王者たちの歌 5話 侵食
太陽神殿のだだ広い馬場を、ダゴ馬達が駆けていきます。騎上には、木槍を持った神殿兵士の姿。
二頭の馬が並んだとたん、一方から放たれる槍。サッとかわす騎手。
沸きあがる歓声。鳴り止まぬどよめき――。
「すごい! 槍の音だけでかわした。ふりむいてない」
貴賓席に座る少年王が、感嘆して手を叩いています。
その隣に座る桃色甲冑の大きな妃殿下が、うれしげに何度もうなずいています。
左目が赤い少年王――トルナート陛下の左に立って警護する僕は、二人のすぐ右隣の迎賓席を見渡しました。
れきれきたる面々の姿がそこにあります。
山奥の王国の公爵夫妻。ファラディア王国の大使。
山岳部族ターミールからの使者。砂漠の十二部族からの、十二人の使者。
それから。
「これは素晴らしい。ダゴ馬というのは、なんと見事な体を持っているのだ。
お招き下さった陛下に感謝いたさねば」
「晩餐の会も楽しみですわね、あなた」
大国エティアからの、王太子夫妻――。
ひと月かけたトルとサクラコ妃殿下の外遊は大成功。
トルとガルジューナは結局竜王の魂を見つけることはできなかったのですが、有力な手がかりを得てきました。
『竜王の魂を封じた神器が山奥の国の神殿に隠されていたらしいんだけど、百年ぐらい前にさる盗賊に盗まれたらしい。砂漠の隊商に流されて、今は南方の赤砂漠のどこかにあるんじゃないかってとこまでわかった。今度砂漠の十二部族を訪れがてら、探すことになったよ』
山奥の国だけでなく周辺の山岳部族とも同盟を結ぶことができたトルは、ケイドーンの巨人傭兵団を自らのもとに招集。彼らの警護を受けながら陸路でエティアに向かい、その宮廷にしばらく身を置きました。
その間ずっと、緑虹のガルジューナは地下の動脈の道に隠れていました。
大陸同盟の理事国であるエティアとスメルニア以外、神獣の保有は認められていないからです。
トルの命令で、メキド本国の広報大臣は大陸同盟向けに公式発表を行いました。
『つい先日緑虹のガルジューナがメキドの鉱山で目覚めたが、トルナート陛下が諌めて封印しなおした』と。
この発表は大陸同盟を通して瞬く間に大陸全土に報じられたので、国際人の交流の場として知られるエティアの宮廷には、「神獣を抑えた英雄」トルナート陛下に会いたいという王族や使者たちが殺到しました。
トルはここぞとばかりに、桃色甲冑の妃殿下と共にメキドを大アピール。
博覧市の話を出し、数多の国や部族の賛同を得ることに成功して帰国してきたのでした。
とりわけ砂漠の十二部族の賛同を得られたことは大収穫といえます。広大な赤砂漠を含む大陸南部の物流は大陸一の規模で、隊商を営むこの部族が支配しているからです。
「素晴らしい!」
神殿の競技場にひときわ沸き起こる歓声。
騎手が槍を避けて馬の横にぶらさがっているのを見て、エティアの王太子が激しく手を打ち叩きました。すでに四十を越えておられる方でとても思慮深げな面持ちですが、馬を見るのは大好きなご様子。
他の客人たちもかなり楽しんでくれているようで、僕はホッと胸を撫で下ろしました。
トルは帰国するとすぐに、同盟国や賛同国の王族をメキドに招きました。とりわけエティアの王族には、滞在中世話になったお礼をしたいと。
そこで僕らは、太陽神殿の木槍競技をもてなしとして開催することを提案したのでした。
トルの左側にいる廷臣団も、軒並み僕と同じ表情。
明日は再建途中の王都を客人たちに視察していただき、博覧市のための建物や施設をどう配置するか説明することになっています。
木槍競技の拡散も舞台劇での宣伝展開も、そして博覧市開催事業もすべて順調。政権確立と外交だけでなく、国内産業や教育や福祉事業に関する政案も続々と出てきています。
でも――。
「アスワド、アステリオン様の具合はどう?」
廷臣団の席にぽっかり空いた二つの席を見て、トルは心配げに聞いてきました。
「まだ手足が痺れてるけど、お元気だよ」
「アスパシオン様のお風邪は?」
「あー」
僕は頭を搔いて目を泳がせました。
「だいじょーぶじゃない? 一日寝てれば治ると思う」
棒読み口調。ため息を噛み殺し、作り笑い。
トルはたぶん気づいたと思うのですが、早くよくなるといいね、とありがたい言葉をくれました。
「あとでお見舞いに伺うよ。見極めはその時にね」
『見極め』、というのは陛下の姉君の真贋についてです。
トルが帰国してすぐ、僕らは隠密から送られてきた似姿を見せたのですが。
『髪と目の色は合っているけど。当時姉様は十三才で、六年経っているから、うーん、その、僕の記憶力だけではなんとも判断できない』
しかも桃色の妃殿下によれば、思春期の女性というものは大激変するんだとか。
『だから山奥の国で姉様の肖像画が残ってないかどうか、探してくれるよう頼んでいたんだ。それが見つかって、公爵夫妻がメキドに来る際に持ってきてくれるって手紙を貰ったから、それと見比べてみる』
というわけで。夕刻の盛大な晩餐会と舞踏会の後、トルは桃がたくさん入った籠と布に包まれた肖像画と共に、我が師の部屋に来てくれました。
が。
「うわ?!」
部屋に一歩足を踏み入れるや驚愕のかんばせ。
「ごごごごめん! 今どかすからっ」
僕はあわててソファの上のウサギたちをほいほいどかしました。
「アスパシオン様、風邪のお加減はどうですか」
「さいこーう♪」
ああもう、ほんとやめてほしいです。一国の主のおでましだというのに、寝台でダラダラウサギに埋もれてるとか勘弁してほしいです。
寝台だけでなく、あっちにも。こっちにも。ウサギ。ウサギ。ウサギ。
ウ サ ギ だ ら け。
「もふもーふ、もふもーふ。うへへへへへへ♪」
「あ、顔がとろけてる」
「ごめんっ! お師匠さまがほんとごめん!」
苦笑するトルに僕は何度も頭を下げました。
バカは風邪を引かない、といいますけど。
本当に、引かないんだと思います。
「ウサギ、一体何羽いるのかな?」
「た、たぶん、五十羽ぐらい? 白の導師様から、ヴィオにウサギを貸してくれたお礼だって、昨日ごそっと贈られてきて。トイレはベランダに設置したんだけど、シツケがもう大変で」
「もふもふ。もふもーふ。うへへへへへ」
何か他のこと言えないんですかこのクソオヤジは! 僕らのこと見えてないでしょうこれ! せめてウサギのトイレトレーニングくらい、自分でやれっていうの!
呆れ返る僕をトルはまあまあと宥め、布に包まれた肖像画をむき出しにして差し出しました。
「これが姉様なんだけれど」
ウサギを退けてトルの向かいのソファに座った僕は、卓に隠密がくれた姿絵と肖像画を並べてまじまじと見比べました。
赤い髪。目の色は蒼。そこは合っています。
……。
……微妙。ものすごく、微妙。
肖像画に描かれているのは十歳そこそこぐらいの女の子。これが、十年ほど後には……?
占い婆が送ってくれた姿絵に目を移すなり、僕の心臓はどきりと波打ちました。
何度見ても、胸がざわつきます。
絶世の美女と僕の美的感覚では迷い無く形容できるその姿。理知的な大人の女性の顔がそこにありました。
『殿下』
ニッコリ笑う赤毛のエリシア。あの過去の記憶の人に、本当に、瓜二つ――
しゅん、とトルの赤い左目がかすかに音を立て、紅蓮の炎のような煌めきが一瞬閃きました。
「やっぱりよく分からないよね。大人に成長してるんだもの」
トルは難しい顔をして首を傾げました。
「推定成長分を入れて骨格の計測をしてみたけど、微妙に合ってるような合ってないような」
骨格計測。トルは義眼をうまく使いこなしているようです。
「もふもーふ♪ へへへ」
うう、もふってばかりいないで一緒に見比べるぐらいして下さいよ、お師匠様。
「トルの左目って、熱くなったりしない?」
「使い始めにちょっとあった。アスワドの右目はもしかして調子悪いの?」
熱くなったり、勝手に目の記憶が見えたりしたことを告げると。
「使い始めの初期不良かもね。装着は韻律で簡単にできるけど、体になじむまでにちょっと時間がかかるらしいよ。それに片目だけだと処理負担がかかりすぎるらしいから、フル稼働はさせない方がいいみたい」
なるほど。視神経に直接つないでますもんね、これ。
「でもこんなにすごい機能持ってる目でも、さすがに血を調べる秘術は使えないだろうな」
「血の成分で家族関係が詳しく分かるっていう? 太古の技術の?」
「大陸同盟に申請したら、封印機械を使わせてもらえるんじゃない?」
僕の提案に、トルは物憂げにうつむきました。
「もしニセモノだったら、その人はどうなるの?」
「それは……」
「その人の名誉のためにも、あまり大事にはしたくないな。封印機械を持ち出すってことになったら、大陸中の関心事になっちゃう」
――「全く何をうだうだやっているのだか」
こつこつと扉近くの壁を叩きながら、隣の兄弟子さまの部屋にいた灰色のアミーケがウサギだらけの部屋に入ってきました。なんだかとてもイライラした表情で。
「相手の主張をすべて受け入れてやる形で、姉君を引き渡してもらえ。文書化して条文締結の形でな。ただし条文には以下の条項を入れる。もし姉がニセモノであれば、条文は全面的に無効であると」
灰色のアミーケはかつかつと足音をたてて僕らのそばにきて、片眉をくわりとあげました。
「むろん、本当に本物であっても、我々は姉君をニセモノと断定するのだ。そうすれば姉君の身柄を確保した上で蒼鹿の要求を拒否できる。陛下の玉座も安泰だ」
「そんな汚いやり方はしたくない」
困惑する陛下にアミーケは肩をすくめました。
「あまっちょろいな。まあ、老獪な蒼鹿家がそんな条文に署名してくれるはずがないか。向こうは姉君を盾にして、あの手この手で言うことを聞かせてこようとするぞ。ゆえに一番手っ取り早いのはニセモノだと今すぐ断定して、そ知らぬ顔をすることだ。もし私がメキドの王なら即刻そうする」
「それはいくらなんでも!」
憤慨する僕を灰色の導師は恐ろしい形相で睨みつけてきました。
「足手まといの親族など厄介なだけだ。それより我が魔人、ウサギの糞を我々の部屋のベランダにまき散らすのはやめろ」
「え」
「臭い。迷惑だ。とっとと掃除しろ!」
アミーケの主張通り、ウサギたちは用を足すとき隣の部屋のベランダに侵入していました。
まだ完全にしつけられてないので、砂箱だけでなくベランダ一面にぽろぽろとウサギの糞害があって心がブルーになっていたのに、まさかお隣にまでその被害が及んでいたなんて知らされて、僕の心はさらにどん底。
結局その日はよい案が浮かばずのままトルを送りだしてから、ため息混じりに兄弟子様たちの部屋のベランダを箒で掃除していると。
「だからすぐに処分すればよかったんだ」
アミーケと寝台に臥せる兄弟子さまの会話が部屋から漏れ聞こえてきました。
「羽化不全だと分かった時点で首を絞めていれば、アイテリオンの干渉を防げたのに。なぜ止めた、ルーセル」
「だってそりゃ、フィリアちゃんがあんなに一所懸命看病してんだもん。いくら精神崩壊してる化け物だからって、いきなり殺せねえよ。看病の甲斐なくあえなく死にましたってのを期待してたのは事実だけどさ」
「すぐに殺せばよかったのに」
首を絞めるって……ヴィオのこと?
すぐに殺せばって、トルナート陛下の姉君のことといい、僕の「主人」は残酷すぎるんじゃ?
「ルーセルは甘すぎる。アイテリオンはこれからじわじわ侵食してくるぞ」
白の導師様を本当に毛嫌いしてるようですが、あの方は我が師にウサギをくれるほどフレンドリーです。僕的にはアミーケの方が、マイナスイメージはんぱないんですけど。
「アミーケが不満なのは、ヴィオにフィリアちゃんをとられたからじゃないの?」
兄弟子さまがそう言うと、ヴィオよりも白の導師が嫌なのだと、アミーケはまくしたてました。
あの清廉潔白そうな笑顔が生理的に嫌だとか、人がよさそうなふるまいも謙虚な態度も気に入らないとか。
「おいおい落ち着け。顔がこわくなってるぞ? かわいくないぞ?」
兄弟子さまにうんざり口調で言われたので、灰色の人はついには怒り出しました。
「妻のくせに私の気持ちが分からないのか?」
「いや俺、今生は女じゃねえし」
「鼻をほじるな!」
「やっと手が動かせるようになったもんで。あーうれしー」
「おまえ、こんな仕打ちをされてなぜ怒らない? 本当にあいつは酷い奴なんだぞ? 魔力が弱すぎて水鏡の地から追い出された私を、噴煙の寺院に入れたんだぞ?」
「あー、灰色専門のところね」
「そんな慈悲などくれてやらないで、殺してくれればよかったのに!」
「ほんと、アミーケは友達や仲間作るの下手だよなぁ」
「黙れ馬鹿!」
「分かってるって。ちっちゃい頃独りで慣れないところに出されて、辛かったんだよな。そうだよな」
箒を動かす腕を思わず止めて、僕はそろそろと我が師の部屋のベランダへあとずさりました。
かすかに耳に入るすすり泣きと優しくなだめる声。
それと。
「愛してるアミーケ」
あまり免疫の無い者には、かなり面はゆい言葉。
ベランダから見える空は宵の色――。
ごめんなさい。すみません。退散します。ごちそうさまですお邪魔しました。
「もふもーふ♪ もふもふもふもふもふぅうう♪」
「お師匠さま」
我が師の部屋に入るなり、僕は深い深いため息を漏らしました。
「なぁに弟子? 俺今もふもふで忙しいから、三行で言って」
「仕事してください。
仮病はいけません。
二行で済みました」
「うんうん、わかってる。でももうちょっと、もふもふしてからね~♪」
我が師はウサギの群れに埋もれるのに夢中で、現在僕への関心まるっきりゼロ。
真面目な顔で僕の伴侶になるとほざいてたのが、まるで嘘みたいです。
『俺もおまえと同じ魔人になる』
あの宣言、もうすっかり忘れてるみたいなのはいいんですけど、ウサギのせいでずっと部屋にひきこもられるのは困ります。
仮病が何日も続かないといいのですが……。
僕の懸念は当たってしまいました。
我が師は翌日も「風邪」でひきこもり。ウサギに埋もれて、部屋の寝台から微動だにしませんでした。
そんな状況の中で――
「アスワド、そいつを取り押さえて!」
とんでもない事態が起こり、宮廷は大打撃を受けました。
再建中の王都を視察中に、エティアの王太子夫妻が暗殺者に襲われたのです。
ケイドーンの巨人を護衛につけており、僕も遠からずのところにいたので何とか下手人を捕らえたものの、犯人はその場で毒薬をあおって自殺。王太子ご本人は王太子妃殿下をかばわれて、大怪我を負われてしまいました。
都合の悪いことに、下手人はエティア王家に不満を唱えるメキド人ということを声高に主張して死にました。
「レツ島を返せ!」
それはエティアとの国境にある湖にうかぶ島で、百年ほど前に政治的な取引でエティアに割譲されたそうです。
まさかこんな不満分子が出てくるとは思わず、宮廷内は寝耳に水で上を下への大騒ぎ。
しかし兄弟子さまはまだろくに体が動かなくて、しかも他の事案で首が回りません。
そして我が師は――
「もふもーふ♪ うへへへへ」
「お師匠さま! いいかげんにして下さい!」
「嫌だぁああ! 出てけ!!」
「ちょ……!」
信じられないことに。僕は結界を張られて部屋から追い出されてしまいました。
「まったくもうううう!!!」
いくらなんでもあんなに腑抜けになるなんて!
――「とてもお困りのようですね?」
憤然としてひとりでずかずか、騒然とする閣議の間へ向かう僕に。
穏やかな声をかけてくる方が現れました。
「あ、アイテリオン、様?」
「黒のお方はお忙しいようですね。代わりにお手伝いいたしますよ。どうか、ヴィオがお世話になったお礼をさせてください」
白の導師様はそれはそれは優しい雰囲気で近づいてきました。
人のよい優しい微笑を浮かべて。
僕は、何も感じませんでした。
嫌な予感も。悪寒も。恐怖も。不安になるような感覚はまったく何も。
白い衣の人は、とても清らかな気に満ちていました。
その衣の色と同じ。しみひとつ無い、きれいな気。
「あ……」
僕の口は勝手に動き。
「は……い。お願いします」
そう答えていました。
自分でも気づかぬ間に。




