創世の歌 2話 奇跡
緑の道 ひかりの道
花の輪くぐって いきましょう
灰の道 はての道
泉をこえて いきましょう
かわいらしい歌声が城の中庭から聞こえてくる。
まるで幼女のようなたどたどしい歌い方。緑の木々がこんもり植わっている庭で、赤毛の女性がしゃがみこみ、花園の花を摘んでいる。
ソートくんが気分転換に、とか言って趣味の園芸で育ててる花だ。
俺はそうっとそうっと後ろから近づく。驚かせないように呼びかけながら。
「エ・リ・シ・ア」
姫は一瞬、怯えた顔で振り返る。でも俺を見ると、ホッとして摘んだ花をずいっと突き出してくる。
「あ、ピッコちゃん!」
俺はありがとうと言って真っ白もふもふな小さい手で花束を受け取る。
「食べちゃダメよ」
「うん。あのね、エリシア」
ふにゅふにゅともふもふの鼻を動かし、花の匂いを嗅ぐ俺。いい匂い。
オリハルコンの小さな胴衣のおかげで、なんとかものの匂いが分かる。
長い耳をへにょっと傾けて、俺は――ウサギの俺は、姫に言う。
「そろそろ、夕ごはんの時間だよ」
中庭の空は暮れなずむ黄昏色。
「あ、ほんとうね。ごめんねピッコちゃん、ちょっと待っててね。今すぐ作るから」
赤毛の姫は城の厨房に走っていく。
うちには鉄製のお手伝い人形が三体いるけど、俺のごはんだけは姫が「私が作る」といってきかない。だから好きに作ってもらってる。
ニンジンサラダとか。ニンジンスープとか。ニンジンシャーベットとか。いつもパーティメニューのような彩りよい豪華さだ。全部、材料はニンジンだけど。
一刻後。食堂の食卓にずらりと並んだニンジン料理を、赤ちゃん用の足の長い椅子に座った俺は、一所懸命がっつがっつ平らげた。
「のこさず食べてえらいわね」
姫が手を叩いて喜ぶ。真っ白な手で、俺のもふもふな長い耳の間を撫でてくれる。
「お口、ふきふきしましょうね。ごちそうさまって、ちゃんと言うのよ」
ウサギの俺はおとなしく姫にナプキンで口を拭いてもらい、小さな手を合わせてごちそうさまと言う。
すると姫はお手伝い人形と一緒に、ニンジン料理の皿を片付けるべく、厨房へと消える……。
「お疲れ様です、ピピ様」
向かいに座っているソートくんが澄ました顔でカフェ・オレを啜る。
「朝・昼・晩、ニンジンメニュー、さすがに飽き飽きでしょう。ソーセージあげましょうか?」
「く、くれ」
ソートくんは、がつがつソーセージを食べるウサギな俺を哀れみの目で見下ろす。
「ままごと、大変ですね」
「ぜーんぜん」
ほんとはちょっとしんどいけど、涼しい顔で返すウサギな俺。
「大丈夫。余裕、余裕」
姫は皿を片付けると、俺を抱っこして部屋に連れて行き、小さな寝床に入れてくれる。布団をとんとん手で叩きながら、おとぎ話を話してくれる……
「ウサギさん、おやすみなさい」
額にキスをしてくれて。それから部屋の灯りを消して、姫は自分の寝床に入る。姫が寝息を立て始めると、俺はそうっと小さな寝床から抜け出し、工房へ一目散。
「ピピ様、お疲れ様でした」
拡大鏡を片目にかけて、流麗な手つきでハンダごて使ってるソートくんが、顔をあげてねぎらってくれた。
そこでようやく俺はウサギから人間に戻り。いそいそと蒼いオリハルコンの衣をはおって、拡大鏡を目にかけた。
「うっしゃ! 始めるかぁ!」
王子をかばって死にかけたエリシア姫は、三ヵ月後にカプセルから外に出た。槍による首から肩にかけての裂傷は、細胞再生液に漬かっていたおかげであとかたもなくなった。培養カプセル越しに傷跡がないことを見てとって、俺は姫の快癒を喜んだんだけど……
『ここ……どこ?! おじさん、だれ?!』
外に出た彼女に花束を渡そうとしたら、痛恨の一撃を喰らった。
傷跡だけでなく。ここ十年ほどの姫の記憶もきれいさっぱり、あとかたもなくなっていた。
十九歳の姫は、七~八歳の時点での少女エリシアに戻ってしまい、俺やソートくん、つまり「知らないおじさんたち」に怯えてひどく泣きじゃくった。
俺の銀色の義手が異様に見えるのか、ソートくんが目につけてる拡大鏡が怖いのかと、男二人は大あわて。
俺は一時間ぐらいで義手にまっ白な毛皮を被せて肉球をつけて猫手に改造、ソートくんは拡大鏡にピンクのハート型ラメシールを貼りまくった。女の子ウケを狙ったんだけど、これで俺たちがさらにドン引かれたことはいうまでもない。
姫はしきりにピッコちゃんピッコちゃんと呼ばわるから何かと思ったら、姫が幼いころ大事にしてたウサギのぬいぐるみだと判明し、俺がなんとかかんとか、変身術を試してウサギになってみたら……
『ピッコちゃん!』
俺はぎゅむうと姫に抱きつかれ、ことのほか気に入られた。
迎えに来た姫の両親は一部の記憶が欠けた状態だというのに、泣いて感謝してくれたので、俺は本当に申し訳なくて首を吊りたい気持ちだった。
カプセルから出た姫の体調をしばらく観察したいからと、姫にしばらくここに
滞在してくれるよう願うと、本人も両親も快く了承してくれた。
以来昼間は、ウサギのピッコちゃんとして姫に面倒を見られること、夜は技能導師ピピとしてもろもろの作業をする、というのが俺の仕事となった。
なぜ、記憶が消えた?
この事態に直面した直後、俺は急いで天の浮き島に戻り、目を皿のようにして医療に関する蓄積情報をほっくり返した。
医術は守備範囲外だから、有機人形製造の応用で細胞再生を施したんだが、その方式自体は間違ってなかった。だけど……。
「酸素欠乏による脳の損傷……?」
姫をカプセルに運び込むまで、時間がかかりすぎたらしい。呼吸停止などで脳に栄養が届かなくなった状態で時間が経ちすぎると、記憶や体を動かす神経系統がひどく痛むという。つまり記憶が飛んだり手足の運動機能が劣化するという。
幸い、姫の脳神経は再生液に漬かってる間にすっかり治ったから、運動機能の方は何も問題ない。
でも、脳に蓄積された情報は……。
ここ十年分の記憶。なにより痛いことに、カイヤート殿下への恋心がすっかり消えてしまった。姫はずっとカイヤート王子に片思いしてて、最近やっと両思いになったところだったのに……。
姫のことは――たぶん一番始めに義眼の記憶を見た時から、ずっと好きだった。好きだからこそ、俺は彼女の恋路を応援してた。彼女が自ら選んだ人と幸せになるのが一番だと。
相手が不誠実な奴だったら話は別だが、カイヤート殿下は見目良い人徳者で俺の友人でもある。今もカプセルから出たばかりの姫を気遣って、会いに来るのを我慢してくれている。
そんな殿下に、姫の記憶が消えたなんてとても言えない……。
なんとか、姫の記憶を再生したい。
俺はそんな思いでいっぱいだった。
消えた脳の情報を、どうやって取り戻すか。
俺が考えた方法は、時の泉に飛び込んで姫の記憶がまだある時点に遡り、姫の分魂を持ち帰ることだった。最長老カラウカス様が、魂を分けてウサギのペペを作ったように姫の魂を二つに分ける、ということだ。
人語を喋れて、文字を書けて、ハヤトの面倒を見ることができたウサギのぺぺ。彼が賢かったのは、本体であるカラウカス様の記憶が受け継がれていたからに他ならない。今生の俺がかなり凡庸なのは、転生してその前世の記憶と蓄積情報がリセットされたからだ。
要するに分魂とは魂の複製で、本体の情報が転写される。
そして『そろそろ一つに戻らんかね』と、あの世の雲間でカラウカス様が俺に問うたことで推測されるように、分けられた魂は本体に戻ることが可能だ。
過去から持ってきた分魂を今の姫の魂と合わせたら――失われた記憶をある程度、取り戻せるんじゃないだろうか。おそらく、王子への恋心も……。
しかし。現存する三箇所の時の泉はどれも厳重に監視されていて、こっそり利用するのはほぼ不可能。なんとか自作するにしても。
「これって禁呪だよな……」
黒の技の中でも分魂は最高レベルの難易度で、長老級でも行使できるかどうか。蒼き衣の見習いどまりの俺が簡単にやってのけれることじゃない。
さて。どうしたものだろう。
「分魂法も灰色の技で可能です」
もんもんと悩む俺を助けてくれたのは、秀才のソートくんだった。
「ルファの義眼の禁じ手の機能、〈破壊の目〉は魂を吸い込みます。その出力を調整すれば、魂を完全には吸い込まなくなります。それで分魂と同じ効果を得られるかと」
ソートくんは涼しい顔で赤い義眼をいくつか、自分の机の引き出しから出してきた。
「三番島にこっそり行って、出力が違う〈破壊の目〉がついた義眼を何個か作ってみたんですよね」
え……いつのまに? と思ったよ。ソートくんってほんとすごい。
「容量を無限にするより、機能縮小させる方が百倍難しかったです」
そうだよね。時の泉の機能縮小版を作る手伝いをしたとき、一級技能導師さんたちが言ってた。普通に作るより何十倍も手間かかるって。ていうか。かつて我が師アスパシオンから聞いた言葉をこのとき俺は思い出した。
『どっかんぼっかん大技繰り出すなんて超簡単なんだよ。でも黒き衣の導師になるには、韻律を自在に微調整できるレベルにならねえと。鼻毛を気づかれないように最長老の肩に飛ばしてだな……』
そうだ鼻毛。鼻毛レベルになってるってことなのかソートくんは!
「は? なんですか鼻毛レベルって」
「いやー、すごいねソートくん! さすが秀才! いや、天才!」
分魂の入れ物はすでに準備されているということで、俺は時の泉を我が城の地下に作ることにした。
時間流を堰き止めるタキオン波の結界装置を組み上げるには、かなりの日数がかかる。でも優秀なソートくんと一緒に作業すれば、二人だけでも何とか作れるだろう。
「記憶を取り戻させていいんですか? 僕的には、殿下のことを忘れさせたままにしたらいいのにと思いますけど?」
「それはダメだよソートくん。殿下はまだエリシア姫のことが好きなんだよ」
「渾身のプロポーズ姿でカプセルの前に行ったくせに」
い、いやそれは……実はほんの少しだけ、「ピピさんが私を助けてくれたのね」から大逆転あるかな……とか。万が一の奇跡を期待したのは否定しないけど。けど……。
「僕だったら姫は死んだことにして、僕だけのものになるように囲いますけどね」
そ、それは。ソートくん、それはちょっとモラル的に危険じゃないか?
「好きになった子は、他のだれにも触れさせない。あ、僕だったら、の話ですけどね」
ソートくんの目は真剣だった。こわいぐらい真顔だった。この子、頭よすぎてちょっと得体の知れないところがあるんだよね。これから怖い物作らないといいけど。
俺は、おのれが信じることをやるまでだ。
姫の記憶を取り戻す。姫と殿下を幸せにする。
そのためにやれることを、すべて。
それから俺は夜な夜なソートくんと一緒に、徹夜でタキオン結界装置の部品を組み立てて。明け方ウサギに変身し、姫の部屋のピッコちゃん専用布団に潜り込み。昼間は姫に抱っこされて寝呆ける生活を送っていた。
そんなとある日の午前中。
「マエストロ・ピピ!」
城に客が来た。
「すまない。姫が完全に回復するまで遠慮しようと思ったんだけど。でもどうしても会いたくて……」
ほかでもない姫の想い人だった、カイヤート・シュラメリシュ殿下だった。
俺は急いで人間に戻り、応接室で殿下と会談した。
「一番上の兄上と和解できた。でも二番目の兄上とは残念ながら決別せざるを得なかった。僕を殺そうとした黒幕は、二番目の兄上だったと判明したからだ。僕はこれから軍を率いて北の砦へ入り、兄様と雌雄を決する。だからその前にひと目――」
「でも、姫は……」
「わかってる。姫の両親から事情を聞き出したよ。姫を生き返らせてくれたこと自体、感謝してもしきれないというのに、僕の気持ちを慮って姫の症状のことを黙っててくれたなんて。その気持ちがとても嬉しい」
いや、なんていうか。ほんとに、なんて言ったらいいかわからなかっただけなんだ。
「ほんとに、黙ってて申し訳ない」
頭を搔いて苦笑すると、殿下は俺の両手をぎゅうと握ってきた。
「宮中では姫の回復が報じられて、みんなピピ様を褒め讃えている。おかげで黒き衣の後見導師様が、ピピ様に後押しされてる僕をついに認めてくださって、一番上の兄上を説得してくれたんだ。他の廷臣たちもみな、僕を支持してくれるようになった。これはみんな、ピピ様のおかげだ」
「殿下、俺のこと買いかぶりすぎですよ。俺はそんな大層な人物じゃ――」
――「ピッコちゃん? どこにいったの?」
廊下から俺を探す姫の声が聞こえてくる。殿下が緊張したそぶりで居住まいを正す。
「ピピ様。だから僕は……姫に会う覚悟ができています」
俺は殿下の気持ちに応えて、一緒に廊下に出て姫に会わせた。
「あら、お客様? ごきげんよう。ぜひ一緒にお茶を飲んで古典詩でも読みませんか?」
無邪気な姫は最近、お手伝い人形や書物から学んで、みるみる失った十年分の知識を埋めていた。足りないものは――大事な人との思い出だけだ。
それは決して取り戻せない、彼女にとって一番大事だったもの。
ごめん。ごめん。力不足で。
俺が心の中で詫びていると。
殿下は目に涙を貯めて黙って姫を抱きしめた。
すると――。
姫は一瞬びっくりしたけれども……驚いたことに彼女の白魚のような手は自然にゆっくり、殿下の腰に回った。
直後。俺は我が耳目を疑った。
「あの……以前どこかで?」
姫の口から信じられない言葉が出たからだ。
「初めてという気が……しなくて。このぬくもり……」
頬をほんのり染めて、姫は首をかしげた。
「あたたかい、ぬくもり。私、知ってる……」
「エリシア……!」
殿下は姫をきつく抱きしめ、声を殺して泣き出した。
俺の目にも歓喜の涙がこみあげてきた。
奇跡だ。これこそ。これこそ本物の。奇跡。
すっかり消えたはずの記憶。なのに、姫は覚えていた。おぼろげだけれど、殿下をしっかり覚えていた。
よかった……本当に、よかった……!
姫は。姫と殿下は……やっぱり、運命の恋人同士だったんだ……。
「ピピ様、時の泉はもう作らないんですか?」
「うん……なんか、必要ないみたいだから」
「作ればいいのに」
「いやいやソートくん、泉は危険物どころのものじゃないだろ? ややこしいものを増やしすぎたら、いいことないよ。どうせ姫の魂を持って帰ったら、解体するつもりだったしさ」
姫と殿下が再び愛しあう二人として新たな一歩を踏み出した日。俺はエリシア姫を実家に帰した。
カプセルから出して二週間、姫は元気に回復したことが確認できたから。そして。過去へ行って分魂する必要も、全くないと分かったから――。
「だから死んだことにして囲えばよかったのに。完全に失恋しちゃいましたね」
いいんだよ。姫が幸せになれば俺は満足なんだって。
「ちり紙どうぞ」
「ありがと……」
これ、嬉し涙だからな? 失恋の涙じゃないからな?
ちーんと湿りきった鼻を噛むと、そういうことにしておきます、とソートくんに苦笑された。
この後ほどなく。カイヤート・シュラメリシュ殿下は戦で第二王子を打ち破って、見事王位につき。即位と同時にエリシア姫を娶った。姫は子宝に恵まれ、双子の王子と王女を生んだ。樹海王国は俺と黒の後見導師の協力のもと、隆盛を極めた。
森に呑まれていく平和な国。その滅亡は、背後に白の導師アイテリオンが見えかくれする、二番目の王子の叛乱から始まった。
神でもなんでもなくただ寿命がないだけの俺にできたのは、姫の子孫たちを護り抜くことだけだった。
数百年に渡って必死に姫の一族を守ることになるその見返りを、俺はエリシア姫が双子を産んでから十五年後に、前払いで貰うことになった。
ウサギ姿で姫の双子をあやしながらオムツを代え、ミルクを飲ませて世話をして。完全に乳母みたいになってた俺は、まったく予想だにしなかった奇跡? を体験したのだ。
信じられないことに。
双子の王女の方が……。
「ピッコ! ピッコちゃん!」
「はがががが。俺、ぬいぐるみじゃないからぁ。ヒゲひっぱらないでええ」
「ピッコちゃん、お馬さんしてー!」
「ひいいい。尻ぶつな! 乗るな! つぶれるううう!」
「きゃーあはははは♪」
この乱暴極まりない赤ん坊が、十五年の歳月の後に……。
「ピピ様。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします」
俺の。超こわい、押しかけ女房になったのだった――。




