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アスパシオンの弟子(コンリ版)  作者: 深海
くろがねの歌
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くろがねの歌 13話 禁断の果実

 少女の頬をまっ白い涙が伝い落ちていきます。

 鼻を突く甘い香り。花のような。いや、果物のような。

 まるで秋にたわわに実るリンゴ? それともブドウ? 

 なんともかぐわしい香り……。


「ペペ! さわるな!」

 

 兄弟子さまに叫ばれて、僕はハッと我にかえりました。

 いつのまにか頭がぼうっとしていました。

 しかも片手を伸ばして、自分でも気づかぬうちに少女の頬に触れていました。

 甘酸っぱい匂いが鼻をくすぐります。

 なんておいしそうな匂い……。


「だめだ! はなれろ!」


 兄弟子さまは僕の首根っこを掴んでぐいと引き寄せ、僕の手首を握ってぶるぶると振り、親指についた白いしずくを落としました。


「絶対口に入れるな。こいつは甘露だぞ」

「え? これが?」


 地に落ちたしずくから香りがはじけ飛びました。

 ほんの一滴なのに、なんだか目眩を起こしそうなぐらい、甘い香りがねっとりまとわりついてきます。

 なんておいしそうな香り。

 一瞬、果物がたっぷり実った果樹園の中にいるような錯覚を覚えました。

 果実をもいで無性にかじりつきたい。そんな衝動がむくむくと心に湧いてきます。

 兄弟子さまは僕をさらに引っ張って、芳香を放つ少女からかなり距離を取りました。


「あー悪かった! 無理言ってすまん。だがお嬢ちゃん、俺らを魅惑すんのは勘弁してくれ。な?」

「だれがあんたたちみたいなのを誘惑するっていうの?!」


 まっ白な涙を拭い、少女は憤然としました。


「これ以上あんたたちとつきあうなんて願い下げよ! ともかくもう、母様の鳥を惑わせないで」


 メニスの少女は踵を返し、大きな鉄の鳥にまたがって、あっという間に飛び立ちました。

 

 ぶおん

 

 大きな風が地表に吹き降りてきます。

 鉄の鳥は鳥たちのいる木々の周囲をゆっくり何度も旋回し、歌詞のない歌を歌いだしました。

 とても不可思議なメロディーです。どことなく懐かしいような、鈴の鳴るような、何かに呼びかけているような……。

 すると鳥たちは徐々に葉の落ちた枝から飛び立ち、大きな鉄の鳥のあとについて飛び始めました。

 鳥たちは明らかに少女の歌に反応していて、みるまにきれいな群隊を作っていきます。

 僕はもどかしさに歯を食いしばりました。

 見事に作り物の鳥たちを操る少女。彼女が協力してくれたら、どんなに心強いことか。


「兄弟子さま、あの鳥たちはあの子の母親のものなんですよね?」

「そうだと言ってたな」

「つまり、母親が口添えすれば、あの子は味方になってくれるってことですよね?」 

「まあ、そうかもな」

「行きましょう。母親のもとに。あの子じゃなくて、母親にかけあいましょう」

「いやあ、それはまじでめんどいぞ。五百歳超えてるメニスにして、あんなものを作っちまう導師を説得するだぁ? なにそれまじで死ねるって。ムリムリぜったいムリ。俺が竜王メルドルークでもムリ」

「でも兄弟子さま、やってみなきゃわからないです」

「なあぺぺちゃん」


 兄弟子さまはすっと真顔になり、頭上を飛ぶ鉄の鳥の群れをふり仰ぎました。


「あのお嬢ちゃんの言う通りだ。あの鳥たちは兵器じゃない。だからこそ、自由にこの空を飛べるんだ」

「兵器ではない……からこそ?」

「北州へ連れて行けば、あいつらは確実に人間たちに認知される。そんな状況で一回でも兵器として使われちまったら、あいつらはただの鳥に戻ることはできなくなる。大陸憲章の定めるところによって、古代兵器とみなされて、寺院に封印されるか、破壊しなければならなくなるんだ」

「で、でもその使用目的が古代兵器の破壊であれば、特例として見逃してもらえるんじゃないんですか?」

「あー、俺が記憶してる記録や史実のかぎりじゃ、いまだかつてそんな事例はないな」

 

 食い下がる僕をどうどうとなだめ、兄弟子さまは鼻をほじってピンと鼻くそを飛ばしました。


「それにさペペちゃん、あのお嬢ちゃんは大事なあいつらをただの一羽も失いた

くないし、あいつらに他人を傷つけるような真似をさせたくないんだろうよ。だからな、うん、あきらめろ」

「でもっ! 僕らには我が師を助けると同時に、北五州での争いを止めるという正当な理由が――」

「なんだそりゃ。俺たち何様だってのよ」

 

 兄弟子さまはくつくつと自嘲気味に笑いました。


「おまえ、それじゃバルバトスやメルちゃんたちと変わらないぞ? 大義名分のために平気で兵器を使うって、結局あいつらと同じことをするってことだ。おまえそんな調子でいったら、いずれ必ず、街を焼いても仕方ない、人を殺してもかまわないってなるぞ。あいつらみたいにな」 

「う……!」


 僕は言葉に詰まりました。

 憎いやつらと同類だといわれて、心がざわっとしました。

 違う、僕はそんなんじゃないと心中で必死に否定しながらも。僕は自分がしようとしていたことが急に恥ずかしくなりました。

 うなだれた僕の頭を、兄弟子さまはぐりぐりと撫でました。


「だからな、すっぱりあきらめろ。メニスをカノジョにしようなんて狂気の沙汰だ」

「え……なんでいきなりそんな話に? いつ僕が彼女にほれたっていうんですか」

「さっきあの子の涙に引き寄せられてただろうが。おまえ、おもいっきし鼻の下伸びてたぜ」


 突っ込まれてぐうの音も出ない僕の肩を、兄弟子さまはぽんぽんとわざとらしく叩きました。

 まるで慰めるように。 


「なあおまえ、あの子のめくれそうでめくれないスカートの下、期待しただろ? え? ちょっと期待しただろ?」

「だ、だれがっ!」

「でもほんと、悪いことはいわねえから、やめとけ。な? あれメニスだから。あの子、涙が白いからもう羽化して成体になってるぞ。つまり最低でも三十は越えてる。な? めっさ年上だぞ? やめとけ」

 

 いつ僕が彼女を好きになったっていうんですか。勘弁して下さい。

 この人、僕に言うことで自分にも言い聞かせてるとかですか?

 あ……もしかして、説教されて落ち込んだ僕を元気にするため? 

 このニヤニヤ顔って、まさかそういうこと……なのでしょうか?


「ぼ、僕は女の子のスカートの下には興味ありません」

「いやいや、女の子には興味もっていいのよ? 問題は相手が女の子じゃなくてメニスだってとこが――」

「いえ、僕は導師の弟子です。禁欲第一、清貧に生きてかないと」

「変なとこで真面目くさるなぁ。まあいいや、じゃ、潔くバイバイって手を振ってやれ。なあに大丈夫だよ、助っ人なんていらないさ。ハヤトを拉致るだけなんだから。俺たちだけでなんとかなるって」

 

 僕は渋々、空を飛びゆく鳥たちに手を振りました。

 メニスの少女は僕らがあっさり引き下がったので一瞬面食らっていました。

 彼女は僕らのもとへぎりぎり下降してくると、思いっきり舌を出してみせ、それから北の方へ鉄の鳥を回頭させて、ぎゅんと飛び去っていきました。

 鉄の鳥たちがそのあとに続いて去っていきます。

 空の彼方へ消え行く群れを見送ったあと。僕はあることに気づきました。


「あの子の名前、聞くの忘れました……」

「聞かなくていいさ」


 兄弟子さまは肩をすくめ、酒の袋を拾い上げてその蓋をかぽっと開けました。


「もう二度と、会うことはないだろうからな。いやあ、めでたしめでたしだ」





 鳥たちの姿が完全に見えなくなってから、兄弟子さまは再び大きな鳥に変身しました。

 しかし今度は、瑠璃色のグライアにはなりませんでした。

 大陸の西の方に生息する大きな鷲です。

 この人は、かつてどれだけの生き物になって生きてきたのでしょうか。

 再びウサギにされた僕は、大鷹の背に器用に負われた荷物のてっぺんに乗りました。

 グライアほどの速さは出ませんでしたが、大鷲はいくらもたたぬうちに北州へ入りました。

 塩の道をたどっていくうち、僕らはかなり大きな塩湖にたどりつきました。まるで鏡のように透き通り、一瞬氷かと見間違えるほどつるつるした湖面です。

 太陽と青空を奇麗に映しており、一瞬どちらが本物の空なのか分からぬほど。

 岸辺の近くに、三角錐のような形の塩の塊がいくつもそびえ立っています。人の手で寄せあげられたものです。

 僕らはその岸辺近くに、黒く焼け焦げた跡地を見つけました。

 それは、すっかり焼きつくされた村――。 

 焼いたのは……おそらく、バーリアルと鉄の兵士でしょう。

 普通の火災によるものではなく、熱線を放射されたものだということが如実にわかるような焼かれ方でした。焼け残った家々の屋根や壁がところどころ、どろっと溶け落ちているのです。


「うわあ、やっちまってるなぁ」

「周囲の村も軒並みやられているようですね」


 塩湖の岸辺にはいくつも小さな村がありました。そのどこも、ほとんど焼かれて廃墟と化していました。

 すでに炎は鎮火していて、煙が立ちのぼっている処はありません。ひんやりとした風にのってくる焦げ臭い匂いには湿気が混じっています。焼かれて一週間は経っているようです。

 生き残った人々は南下して大きな街に避難したり、近くの森に逃げ込んだのでしょうか。村には人の姿も、生き物の姿もほとんど見つけられませんでした。


「交戦の跡は無いようだな。金獅子家の軍はここには来てないか」

「国境近くですから、まだ鉄の兵士の動向が把握できてなかったんでしょうね」


 大鷲は塩湖から流れ出る川に沿って南へ飛びました。

 川には、塩や物資を運ぶために使う船が船頭のいないままいくつも流れていました。焼け焦げているものがちらほらあります。

 河岸に寄り添うようにつくられた村や小さな街がぽつぽつと見えてきましたが、どれも無傷ではありません。

 だいぶ南の丸焼けにされた街で、僕たちは始めて金獅子家の軍隊と思われる残骸を目にしました。

 それは無残に焼き溶かされた鉄の戦車のようで、土嚢を積み上げた防塁の前でどろどろに溶かされて動けなくなっていました。

 十台ほどでしょうか。他の戦車があわてて退却していったらしい跡が大地にしっかり残されています。


「くそ……バーリアルがだいぶ暴れてる……」

「バルバトスったら、容赦ねえなぁ。とにかく人が住んでるところは全部、襲わせるつもりなんだろうよ」

「被害が大きければ大きいほど、退治した時の功績が大きくなるってことですね」

「それで金獅子家に取り入ろうって腹だっけ? とんでもねえ自作自演だな」

 

 川は非常に長く、他のところから流れてくる川と合流してかなり広い河となり、ついには大きな湖に流れ込んでいます。

 大鷲はその大きな湖に向かって飛びました。

 はるか上空から見下ろせば、今向かっている湖の周囲にも、大小の湖がおびただしく点在しています。

 蒼く丸い水の輝きが僕の目を焼きました。


「北州は、湖ばかりですね」

「そりゃあ、かつて黒竜家が持ってた神獣が大暴れして、ここら一体水びたしにしちまったからな」


 黒竜家というのは、五つの大公家のひとつ。

 今は北五州の中央にある州を治めていますが、かつては北五州を一時期統一したこともあるほどの、古くて強大な家です。


「水びたしって、この地勢、人為的にできたものなんですか?」

「黒竜が金獅子と争って、十日十晩大嵐を起こし続けた結果がこれって話だ」

「気象兵器ですか……天候をあやつるなんて凄いですね」

「神獣ってのは地表を変えるだけじゃない。強い奴は星をかち割っちまうような力を持っていた。そんなおそろしいもんを、どこの国も最低一体は保有しててさ。戦争になるたんびに互いに戦わせてたのよ。おかげでかつて何度も、星そのものが危なくなるってことがあったんだ」

「だから神獣やら、あぶない兵器やらは、みんな封印しなきゃならないってことになったんですね?」

「兵器ってもんは、持ってりゃ絶対使いたくなる。見れば手に入れたくなる。だからひと目に触れないところに隠さないとってなって、うちの寺院ができたわけさ」

「まさに禁断の果実ですね……」

 

 湖上にはおびただしい数の船。乾いた大地よりも圧倒的に水が多いので、このあたりは船が足代わりです。

 湖の中央辺りから、もうもうと幾本もの煙の柱が巻き上がっています。

 そこはかなり大きな島に建てられた、中規模の街。塔や結構大きな建物がありますが、中央付近の石造りの城のような建物以外はほとんど木造のようで、全体が茶色っぽく見えます。


「お? 炎が見える」


 ビーッ、ビーッと、たえず熱線が吐き出される音がします……。

 

「バーリアルの兵士の音!」


 すさまじい煙。そこかしこからぼうぼうと燃え上がる赤い炎。


「早く止めなきゃ!」 


 僕は司令塔から身を乗り出し、赤い目を凝らしました。

 ああ、今まさに。鉄の兵士たちは街を襲い、焼き尽くしているところでした。

 鉄の兵士たちが頭部から恐ろしい熱線を出しながら、街の通りをガシャガシャ音を立てて歩いています。


「バルバトスたちはきっと近くに身を潜めてるだろう。バーリアルを操るには、できるだけ近い範囲にいないといけないからな。だからハヤトを拾い上げてバルバトスから遠く引き離せば、とりあえずは奴の支配から逃れられる。ペペ、街の上を飛んでやるから、ハヤトを探せ」

「はい!」


 我が師は? あの人はどこに? 

 僕は目を皿のようにして我が師の姿を探しました。

 兵士たちを操っている、黒き衣の導師を。

 街の人々が逃げ惑い、船に乗って湖へ逃げこんでいます。

 鉄の兵士たちは人々を追いながら、絶えず熱線を出しています。

 悲鳴と混乱に満ちた街は、煙と炎がもうもうと立ちこめ、上空からでは通りの様子がよく見えません。

 でも。


――「うははははは!」


 我が師が遺物の幻燈を点検していた時に耳にしたような、いかにも悪の帝王らしい勝ち誇った笑い声が、耳に飛び込んできました。


「兄弟子さま、我が師の声です! あっちです! 街の中央の方!」


――「焼けてしまえ! 滅んでしまえ! うはははは! 滅びだ! 破壊だー!」

「うっわ、なんかすんげえ楽しそう」

「不謹慎なこと言わないで下さい!」


 僕は大鷲の首にかじりつき、その首を声がした方向にぐいっと向けてやりました。  


「いてえって! わかったって! そいじゃ降りるぜ。落ちるなよ」


 大鷲は力強くはばたき、街の中央へ向かって下降しました。

 ぼうぼうと燃え盛る炎の中をつっきり。

 突風を起こしながら。


「お師匠様!」


 鷲が着地する前に、僕は司令塔から飛び降りて走り出しました。

 両腕を広げて狂ったように笑っている、黒い衣の人……

 我が師に向かって。





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