望郷の歌 12話 王墓
一面真っ赤な鉱物に囲まれた空間。
そこに横たわる太い筒のような長い巨体。
『赤の広間。美しい我の寝床』
巨体の主、緑虹のガルジューナがとても懐かしげに囁きました。
『我はここでしばし休む。さあ、地図をとってこい』
振り向けば。僕らが出てきた小部屋の入り口に、半透明の緑の膜のようなものが下がっています。それが突然ぎょろりと動いた震動で、入り口の周りの岩がぼろっとこぼれ落ちました。
くっきり表れたのは丸い枠。
緑の膜のような物は球体でうっすら盛り上がり、その中央には黒い瞳のようなものが動いています。
「え? これって、眼……?」
ぶるん、と蛇が体をゆすると、またぼろっと岩が落ちて、もう一方の蛇の眼が現れました。蛇の頭部も。
緑に透けた二つの眼球の向こうに、僕らがいた小部屋がうっすら見えます。台座に載った箱にある蛇の心臓は、「頭脳」と呼ぶ方がいい位置に鎮座しています。
長い間封印されていたせいで、蛇の体にはかように岩や土砂がびっしりはりついていました。けれども淡く発光する彼女の体は、今やひどくぼろぼろ。緑の鱗がほとんど逆むけており、体液がドクドク大量に流れています。
いったいどれだけがむしゃらに、地の動脈を突き進んだのか。
どれだけ、無我夢中だったのか……。
「あのう、ガルジューナさん。ここって王宮じゃないような気がするんですけど」
首をひねる我が師に、蛇は、「何を言う」と反論しました。
『樹海王朝の王宮はここで間違いないぞ。地の動脈の七の七の七番地。忘れるものか』
「樹海王朝? おいそれは――」
我が師はハッとして指折り数えあげました。
「革命前の王朝……つまりトルナート陛下のお父上一族の王統がビアンチェルリ朝で、大体五十年だろ、その前はノワルチェルリ朝で大体二百五十年。樹海王朝はその前だから、ここは三百年以上前に使われてた、古い王宮ってことか?」
『なにをしている早く行け!』
蛇の二つの眼がカッと輝いたとたん。緑色の光の波紋が飛んできて、僕らは赤い鉱石の広間の隅に吹き飛ばされました。
我が師は僕の腕を引っ張り、微妙な顔をして広間の奥にしゃがみこみました。
「弟子、蛇さ、はじめなんて言ってたっけ? 誰が自分の主人って言ってた?」
「はい、たしか――」
蛇にトルからの勅令状を見せたとき。そんなものは無効だと言われました。
そのとき蛇が言った言葉は、『我を動かせるのは、真にメキドを継ぐ者のみ』。それから、
「たしか、赤鋼玉の瞳を継ぐ者こそ我が主人、とかなんとか、言ってましたね」
我が師は眉をひそめ、腕組みして首を傾げました。
「トルの目って、赤かったか?」
「いいえ、蒼です。あ。もしかして樹海王朝の王家の人って、目が赤かったんでしょうか?」
「うーんちょっとやばいかも。ビアンチェルリ家って、樹海王朝の王統の血は引いてなかったはずだぞ」
我が師はますます眉間に皺を寄せました。
「トルじゃあ、蛇を説得できないかもなぁ」
そ、そんな。蛇がトルを認めてくれなかったら大ごとですよ。
「やっぱ蛇の心臓を殺すしかないかー」
「それはだめ!」
僕は反射的に叫びました。
「だめ! むやみに命をとらないでくださいってお願いしたでしょう?」
「う。は、はい」
ヘイデンの野辺
白雲の流れ
いと高き空
ふるふると鉱石が震えています。体を休める蛇は、上機嫌で鼻歌混じりに歌っているのです。
まるで花畑で花でも摘んでいる少女のように、その声はうっとり陶酔しています。
竜王に会えるのが楽しみで楽しみで仕方ないのでしょう。
もし本当にそうしてあげたら、蛇は言うことをきいてくれそうですが……
「古王宮、ちょっと見ていくか。樹海王朝の王統について、何かわかるかもしれないしな」
我が師と僕は、でこぼこしている広間の奥に進みました。
蛇の体から離れると、あたりは真っ暗。広間の再奥には、上層へ通じる階段がありました。そこはすでに崩れて、天上にぽっかり黒い穴があいています。
僕らは浮遊の韻律で階上へ飛びました。空気はしっとり冷たく湿り、洞穴と変わらぬ静謐な雰囲気。
我が師が手のひらに灯り球を出現させ、あたりを照らしてみれば、この層も一面赤い鉱物でした。
ぽっかり空いた洞窟は広く、人工物とおぼしきものはすぐそばにある崩れた階段だけです。またふわりと飛んで階上へ上がると。
「これは、棺?」
上の層はさきほどよりはるかに広く、木の根のようなものでびっしり覆われており、細長い棺がいくつも安置されていました。
棺は木製で、蓋には人物の全身像が彫刻されています。冠を被った男性と女性の棺がひとつずつ並ぶその周囲が、木の根のような材質の円輪の柵に囲まれている、という形態です。
その円輪が、距離を置いていくつも連なっています。
「王宮の地下に……墓所がある?」
我が師は興味津々で、灯り球で一番近くの棺を照らしました。
「神聖文字が彫られてるぞ」
棺の蓋の彫刻は、冠を被り鎧を着込んだ男性。中で眠っている人に似せて彫られているのでしょう。
文字は、彼が持っている大きな盾にびっしりと彫られています。
「王様の名前か。長い称号だなぁ。太陽神の息子……恵みと慈悲、美と良き者をもたらす者……炎の眼を受け継ぎし……緑虹の、偉大なる主人」
僕らは厳かな気持ちで棺に頭を垂れて敬意を表し、他の棺も眺めてみました。
どの棺にもびっしり神聖文字が刻まれ、故人の名が刻まれていました。
「お妃さまには、ついてないんですね」
「何が?」
「炎の眼を受け継ぎしっていう称号ですよ。王様たちの棺にはついてますけど」
円輪を五箇所ほど越えたところで、僕は我が師にそう言いました。
奥に進むと。王夫妻の棺を安置した円輪の中に、小さな棺がいくつか並んでいる形態のものがありました。
蓋には男の子や女の子の彫刻。幼くして亡くなった王子や王女でしょうか。その蓋にもびっしりと、彼らの名前が彫られていました。
「あ……ないですね」
「何がだ、弟子?」
「炎の眼を受け継ぎしっていう称号ですよ」
「んーとぺぺ、何が言いたいわけ?」
「ええとつまり、炎の眼を受け継ぎしっていうのは、王様専用の称号なのかな、と」
「うん。まあ、王家の人の遺伝的特徴ではなさそうだな」
「だからガルジューナさんに主人だと認めてもらうために、トルナート陛下に、赤い眼膜を嵌めてもらってもダメなんだろうな、と」
「そりゃダメだろうな」
我が師は棺の連なりをまじまじと見つめました。
「俺が思うに、炎の眼ってのは……たぶんでっかい宝石かなんかだろうよ」
「宝石?」
うんとうなずく我が師の顔がぽうと灯り球に映しだされました。
「エティアの王は、即位する時に代々伝わる黄金の杓丈を継承する。だから王名に『黄金の杖持つ牧者』っていう称号が必ずつけられる。それと同じようにこの樹海王朝の王たちも、王位の象徴として代々継承してたもんがあったのかもな」
「それが、『炎の眼』?」
つまり蛇は、その宝物を持つ者を、主人と認めるということ?
僕らは顔を見合わせて、深いため息をつきました。
「いやあ……そんな宝物、今も残ってるとかないだろ」
「ですよねえ……王宮なら、宝物庫とかあるでしょうけど、すでに盗まれちゃってるとかしてますよね」
「やっぱあの蛇、干からびさせるしか――」
「だめですってば!」
僕はあわてました。
「どうしちゃったんですか? 最近おかしいですよ! 急にひどく残酷になっちゃって。全然、らしくないですよ!」
う? いきなり、なんだか切ない顔の我が師が急接近?
僕の頭をいじりたそうにわきゅわきゅ手を動かしてます。
思わず後ずさる僕。ずいと近づく、お手手わきゅわきゅな我が師。
さらに後ずさる僕。さらにずずいと近づく、お手手わきゅわきゅな我が師。
「ちょ……な、なんですか?」
「弟子。ご、後生だから、ちょっと、ウサギになって?」
「……は?」
「王宮でさ、ウサギなおまえを抱っこして以来、俺もうダメ。あのモフモフ感思い出したらもうダメ。あれ抱っこしねえと、禁断症状が出て、も、もうダメっ」
禁断、症状?! って、お師匠様、たしかに全身痙攣して……ますけど。
「た、たのむ! 気を紛らわせるために、敵を消し炭にしても、ダメだったぁあ!
モフモフ! モフモフ! モフモフさせてくれえええ!」
「ちょ! ま! お師匠様! 待っ――」
まさか禁断症状を紛らわせるために、残忍なことしたってことですか?
なんですかそれは! 精神おかしくなってますよそれ!
我が師は右手を突き出し変身術を放ってきました。僕はたちまち縮まって、まっ白いウサギになり。すぽんと床に落ちました。
とたんに我が師の顔は満面のデレデレ顔に……。
こ、このやろう……!
「うっはああ♪ ぺぺ! 俺のペペええ! 愛してるううう!」
「よるな! きもい! クソオヤジ!」
目をキラキラさせて抱きしめてこようとするクソオヤジを、俺は思いっきり蹴飛ばした。
必殺後ろ足キックで、容赦なく。
おぶ、と短い悲鳴を空間に残して広間の奥にすっとんでいくオヤジ。
全く、今はそれどころじゃないだろうが!
しかし、ウサギがいないとだめとか、マジ勘弁して欲しい。
あ。これってもしかして、こいつには女の子じゃなくてウサギをあてがったらいいってことか?
となると、使い魔ウサギを造って贈れば大団円?
って、あれ? クソオヤジはどこだ? あそこらへんに転がったと思ったんだが、姿が急に見えなく……?
探してみれば、ぼろっと岩壁が崩れ落ちているところがあり。オヤジは壁にめり込んだ拍子に、その向こう側になだれ込んだようだ。
「うわ。だ、大丈夫か?!」
「うへへ、ペペのお仕置きはほんと効くなぁ」
うげっ。痛い目にあったのに、なんだよあのニヨニヨ超嬉しげな顔は。
やっぱり危ない病気の人みたいだよこれ……。
ん? あ……。
「どうしたぺぺ? いきなり固まっちゃって。へ? なに指さしてんの? うしろ? うしろ見ろ? なんで? うわなんじゃこら!」
クソオヤジが驚き飛びのいたところに、灯り球がふわふわ流れ込んできた。
宙に浮かぶ灯りが、その真下のものを煌々と照らし出す。
狭い洞穴に横たわる、鎧姿の……骸を。
その骸は手を組み、広刃の剣を胸の上に置いていた。
まだ背丈が十代前半かそこらの、少年? でもその顔は、もう完全に白い骨。
「まさかこの子も、王か?」
クソオヤジが驚いて見つめる視線の先。ぽっかり空いた暗い二つの瞳孔の中に……。
「光ってる……!」
灯り球の光に照らされて、それは美しく輝いていた。
まるで夜空を照らす星のごとく。
血のような紅の双眸が――。
こぽこぽ流れる水音。
湧き出す泉に差し込む、天蓋の隙間からの光。
「水うまいなぁ」
ぷはっと泉から顔をあげる、我が師。
「いいかげん放せ」
「やーだね♪」
そしてクソオヤジにつかまった、ウサギの俺。
俺をぎゅうと抱きしめ頬ずりするオヤジの顔は、ニコニコ上機嫌。
俺たちは王墓のさらに上層に出てみたんだが、ここは大きな神殿で、そこかしこすでに樹海に埋まっていた。広間の中央にあるこの泉の周囲は、つる草だらけ。
神殿は四方をそびえ建つ大きな建物に囲まれており、その建物がかつての樹海王朝の王宮であったようだ。
宮殿にも緑のつる草や樹木の根が一面生え茂り、屋根は半分崩れ落ち、そうと教えられなければ、かつて王族が住んでいたところとは思えぬほど荒れていた。
深い草の海と化した回廊のそこかしこに埋もれた、鎧を着た人骨や刀剣や斧。
いうまでもなくそれは、いたましい戦いの跡――。
「そういや、樹海王朝は内乱で滅びたような記述をなんかの写本で読んだわ」
とクソオヤジがのたまわるので、間違いないだろう。
「しかし本当に、眼に嵌めるものだったとはなぁ」
オヤジは黒い衣から赤鋼玉の義眼を取りだして、まじまじと眺めた。
俺たちは少年王の冥福を祈る鎮魂の歌を歌い。
彼の魂に許しを乞いながら、彼の眼をそっと外してきたのだ。
オヤジが韻律を唱えて目を覗きこむ。
目に宿った記憶を読み取る間、その表情は悲しげに崩れたり、涙をうっすら浮かべていた。
「あの若い王は、ここが滅びる時に戦死したみたいだ」
ぽとりと地に落とされた俺はようやく――
「ふううう……」
落ち着くことができました。
「樹海王朝の最後の王だから、今から大体三世紀前のことだな」
ぽつぽつと、我が師は赤い目の記憶の一部を語り出しました。
「大貴族たちがつるんでさ、ある日いきなり、『王は心の病気』だって口裏合わせて言い出して、だれも王の言葉を聞かなくなったんだ。王は王宮にたてこもって、なけなしの手勢で抵抗したけど致命傷を負っちまった。王の親友が、この『炎の眼』と王の遺骸を護るために、あの隠し部屋に運んだんだ。でも棺なんて用意するひまがなくてさ。その親友、ぼろ泣きで瀕死の王様に謝ってたよ……。それが、この眼が最後に見たもの。王が息を引き取る直前に見たものさ」
我が師はじっと赤鋼玉の眼を見つめてつぶやきました。
「眼の記憶からすると、あの少年王はずいぶん不幸だったけど、いい友達を持ってた。それだけが、救いだな」
「その友達の運命は? 王を弔ったあと、どうなったんですか?」
「それはわからんな。眼にその記憶は映ってないわ」
「生き延びていたらいいですね」
「だなぁ。でもあの少年王で樹海王朝の王家は途絶えたわけでさ。だから今、この眼の所有者には誰がなってもいいんだよな。つまり俺がこの目玉の所有者になることだって、可能といえば可能――」
「だめです!」
僕は我が師の手をがりっと噛んで、腕から逃げ出しました。
「メキド王のものにするべきです。トルナート陛下のものに」
「おまえ今思いっきり噛んだだろ! いてえぞこら! 血がっ。血がー!」
「お師匠様、ガルジューナさんに地図は新しい王宮に持ち去られたと言って、トルのところに行きましょう。そしてトルに炎の目を渡して、ガルジューナさんを説得してもらいましょう」
手をふうふう吹きながら、我が師は引きつりました。
「ほんと、俺のペペはマジメすぎるよな。冗談で言ったのにぃ」
「冗談でも言っちゃいけませんてば」
王宮に囲まれた神殿の最下層へ戻ると。
蛇はまぶたを閉じてすうすう寝息を立てて眠っていました。
蛇を起こして事情を話すや、彼女は眼球を上げて僕らを心臓の部屋に入れ、
またたくまに広間から躍り出ました。
『地図を盗んだ奴がいるのだな! 盗っ人猛々しい不届き者め! 我が消し炭にしてくれる!』
こうして。僕らを「内臓」する蛇は、「地図泥棒」へ呪いの言葉を吐きながら、地の大動脈を再び走り出しました。
トルナート陛下やサクラコ妃、兄弟子様やフィリアたち。
みんなが待つ、メキドの王宮へ――。




