望郷の歌 4話 身支度
「ちょっと待て! なにす……うああああ!?」
群がるかわいい女の子たち。身包み剥がされる僕。
あられもない格好にされるなんて。ま、まさかこれはいわゆる……
て、貞操の危機?!
まずい、オリハルコンの布をかぶってなきゃいけないのに!
「返してください!」
手を伸ばして布をひったくろうとしたとたん。
「おとなしくしてね♪」「動いちゃだめよ」
ビーッと不気味な音をたてて、女の子たちはそれぞれの手にもつ小さな箱から、ロープみたいなものを引き出しました。
これ……は? ま、まさか縛られる?! なにそれいったいどんな――
「た! 助けて! いやだハヤトぉおおっ!」
頭を抱える僕の首や胴に、そのロープみたいなものが何本も巻きついてきました。
「やっぱりほそーい!」「ウエスト58センチぃ? ひええ」
え?
「これ7号入るんじゃない?」「袖丈は、手の甲が半分隠れるぐらいでいいわよね」
よくよく見れば、ロープのようなものには目盛りが。これは……巻き尺?
あれよあれよという間に寸法をとられる間に、オリハルコンの布は、たらいでじゃばじゃば洗われて。
燃える石炭を入れたアイロンでじゅううと乾かされて。
型を当てられ、じょきじょき鋏で切られて……!
蒼ざめる僕の目の前で、女の子たちは変な形に切った布を縫い合わせ始めました。
「この布みたことない素材だけど、ずいぶん丈夫ね」「うん、鋏の刃が傷んじゃった」
「針通る?」「なんとか」
まさか、服を作ってくれてる!?
――「布被り男のままじゃ、またいかがわしい奴だと誰かに誤解されるよ」
ふう、とキセルから煙を吐いて女座長が言いました。
「服を買ってやりたかったけど、うちの経営ってラクじゃないからね。あんたのものを加工してやるってことで」
女座長は僕が着ていたものをつまみあげました。
「ずいぶん器用に草を編んでるけど、丈が短いね。この灰色のスカート?も、生地はいいけどただ巻きつけてるだけだし。ほんと、どこの原始人? だわ」
恥ずかしさに顔を赤らめつつ、僕は灰色の衣を腰に巻きつけました。
今は大丈夫みたいですが、かつてこれを着ていた人――灰色の導師がいつ僕に呼びかけてくるか。
それを受信してしまったら、僕らの居所がばれてしまうのでは……。
「う……」
しかもこんなややこしい時にフィリアが目を覚まして。ほとんど裸の僕をすぐ間近に見て――
「きゃああああああ! 近づかないでえ!」――「おぶ!」
見事に僕のほっぺたを張り、蹴り飛ばしてきました。
取り乱す彼女をどうどうと押さえ、一所懸命事情を説明しているうちに。
オリハルコンの布は、大勢の女の子たちの手でみるみる形を成していきました。
仕立ての速さは、驚異的。上着やズボンになっていくそばから、僕があわてて着こんでいくと。
「すごい……! 寸法ぴったりね」
ゆでだこのようなフィリアの顔から、たちまち怒りの熱が引きました。
聞けば薔薇乙女一座の子たちは、普段から舞台衣装を手作りしているのだとか。
「手や頭も隠したほうがいいわ」
フィリアの要請にこたえて、女の子たちは手袋と、上着につけるフードも作ってくれました。
「その布、意外にいい色じゃない」
くすんだ布は長年の汚れを洗われて、いまやもとの色合いを取り戻していました。
鮮やかな、青空の色に。
翌朝――。
「マジ、信じらんない」
薔薇乙女一座の劇場では、テーブルと椅子を一所懸命雑巾で拭く僕の姿があり。
女座長が呆れ顔でその仕事ぶりを眺めていました。
「服の仕立て代を寄こせ」という座長に、僕が「お金を持っていない」と答えたからです。
ないなら働いて返せ。しっかり支払ってから出て行け、というわけです。
「あんたまで一文無しとか、ありえないわ。あんたたち、路銀もなしでよく今までやってこれたね」
じつのところ。フィリアが全くお金を持っていない、ということも、さらわれた娘だと確信された理由のひとつだったようで……。
そのフィリアは今、厨房で皿洗いをしてくれています。ありがたいことに、僕が支払うべき代金を、一緒に稼いでくれるというのでした。
カウンター越しに見える彼女は、まかないのおばさんと楽しげに会話を交わしています。
あ……おばさんが涙を拭って、フィリアの頭を撫でてる?
「ああ、娘さんのことを思い出してんじゃない?」
止まっている僕の手を「さぼるな」とキセルで叩きながら、女座長はぽそりといいました。
「娘さん?」
「食堂のおばさんは、さらわれた娘さんを探しに辺境の村からはるばるこの王都に来たんだよね。その子が売られた先は、あたしらの協力でわかったんだけど……もう死んじゃってた。おばさんは、同じような子を助けたいってここに残ってる」
「村に帰らずに? 素晴らしい方ですね」
「いや、おばさんの子は、メニスの血を引いてたんだよね。それで村人みんなが共謀して、娘を捕まえて売り渡したんだよ。そんなひどいとこには、もう帰れないでしょ」
娘の父親――おばさんの恋人は、しばらく村に滞在していた薬売りだったそうです。
本人は目に色膜を嵌めて髪を染め、メニスの混血であることを隠していました。
恋人のおばさんがみごもり、双子を生んだ時、赤子の容姿からその真実が発覚。
おばさんはそのとき初めて恋人の正体を知り、大恐慌。
薬売りは村中に知れ渡る前に、菫の瞳をした子だけ連れて村を出ていったそうです。
普通の目の色をした子の方は、おばさんの手元に残されたのですが。
「その子は成長が遅くてね。それに十五を過ぎたころに、瞳の色が突然、菫色に変わったんだって。あとから一族の血が出ることもあるんだね。それでかわいそうに、村人に目を付けられたんだよ」
――「フィリアっさーんっ♪ おはようございます!」
茶髪の楽師が、颯爽と劇場に現れました。白地に紅の刺繍の入ったきらびやかな上着に身を包み、手には大量の赤薔薇の花束と、大きな箱。
楽師は優雅な足取りで厨房へ直行。なんとフィリアの前で膝を折り、花束と箱を捧げて何やら言上しています。
歯の浮くような上品な言葉の羅列が耳に入ってきました。
なんだか、むかつくんですけど……。女座長もあからさまに鼻白んでいます。
舞台を掃除している女の子たちは、額を寄せてひそひそ。
――「迎えに来るのは、王家の紋章入りの馬車。四頭立てですよ。さあ、王宮へ参りましょう。何も心配は要りません。国王陛下が、あなたを庇護して下さいます」
王宮から、お迎え?!
チッと女座長が舌打ちしました。どうやら楽師は、フィリアを勝手に王宮へ連れて行こうとしているようです。
「あの落ちぶれ宮廷楽師! フィリアを献上して、宮廷への出入り禁止を解いてもらおうって魂胆か。まったく!」
楽師の思惑がどうあれ、トルの所まで連れて行ってくれるのは、願ったり叶ったりです。とはいえ明らかにうさんくさそうな雰囲気の人なので、僕が国王と友人同士だというのは、伏せておいたほうがよさそう。幸いまだ誰にも、打ち明けてないし。
でもこんな露骨な誘われ方じゃ、フィリアは……断ってしまうかも?
心配した僕の目に。
「あっ……」
ボッと耳まで顔を赤らめる彼女が映りました。
楽師が、艶やかな仕種で彼女の手の甲に口づけしたのです。
まるでおとぎ話の絵本の中の、お姫様を迎える貴公子のように。
そして彼女は――うなずきました。白い歯を輝かせる二枚目貴族に。
「ありがとうございます。どうか私を、王宮へ連れて行ってください」
その馬車は地上の、大樹の枝がしだれる路地で僕らを待っていました。
ダゴ馬という、牛のような野太い生き物を四頭繋いだ黒塗りの馬車。
車体には、王家のものらしき赤い飛竜の紋章。
楽師が「通勤路」と呼ぶ、劇場裏の細い螺旋階段を何百段と昇ってきたので、楽師とフィリアはふうふう肩で息をしていました。
魔人の僕は全く平気でしたが、木漏れ日が降り注ぐ路地はとても眩しく、目を慣らすのにしばしかかりました。
フィリアはびっしり刺繍が施された薔薇色の絹地の上着とスカート、そして薄絹のヴェールにフェルトの靴、という実に美しいいでたちで馬車に乗り込みました。
見るからに高価な衣装一式は、楽師が贈ったもの。大きな箱の中身です。
楽師曰く、国王陛下に拝謁するための最低限の身だしなみ、だそうです。
そして僕の服装については、「従者の格好としては十分ですよ」、だそうです。
しかし文句は言えません。なぜなら楽師は気前良く、僕の『仕立て代』として、黄金のキセルを女座長に贈ったからです。
それどころか楽師は、女の子たちのために彩りすばらしい絹地を何十反も、それから桜色のお菓子まで大量にばらまいていました。
女座長も女の子たちもおかげでニコニコ。
今度みんなを王宮へ招待する、と請け負う楽師と僕らは、彼女たちに笑顔で見送られてきたのでした。
フィリアは優男にほだされてしまったのか……
僕は一瞬、複雑な思いにかられたのですが。
彼女の決断の理由をこっそり聞くと――
『お母様から常々言われていたの。もし外に出て困ったことに陥ったら、その国の王様を頼りなさいって。私たちは、保護対象の種族なのだからって』
王家は、メニスを保護すべし。
大陸共通法で定められている法を、灰色の導師からちゃんと教え込まれていたようです。
それに。
『だから王宮へ行って、私の『鳥』をなんとか回収して修理したいって陳情してみるわ。あの鉄兜の娘が、私のものを全部売りさばく前にね。それからこの楽師さんは王様からご褒美がほしいみたいだけど、私たちの利害が一致してるなら、それでもいいじゃない』
楽師にのぼせたわけでもなさそうです。うん、なんだか……女の子ってとってもしたたかです。
トルの力添えを得て鉄の鳥の修理ができれば、それに越したことはありません。
国王たる彼の元にいればフィリアは法に守られて安全だし、我が師も僕らのことを見つけやすいかも。
そんな思いで、僕は迎えの馬車に揺られていました。
でも目の前の光景には、なんだかちょっとモヤモヤ。
向かいに座る二人は、美しい王侯貴族カップルといった風情。フィリアにはその気はぜんぜんなくとも、魅惑の甘露の香りは狭い車内に充満するわけで。
たぶん僕がいなかったら、茶髪の楽師はフィリアを口説き倒したに違いなく。
彼の恨めしそうな視線はまごうことなく、『おまえは邪魔だ』と僕を責めていました。
そんな視線をため息で受け流し、片肘をついて車窓から外を眺めれば。
僕が以前、映し見の鏡で視た光景が見えてきました。
大通りに面して並ぶ、明るい色合いの市場。
地下の怪しい雰囲気とは違って光にあふれ、整然と並ぶお店はひとつひとつがとても広く清潔です。
「ここらあたりは、内乱でみんな焼け野原になってねえ。再建されてまだ数ヶ月といったところだ」
茶髪の楽師がとても幅広い通りを指差して、フィリアに説明しています。
「この前、病院が新しく建ったんだよ。ほらそこに。今の陛下が国民のためにぜひ作りたいと思し召しになったようだねえ。いやあ、陛下は本当に素晴らしい方だ。ははは」
宮廷を出入り禁止になったということは。この楽師は先の内乱では、トルの家に背く側についていたのでしょう。
しかし場末の劇場の演奏者をするって……考えてみれば、かなりの凋落ぶり。
よくフィリアの服を準備できたものだと思った矢先。
馬車が、やにわに方向転換。正面に見えてきた王宮から背を向け、ガラゴロすごい音をあげてみるまに逆走し始めました。
「え? どうしたんだ? 一体?」
きょとんとする楽師を尻目に、馬車は王都のはずれの路地に入って急停止。
そこには、黒い覆面をした男が十数人。
見るからに馬車が来るのを待ち構えていた、という雰囲気です。
「おい! こ、この馬車は王宮のものだぞ! 無礼を働くと――」
茶髪の楽師が車窓から身を乗り出して叫ぶと。
「三ヶ月前はそうだったな。でも今、王は違うご紋を使ってる」
「そうそう。巨人印をな」
「かわいそうに、毎晩でかい女にのっかられてぺしゃんこだ」
覆面の集団から湧き上がる下品な笑い。そして――「俺らのご主人様が、お買い物の代金を支払えといってるぞ、イブン・パヌ・マーン」
そう言われるなり、楽師の顔からざっと血の気が引きました。
「だ、だからそれは、陛下から褒美を貰ったらって言ったじゃないか!」
「衣装の値段は、一億ディールだ」
にべもない覆面男の要求に、楽師がそんな額は支払えないと目を白黒させると。
「メニスをよこせ。それで足りる」
予想通りの答えが返ってきました。
「……フィリアの服は、ツケで買ったんですね。一座への贈り物もみんな」
僕はためいきをついて楽師を睨みました。
「で、支払いは『メニスの子を助けた褒美で支払う』、とバカ正直に事情説明したわけですね?」
「あ。あー。そう、かもぉ」
「本物の王家の馬車って、ほんとにあの路地に来る予定だったんですか?」
「あー。えっと。王宮への取次ぎの手紙も、その服を買った商人に、お願いした、かもぉ。だって、王宮御用達の商人のひとり、だから……」
目をふらーっと泳がせる楽師。
だめだこいつ。世間知らずの僕よりバカだ――!
むろん、遠慮する必要は、なし!
『討ち放て、光の矢!』――「うわ?!」
僕が車窓から銀の右手を突き出すや。馬車の扉を開けようとした覆面男が腹を抱えてすっころげました。
『光の矢』は手のひらで練った体熱を凝縮させ、韻律の音波に乗せて放つ技。
熱伝導がいい金属の右手のせいで、放った熱玉は思ったより熱くなったみたいです。
腹を抱えて地べたを転がりまわるそいつから、覆面男たちが一斉に身を引いて遠巻きにしました。
しかし一味の中から、右手を地面に押し付けて叫ぶ奴が約一名。
「韻律を使うやつがいる! 私に任せろ!」
うう。残念ながら韻律使いのようです。かなり低音域の歌声と共に、そいつの魔法の気配が下りてきました。
僕も負けじと我が身とフィリアに結界をかけ、茶髪の楽師の尻を蹴って馬車から追い出しました。
「待ってくれええ! うあああ?!」
楽師が落ちたのとは反対の扉から、僕はフィリアを連れて外に飛び出しました。
地に足を踏んだところから、ぱきりと音を立てて僕らの結界が割れました。
音波震動で地を裂く地走りです。僕はフィリアを抱いて飛び上がり――
『風巻き起こせ、はばたきの翼!』
宙に浮く韻律で浮かした身を御者台に着地させ。御者を蹴落としながら、ダゴ馬の一頭の背に飛び移って……
「フィリアつかまって!」
急いで馬を馬車から外しました。
柔らかな歌声と共に、ふわっとした魔法の気配が僕らを包みました。
フィリアが結界を張り直して援護してくれたのです。
僕はダゴ馬の胴を思い切り蹴りました。馬は重い足音を立てて、猛然と走り出しました。
迫り来る、おそろしい地走りから逃げながら。




