望郷の歌 13話 望郷
思いがけない宝物を得た僕らは一路、トルナート陛下がおわす王宮を目指しました。
とはいえ、緑虹のガルジューナは永い間鉱山で眠っていたので、新しい王宮の場所を知りませんでした。
勢いよく飛び出し地の大動脈に出たものの、突然ひたと止まり、
『どこの番地だ?』
と聞いてきたので、僕らは一所懸命今の王宮の位置を教えました。
『樹海列車の終点駅? そんな北の僻地に今の都があるというのか?』
蛇は大変驚いていました。
幸い、メキド王国の版図は蛇の時代よりあまり変わってはおらず、しかも地の動脈は今の王宮の敷地内に繋がっていました。
王宮の庭園の端から頭を出し、僕らを外に出した蛇は、さらに驚いていました。
『なんとまあ立派な宮殿か。一の一の一番地。ここはノアルチェルリ辺境公の所領。たしかこの出口は町の小さな広場に通じていたのだがな』
「へえ。樹海王朝を倒してメキドの次の王朝を開いたノアルチェルリ家って、もともとは辺境貴族だったのか」
我が師がほうと声をあげると、蛇はふんと鼻を鳴らしました。
『なんだと? ノアルチェルリの子孫が次の王朝を開いたというのか? 樹海王朝の開祖にして我が主人エルッダールの廷臣たちの中でも、一番の末席にあった家が?』
「そうさ。そして今はその遠縁のビアンチェルリ家が王家となっている」
『ビアンチェルリ? そいつは末席から二番目の格の家ではないか。世も末だな』
蛇がトルの血筋を鼻で笑ったので、僕はとても不安になりました。
しかしそれにしても。
「あのぅ。お師匠様、いいかげん僕を人間に戻してくださいよ」
「やーだね♪ もう少し抱っこする」
まったくこのクソオヤジは、一体いつまで……。
僕のためいきをよそに、蛇は庭園の芝生にでんととぐろを巻きました。
「あれ?」
しかしなんだか王宮の雰囲気が……おかしいです。
見回りの衛兵や巨人兵たちが、蛇を見咎めてすっ飛んできそうなものなのに。
広い庭園の向こうを、巨人兵たちの一団が急いで突っ切っていくのが見えました。
庭園の隅にいる僕らには全く気づかず、息せき切って王宮の門にまっしぐら。
しかも王宮の向こうからはわあわあと、もの凄いざわめきが聞こえています。
『竜王がおわす地図を盗んだのはここの王か? ならばひと息に宮殿を焼き尽く――』
「いやいやいやいや! 違うから! それ違うから! えっと、盗賊。フツーの盗賊のしわざだから! ていうか、焼いたら地図も焼けちゃうから」
「ぼっ、僕らで地図を取ってきます。ガルジューナさんはここで大人しく待っていて下さい」
今にも口から火炎放射をかましそうな蛇を宥め、僕たち師弟は庭園をつっきり、巨人兵の一団を追ってみました。
「これは……!」
ただならぬ雰囲気は気のせいではなく。なんと王宮の門の前に、わらわらと群集が集まっているじゃないですか。
見れば王都にすむ一般民衆のようです。
ひしめく群衆たちに押され、今にも宮殿の門が破られそうな状態。
巨人兵たちが門を必死に抑えています。
これは一体……
――「うわちゃあ」
目を見張る僕ら師弟の視界に、騒ぎの様子を見に来たらしい兄弟子様の姿が入ってきました。
「やられたわ。こりゃまずい。あれ? ハヤトとウサギ? おお、戻ってきたのかー」
「ハヤトっていうなエリク。これ何よ?なんでこんなに人が集まってんの?」
「エリクって呼ぶんじゃねえ。くそ貴族どもに、まずい噂を国中に広められたっぽいんだわ」
兄弟子さまは額に手を当てました。
「あのな、生きてるらしいんだよ」
「何が?」
「トルナート陛下のお姉さん」
「えっ?!」
王家の人々はみな殺されて、トルの姉君だけまだ遺体が見つからない。
そう、トルから聞いていましたが……。
門の向こうのどよめきはどんどん大きくなるばかり。巨人兵たちのバリケードの向こう、
格子門の隙間から、手を振り上げて叫びたてる群集が見えます。
その中にせわしなくひるがえる大きな旗。旗には手描きで大きく、大陸共通語の文字が書かれています。
 
『女王陛下に玉座を!』
『姉を売り渡した王は去れ!』
 
「うそ! 何あれ!?」
兄弟子さまが仰るには。今朝王宮に、貴族たちの署名入りの請願状をたずさえた特使が来たのだそうです。
「トルナート陛下はただちに退位して、『奇跡的に生きてた姉君』に譲位しろって内容だったわ」
なんで、そんなことに?!
「革命を起こしたパルト将軍に従ってた輩が、ケイドーンの巨人兵のことを気にいらねえ貴族どもと手を結んだようだ。
『トルナート陛下は、革命時に姉さんを敵に売り渡す代わりに助命されて国外追放になった』。
そんな噂が国内にどんどん広められてるようだぜ。しかも件の姉君ご自身は、先日亡命先でメキドの王位継承権を主張し、弟の譲位を求めるよう公式に宣言したそうだ」
兄弟子さまは苦虫を潰したような顔をされました。
「北五州の、蒼鹿家のお城でな」
 
 
 
「ぶへえ! なんっじゃそらぁ」「うわぁ……」
茫然と口を開ける僕ら師弟の肩越しに、兄弟子さまはやれやれと門の向こうの群集を眺めました。
「噂の広め方が巧妙でなぁ。陛下が政権を掌握してすぐあたりから、口コミだけじゃなく、ビラや雑誌といった各種報道機関はもちろんのこと、詩人の歌や芸人の寸劇で、こっそり観衆に広めてやがったらしい。トルナート陛下が姉君を売り渡して逃げるってシーンを、何度も上演してたんだと。しかもその劇、陛下の姉さんが超イケメンの蒼鹿家王子と結婚して、メキドの王位を宣言して、弟と戦争して勝っちまうっていうオチなのよ」
「う、うわぁ……」
ヒアキントス様が後見なさっている蒼鹿家。そこにトルナート陛下の姉君が亡命している?
メキドの王位を要求している?
そんなばかな!
その姉君という人が本物だとは……とても思えません。
反王派の貴族たちが、ヒアキントス様と手を結ぶなんて……!
王宮の門の向こうは恐ろしい人だかり。王都中の人々が集まっているような勢いです。
退位しろ、という叫び声がいまやひとつの大合唱になっています。
だれひとり、トルを信じる人はいないのでしょうか。
だれひとり……
――「陛下がそんなことをするはずがない!」
あ……。
「だまされるなメキドの民よ!」
ああ! 声が。とても小さいけれど、声が聞こえます。
「都の復興に力を尽くされるあのお方が! ひどいことをなさるはずがない!」
「陛下は当時十歳になっておられなかった!」
よかった! トルを信じてくれる人たちがちゃんといます。
でもその声は、ごくごくわずか。退位しろ、という大きなうねりのような波音にほとんど呑まれています。
――「アスパシオン様! アスワド! 帰ってきたんだね!」
「トル!」
群集が今にも門を破りそうになったそのとき。
桃色甲冑のサクラコ妃殿下と共に、少年王が駆けつけてきました。
口を引き結び。真摯な瞳で、門の向こうを見つめながら。
「アスワド、君たちの話は後で聞くよ。今は、みんなを落ち着かせるね」
トルは門の二階部分の、バルコニーになっている処へ駆け上がりました。
サクラコ妃殿下が後に続こうとしましたが、トルは目配せして階段のところで止めました。
少年王がたった一人で押し寄せた人々と向かい合うと。人々は一斉に口を閉じ、後ろの者に静かにしろと合図を送りました。
トルは手のひらに載せた粉をフッと吹き飛ばし、一瞬にして目の前にキラキラと広がった光の膜に向かって声をはりあげました。
「みんな、王宮に来てくれてありがとう! みんなの主張はもっともだ!」
トルの声は膜の光で増幅され、まるで稲妻のようにはっきり大きく隅々まで轟き渡りました。
「ありがとうって、大物だなぁ。エリク、トルの体に結界を張ってやったんだ? おまえの変な色の魔法の気配が見えるわー」
うそぶく我が師に兄弟子さまはふんとそっぽをむきました。
「あたりまえだろ、あんなの基本中の基本だわ。どんな飛び道具が飛んできても大丈夫だぜ。あの拡声粉も、俺様が作ってやったわ」
――「僕らビアンチェルリ家の者は革命の時、ひとつの部屋に集められて襲われた。僕はその時、九歳だった!」
かすかなどよめき。 震えるトルの声。
「姉さまは僕をかばってくれた! そのおかげで僕は生き延びることができた! 革命が終り、僕がここに戻ってきたとき、みんなは僕に家族を返してくれた! とても感謝している!でも……姉さまだけは、見つからなかった!姉さまがもし生きているなら、こんなに……こんなに嬉しいことはない! 僕は喜んで姉さまに、」
「うわまじ?」「おい、それは」
兄弟子さまと我が師は同時に引きつりました。
「姉さまに、王位を譲る!」
「言っちゃったよおい……」「やっぱ大物だわ」
歓声が上がる中。しわくちゃの老人が大きな輿に乗って人ごみの中を門のまん前まで進んできました。
輿の後ろにもきらびやかな服を着た貴族たちが連なっています。
「ロザチェルリ家当主ゴルナートである!」
翁は傲岸不遜にも輿に座ったまま、トルナート陛下に言上しました。
「我は女王陛下より書状を賜り、女王陛下がここに戻られるまで摂政をせよと命じられもうした! よってトルナート陛下より、政権委任の宣旨を受けたく候!」
大きな蜜蝋の印章のついた書状を掲げる老人に、兄弟子さまは呆れかえりました。
「あのじじい、相当前からこの茶番を仕込んでやがったな」
「あの勅令状、超うさんくせえなぁ。しかし公衆の面前だから、下手なことできねえぞ」
ウサギの僕を抱く我が師も、思わずため息吐息。
ケイドーンの巨人兵たちに守られた陛下には敵わない。そう悟った貴族たちは、民衆を味方につけようと思ったのでしょう。
「これを断ったら、いろいろ難癖つける気だろあれ」
「でも譲歩したら、あのじじいはきっと好き放題するわ」
「まぁ、俺らが歓迎してやればいいんじゃね?」
「よぉ新入り、皿洗いしろとか?」
「便所掃除させるべ」
「それいいな。これも立派な摂政になるための修行だとかなんとか、偉そうに託宣下してやるわ」
うわぁ。我が師たちってほんとに意地悪です。ていうか、なぜか余裕です。
門の上で、トルは大貴族の翁と問答を始めました。
姉君を迎える特使をすぐに蒼鹿家に送り出す、それまでは国政を預かる、というトルに対して、翁は書状を振りかざし、あの言い訳では我々は納得できない、早く摂政位を渡せ、の一点張り。
そうだそうだと取り巻きたちが喚きたてて、周りの民衆を煽ります。
――「そもそも陛下の母君は他のご兄弟とは違う方であられ……」
しかも。耳を疑うような言葉が貴族の翁から……。
――「よって正統の王統を継がれるご資格があるとは言いがたく……」
もちろん、真っ赤な嘘。けれどその「噂」は、姉君の噂と一緒にまことしやかに流されたに違いありません。
民衆たちも、そうだそうだと貴族の翁に声援を送っていますから。
――「ゆえに陛下にはすみやかにご退位あそばされるよう、勧告いたしまするぞ」
「おのれ! 何たる侮辱ですの?! 許せませんわ!」
わあわあと渦巻く喧騒の中。
桃色甲冑のサクラコ妃殿下が、憤然としてトルのそばへ行こうとしました。
少年王が、だめだ、と手を突き出して妃殿下を止めたそのとき――。
 
『おまえたち! いつまで待たせる!』
しびれを切らしたガルジューナさんが、庭園から鎌首をもたげて躍りだしてきて。
 
『一体、何をしているのだーっ!』
 
その巨体を堂々と門の前にさらしました。
天を突かんばかりの、緑の巨木のように――。
数刻後。
「いやあ、あれ見ものだったよなぁ」
抜けるような青空。香りよい緑の芝生。
清清しい風がそよ吹く下で、王宮の庭園の前に寝そべる我が師は、くすくす思い出し笑いをしました。
「効果てきめんでしたね」
ようやく人間の姿に戻してもらった僕は、我が師の隣でぶるぶる肩を回しました。
我が師に抱きしめられすぎて体がカチンコチンです。
僕らの目の前の池では、緑虹のガルジューナが鼻歌を歌いながら水浴びをしています。
岸辺に出ている蛇の頭をトルナート陛下がにこにこ顔で撫でています。
日の光を浴びて、その左目がきらきらと赤い輝きを放っています……。
「みなさーん、桃をいただきましょう!」
桃色甲冑のサクラコ妃殿下が、果樹園から桃を運んできてくださいました。
「蛇さんも、お食べになってくださいませね♪」
ほんのひととき前。
すなわち蛇が出てきた直後の王宮門の光景は――まさに阿鼻叫喚でした。
固まる門の前の民衆。空へと一斉に響く恐ろしい悲鳴。
わきあがる怒号。逃げ出そうとする人々。輿を後退させようとする貴族の翁。
蛇の咆哮に門の上のトルナート陛下は立ちすくみ、桃色甲冑のサクラコ妃殿下が、盾にならんと陛下のそばへすっとんでいくという大混乱。
我が師は門の階段を駆け上がり、仰天しているトルナート陛下に赤鋼玉の眼を押し付け、名乗りをあげるように指示しました。
いらついた蛇が鎌首をもたげて咆哮する前で、陛下は赤鋼玉の両眼を高々とかかげてみせたのでした。
『我こそは、メキドの王、トルナート・ビアンチェルリ!』
「あれ、かっこよかったなぁ。貴族どもはぐうの音も出なくて、みんなすごすご逃げ帰るし。民衆は陛下を遠巻きにして、蛇を従えるところを目撃して、これこそ真の王だって大喝采。なにこれ、できすぎー。大笑いだぜ」
そう、トルは見事に蛇を従えたのです。
トルの手にある赤い瞳を見るや、蛇は悲愴な咆哮を放ってのたうち、「騙された!」とひどく嘆いたのですが。
心優しいトルは僕らから事情を聞くと、蛇にこう語りかけたのでした。
『僕のところに来てくれてありがとう。お礼に、竜王メルドルークを探す旅に僕を加えてくれないかな?』
泣きじゃくりながら門の二階につっこんできた蛇の頭を、勇気ある少年はそっと優しく撫でました。
『泣かないで。きっと会えるよ』
蛇は今、鼻歌を歌いながら気持ちよさそうに池の水を浴びています。
トルは、全く根拠のないことを言ったわけではなかったからです。
トルが幼少のみぎりに住んでいた山国には、竜王に関する言い伝えが残っているのだそうです。
彼は蒼鹿家と戦うべく、近日中にその山国を訪問することに決めました。少しでも味方をふやそうと、同盟を結びに行くというのです。
竜王のことも調べようと蛇に約束したので、蛇は今、とても上機嫌。
ふるふると水面が蛇の歌できれいな波紋を作っています。
「地の大動脈を使えば数日かからず行って帰ってこれるとはいえ。王自ら赴くなんて、何かあったら……」
「心配するな、弟子。トルは、故郷に里帰りしたい気持ちもあるんだと思うぞ。妃殿下も同行されるから大丈夫さ。俺たちはお留守番がんばろうぜ。しっかし……」
我が師は僕の顔をちらっと覗きこみました。
「いいもんもらったなぁ、弟子」
うらやましげな我が師の瞳には、苦笑する僕の顔が映っていました。
右目が赤く輝く、僕の顔が。
正直。びっくりでした。
いくら親友とはいえ、まさかトルが、僕に王の証を半分渡してくるなんて。
躊躇する僕の手に、トルは赤い義眼をぐっと押し付けてきました。
『これは本当は、これを見つけた君ら師弟のものだ』、と。
固辞する僕に彼はきっぱりいいました。
『だめ。これは命令だよ。受け取って。そしてアスパシオン様はこのメキドの後見に。君は、護国将軍になってくれ。わがままでごめん。だけど樹海王朝の王の証の所有権を持つ君たちを放っておくわけにはいかないよ』
黒き導師の我が師が後見になるのはともかく、王家とは縁もゆかりもない僕が、序列第一位の筆頭将軍? たかが宝石を拾って帰ってきただけで?
そ、それはいくらなんでも……。
しかしトルは、譲りませんでした。
『君は韻律を使えるし、不死身の魔人だ。メキドを守ってくれたら、これほど心強いことはない』
義眼を嵌めるには、本物の眼と入れ替えないといけませんでした。
僕は分不相応だと逃げ回ったのですが、結局、妃殿下に取り押さえられて、無理やり右目を交換させられてしまいました。
眼を入れ替えてくださったのは兄弟子さまです。
よくもまあ見つけてきたもんだと驚かれながら韻律を唱え、あっというまに陛下と僕の片目を取り出し、赤鋼玉を嵌めこんできました。
てっきり僕の右目は見えなくなると思いきや。
『え?! ふ、ふつうに見える!?』
『そりゃあ、ルファの義眼だもんよ。しっかり見えるわ。視神経に直接繋ぐからな』
さらりと兄弟子さまが仰った驚きの事実は、六翼の女王の時の記憶なのでしょうか。
『昔その眼は、どの国の兵士も嵌めてたんだ。兵士の標準装備ってやつさ。大量生産でわんさか作られたけど、品質はピンからキリまであったな。遺物封印法の影響で兵器を作る技術が廃れて、現存するもんしかなくなって、それで超貴重品になったんだわ。樹海王朝のそれは、たぶん超一級品だろうよ。いろんな機能が
ついてるから、あとで試してみろ。熱線ぐらいビーッて出るかもなぁ。わははは』
「試してみろって言われても」
――「きゃはは♪」
僕ら師弟がくつろぐ池の岸辺の向こうから、子どもの笑い声が聞こえます。
見れば親子連れのごとき人影が、こちらに近づいてきます。
その顔を見たいと思うと――なんとぐぐっと視界が拡大され、対象物がはっきり大きく見えました。
「うわ?! すごい機能だ、これ」
見えたのは、フィリアのかわいい顔。それから。
「フィリア! フィリア!」
メニスの少女にまとわりつく、小さな物体。
繭の中から出てきた子です。まだ全身包帯で歩くのもおぼつかなげ。
わ! フィリアの嬉しげな顔がドアップに……。
「ぺぺ! おかえりなさい。見て! この子こんなに元気になったの。喋れるようにもなったのよ」
フィリアはいとおしそうに繭から出てきた子を抱っこしてほおずりしました。
「フィリアすきぃー♪」
小さなその子はフィリアにべったり。銀髪で紫の眼。まさにメニスの純血種の血統の色合いです。
なんだか本物の母と子のようで、一瞬心がずきっとしたのは……気のせい?
「元気になってよかったね」
「それが聞いて、ぺぺ! あなたがいない間に、すごいことが分かったのよ!」
フィリアは小さな子をぎゅっと抱きしめながら、菫色の眼を輝かせました。
「この子、ここからとても遠い国で今までお父さんと一緒に暮らしてたの。でもどうしてもお母さんに会いたくて、はるばる遠い国からメキドへやってきたんですって」
お母さん?
「この子は始めお母さんが住んでるっていう村へ行ったんだけど、村人からお母さんは出て行ったって聞いて、一所懸命訪ね歩いて王都まできたの。でも森の洞窟で野宿してる時に、急に繭化が始まってしまって。妃殿下が見つけて王宮に運んでくださって、本当によかったわ。でなきゃ、繭から出てもこの子は生き延び
られなかった……」
あ、あの。この子のお母さん、って。も、もしかして?
「そうなの! ぺぺ、あの人だったのよ! 薔薇乙女一座のまかないのおばさん! この子からお母さんの名前を聞いたから、間違いないわ!」
フィリアの眼から、ほろりと涙がこぼれました。
「この話を聞いてすぐに陛下が、一座に使者を送って下さったわ。今日、使いの人がおばさんを連れてくることになってるの。もう少しでこの子、お母さんに会えるのよ。ねえ、よかったわよね。本当に、よかったわよね」
小さな子は無邪気にメニスの少女にこつんと頭をつけました。
「フィリアー、泣かないのー。めっ」
とてもかわいらしい子です。フィリアにべたべたするのがやっぱりちょっとその、気になっちゃいますけど……ものすごくかわいい子です。
蛇の頭を撫でていたトルがふりむいて、小さな子に微笑みかけました。
「ヴィオの親がすぐに分かって、本当によかった」
「ヴィオ?」
「この子、ヴィオっていうんですって」
「ヴィオ、おとなになりたかった。ママに、りっぱなヴィオ、みせたかった」
悲しそうに親指を口にくわえる子に、フィリアはまた涙をこぼして頬ずりしました。
「大丈夫。今のままでも、とてもすてきよ」
親子の対面は、静かにゆったり行われました。
サクラコ妃殿下がまっ白い卓を出して、果物やお菓子をたっぷり並べた席を用意して下さいました。
まかないのおばさんが恐縮しないようにと、はじめは灰色の導師アミーケとフィリアだけが、ヴィオに付き添って彼女を出迎えました。
というのも。灰色の導師は、同種族であるヴィオの父親を見知っていたからです。
曰く、ヴィオの父親は「死にぞこないのくそったれな白の導師」なんだそうです。
親子が対面して話が弾んできたと思われる頃。庭の一角でさりげなくテニスをして時間を潰していた国王夫妻や僕らは、そっと親子に挨拶をしにいきました。
お菓子でも食べ始めているかと思ったら、母と子はまだひしと抱き合い、おいおい泣いている母親をヴィオがまた、「泣かないの、めっ」と慰めていました。
トルはしばらくヴィオを王宮で庇護したい、だから母君もどうかご一緒に住んで欲しいと申し出ました。
まかないのおばさんはその申し出に今にも卒倒しそうでしたが、フィリアに励まされてなんとか首を縦に振っていました。
蛇は空気を読んで、その間ずっと静かに、池の中に潜っていてくれました。
この親子の対面の数日後。
トルと妃殿下は、蛇とともに山奥の国へと出立しました。
トルはこれからいろいろと手を尽くすつもりでした。
ヒアキントス様率いる、北五州の蒼鹿家と戦うために。
そして、姉君ご生存の真偽を確かめるために……。
トルが不在の間、我が師と兄弟子さまが摂政として政の一切を預かることになりました。
国王夫妻を乗せた蛇が地の大動脈に潜っていくのを見送ると。庭園にずらっと並んだ見送りの列の先頭で、我が師は気合のスクワットをかましました。
「さあ弟子、がんばってお留守番すっぞー」
――「摂政は俺様一人で十分だわ」
「うっさいエリク! おまえこそいらねーわ」
「なんだとこら!」
全くこの二人は……。
もとい。
「あの。お師匠様。どうして……」
兄弟子さまと我が師がぎゃあぎゃあ言い合いを始める中。僕は深いため息をつきました。
「どうしてまた、僕をウサギにするんですかあああ!」
「ウサギの」僕は途方にくれて、空を振り仰ぎました。
メキドの空は赤い瞳を通しても、どこまでもどこまでも、青く広がっているのでした。
お読みくださってありがとうございました。
次回は幕間が一つ入ります。
 




