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輪廻の歌 9話 楽園

「ペペ。調子はどう? 暑くない?」

 

 柔らかなフィリアの声で僕は目覚めました。

 うっすら眼を開ければ、そこはさんさんと眩しい陽射しが注ぎ込む温室。

 柑橘系の橙色の実や葡萄らしきものがたわわに実った果樹が、ずらり。

 目の前の透けているギヤマンの大きな壁の向こうには、とうとうと流れる小さな滝と、可愛らしい鏡のような泉が見えます。


「あつく、ありま、せん」


 まだ言葉がうまく喋れません。柔らかな寝椅子に寝せられているようです。

 姿が見えませんが、すぐそばにフィリアがいる気配がします。

 甘い、甘い、甘露の香り。

 手を伸ばして触れたくなるような、魅惑の香り。


「あ……手……」


 思わず伸ばした手の先を見て、僕の心は暗く沈みました。

 右腕の先は失われたままで、まっ白な包帯が丁寧に巻かれています。


「ここにいれば大丈夫よ。ここは、癒しの空気に満ちているの。すぐに体が治るはずよ」


 フィリアはギヤマンの窓を少し開けて外へ出ていきました。

 目の前に見える澄んだ泉にしゃがんで、両手で水をすくって飲んで。

 こちらを振り向いて。笑顔で手を振っています。

 風がこおっと吹き抜けて鳶色の髪がなびき、少女のスカートが……


「ちっ、みえねー」


 黒衣の導師――我が師が隣の寝椅子にだれた格好で寝そべっています。

 鼻くそをぴんと飛ばした顔は超不機嫌です。


「サービスわりいぞ……いてえっ! なにすんだよエリク、頭ぶつなよ!」


 兄弟子さまが我が師の向こうにぬっと現れました。


「エリクじゃねえから。アステリオン様だから。いつの間にくつろいでるんだおまえ? 病人じゃねえ奴はここからさっさと出ろ。ぺぺ、おまえはまだここで眠っとけよ」


 兄弟子さまは我が師をずるずる引っ張って、外へ出て行かれました。

 この温室はとても暖かく、空気が濃くてしっとりしています。呼吸をするのがとても楽です。

 温室から見える空には一片の雲もありません。雲の海は、ずっとずっと下にあるのです。

 そう。ここは、天上に浮かんでいる島。

 天の楽園。オプトヘイデン――。





 雲海を飛んで僕らがここへ至ったのは、つい昨日のことでした。

 滑るように雲の海の上を飛ぶ大きな鉄の鳥。

 その後ろについてくる瑠璃色の大鳥。

 一機と一羽はひたすら星降る空を飛び続け、追いかけてくる飛空船からどんどん逃げました。 

 フィリアの鳥の速かったこと。グライアになった兄弟子さまは、ついてくるのがやっとでした。

 怒れる灰色の導師の船は、みるみるうちに小さな豆粒。飛空船から鉄の鳥たちの群れが弾丸のように飛び出してきて、フィリアの行く手を阻もうとしましたが。

 少女が韻律で何か命じると、彼女と仲良しの鳥たちはパッと飛び散って、今度は飛空船の前に立ちはだかりました。

 まるで目隠しのようになった鳥の群れを飛空船が割る隙に、逃げる僕らはいったん雲の中にもぐりこみました。

 フィリアは手足を満足に動かせない僕がずれ落ちてしまわないように、ずっと抱きかかえていてくれました。どこへ向かうのかとおぼつかない口で聞くと、彼女は何かを探すように雲の上を睨みました。


「いっぱいあるの。島なのよ。今も天に浮かんでいるの」


 しばらく雲の中を進んだ僕らが、フッと雲海の上に出てみると。

 削り取られた大地のような形をした島がいくつか、雲の上に浮いている光景が目前にありました。

 ゆっくりゆっくりその島々は動いていて、どの島にも緑の木々がうっそうと生えていました。

 天空の島。

 寺院の古い記録に載っていた覚えがありますが、本当にあったのだと僕は目を見張りました。


「何千年も昔、統一王国の時代に移動要塞として作られたのよ。今はもうみんな朽ち果ててるけれど……霊水が湧き出ている島があるはず。そこにいけば、体の治りが早くなるわ」

「それなら二十番ぐらいまでの島がいい」

 

 まばらに浮かぶ島々の合間をぬい飛ぶ鉄の鳥の隣に、大鳥グライアが横につけてきました。


「島は五十個ぐらい浮いてると思うが、水源に霊水を使ってるのは初期のものだけだ。あと、まだ韻律遮断の結界装置がこわれてないところがいいな」

「あら、詳しいのね」

「あー。えっと。寺院のふっるい記録にそう書いてあったんだよ。うん。ほら、俺様って勉強熱心だから」

 

 兄弟子さまは、フィリアには自分の前世のことを隠していたいようでした。

 たしかにひげぼうぼうのおじさんが実は自分の母親だと打ち明けられたら、かなりショックでしょう。

 島の番号なるものは兄弟子さまが判別してくれました。

 どの島にも灯台のような細長い尖塔がひとつ建っていて、そこから絶えず光の点滅が出ていました。

その点滅は光信号と呼ばれるもので、たえず島の数字――すなわち住所を発信していました。


「その島は八番島だな。航空機の発着場が果樹園の裏手にあるぜ。鉄の竜用だが、フィリアちゃんの鳥も十分置けるぜ」

 

 こうして僕らはグライアの先導で第八番の島、オプトヘイデンに降り立ったのでした。

 降り立つなり、僕はすぐに温室に入れられました。

 特殊な配合がなされた癒しの水――霊水と呼ばれる錬金の水が循環し、その気体が流れる部屋に。


『はいつくばっていろ』


 しかし灰色の導師にそう命じられた僕の体は、傷こそみるみる治ってきたものの、こちこちに固まったままでした。

 僕の右手が放った虹色の光の鎖にがんじがらめにされた我が師は、兄弟子とフィリアが二人がかりの韻律で鎖を砕いて、なんとか自由にしたのですが……。

 う? なんか目の前に我が師の顔?

 べったり窓にはりついて顔を押しつけてコッチを見てる?


「弟子、まだ動けないのー?」

「こらハヤト! そっとしておけって」

 

 温室の窓を開けて我が師が入ってこようとするのを、兄弟子さまがぐいと引っ張って阻止しました。


「ハヤトって呼ぶな! この黒い衣が見えねえのかよ。アスパシオン様って呼べよ! エリク!」

「弟弟子のくせになんだその口のきき方は。おまえこそアステリオン様と呼べ! ハヤト!」

「むがー! 放せええ」


 本当に心配性ですね。大丈夫ですよ、お師匠さま。

 たぶん動けるようになります。たぶん……





『ウサギ。私のウサギ。私のしもべ。どこにいる?』


 あ……ここです……


『どこにいる? 私の声が聞こえないのか?』


 ここです……よ?





 うとうとしていると空が紅く染まり、無数の星が浮かんできました。

 星の瞬きがなんだか変な感じに見えます。うっすら幕がかかっているようにぼやけています。

 あ、もしかして。結界が張られている?


「そうよ。今、この島は結界装置のおかげで外から見えないようになってるわ」

 

 フィリアの声がしました。ふわっと芳香が漂ってきます。


「すごい機能ね。何千年も前のものなのに、ちゃんと作動したわ。だから絶対、見つからない……」


 目の前に広がる星空を、黒い影がすうっと横切っていきました。

 大きな鳥の形をしたもの……灰色の導師の船?

 僕たちを必死に探しているのでしょう。船は何度も、僕らのいる島の上を横切りました。けれども船は、決して降りてきませんでした。

 決して。 





『ウサギ。私のウサギ。おまえが見えぬ』


 僕、ここです。


『どこにいる? 私の声が聞こえないのか?』


 ここです……よ……





――「ぺぺ、大丈夫?」


 フィリアの声で僕はハッと目が覚めました。

 うとうとして眠っているうちに、朝日が昇って空はほんのり桃色です。


「さすがに何か食べないと」

「はい」


 芳しい芳香と一緒に漂ってくる爽やかな果物の匂い。

 リンゴや葡萄や桃。果物がたくさん盛られた籠がちらりと視界の端に見えました。


「ここの温室、ほんとにいろんな種類の果物が成ってるわね。世話する人は誰もいないのに、勝手にたくさん実ってるの」

「フィリアちゃん、俺が弟子にごはんやるよ」

 

 ギヤマンの窓を開けて、我が師が割り込んできました。


「大丈夫よ、ハヤトさん」

「いや俺、アスパシオン様。そう呼んでくれるかなー?」

「でも兄弟子さんが、ハヤトでいいって」

「ちっ。あのやろうううう」

――「まーたここに来てやがる。映し見の鏡で周囲を見張れって言っただろうが」


 兄弟子さまが我が師を回収しにきました。我が師は首根っこをつかまれて、再びあえなくずるずると温室から引きずり出されていきました。


「うああああ、俺の弟子いいいい」 

「本当に二人は仲がいいわね」


 くすくす笑いながらフィリアが僕の口に葡萄をひと粒入れてくれました。

 昨晩三人は温室の隣にある神殿で眠ったのですが、兄弟子さまと我が師は一晩中ケンカ――というか、かけあい漫才をしていたそうです。


「私、腹を抱えて笑っちゃったわ。あの二人、ゲキリン・ポーズ合戦とかいうのしてたのよ。どっちがより似てるかって」

 

 ああ、芸人リューノ・ゲキリンのモノマネですね。なんてしょうもないことを。まったくあの二人は……。


「ぺぺ、もっと食べる?」


 はい、いただきます。なんだかお腹がとてもすいてきました。

 体はとてもいい感じです。すぐにでも起き上がれそうな……。

 ……。

 ……。

 うう。ぴくりとも……。


「あせらないで。お母様の命令を遮断する方法が、きっとあるはずよ」

 フィリアは優しく励ましてくれたのですが、僕の体はずっと「はいつくばった」ままでした。

 メニスの純血種の魔人になるということは、なんと恐ろしいことなのでしょう。

 少しでもまどろむと、灰色の導師が僕を探す声が聞こえます。

 どこにいるのかとしきりに聞いてくるのです。

 強力な島の結界はかの人の命令を防ぐことはできないものの、しかし僕が送る返事は完璧に遮断してくれているようでした。

 つまり僕は、ここの結界を破るほどの力を持っていないということ。未熟者であることが、今は幸いしているようです。

 灰色の導師の飛空船は一日に何度か、僕が眺める空を横切っていきました。

 僕らが天に浮かぶ島々のどこかにいる、ということは突き止めているのでしょう。

 周りにはいくつも島があります。つぶさに探し回っているのです。

 いつまで見えない結界でごまかし通せるか――。

 動けぬ僕が温室で不安を募らせている間に、フィリアと二人の黒の導師は島をくまなく探検して、実にいろんなものを発見しました。

 下界が見える泉。神殿の地下に作られた大きな格納庫や書庫。小山の中に隠された砲台。

 フィリアは足繁く僕のもとへ通ってきて、見つけたものを詳しく教えてくれました。

 しかし、工房を見つけた、と教えてくれた夜から彼女はぱったり姿を見せなくなりました。

 すると待ってましたとばかりに我が師が、僕の世話をしにやってきました。


「フィリアちゃん、工房を見たら目を輝かせてさ。ずーっと入り浸ってるわ。弟子、かわいそうにおまえフラれちゃったなぁ」


 我が師はとても嬉しそうな顔でそう言って、一日中暖かい寝椅子でごろごろしていました。

 しかもことあるごとにグチグチぐちり始めるのでした。


「弟子は俺が選び取ったのに。なんでこんなことになるわけよ? 導師の弟子は、師の所有物なんだぞ? 所有者の俺の承諾を得ないとだめだよなぁ? てことで俺は絶対、あの純血のバケモンが弟子の所有者だってのは絶対認めないからな」


 我が師の顔はなんだか腫れぼったく、ひどく泣いたあとのような顔でした。

 たしかにショックだったでしょう。所有権が移ったどころか、僕は我が師に右手を吹き飛ばされ、「はいつくばった」まま、少しも動けないのですから……。

 




 三日ほど経つと、どす黒かった僕の肌の色はだいぶ元の色に近づいてきて、ぐじゅぐじゅという嫌な音をたてることがなくなりました。 

 僕は我が師に背負われて、ようやく温室の外に出ることができました。

 滝が落ちる泉の向こうは広い庭になっていて、その真ん中にはぽつんと円堂がひとつ。

 そこは大変見晴らしのよいところで、うっすら輝く結界を通して、一面に広がる雲海が見えました。

 周りには同じような浮き島がたくさん。

 その壮観な眺めに、僕はただただ、ため息をつくばかりでした。


「素晴らしい楽園ですね」

「楽園? いやいや。この島、かなり物騒よ?」


 鼻をほじりながら、我が師が言いました。


「地下に大地を穿つ光の柱とか、神獣を入れとく格納庫とか、毒の雨の弾とか、

いまだにあったわ」

「そ、そんなものが? こんなに美しい島なのに」

「空飛ぶ乗り物がほとんど無くなった時代になってよかったよな。誰も来れないから、誰にも使われないで済んでる」

 

 ふいに、雲の中から銀色に光るものがぷわぷわと見え隠れしました。

 光るヒレのようなものを見せては雲に潜り。またヒレを見せては雲に潜っていきます。

 おびただしい数で、まるで魚の群れのように見えます。


「お、風イルカだな」 

「生き物ですか?」

「いや、空飛ぶ鉄のイルカだ。かつては島を守る警備隊みたいな役目を負ってたようだけど。今は島の回りを自由に泳いでるみたいだぜ」

 

 雲の海を泳ぐ人工の魚の群れ。その見事な群泳に、僕は眼を奪われました。

 魚はまばらにうかぶ天の島の周りをぐるぐる巡り、縫うように飛んで、こちらに向かってきました。


「すごいよなぁ。ほんと生きてるみたいだよ」


 フィリアが愛でる鳥たちのように、イルカたちもまるで本物のように精巧にできています。

 イルカたちは僕らの目の前まで迫りくると一斉に飛び上がり、方向転換してぐるりと島を回って遠のいていきました。


「今は自由で幸せそうですね」

「そうだなぁ。うん、人に使われなきゃ、無害だなぁ」 

――「ぺぺ!」


 そのときフィリアが僕らのところに駆けて来て、目を輝かせながら僕の右腕をつかみました。

 顔も手も、そして白い服もすすだらけ。金属を焼いたような匂いが甘露の芳香に混じっています。

 彼女はしゅるしゅると僕の右腕に巻かれた包帯を外しました。


「できたわよ。ほら、はめてみて」

「はめる?」

「工房で作ってみたの。どう?」 

 

 次の瞬間。彼女が抱えてきた銀色のものが、すうっと僕の右腕に吸い付いてきました。

 精巧な、金属の右手が。

 それは日の光にキラキラと輝いて。そして。 


「動いた……!」


 僕はグッと拳をにぎりました。

 その手は、とても自然に動きました。

 僕の望んだ、その通りに。





 こうして僕は、銀色に輝く右手を得たのでした。

 恐ろしい主人の命令に支配されない、

 自分自身の手を。






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