全に切りさえしなきゃ、一分くらいなら保つって。その間に針路変える」
「よくそんな、計算もナシのあやふやな根拠で、こんな芸当ができますわね……保持システム、五秒後に下げます」
そのとき、宇宙蝶が動いた。消えていた光が戻り、膜の位置が変わる。
エルヴィラは、とっさに叫んだ。
「作戦変更、保護シールドを通常に! 斥力場、星間生物との間に低出力展開!」
再び動き出した宇宙蝶が、斜めにした帆に恒星嵐を受け、さらに斥力場を利用して針路を変える。船との距離が大きく開いていく。
「あの針路なら、もう大丈夫ですわね」
「……だね」
エルヴィラは船体を停止させながら、イノーラの言葉に同意した。
宇宙蝶が助かったのは嬉しい。だが、少し複雑な気分だ。
いくら斥力場を利用したとはいえ、自力であれだけ針路を変えられたのだ。エルヴィラたちの行動は要らぬお節介、大きなお世話だった気がしてくる。
イノーラは、違う意味で嬉しそうだった。
(あたしをいじめる口実ができたのが、嬉しいんだろうなぁ)
エルヴィラの目と、イノーラの冷ややかな微笑みを浮かべた目とが、バイザー越しに正面から合った。
「これに懲りて、今度から無茶はやめていただきますわね、お・ば・さ・ま」
「考えるだけは、考えとく」
気のない返事をしながら、エルヴィラは船体の状況に目を通す。エネルギーが泣きたいのを通り越して、笑いたくなるくらいに空っぽだ。反物質エンジンを動かす程度には残っているが、星間航行はとてもムリだった。
『空間が空間として存在するためのエネルギー』を利用するシステムが生きているから、この船が〝宙飛ぶ棺桶〟になることはない。
だがここまで使い切ってしまうと、航行用のエネルギーを確保するには、それなりの時間が必要だ。
船体全体にも、相当なガタが来ている。だが元から〝粗大ゴミ〟状態のボロ船なことを思えば、これはむしろ損害が少ない部類だろう。
「何日か、この宙域に足止めってとこか」
「計算の苦手な誰かさんのおかげですわ。でも、よろしいんじゃありません? そのあいだ思う存分、観察記録が取れますもの」
イノーラの毒舌は絶好調だ。
「……船体の点検しなきゃ。イノーラ、あなた機関部お願い。あたし外殻から見てくから」
「冗談じゃありませんわ。おばさまに任せたら、船体の大穴も見逃します。恐ろしくて任せられません」
いつもならこういう事態のあと、なんやかやと難癖つけてエルヴィラに事後処理をすべて押し付ける姪っ子が、意外にも珍しいことを言い出す。
「そのまま座って何もしないでください。おばさまが動くと、かえって仕事が増えますから」
素直じゃない子だ、とエルヴィラは思った。
(てかイノーラがその気なら、あたしの行動は止められたんだし)
副操縦席からでももちろん操縦できるし、なにより船の細かい制御は全て彼女が握っている。彼女の協力なしでは、この船は動かない。
不完全燃焼とはいえこの策がやれたのは、イノーラが沈黙のうちに同意した証拠だった。