風編みの歌 2話 お墓
風編みが終わると、導師様方は壁画の描かれた小食堂に入られ、朝餉をお摂りになられます。
席は序列順。七人の長老さまは、上座の横一列の席にずらり。普通の導師様方は、それに向かい合う四列の長い食卓に序列通りにお座りになられます。
しかし序列が下から数十番目ぐらいの導師様は、すぐ席につくことはできません。
導師の数総勢百人強に対し、据え付けの席は七十しかないのです。下位の方々は廊下で談笑しながら、下座の席が空くのをお待ちになられます。
導師様の数が席の数を超えたのは、十年ほど前。ごくごく最近のことです。岩を穿って造る寺院の部屋は簡単には拡張できぬゆえ、下位の方々に負担がかかっている状態なのです。
そんなわけで我が師はしばらく廊下で待ったあと、下座側の入り口そばの、一番はじっこの席に座ります。万年指定席。そう、いまだに序列は一番下のまま。
昨年と一昨年、二人の弟子が新しく導師になるも、二人ともあっという間に弟子を二人お持ちになったので、我が師より上位になってしまわれました。
寺院では、弟子の数が年齢よりも物を言うのです。
それにしても今朝の給仕は忙しいものでした。
僕は急いで師の部屋から毛布をとってきて我が師に巻きつけ、朝餉にありつくまでヒマな我が師のストリップ劇場を、なんとか阻止しました(ほんとにやる気だったらしい)。
やっとこ空いたいつもの席に座らせれば、ひっきりなしに杯に水を注いだり魚の皿を置いてやったり。
「くちゃくちゃ音立てないでくださいっ」
「へいへい」
「なんでお椀伏せるんですかっ。遊ばないでっ」
「へいへい」
「返事は一回、はい、です!」
「へいへい」
「だから一回!」
「へーい」
我が師への給仕が済んだあと。調理場から自分の朝餉をもらって、急いで大食堂へ。
供物のパンと塩漬けの魚。朝餉はそれだけです。もっといろんなもの食べたいんですけどね。肉とか、肉とか、肉とか……。でも、肉はご法度。魔力が落ちます。
大食堂は、寺院で一番大きく広い部屋。ここで蒼き衣の弟子たちが朝夕の食事をします。
縦にずらっと並ぶ長い長い食卓が四本。席順は師の序列や交友関係が反映されます。よって僕はいつも、末席で食事をするんですけど。
「アスワド!」
赤毛のトルが手を振っています。僕がいつも座る席の向かいに座って。
長老の弟子なのに、わざわざ僕のために下座に座ってくれています。僕は親友を満面の笑みで眺め、手を振り返しました。
トル。ほんとに、いつもありがとう――。
「アスワド、食べよう」
「待っててくださり、ありがとうございます」
「ほんと君ってかたくるしいね。ありがとうだけでいいのに」
「いいえ、礼儀は大事ですよ」
僕らがこの寺院に来て、あっという間に六年。
僕は大人の口調を覚え、トルはすっかり共通語が流暢になりました。彼は僕を黒髪の子、と母国語の愛称で呼んでくれます。僕が本名で呼ばれるのを、ひどく嫌がっているからです。
できれば、他のみんなにもそう呼ばれたいところですが……。
「おう。ペペ様は今からお食事か? 遅いな」
「遅いお給仕ごくろうさまだな、ペペちゃん」
わざわざ上座の方から、食事を終えた金髪のレストと黒肌のラウがやって来ました。
レストは僕の頭をぽんと叩き、ラウは思わせぶりな艶やかな視線を投げて、下座の出口から出て行きました。あの二人はいつもつるんでいて、いまだに僕の名前を蔑んできます。もういいかげん慣れっこですけど、むろんいい気はしません。
「アスパシオンの。これ、今日の分です」
食卓の中ほどから白い肌のリンが席を立って、油紙にくるんだ花束をすっと僕の皿の近くに置いてきました。リンは導師様のように、「アスパシオンの」と、大人びた呼び方で呼んできます。誰に対してもそうです。トルは「バルバトスの」と呼ばれています。
リンの背丈は十歳の時とあまり変わりません。長寿のメニスの血が入っていると、人よりも成長が遅くなるのだそうです。
「いつもありがとうございます、リン。今日のは、レンゲですか?」
「うちのお師様、今夏はそればかり育てるおつもりです。裏庭でミツバチを飼うそうですよ」
「蜜を採るのですか?」
「薬には、何かと必要ですから。供物でいただくだけでは全然足りないので、ついに自家製にふみきるそうです」
リンの師のメディキウム様は、薬学に長けておられるお方です。
専用の薬草畑を裏庭に持っていて、さまざまな薬を手ずから作られておられます。リンは毎朝、そこに咲いてる花を少し分けてくれるのです。
トルと楽しく話しながら朝餉を終えると、僕はそのレンゲの花束を持って一人で中庭へ向かいました。
トリやヤギのいる家畜小屋の真後ろに、こんもり盛り土がしてあります。
そこには、ほとんど消えかけた、つたない字で書かれた棒が一本。
『ぺぺのおはか』
ここに眠っているものこそ、僕が自分の名を嫌う元凶。
ウサギのペペ。
先代最長老の使い魔にして、我が師がかつて世話していた動物……。
師曰く、ここに毎朝お参りするのが、「アスパシオンの弟子」の最優先の務めなんだそうです。
毎日お参りした証拠に、墓碑にお花を捧げないといけません。師は毎日厳しくチェックしており、もしサボれば烈火のごとく怒って尻を叩いてくるのです。
「おまえの前世の亡骸が眠ってるんだからぁ! ちゃんとお参りしなきゃダメえっ」
かく言う我が師は毎夕、ぱんぱんと手を打って墓に向かって真剣に祈ります。
他のことは全部すべからく完璧にだらしないというのに、なぜか「ウサギのぺぺ」に関してだけは、うんざりするぐらい几帳面で本気で真剣。なぜか……
命を賭けています。
弟子になって六年経ちますが、いまだに僕は我が師の思考回路がよくわかりません。
ウサギと師の間に何があったかも。
師は今だかつて、そのことを詳しく語ってくれたことがないからです。
いつものらーりくらり、聞かれてもふざけてかわされます。
たぶんそれはそれは哀しい思い出で、語りたくないもの……なのでしょうか?
リンからもらったレンゲを供え。手を合わせ。
「ペペの魂が安らかならんことを」
さあこれで朝の務めが終わったと立ち上がった時。
――「それで、出目は?」
家畜小屋の前から、冷ややかな声が聞こえてきました。
まるで氷の刃のようなこの声は。たしか……
レストの師のヒアキントス様?
「3と5が出た」
ぶっきらぼうに誰かが答えておられます。
この声は……トルの師、長老バルバトス様のもの。
僕はとっさに家畜小屋の影に身を隠しました。
「ふむ。それは微妙ですね」
「であろう?はっきり1と1とか、6と6とか、出るものだと思っていたのだが」
「白黒おつけになりたいお気持ちはよく分かりますが」
ヒアキントス様が、黒髭のバルバトス様に何かアドバイスをしているようです。
出目とは、サイコロの数字のこと? とすると、何かの遊戯の話?
「たしかにこのような件に関しては、灰色の結果が出ることが多いのですよ」
「はっきり決め手がほしいのだがな……この方法がだめだとすると」
バルバトス様は、なんだかとてもイライラされているご様子です。
「もう一手、試されてみますか? 投じ方を変えれば、別の結果が出てきましょう」
「ふむ。仕方ない、そうするか。では、手配を頼む」
「御意に」
黒き衣のお二人がその場からいなくなるまで、僕は息を潜めていました。なんだか今出て行くのはまずいと直感したのです。
二人は中庭から回廊に入ると、ついと反対方向に離れました。振り返らずにすたすたと、北と南の階段をそれぞれ昇っていかれます。つい今しがた親しく話していた素振りなど、露ほども見せずに。
「変ですね。なんの遊びの話でしょうか」
導師様方は遊戯室で時折、すごろくなどたしなまれておられます。その時の話でしょうか?
首をかしげながら、僕は三階の師の部屋へ走りました。
我が師の破れた衣の裾を直しに。