王者たちの歌 3話 舞台劇
薔薇乙女一座に入っていくとは、兄弟子様はどういうつもりなのでしょうか。
まさか観劇するつもりとか? そ、それはちょっとまずいのでは?
「フィリアちゃんにも話聞いたわ。この劇場、かわいい女の子がいっぱい出るんだって?」
僕はこの国の将軍で、兄弟子さまは摂政のひとり。
壁に耳あり障子に目あり。鼻の下伸ばして女の子たちを鑑賞するとか、最悪スキャンダルになりそうな状況じゃないですか。
「あの、どこに敵の隠密が隠れてるか分からないんですから、軽率な行為は止めた方が――」
僕の言葉を遮り、兄弟子様は開演前の劇場にズカズカ侵入。
舞台で女の子たちが試演しているのを目を細めて眺めたあと、すらりとした足を組んで客席に座っている女座長のもとへ迷わず近づきました。
「座長さんかな?」
「あなたが摂政様? 先ほど先触れをいただきましたわ。歓迎いたします」
女座長は席から立ち上がり、膝を下げる優雅なお辞儀をしてきました。
兄弟子様は礼儀正しく彼女の手をとり、サッと口づけするや、彼女と隣合って客席に座りました。
「メニスのフィリアと甥弟子のぺぺがずいぶん世話になった。俺の提案にも乗ってくれて感謝する」
「いえ、とんでもございませんわ」
「で、進行状況はどうなのかな?」
「練習は順調ですわ。でも脚本が、なんだかいまいちで。いつものように私とベテランの子三人ほどで作ってみましたけど、やはり専門家のものでないと不安ですわ。啓蒙劇って初めてですし」
啓蒙?
「難しく考える必要はないさ。トルナート陛下すごい、かっこいい、すてき! をアピールしてくれりゃあ、多少話の辻褄が合わなくてもOK」
ええとつまり?
この薔薇乙女一座が、トルナート陛下を大絶賛する劇をやるってことですか?
「でも内容が悪いとかえって陛下の印象を傷つけてしまいますわ。それに色々と、人手やら資金やらが不足していますの」
「王宮が全面的に後援するから、経費の心配はしないでいい。国内巡業公演の上演場所は、全国各地の太陽神殿だ。不足している人員はさっそく補充してやる。とりあえず欲しいのは何かな?」
「はい、早急に舞台音楽家、それから脚本家を」
「わかった。すぐに手配する」
僕らをフロモスに売った、あのもと宮廷音楽家。ジュージェさんは、やはり解雇されたんですね。
って。うわ。ちろちろーって、戸口からこちらの様子を伺ってる人がいますけどー。
「あの、座長さん。ジュージェさんがこっち見てますけど」
「あらぁ、どこにいるのかしら? 私にはさっぱり見えないわ」
うわ。手厳しい。
しかし国内を巡って公演とはなるほどです。寸劇等々でトルナート陛下を貶められましたから、同じ方法で陛下の良い評判を流布するわけですね。
しかもぴちぴちの若い女の子が演者となれば、大人気間違いなし?
舞台の女の子たちの表情がすばらしく活き活きとしています。どの子の目もキラキラ輝いています。
女座長もとても嬉しげです。国王陛下のお墨付きとなれば、一座の格はうなぎ上りでしょう。
公演の巡業開始はひと月後から。それまでにあらゆる手を使って大々的に宣伝することになりました。
――「さあ乗り出そう! 新しい未来へ!」
女の子たちの溌剌としたセリフを背に、僕らは活気あふれる劇場をあとにしました。
「兄弟子さま、いい計画ですね。でも経費を全部出すなんて、王宮の財務は大丈夫なんですか?」
「心配ないぜ。薔薇乙女一座の興行収入は、一部王宮に入ることになってる。まあたしかに、メキドの財政がきついのは事実だけどな。だから陛下には山奥の故郷の国だけじゃなくて、数カ国巡ってくるようにお願いした」
「え? 一度にいくつもの国と同盟を結ぶなんて」
「いや、軍事同盟じゃない。博覧市の協賛国を集めてもらうためさ」
博覧市?
「おまえらが蛇を探してる間に提案したんだわ。どうせ王都復興で建物建てまくるなら、ついでに国際的な博覧市を開催したらどうかって」
兄弟子さまは上機嫌に鼻歌を歌いました。
「人寄せのためのでっかくて目立つ建物を王都の中心にどどんと作ってだな、その周辺で大陸中の人が集まるような、平和的で文明的で洗練されたでっかい市を開くのさ。楽しいぞぉ。古今東西、大陸中の珍しいもんをメキドの王都にこれでもかって集めるんだ。それから、国内の商人たちもわんさか召集して、メキドの特産品を売り込むってわけ」
そ、そんなものを主催したら、ものすごくお金がかかるんじゃ?
不安がる僕に兄弟子さまは、これは先行投資だと仰いました。
人件費や施設建築費、それに幹線道路整備などなど、始めはかなり元手がかかることになるが、経済効果は抜群なのだと。
「おまえ、メキドの主産業が何か知ってるか?」
「森林関係ですよね?」
「当たり。だがな、メキドの木材は意外にも、ほとんど輸出されてないんだわ」
メキドは自給率がべらぼうに高い国。樹海の木々には果樹の類が多く、食糧生産は申し分なし。鉄鉱山もありますから、鉄製武器や道具の生産にも困りません。
ですが、内戦続きだったせいで、文化や医療、教育、経済面だけではなく、保有兵器のレベルすらも、他の大国と比べると大変程度が低いのだと、兄弟子さまは仰いました。
「メキドは今まで外国とあまり戦をした経験がない。井の中の蛙同士が相撲を取ってただけだから、自前の武器でケンカは事足りてきた。だが今回の相手はこともあろうに北五州の蒼鹿家だ。金獅子家に長年揉まれてるにもかかわらず生き延びてる、しぶとくて老獪な家さ。超めんどくせえけど、やり合うには本気出さねえとやばいぜ?」
蒼鹿家といえば。
「トルナート陛下の姉君についての真偽って、どうなんでしょうね?」
「ああ、数日前にハヤトが式鳥飛ばしてたよな。さすがにまだ結果が分かるには早いわな」
我が師は事の真偽を確かめるために、式鳥という偵察用の呪詛や密偵たちを北五州に向けて放ちました。その結果がとても気になります。もし本物だったら、トルは本当に王位を譲るつもりなのでしょうか。
「交渉でケリつけるにしろ、実際にドンパチやるにしろ、蒼鹿家と対等以上に渡り合うためには、なにはなくとも富国強兵だ。まずは、博覧市で儲ける。ウハウハになった国内の商人たちからびっしばし税金を取る。国営会社立ち上げて、たくさん国民を雇う。樹木の樹液やら木材加工品とかどんどん対外用に開発させて、ガンッガン売り込む。で、その儲かった金で、最新鋭の兵器だの戦車だの買いそろえる」
兄弟子さまは指先を丸い形にして眼に当てました。
「つまりさぺぺ。ヤり合うのは、先立つもんを十分手に入れてからだ」
――「王宮の方々ー! お願いしますううう!」
さあダゴ馬に乗って王宮へ帰ろう、という僕らの前に、茶髪の音楽家が追いすがってきました。暗い細道に立ちはだかり、髪を振り乱して土下座までしてくる始末です。
「お願いします! 私、改心いたしましたので! どどどうか再び、薔薇乙女一座の音楽家に私をお雇いくださいー!」
相手は必死に兄弟子さまの馬にしがみついてきました。眼に涙を浮かべて、改悛したの大連呼。
「うるせえ! そんじゃ台本の試作品作って持って来い! 出来が良かったら
採用してやるわ」
「あ、ありがとうございます! 誠心誠意、最高の歌劇を作らせていただきますー!」
めんどくせえ、ほんとめんどくせえと兄弟子さまは顔をひくつかせ、馬の腹をえいやと蹴りました。
「あーあ、歌って踊る女の子、ゆっくり見たかったわー」
ぶうぶう本音を言う兄弟子様と共に僕は王宮へ戻りました。
ウサギの籠を、しっかりと抱いて。
「……で。どうして僕をまたウサギにするんですかぁ!」
数日後。
ウサギ姿の僕は、長い耳をびんびん立てて我が師に訴えました。
我が師は寝台で枕を抱いて丸まっていじけ顔。
そんな事言ったって、と黙って庭園の方を指差し深いため息。
「ウサギい~。きゃぁ~♪」
包帯が半分取れた小さいミイラ男――ヴィオのはしゃぎ声がかすかに聞こえてきます。
「ポチは赤い長靴ね。タマは黄色いのでー、ムクは青の長靴だよぉ♪」
「ちょ、まさか」
「ウサギ、取られた」
死んだ魚のような目で我が師は膝をぎゅうっと抱えました。
「全部、取られた……」
「三匹いたんですよ!?」
「お、俺には、やっぱりぺぺしかいないいい」
うぁああ! 鼻水垂らした泣き顔で抱きしめてこないで下さい、うっとうしい!
「ちょっと貸してやっただけなのにさぁ。あいつ、力ずくで取り戻そうとするとぎゃあぎゃあ泣くし、フィリアちゃんがすんげえ怒るんだよおお!」
……。三歳児ですかこのクソオヤジは。
「わ……かりました。ウサギを返してくれるよう先方と交渉してきますので、僕がヴィオに捕まらないよう人間に戻して下さい」
文句を言う我が師をなんとか説得して人間の姿に戻してもらった僕は、目標のいる庭園へ向かったのですが。
運の悪いことにその道中で、巨人兵に連行される不審者につかまりました。
茶髪の音楽家、ジュージェです。
「ぺぺさーん、助けて下さーい!」
兄弟子様に謁見して作品を見せたものの、『コリャダメだ』と、ばっさりひと言喰らってきた帰りのようです。
「ぺぺさん読んでみてくださいよぉお! これ、最高傑作なのに!全然ダメとか、言いがかりもはなはだしいですよぉお!」
いや、自分で最高って豪語してる時点で、ダメだと思うんですけど。
半泣きのジュージェに押し付けられた羊皮紙に、渋々目を通したとたん。
僕の目は登場人物の名前に釘づけになりました。
「……エリシア?」
「トルナート陛下の姉君の御名ですよ。メキドに伝わる古い伝説に出てくる悲劇の姫君と同じお名前です。ですからその伝説をからめまして、現代風にアレンジしたのですよ」
古い伝説って、まさか……。
うっとり陶酔顔の茶髪の音楽家は、自身の胸の前で手を組みました。
「樹海王朝の最後の王シュラメリシュと恋人エリシアの、大悲恋! エリシアは王の代わりに木槍試合に出て、あわれ銀の槍の餌食に……ああ、なんという悲劇でありましょう」
たちまち脳裏に、あの赤毛の女性の姿が浮かびました。
目の中の記憶が見せてくれた、美しい女性。
まずい! と思ったその刹那、僕の右目が燃え上がるように熱くなってじんじん疼きました。
『エリシア! エリシア!』
目の前の視界が、夢の中の光景と重なり合いました。
目が記憶を見せ始めたのでしょう。
馬から落ち。槍で首を貫き通された彼女――エリシアの姿がくっきり見えました。
僕は彼女をかき抱いて、嗚咽していました。
何者かが僕らのそばにやって来て、慰めるように肩をつかんでいました。
『シュラメリシュ、なんといったらよいか……』
真っ青な衣を着た人ですが、寺院の蒼き衣とは違います。
まるで僕が今着ている、オリハルコンの布のような光沢。青い衣の人は悲痛な顔で僕に囁いてきました。
『君を護る、シュラメリシュ。君を必ず王にする』
――「ぺぺさん! お願いしますよ。どうか摂政殿下にお口ぞえを」
ハッと我に帰った僕は、ぶるぶる頭をふって脳裏に浮かぶ幻を追いやりました。
「あの、エリシア……姫が陛下をかばって死んだまま終わるんですか?」
「ええ、そうです。すばらしい大悲劇にしておりますよ!」
「あ、あのう、陛下を言祝ぐ劇なんですから、陛下が奇跡的な力で姉君を生き返らせるとかした方がいいんじゃ?」
茶髪の音楽家はきょとんとして。それからあんぐり口を開けて。そうだ、そうだったー!と手を打ち叩いてうなずき、怒涛のように走り去っていきました。
なんとか撃退できましたが、また書き直して持ってきそうな勢いです。
しかし僕が見たものが、メキドの古い伝説として伝わっているなんて。
僕は殿下と呼ばれていましたから、悲劇が起こったのは即位する前?
あの状況……友人らしき青い衣の人の言葉から鑑みるに、王位継承がらみの陰謀?
かわいそうにエリシアは、その犠牲に……。
ぎゅっと僕の胸が締めつけられました。
美しいエリシア。
屈託ない笑顔を浮かべる彼女の顔が脳裏に浮かび、とても不可解で変な気持ちが襲ってきました。実際に体験した記憶ではないのに、彼女の姿を思い出しただけで、目尻から涙がこみあげてきました。
苦しくてたまりません。なんなのでしょう。この、胸を穿たれるようなひどい気持ちは。
これは、シュラメリシュ王が感じた思い? それとも――?
潤むまなじりを拭きながら、僕はウサギを取り戻そうと庭園に入りました。
緑の芝生に足を踏み入れたとたん。
――「きゃあああ!」
僕の耳をフィリアの悲鳴が襲いました。な……何事?!
眉根を寄せて彼女のもとへ駆けつけてみれば。
「え? な? ち、蝶々?」
目に入ったのは、輝く真っ白い無数の蝶の群舞。
庭園を埋め尽くすほどのおびただしい数の蝶々たちが舞い飛んでいて。ある一点に集中して群がっています。
池のほとりにいる、兄弟子さまのもとに――
「エリクさんが! ぺぺ、この蝶たち突然現れたのよ!」
「兄弟子さま!!」
苦しげに地に片膝をつける黒の導師の衣は、降り注ぐまばゆい燐粉でまっ白。
まるで雪のように白い粉がどんどん降り積もり、兄弟子さまを覆っています。
こ、これは、一体?!
「おのれ! くされ導師の眷属か!」
池の向こうから灰色の導師が悪態をつきながら走ってきて、僕の腕をつかむや鋭く命じました。
「我が魔人! ルーセルを護れ!」
「い、言われなくてもそうします! ってこれ何なんですか?!」
「白の導師の眷属、『白胡蝶』だ。なぜ私のルーセルに群がっているのかは分からぬが」
歯軋りするアミーケは、たちまち魔法の気配をあたりに下ろしました。
「ルーセルの周りに結界を張る。蝶を韻律で焼き尽くせ、我が魔人!」
「はい!」
僕は必死に火炎の韻律を唱え、蝶を焼きまくりました。
けれども蝶々はあとからあとから、どこからともなく湧いてきます。
結界を張っているはずなのに、その壁をものともせずに兄弟子様を白い燐粉で固めていきます。
これを召喚しているのは「白の導師」、ということは……
「あの! も、もしかしてこれって、ヴィオの親の仕業なんですか?」
「さっきからそうだと言ってるだろう! 早く焼き尽くせ!」
「はい!」
ということは、白の導師がわが子を取り戻しに来たということ? それにしても。
「なんて数の蝶なんだ! くそ! きりがな……ごふっ」
むえかえるほど降り積もる燐粉。僕の足元も、兄弟子さまのように固定されて動けなくなってきました。焼いても焼いても、蝶たちはどこからともなく次から次へと湧いてきます。一体、どこから?
しかしこのままじゃ、僕も動きが封じられて……
――「アミーケの結界じゃ、きかないよぉ?」
蝶の群れの向こうから、けらけらと無邪気な笑い声が聞こえました。
「アミーケは、弱いもんねえ」
この声は……ヴィオ?
「白になれなくて、灰色になったんでしょ?」
「黙れ!」
蝶々たちの群れの間から聞こえる、アミーケの鋭い声。
「でき損ないはすっこんでいろ!」
「遠慮しないでぇ。ヴィオが、助けてあげるぅ」
次の瞬間。ぼん、と大きな音を立ててアミーケの結界がはじけると同時に――
「な……?! 蝶の群れが!?」
一瞬で半分以上消滅した?!
「ヴィオはねえ、強いんだよ?」
蝶が消えて開けた視界には、くつくつ笑うヴィオの姿。
その足元には、長靴を履いて細身の剣を持った――
「う、ウサギ?!」
「ウサギ三銃士、いっけえ♪」
ヴィオが蝶々の群れに向かって指さすと。
「きゅう」「きゅう!」「きゅぴ!」
長靴を履いたウサギたちは、目にも留まらぬ速さで蝶の群れへと飛びかかっていきました。
僕はぞくりと身を震わせました。
ウサギたちの後ろでメニスの子が一瞬目をすうと細め、にやりとうすら笑いをしたからでした。
まるで。不気味な悪魔のように――。




