望郷の歌 8話 祈願玉
メニスの繭が誰かに割られた?!
結界を張っていたのに?
「ありえない!」
僕は思わず叫びました。
見習いとはいえ、蒼き衣の弟子の結界がそう簡単に破られるなんて。
つまり敵は、韻律を使えるもぐりの術師か何か? あのフィリアを狙った黒い覆面団のような?
セバスちゃんは息せき切って国王夫妻の部屋に入り、状況を報告しました。
僕の風送り隊二人は侵入者に韻律で攻撃されたので、命からがら温室の前で、狼煙のような非常用の信号弾を打ち上げたそうです。
「繭に駆けつける兵士たちの気配を察して、敵は逃げた模様です。繭の中の方をお救いしようと、導師様方が現在手を尽くされておられます」
驚き心配して起き出そうとするトルを、妃殿下がなんとか止めました。
今日だけは無理はさせられないと、彼女はセバスちゃんを陛下のもとへ残し。サッと僕をお姫様抱っこにして、一目散に温室へ走って下さいました。
まさに音速と思われるかのような速さ。びゅんびゅん空気が切れる音が聞こえました。
「ごめんなさい! 僕のせいだ!」
温室へ向かう間、僕は半泣きで妃殿下に何度も謝りました。
いかなる理由にせよ。僕は自分の持ち場を人任せにするべきではなかったのです。
己が気持ちを抑えてしばし待ち、我が師と交代してからゆっくり陛下を見舞うべきだったのです。
しかし優しい妃殿下は、何にも置いてすぐにトルを見舞ってくれた僕の気持ちがとても嬉しいと仰って下さいました。
「陛下は胸の内を開けてお辛い身の上話をされるぐらい、ぺぺさんに心を許しておられます。どうかこれからも、ずっとよいお友達でいてくださいませね」
なぜトルがこの方を奥方にされたのか、如実に分かる言葉。
しかし……残酷な光景を目のあたりにして、その優しい慰めは打ちのめされました。
ケイドーンの巨人たちが幾人も警戒態勢をとって、温室を取り囲む中。僕らと入れ違いに、二つのいたましい担架が王宮へと運び出されていきました。
それは僕に風を送ってくれていた、あの風送り隊の二人でした。日の暮れかけた赤銅色の空気の中でも、だらりと垂れた彼らの手から赤い血が流れ落ちているのがはっきり……
ああ……
そんな……
「俺の……せいだ……」
全身が震えた。
さあっと血の気が引く音が、はっきり耳の奥で聞こえる。
持ち場を離れなかったら、彼らを守れたかもしれない……。
後悔に苛まれて潤む俺の目に、無残にも割られた繭が映った。
俺がかけた結界などあとかたもない。メニスの繭は、すぱっと袈裟懸けにまっぷたつに斬られていて。どろどろと、中から絶え間なく……
「え……これ、赤い……嘘、これ、赤い血?!」
メニスの血なら白いはず。なのに、流れてくる液体はまっ赤。
くらくらするほど甘い芳香が、温室中に充満している。
繭の回りに集まる人々が、繭の斬り口を必死に両手で抑えている。
ケイドーンの巨人に侍従たち。すすり泣いているフィリアに、それから……クソオヤジ。
「ごめん! ごめんほんとにごめんっ!!」
俺は繭に飛びつき、切り口を塞ぐ作業に加わった。
クソオヤジが繋ぎの韻律を唱えている。
どうしてこんな事態に、と震え声で聞くと。ふりむいたクソオヤジは、布で鼻と口を完全に防護していた。フィリアを除く皆が同じ格好で、メニスの甘い芳香にやられるのを防いでいる。
「襲撃者は、この繭の中のメニスが欲しかったらしいんだけど」
クソオヤジは布の奥からモゴモゴつぶやいた。
「でも血の色が赤かったんで、びびって逃げたみたい。そら驚くわな。メニスの大人の血は白いのに。あわてて走り去ってったような足跡がついてるわ。靴に血糊がべったりってやつだなー」
――「アミーケを連れてきたぞ!」
兄弟子様が温室に入ってこられた。息を切らせるその背に、灰色の衣の導師を背負って。
とたんに俺は身震いした。案の定フィリアの親は、鋭い目で真っ先にこちらを睨んできたからだ。
「その布……やはりオリハルコンで我が命令を遮断していたか。あの天の島には、かつてメニスの魔人がいたのだな」
鬼の形相を浮かべる元伴侶を、兄弟子様が宥めてくれた。今はそれどころではないと。
「頼む、繭が割られたわ。でも中身真っ赤」
「お母様お願い! この子を助けて」
フィリアの声に反応して、灰色の導師は俺から目を離した。彼はまだ傷が癒えていないのか、兄弟子さまに下ろされるとびっこを引いて繭の前に座った。
「フィリア、元気なようで何よりだ。おまえがつつがなくここで暮らしている事に免じて、私はそこの無能なしもべをしばらくの間無視しよう」
「ありがとうお母様。でも……どうしたらいいの? 中の子が無事かどうかすら、私には解らない」
フィリアが涙声で母親に抱きつく。
「かわいそうに……! なんで血が赤いの? どうして白くないの?」
「まず一番に考えられるのは――」
灰色の導師は硬い表情で言った。
「中の子はすでに死んでいる、という可能性だ」
恐ろしい言葉を聞いたとたん、フィリアは哀しい悲鳴をあげた。
「でも! 繭の色が変化してたんだ!」
その無情な言葉を信じられず、俺は横から叫んだ。繭の表面を必死に抑えながら。
「ちゃんと繭の色が変わってきてた! それを見て、兄弟子様が二、三日後には出てくるだろうって!」
そう、繭は生きていたはず。絶対生きていたはず。
「なるほど。生存の証拠が確認されていたということは……」
灰色の導師は硬い表情で皆を下がらせ、サッと繭の割れ目に手を入れて。いきなり中身をずるりと引き出した。
皆が息を呑む中、真っ赤な肉塊のようなものが、繭の前にどそりと落ちてくる。よく見れば、小さな子供のようなものが……。
「やはり、幼体のままか。メニスの幼体は人と同じく体液が赤い。繭ごもりで大人になると、まっ白な体液に変わるのだ」
灰色の導師は腕の傷が痛むのか、もう一方の手で肘を支えるようにしてそっと繭の中にいたものに触れた。
「も、もしかして私が洞窟から移動したせい……ですの? 揺らさぬよう慎重に運んだつもりでしたのに……」
妃殿下が茫然としてつぶやいたが、灰色の導師は、違う、ときっぱり否定した。
「たしかに移動しないに越したことはない。しかしこの子が幼体のままなのは、動かしたせいではない。通常なら、繭を作った直後におのが体を液化させるはず。それが全くできていないということは……つまりこの子は、変異体。羽化不全になることを運命づけられていた子だということだ」
慄きの吐息が、兄弟子様から漏れる。
「おい、こ、これが変異か? 血の濃いメニスに起こるっていう?」
「おそらくな。片親がメニスの純血種なら、たとえ相方が何であろうが二割以上の確率で起こる。純血種特有の遺伝病のようなものだから、防ぎようがない。血が薄まった混血の子ならば、ほとんど起こらぬのだが」
「これ、フィリアちゃんもこうなる可能性があったって、おまえつい昨日俺に話したよな。も、もしそうなってたら、おまえフィリアちゃんを……」
――「動いたわ!」
フィリアが真っ赤な体液にまみれたメニスの子に触れた。
「間違いないわ! 手が開きかけてる。ほら、生きてるわ!」
服が汚れるのもかまわず、その子をひしと抱きしめる。
「この子、生きてるのよ!」
周囲から一斉に吐き出される喜びのため息……。
ああ……
ああ……
よかった……!
安堵と共に落ち着きを取り戻した僕は、へなへなとその場に膝を折りました。
この子が死んでしまったら、僕は一生自分を許せなかったでしょう。
「よかった。本当に、よかった……!」
涙ぐむ僕ら。けれども――喜びに沸く温室の中で、笑みを浮かべていない者たちがいました。
兄弟子さまと、灰色の導師。二人は食い入るように、フィリアが抱きしめる子を見つめていました。
深い愁いを帯びた、哀しい顔つきで。
繭から出されたその子は――急ぎ王宮の客室に運ばれました。
繭はすっぱり切られていましたが、幸いなことに中の子にはほとんど傷が及んでいませんでした。
呼吸がほとんどできていないようだったので、灰色の導師がとっさに背中を何度か叩いて促すと。その子はけふっと黒い塊を口から吐き出し、すうすうと寝息のような呼吸音をたてました。
「肌が柔らかい。体が大人になろうとして、まだ液化を試みている」
灰色の導師の指示のもと、僕とフィリアはその子の肌に布をそっと押しあてて体液を拭き取り、全身に包帯を巻いて体の形を固定しました。
体の大きさは、十歳の子供ぐらい。髪は長くてまっ白。目の色は濃い紫。
まだ声は、ひとことも出せていません。
「がんばって。お願い生きて」
フィリアが涙声で励ましています。
灰色の導師は兄弟子様と一緒に、その子の喉に詰まっていた黒い塊をまじまじと眺めました。額をつき合わせるようにして。
「それが祈願玉? 親が突っ込んだのか?」
「さあ、親が入れたかそれとも自分で飲み込んだか。どちらにせよ液化を促すために飲んだのだろう。魔力の篭る石だ。持っていると、溶けろ、という内なる声が聞こえてくる」
「それ、おまえもフィリアの羽化の時に飲ませたの?」
「入れた。どろどろの液体になって一から体を作り直すよう、これで暗示をかける。だが、ただの気休めにすぎぬものだ。意志だけでは、どうとなるものではない」
灰色の導師がため息混じりにぎゅっとその塊を握ると、それはさらさらと砂のごとく崩れて彼の白い手からこぼれ落ちました。
「私と同じく十中八九、この子はアリステルとレイスレイリに連なる者だな。純血のメニスの血は、呪われている……さて、生き延びられるかどうか」
「助けるわ。絶対」
フィリアはその子を抱きしめながらきっぱり宣言しました。
「私が、この子の面倒をみる。絶対死なせない」
全身包帯のその子を寝台にそっと寝かせたフィリアは、まるで母親のように寄り添いました。
あれ? 我が師の姿が見えません。一体……どこに?
探してみれば。目当ての人は廊下にいました。巨人兵からなにやら話を聞いています。
「ちょっとちょっと弟子」
我が師は僕の姿を認めるなり、手招きして耳打ちしました。
「おまえの風送り隊、息を吹き返したみたい」
死者が出なかった。
それだけでも、僕にとっては大いなる救いでした。
巨人兵からその報告を聞き及んだ桃色の妃殿下は、さっそく事情聴取を行うべく風送りの二人に会いに行きました。僕と我が師もついていきました。いかなる理由があれ、見張り番の責任が問われる事態ですから。
件の二人は侍従たちの詰め所に運び込まれていて、二人とも胸を切られており、侍従たちが丁度手当てを施し終わったところでした。
妃殿下が生きていてくれてよかったと涙ぐみ、話を聞こうとするや。
――「それで、どっちがカマイタチで繭を切り裂いたわけ?」
いきなり我が師が、妃殿下を押し退けて言い放ちました。右と左、交互に二人を指さしながら。
「君? それとも君?」
な、なに言ってるんですかお師匠さま? 彼らは被害者でしょう? 狼煙をあげて危機を知らせたんでしょう? 犯人ならそんなことするはず……
「犯人だって、疑われないようにしたんだよな? 君らの怪我って、お互いにちょっと胸の皮切っただけだろ?」
慌てる僕をさしおいて、我が師はにやりと指を二本立てて二人を指し示しました。風送り隊の二人は、震え上がりながら力なく頭を横に振っています。
「知ってるよねえ? 魔法の気配って、誰のものか特定できるって。見える奴には、魔力源まで繋がる糸みたいなもんが見える。繭から君らにつながってる力の残滓の糸が、俺にはしっかり見えてるんだけどなぁ?」
自信満々に話す我が師は、とどめの一撃を二人に放ちました。
「それに君達の足の裏から、メニスの血の匂いがぷんぷんしてるし。温室に残った足跡とそのサンダル、照合してみようか? 第三の人物の足跡なんか、きっと見つからないぜ」
次の瞬間。妃殿下がうなり声をあげて風送り隊の二人の首根っこを掴み、どういうことかと迫りました。二人はあまりの剣幕にぶるぶる頭を振るばかり。
我が師は仕上げとばかりに、にやっと余裕の笑みをかましました。
「俺の弟子の結界なんて、君らには簡単に解けるよなぁ。二人とも、超優秀だったもん。えっと、右がミストラスのコルちゃんで、左がミストラスのロルちゃんでしょ? たしか七年前に不祥事起こして破門されて、おうちに帰されたと思ったら。こんなとこで何してんのぉ?」
え?! この人たち、まさか……も、もと蒼き衣の弟子?!
ミストラス様って……三年前に亡くなられた蒼鹿家の前の後見人で、ヒアキントス様のお師匠様じゃないですか!
我が師の指摘は、図星だったようです。
風送り隊の二人は、能面のような顔で妃殿下に向かって右手を突き出してきました。まさかハヤトにばれるとは思わなかったとかなんとか、つぶやきながら。
からからと笑いながら、我が師も右手を突き出しました。
「やだもう。特にコルちゃんは俺の同期でしょ? 一緒に舟に乗って寺院にきた『お友達』を忘れるはずないじゃん? 俺のこと、白鷹の私生児ってさんざんいじめてくれたくせに」
――「妃殿下、下がって!」
僕はとっさに二人を離した妃殿下と一緒に、部屋の外に飛びのきました。
刹那。部屋の中がひどく眩しく輝きました。虹色の光が青と赤の光を次々と巻き込んで、一瞬でひねり潰したように視えました。
攻防、と呼べるような闘いはなく。勝負は一瞬。
ああ、魔法の気配……。
繭に気をとられていて、僕はそれをよく視て調べる余裕など全くありませんでした。けれども我が師は、しっかり現場を探っていたのです。
だらけてばかりの我が師とて、やはり黒き衣をまとうだけの技量はあるのです。腐っても鯛というか。いや、本当は腐ってないというか。
我が師はあっという間に風送り隊の二人の手足を光の縄で締め上げて、誰から何を命じられたかニコニコ顔で聞き出しました。
自白の韻律をかけられた「懐かしいお友達」は、抵抗しているために口を変な形に動かして答えました。
二人とも今は、もぐりの術師として大商人フロモスに雇われていると。
このフロモスという者は、かつてパルト将軍の御用商人であったらしく、トルに咎められ投獄されるのを恐れているとか。しかもとても高齢で明日をも知れぬ病身の身。たとえ処刑されても復活できるよう、老いと病に打ち勝てるよう、なんとしても不老不死になりたくて、メニスの血を渇望している……というのでした。
「ほうほう。それでコルちゃんとロルちゃんは、雇い主の命令を果たそうとしたわけね?」
フロモスこそは、フィリアをさらおうとした黒幕に間違いなさそうでした。彼はおのれの欲望を叶えるために、いかがわしい連中を大勢雇いまくっている、ということも二人は白状したからです。
しかし。今日はなぜかしら冴えている我が師の追及は、そこでお終いにはなりませんでした。
「あのさ。君らはさ、ミストラス様の弟子だったろ? 兄弟子はメルちゃん……つまりヒアキントスだよね? たしかミストラス様ってさ、蒼鹿家の親戚の子しか、弟子に取らないんだよね。不思議だよねえ。なんで北五州出身の君らが、この南国であっついメキドにいるわけよ? なんで実家に帰ってないのー?」
お師匠様はまるで推理小説の探偵のように、余裕綽々の表情で鼻をほじりました。
「あのさ、長老のバルバトスってさ、ヒアキントスとすっごい仲良しだったんだよな。でさぁ、ヒアキントスはバルバトスをそそのかして、メキドにちまちま、いらんちょっかい出させてたんだよね。まぁ、何らかの目的があってそうしてたんだろうけど」
たしかにそうです。ヒアキントス様は頻繁にバルバトス様の相談を受けては、恐ろしいことを提案していました。トルを脅かす恐ろしい薬を送るようすすめたのも、あの方です……。
「でもバルバトスはトルに後見を外されたでしょ? だからさ、影でこそこそメキドに悪さする役目が、今度は君達に回ってきたんじゃないのかって俺は思うんだけど。ね、君達さ、ヒアキントスと今、文通とか交換日記とかしてるでしょ? なんかさ、臭いんだよな。うん、匂う匂う。くっせえー」
我が師は鼻の穴に指を突っ込んだままふがふがと、拘束した二人の周りをかぎ回りました。
何を証拠にとか、言いがかりだとか。風送りの二人は力なく反論していましたが――。
「ひいいいい!」「うわああああ!」
突然。我が師は二人に襲いかかりました。ズボンを引き降ろし、そのズボンをわそわそとまさぐりました。
「ほーらみっけー♪」
なんと。我が師は隠しポケットらしきところから、小さな水晶玉をひとつずつ奪い取ったではありませんか。
「やっほー。うっほー。うわあすげえ! ちょっと弟子、おまえも見てみろよ。すてきなお部屋が見えるう」
水晶玉に向かって舌を出したり目を寄せてタコのような口をしたり。百面相で変顔をしまくる我が師。
その隣でごくりと息を呑んで、覗きこんでみれば……。
「ここは……!」
見覚えのある部屋が、水晶玉にくっきりと映しだされていました。
一面蒼い調度品だらけの、海のような美しい部屋。
岩壁にかかっているタペストリーが、その部屋の主が誰であるかを如実に語っていました。
真っ青な草地を駆ける蒼い鹿が――。




