くろがねの歌 11話 鳥の王
俺は自分にびっくりした。アステリオン様、と呼んだつもりだったのに。
なぜエリクとハヤトなんて……。
「おまえ……」
「お、お願いだ! 俺たちを助けて!」
髭ぼうぼうのアステリオン様は、泣き出した俺をまじまじと見つめた。
「やっぱりおまえ、使い魔ウサギのペペだな? そうじゃないかと思ってた」
俺の頭に、大きな手が乗っかってくる。たのもしくて、暖かい手が。
「あいつに約束した通り、生まれ変わってきたんだな? よく今まで無事で……」
もう涙がとまらない。俺は小さな子供のように声をあげて泣いた。
泣きじゃくりながら、兄弟子様に洗いざらいすべてを話した。
向こう岸の街が焼かれ、僕が人質にされて我が師がはめられたこと。
それは蒼鹿家の後見人の陰謀だったこと。最長老様が襲われたこと……。
「お願いだよ兄弟子様! 俺たちに力を貸してくれ!」
「でもなあ。ハヤトは俺のことを誤解したままだし。それに超めんどく――」
「えええっ?」
「い、いや、いくら俺でも、長老と北五州の後見を全員向こうに回すのはちょっと――」
「……」
「う。まて。その顔やめろって! おまえ人間になっても、うるうる攻撃すんのかよ!」
俺は歯を食いしばって、両手を広げてバッと突き出した。
「お酒、十年分!」
「……!」
「クソオヤジの、お酒の割り当て十年分、あげるから! お酒、好きだよな?!」
「ちょ、おま……」
「二十年分でも、いい!」
「なんでおまえが勝手に取引してんだよ! あいつまだおまえに面倒みられてんのか?」
「思いっきりみてるよ!」
「ぺ、ペペ、落ちつけ! 目つきがヤバイぞ」
「胸の聖印で焼くぞ!? うんと言ってくれるまで離さないからな!」
「どわあ!」
俺は必死になって兄弟子様にしがみついた。禁欲の掟厳しい寺院では、胸につけられた聖印が効果を発揮する。誰かとべたべたしようものなら、聖印は熱を発して我が身と相手を焼くはず……なんだが。
「あれっ?」
胸の聖印が、少しも浮かび上がら、ない?
「およ? 発動しないのそれ?」
「お、おかしい……」
「全然、跡かたもないな。なくなってるんじゃね?」
「そ、そうみたい……だ」
「あー、最長老、襲われたって?」
「はい。鷹に変じた蒼鹿家の後見人に」
「ありゃあ、こりゃたぶん死んだな、最長老。印をつけた術者が死ねば、印は消えるんだよ」
「!!」
「こわいなぁ。ホントあそこは、嫌になるぐらいこわい……」
兄弟子様はうなだれて、それからくつくつ笑いだした。
俺は背筋がぞくりとした。
その笑いは……とても暗く、不気味このうえない。
まるで気が狂ったかのような、悪魔のごとき笑みだった。
「あの寺院で最長老が天寿を全うすることは、まずないのさ」
「なんだって?」
「しかしレクサリオンは、天罰をくらったな。あいつが率先して俺の師匠を殺ったんだ」
「えっ? 最長老様が?」
「序列二位の長老だったあいつが、俺の師匠の防御結界を砕いた。おかげでみんなの呪いがもろにふりかかったんだ」
そんな、まさか!
とても高潔そうなあの人が、そんな恐ろしいことをした?!
レクサリオン様は、前最長老カラウカス様のご遺言に従って、俺をあの方の生まれ変わりだと断定して、わざわざ寺院へ連れてきた方だぞ?!
「そんな遺言、俺の師匠は残さなかったぜ」
兄弟子様はケッと俺の訴えを一蹴した。
「レクサリオンはおのれの罪を隠すためにひと芝居打ったんだろうよ。遺言に従順なふりをすれば、誰が最長老を殺したと疑う? ハヤトをだますにゃ格好の手だ。おまえの魂は虹色だから、もしやと思われたのは事実だろう。もし本当に俺の師匠の生まれ変わりだったら、弟子にして洗脳して、従順なしもべにしただろうな。きっともとはただの使い魔だと知って、お目こぼしされたのさ」
「なるほど、言われてみれば……」
俺はいつもレクサリオン様から、我が師の面倒をみるよう言われていた。
これはすなわち、師を監視しろと命じられていたのも同然だったかもしれない。
「でもレクサリオンのやつ、ハヤトをいちおう導師にしてはくれたんだな。ハヤトの導師名は何ていうんだ?」
「アスパシオンです」
その名を聞くなり、兄弟子様は口の端を引き上げて、またくつくつ笑いだした。背筋がぞくりとするような、含みのある笑い方だった。
「『歓迎』って意味か。そりゃまた、嫌味な名前を付けられたもんだ」
おそらく。この人が処刑される時に、「弟弟子には手を出すな」と長老様たちに頼んだであろうことは、容易に想像がつく。
賢いこの人のこと、もしかすると「大人しく処分されてやるから、弟弟子の身分を保証しろ」と、長老様たちと取引をしたのかもしれない……。
そんなことをつらつら考えていると。
俺の思考はようやくのこと、
熱い熱がとれて冷静になって――
いつもの調子に、戻ってきました。
深いため息とともに、熱い熱の最後のかけらがポッと、僕の口から吐き出されました。
「それで今回の陰謀の黒幕はミストラス様ってわけかい? 蒼鹿家の後見っていえばそうだろ?」
「いえ、ヒアキントス様です。三年前にミストラス様が身罷られて、その後を継がれた方で、弟子時代の名前はたしか……メル?」
とたんに兄弟子さまは、うへえええと顔をひきつらせました。
「俺と同い年のあのメルちゃん? あの何考えてるかわかんねえやつ?」
ヒアキントス様は、たしか三十代前半のはず。兄弟子様は髭が生えているので年を取っているように見えますが、まだそんなに若かったとは。
「これからメルちゃんを相手にすんのかよ? 魔力自慢の? うへえ、やっぱめんどく――」
「いいえ、あの方の罪は、すぐには暴けません。今は一刻も早く北州へ行って、我が師を助けなければ」
「ええええ、北五州まで行くのかよお」
僕はさっそく旅の糧食はこれぐらいで足りるだろうかと、魚がたっぷり入った籠を抱え上げました。勝手にさわるな、と怒られましたが、我が師に輪をかけて扱いにくそうなこの人には、強行手段で対処するのがいいようです。
「さあ、変身してください」
「へ?」
「足の速い動物になってください。僕がそれに荷物と一緒に乗ります。そうすればすごく早く進めます」
「進めますって、おいペペ、なんでおまえが俺に命令するのよ」
「変身できるでしょう? 鷹になったメルちゃんみたいに」
ヒアキントス様の名を出すと、兄弟子様の顔が引き締まりました。同い年と聞いてまさかと思い、対抗心をつついてみましたが、手ごたえばっちりです。
「そりゃできるけど。しかしニンゲンを乗っけるのは重すぎるな」
僕はキッと兄弟子様をにらみあげました。
「わかりました。それでは――」
ひづめの音をたてて、黒い馬が鍾乳洞を疾走していきます。
たてがみの長い駿馬です。腹の両脇に酒と水を入れた空気袋をさげ、食糧を入れた籠を背にくくりつけています。
籠の一番上にはきちんと畳まれた黒き衣。その衣の上に座る僕は、飛ぶように過ぎていく鍾乳洞の景色を眺めました。
小さな小さな、ウサギの目で。
兄弟子様は馬になり。僕はウサギに変じてもらったのです。
馬はすばらしい足取りで軽やかに鍾乳洞を駆け抜けていきます。でこぼこな岩場も、ぬるぬるするコケだらけの沢もなんのその。
「うわ、兄弟子様、あの岩肌すごいです! 陽光みたいに輝いてます」
「金脈だ。ここらへん、マントル近いからな」
「うわ、あのキラキラはなんですか? 星空みたいです」
「橙煌石。熱をすっかり吸収する岩だ」
疾走中、僕は次々と目に入るめくるめく光景に目を見張りましたが。
「……あの、兄弟子さま」
「なんだねぺぺくん」
「わざと、回り道してませんか?」
「おっと。ばれた?」
「早く地表に出てくださいよ!」
「ほんとに行くのお? 俺とここでぬくぬく、温泉生活した方がよくない? 近くに大温泉があるんだけど、せめてそこ寄ってから――」
僕は馬の首に思い切り噛み付いて抗議しました。
「それでも兄弟子ですか!」
「いてえ! ハヤトが導師になったんなら、俺はもう十分責務を果たしたと思――」
「いいから進んで! ほら、あれって本物の太陽の光じゃないですか?」
荷物のてっぺんの司令塔から僕がキイキイ声をあげると。黒馬はしぶしぶ、天井の丸穴から日光の差し込む洞窟へ走りました。くり貫かれたようなまん丸の大きな穴が、洞窟の天井にいくつも空いています。まばゆい光が差し込む真下に入って見上げると、蒼空が目に入りました。
「ストップ! 今度は鳥になって、飛んで外に出てください」
「だからなんでお前が俺に命令するのよ」
「メルちゃんが変じた鷹、すごく立派で、とっても大きかったです」
僕がわざとらしく訴えたとたん。
兄弟子様はすぐさま馬の姿を解き、あっという間に翼ある大きな鳥に変じました。背に縛った荷物は器用にそのままにです。司令塔からぽろりと落っこちた僕は、赤い目を丸くしてその鳥を眺め上げました。
「大鳥グライア?!」
これはたしか、数百年前に絶滅したという巨鳥です。
白い鶴のような首に、瑠璃色の両翼。虹色の長い尾。図鑑で見たことしかない伝説の鳥は、開いた穴をぎりぎり通れるか、というぐらいの巨大さ。鷹なんて、くらべものになりません。
「知ってるかぺぺ? 自分で変身する時にはな、前世で生きた種族にしかなれないんだぜ」
美しい大鳥は、ふふんと瑠璃色の胸を張りました。さすがは十代で導師になられた方。その前世もすごい生き物だったようです。
「だからおまえは、まだウサギにしか変われないのさ。おまえの魂はまだ若いからな」
「えっ? そうなんですか?」
人間とウサギにしかなったことがない、というわけではなく?
「だっておまえ、俺の師匠が作った人工魂だもん」
「え!?」
「早く乗れよ。いっくぞー」
今、ものすごく重大な告白をされたような気が……。
大きな鳥はわっさわっさとはばたき始めました。あわてて荷物一杯の背に飛び乗ると、大鳥はサッと丸穴を抜けて空へ飛び立ちました。
「落ちるなよ?」
「はい!」
僕は荷物のてっぺんの黒い衣にしっかりしがみつきました。
瑠璃色の大鳥はみるみる舞い上がりました。
雲ひとつない、蒼穹の高みに向かって。
大きな翼をはばたかせ。すらりとした白い首を持つ巨大な鳥は、ものすごい速さで岩山をぐんぐん飛び越えていきます。
次第に青空がほんのり色づいてきます。太陽が傾いているのです。
あれ? 左手の方に沈んでいる?
「ちょっと兄弟子様、北五州は南東です! なんで北に向かってるんですかっ」
「おっと。ばれた?」
「早く回頭して下さいよ!」
「ほんとに行くのぉ? 俺と極地でスキー三昧した方がよくない? すぐそこにすっげえ万年雪の大絶壁があるんだけど、せめてそこでひと滑りしてから――」
僕は鳥の首に思い切り噛み付いて抗議しました。
「それでも兄弟子ですか! もう、あんたたち兄弟はいつもめんどくさがって!」
「ウサギの時の記憶が出てるぞおまえ。こらいてえって! 落っこちる!」
「わ!」
大鳥がぶるんと首を振った瞬間、僕は黒い衣の司令塔からぽろっと落ちて、頭からまっさかさま。大鳥が急降下して追いかけてくれて、うっすら氷の張った湖に突っ込む寸前に拾い上げてくれました。
「ったく、張り切りすぎだぞペペちゃん」
「す、すみません」
鳥は大きな湖の上をゆっくり旋回しています。何度も、何度も。まるで何かを探しているように。
だいぶ極地に近いのでしょう。南よりもずっと日暮れが早く、空はすっかり橙色。無数の氷の粒が空中に舞って、チリチリと輝いています。
ふわふわの頬に当たる氷の粒は冷たくて、少し痛くてくすぐったい感じです。
大鳥のそばを、ガンの群れが飛んでいきました。百羽ほどの群隊です。先頭を行く隊長鳥が、湖に降りて餌を探し始めました。大鳥はガンの群れに近づき、はばたいて滞空しながら隊長鳥に声をかけました。
「よお、ちょっと聞きたいんだけど、ここにはいつからいる?」
大きく美しい鳥に話しかけられて、ガンの隊長は少し怖気づきながらも答えました。
「ひと夏おりました。あと一週間ほどで、南へ参ります」
動物になっているからでしょうか。鳥の言葉がはっきり解ります。僕には人の言葉に聞こえるのですが、大鳥も実は人語ではなく、鳥の言葉で喋っているのでしょう。単なる発声音だけではなく、精神波のようなものが混じっているのかもしれません。
「今年、ここの大将には会ったか?」
「初夏に南からここへ戻って来ました時、いつものご挨拶をしたきりです。最近リウマチがひどくて、なかなか湖面には上がってこられぬようで」
「そっか。もし会ったら伝えといてくれ。ウサギのぺぺが会いたがってるって。三日したらここに戻ってくるからさ」
「承知いたしました、鳥の王」
ガンは尊敬の念をこめて頭を垂れました。王なんてと、大鳥ははにかみながらまた空へ飛び立ちました。
兄弟子様は、北の湖に逃したというあのヌシを探していたようです。
しかし一体なぜ? それに僕の名前を出すなんて。
「なにボケたこと考えてるんだ。おまえがその昔、ヌシと俺たちとの通訳をしてくれたんだぞ。ヌシはお前をえらく気に入って、そのおかげでここに帰せたんだからな」
「えっ、そうなんですか?」
「完全に思い出してそうで、そうでもないんだな」
瑠璃色の大鳥は、ぎゅんと旋回して南東へ進路を取り、今まで以上の凄まじい速さで飛び始めました。ようやく本気を出してくれたようです。
「三日で決めるぞ、ぺぺ。とりあえずハヤトを拉致るだけだから、余裕だろ」
「はい、よろしくお願いします」
「ちょっと、おまえなにしてんの。ガサゴソうるさいぞ」
「あ、魚食べようと思って」
「おまえ……人をあごでこき使ってる上に、勝手にひとりで食べるつもり?」
「塩味効いてておいしいですねこれ」
「鉄面皮ウサギが! 後で皮ひんむいてやる!」
大鳥は大きな火山を越えたところで針葉樹の森に降り立ち、大きな洞のある木の前ですうと人の形に戻りました。
だいぶ飛んだので休憩です。もう空はすっかり、夕暮れの赤。一番星が見えています。
ボロボロの黒き衣をいそいそとはおった兄弟子様は、どっかりと木の根元に胡坐をかき。めいっぱい魚をかっこみ。空気袋の酒をがぶがぶ飲み干しました。
「あの……」
「おまえはさっき食っただろ」
兄弟子様は魚の籠を抱きしめて離しません。お酒が入ったので目がすわっています。
「いえ、僕も人間に戻して欲しいかなと」
「だーめだ。勝手に食った罰。ウサギのままでいろ」
兄弟子さまは僕の両耳をいきなりつかみ、自分の懐にすとんと僕をつっこみました。
「うわ!」
「うぉーあったけえ。これやると、ハヤトとお前を取り合ったのを思い出すわ。夜の湯たんぽ争奪戦。うはは」
「どうでもいいですけど、すごく臭いです……衣、洗濯してないでしょう」
僕がぼやくと、兄弟子様は衣の上から意地悪くぎゅうっとしてきました。
酒臭さも付加されたオソロシイ匂いに鼻がひん曲がりそうです。ちょっと勘弁して欲しいです。川か泉を通りかかったら、絶対にひんむいて、衣を洗わなくては。
酒臭い息を吐く兄弟子様は、ぐりぐりと僕の頭をなでました。
「ペペ、また会えてほんとうれしいぞぉ。おまえほんと、ぬっくいなぁ」
うわ。なんか、タコみたいな口が頭上に接近してきたんですけど。
「調子に乗るなぁ!」
僕は後ろ足キックを兄弟子様の顔にかまし、木の洞に飛び込みました。
「ちょっと、静かにして」――「あ、すみません」
中には先客がいました。フクロウです。これから目覚めて夜の狩に出るところらしく、足で寝ぼけまなこをしきりにこすっています。
「あら、おいしそうなウサギ」
そういえば、フクロウは猛禽類――。
「うわああ!」
あわてて洞から飛び出した僕は、兄弟子様の懐に飛び込みました。フクロウの鋭い爪がすっと僕の頭上をかすめていきます。
「ほう、でっかいフクロウだなぁ」
けらけらと笑う兄弟子様。フクロウは黄色い大きな目をくりっとさせて、すぐ向かいの木の枝に止まりました。とたんに僕は息を呑みました。
たくさんの鳥たちが、近くの木の枝にびっしり止まっているではないですか。
オオルリ、ムクドリ、ミソサザイ……小鳥だけでなく、もっと大きな鳥たちもたくさん……。
「お知らせ!」
「号外! 号外!」
「ここに降り立ったの?」
「そうみたい」
「どこにいるの?」
鳥たちのさえずりが、はっきり聞こえます。
「虹色の尻尾の」「どこ?」
「瑠璃の翼の」「どこ?」
「白い頭の」「どこ?」
森の鳥たちは、大鳥グライアの姿を見て集まってきたようです。鳥の王と謳われる美しい鳥の噂は、瞬く間に森中に広まったのでしょう。洞で眠っていたフクロウは何事かとびっくりして頭をキョロキョロ回しています。
「お知らせ!」
「号外! 号外!」
「きれいな鳥ですって?」「そうよ」
「すごくきれいな鳥!」
「フクロウのおばさま、見なかったの?」
「すぐ近くに降りたのにねえ」
何百羽という鳥たちの笑い声……。
「すごいです、兄弟子さま。こんなにたくさん! ねえ、見てくださいよ」
耳をぴんと立てて興奮する僕。でも兄弟子様はさすがに疲れたのでしょう。鳥の声などまったく気にすることなく、大きないびきをかき始めていました。
「人間とウサギしかいないわよ」「まぬけな顔ね」
「瑠璃色の鳥はどこ?」
「どこ?」「どこ?」
「号外!」
夜の更けるまで。僕らの周りでは、たくさんの鳥たちがさえずっていたのでした。




