くろがねの歌 8話 銀の鳥かご
寺院の三階の、ひんやり薄暗い岩壁の部屋。岩をくりぬいた小さな円窓が三つ。
昼下がりの日の光が差し込むその窓から、歌声が流れ込んできます。
聞こえてくるのは鎮魂の唱和。
黒き衣の導師様たちが、岩の舞台で歌っておられるのです。
向こう岸の街の犠牲者を悼むために。
街の被害は……甚大でした。
三分の一以上の建物が丸焼けになり。手当て空しく、亡くなった人々は百人以上。
そして僕は。まだ、ウサギのまま――。
「きゅう……」
おのれがふがいなくて、長い耳がだらりと垂れてきます。
僕は今、瑠璃色の卓上に置かれた銀の鳥かごの中に閉じ込められています。
岩壁にかかる、蒼い鹿紋のタペストリー。美しい流線型の足がつき、びっしり彫刻が施されたテーブルや椅子。岩を穿って作った書棚には、キラキラ光る蒼い置時計や蒼い磁器が並べられています。見事な唐草模様の絨毯も、地の色は蒼。銀糸の刺繍の縁取りがついた、豪奢な更紗が敷かれた寝台も、蒼……。
この部屋は、ヒアキントス様のものです。
僕は何度も変身を解こうとしたのですが、どんなに韻律を唱えようとしても、ウサギの口からはキュウという鳴き声が出るばかり。ヒアキントス様に、人語を封じる韻律をかけられているのです。
僕らは――街へ行った寺院の者たちはみな、街の犠牲者を埋葬するのを手伝った後、急いで寺院へ戻りました。
デクリオン様の葬送の儀を行うためです。この不幸な方は、「バーリアル」の炎を受けて心の臓が止まってしまわれました。
引きあげの船の中で、ユスティアス様はもと師の亡骸にすがり、おいおいと泣いておられて。ずっとご自分を責めておられました。そして我が師へは、恐ろしい呪いの言葉を吐いていました。しかしバルバトス様に気絶させられたことは全く覚えておらず、実は「バーリアル」を操っている張本人だとは少しも気づいていないようでした。
導師の中からも犠牲者が出たことに寺院内は騒然となり。本人不在にもかかわらず、我が師は「悪に墜ちた導師」として、最長老様から即刻「破門」の宣言をされてしまいました。
なぜならバルバトス様とヒアキントス様のお二人は示し合わせて、僕も我が師によって焼き殺されたことにしたからです。
「あろうことか己が弟子を焼き尽くし、遺体も残さず消し炭にするとは」
「なんという恐ろしい所業を!」
「アスパシオンは、なんと恐ろしいものに取りつかれたのか……」
寺院中のだれもが憤りました。怒りと驚きと哀しみの中で、デクリオン様の葬送の儀が荘厳に執り行われ。その体は荼毘に付され。遺灰が湖に撒かれました。
続いて僕の葬儀も簡式ながら行われました。遺体がないので代わりに布ぐるみの藁人形が荼毘に付されて、その灰が撒かれたようです。
それからユスティアス様は長老様たちに訴えて、たくさんの弟子たちを募り。街の再建を手伝うために、再び向こう岸へ渡って行かれました。
その一方で、黒幕のお二人はというと……。
バルバトス様は「アスパシオンを止める」と称して、導師を三人連れて北五州へ向かわれました。おそらく「バーリアル」を近くで操るためでしょう。
同行している導師様たちは、もとバルバトス様の弟弟子たちです。彼らは今回の悪巧みの仲間なのでしょうか? それとも、だまされてついていっているだけなのでしょうか? ……わかりません。
ヒアキントス様は寺院にとどまり、毎晩こっそり水晶玉でバルバトス様と連絡を取っています。それによれば我が師とその軍隊は着々と進軍しており、山を二つ越えて、北の辺境と北州の境をついに越えたようです。
お二人の真の目的は、何なのでしょうか。トルにひどいことをしようとしたこの二人のこと、金獅子家の兵器を潰すためだけに、あの「バーリアル」を起動させたとは思えません。
何かもっとたいそうな企みがあるのでは……。
僕はそう疑い、もんもんとしていました。
囚われの籠の中で。
物悲しい鎮魂の歌が続きます……。
「やあ、まだらウサギ。エサだぞ」
鳥かごの隙間から、しなびたハーブの葉っぱが入ってきました。
僕の世話と治療は、金髪のレストに任されています。目にもまぶしい金髪の少年は、彼の師と同じ北五州の蒼鹿家の出身でとても尊大です。
「ほら、早く食べろ」
我が師が僕に放った黒い炎は、だいぶ手加減されたものだったのでしょう。
僕は幸いにも重傷には至らず、メディキウム様特製の軟膏を塗りたくられているうちに、だいぶ回復してきました。焼け焦げた肌にピンクの新しい肌が張ってきています。見るも無残なまだらウサギです。
「またぞろ、まずそうに食べてるなぁ」
意地悪げにレストがくすくす笑います。
だっておいしくないです。しなびた葉っぱなんて。せめて、ニンジンぐらいほしいです。
鳥かごの隙間からレストの指がにょきっとつき出てきて、僕の丸ハゲのお尻を突っつきました。
「きゅんっ!」
「もっとおいしそうに食べろよ」
「きゅん!」
「はは。びくっとして面白いな」
「きゅん!」
「ははは。ほら、もっと鳴け」
かごの端にノソノソ逃げる僕。かごを揺らして、僕がずるっと滑るのを笑うレスト。
ああ、人の言葉が話せたら。レストを脅かして、すぐに出られるのに……。
物悲しい鎮魂の歌が止まりました……。
歌が終わると、レストはパッと僕のかごから離れてハタキを持ち。せかせかと蒼一色の部屋の掃除を始めました。
するとほどなく、部屋の主が帰ってきました。
ヒアキントス様の目の覚めるような金髪に、僕は目をしばたきました。このまぶしい髪の色は、純血の北方人の証です。北方の貴族たちは、この星に降り立って以来綿々と守ってきた混じりけなしの人間の血統を、何よりも誇りとしています。ひどく排他的になるほどに。
「掃除とは感心ですね、レスト。ウサギにエサをやりましたか?」
「はい、お師さま」
金髪のレストは猫をかぶって、いけしゃあしゃあと答えました。
「でもあまり食べてくれません。とても心配で胸がつぶれそうです」
すると。彼の師も、いけしゃあしゃあと言ってのけました。わざとらしくニッコリ微笑みながら。
「大切にするのですよ。街の役人から預かった、大事な預かり物ですからね」
本当は「大事な人質」なのですが。そんなことはおくびにも出しません。
「お師さま、アスパシオンの奴は、我らの地へ至るでしょうか?」
レストは心配げに師に尋ねました。自分の故郷が破壊されないかどうか、気になるのでしょう。
というか。
レストは、師の悪巧みには全く感づいていないようです。
ヒアキントス様は、笑みを浮かべたまま答えました。
「大丈夫ですよ。アスパシオンは、我らが蒼鹿家の地には至りません。バルバトス様たちがその前に退治なさるでしょう」
「しかし、ひどいですよ」
レストは口を尖らせました。
「おかげで夏の御霊送りの祭りが中止になってしまったんですから。とても残念です」
ああ、本当なら今頃は……。
弟子たちが中心となって湖に灯篭を流して、過去の偉大な導師たちを讃える御霊送り。確かにその行事の時期です。
この祭りは、弟子たちが魔法の花火を打ちあげる競技会も行われ、街から捧げられるお菓子が振舞われる楽しいものです。
ですが今、寺院の弟子の半分は街の復興の手伝いに出払っています。焼け野原の街は、お菓子を作る余裕など少しもないでしょう。
「はばたく鳥の群れの花火を出せるようになったのに……誰にも見せられないなんて」
レストがひどく甘えるような声を出すと、彼の師は宥めるように彼の金の頭を撫でました。
「それは素晴らしい。では、豊穣祭の時に皆にお見せなさい。二ヵ月後ならば街もだいぶ落ち着くでしょうからね。秋の祭りはたぶん中止になりませんよ」
「はい!」
蒼鹿家の師弟はそれから和気あいあいと、花火の魔法について論じ始めました。
動く花火のことや、どうやって望みの色を出すのかとか。宮廷の祝宴で使われるようなきらびやかな魔法のことを、語り続けました。まるで街の惨事など忘れてしまったかのようにえんえんと、日が暮れるまで。
物悲しい鎮魂の歌の余韻が漂っています……
その日は、寝苦しい夜になりました。暑気がきつく、病み上がりの僕はぐったり。
「異常気象ですね……」
ヒアキントス様もあまりの暑さに閉口されたのか、白く輝く冷気の球を作り、寝台の枕元に浮かべて眠られました。
ひんやりした冷気が、銀の鳥かごの方まで漂ってきます。ああ、これでなんとか、しのげます。ウサギの僕は大の字に伸びて、うつらうつらと眠りに落ちました。
「……なんですって?」
あ……れ?
ヒアキントス様が起き出して、なにやら怖い顔で、バルバトス様との連絡用の水晶玉を覗きこんでいます。
「ユスティアスは街の復興に従事しているはずですよ」
『それが勝手に一人で抜け出して、早馬を借りて我らに追いついてきた。アスパシオンに復讐したいらしい。どうしたものか』
「『バーリアル』と相打ちにさせては?」
冷気の球よりも冷たいヒアキントス様の声が響きます……。
「あとは予定通りになさいませ。すなわち、北州を蹂躙する白鷹家の導師を倒した英雄たちとして、金獅子家の大公に謁見するのです。その時に、『師の仇を討った若い導師』の美談を語るとよろしいかと」
『ふむ。悲劇的に犠牲を出した方が、大公に深く信用されるか。ではそうする』
北州を蹂躙する白鷹家の導師? それって、まさか我が師のことでしょうか?
白鷹家とは、北五州の五つの大公家のひとつです。もともとは王家の由緒ある古い家柄です。我が師の家はとても貧乏で苦労して……という話をいつも聞かされていたのに。「白鷹家の」なんて、そんなの初耳です。
いずれにしろ。このままでは、みんな殺されてしまうでしょう。
我が師も。ユスティアス様も。そしてたぶん、この僕も。我が師が死んだらきっと……。
鎮魂の歌の余韻が、夜明けの光に溶けていきます……
恐ろしい話を聞いた翌日。
ヒアキントス様は、弟子のレストに「石皮病」の特効薬だと言って、小さな瑠璃色の小瓶を渡しました。
金髪のレストは、パッと目を輝かせました。
「最長老様がわずらっている病の特効薬ですか! きっと大変喜ばれて、お師さまの覚えがめでたくなりますよ」
「いいえ。最長老に渡すのではなく、スポンティウス様の弟子のフェンに、盗んでもらいなさい。薬の効能を説明して、どこかに置き忘れたふりをして、わざと取らせるのです」
「えっ? 盗ませる? 手癖の悪いあいつなら、確かにくすねるでしょうけど……」
「フェンは、実家の白鷹家から取り寄せたと嘘をついて師に渡すでしょう。そしてスポンティウス様は、この薬を最長老様に献上なさるはず」
「は? なぜ手柄を、スポンティウス様に譲るような真似を?」
不満げなレストに、ヒアキントス様はわざとらしくニッコリされました。
「先日、美しい瑠璃石のゲーム盤をいただきましたからね。そのお礼です」
レストは頭から疑問符を飛ばしながら、蒼一色の部屋を出ていきました。
「全く……将来私を継いで蒼鹿家の後見となる身なのに。時勢が読めぬとは」
ヒアキントス様は肩をすくめて嘆息し、かごの中の僕を見やりました。
「あなたは気づいているようですね。虹色の子」
僕は、「きゅう!」と鳴いて震えました。
レストが持っていった薬は、特効薬などではなく……きっと、毒薬です。
フェンこそはれっきとした、白鷹家のもと第二公子。北方人で金髪の子です。
ヒアキントス様は、すうと涼やかな目を細めました。
「白鷹家の庶子アスパシオンが、金獅子家の統べる北州を破壊する。直系の公子フェンが、金獅子家の後見人である最長老を暗殺する。となれば、ゆくゆくは、金獅子家と白鷹家の全面戦争が起こるかもしれませんね」
白鷹家? 我が師は、大公家の血を引く庶子? まさかそんな……びっくりです。しかも最長老様を暗殺する?
もし最長老様がいなくなれば、次の最長老となるのは序列第二位のバルバトス様。七人目の長老の席が、一人分空きます。あ……まさか!
「きゅうううう!」
「そうですよ。新しい最長老に、新しい長老として推薦されるのはこの私。そして金獅子家の大公は、きっと次の後見人にバルバトス様をご指名なさるでしょう。これから北州を危機に陥れる『バーリアル』を倒す英雄をね」
五つの大公家は、永いこと争いあっています。
寺院内でもこの家々の出身者は、互いにいがみあう犬猿の中。金獅子家出身の最長老様のもとでは、他の大公家出身の方たちはどなたも長老になっていません。
しかし、なんと恐ろしいことを考えるのでしょう。
北五州随一の家である金獅子家を攻撃して。それを全部白鷹家のしわざにしようとするなんて。
両家の間で戦争となれば、おそらく蒼鹿家の利するところ大となるに違いありません。
僕はかごに齧りつきました。これは大変な事態です。
一刻も早くここを出なくては。陰謀に巻き込まれている人に、真実を伝えなければ!
でも銀の檻はとても硬くて、少しも傷つきません。
「無理ですよ。かごの扉にも韻律がかかっています。あなたは死ぬまでウサギのままですよ、ペペ」
ヒアキントス様は冷ややかに笑い、勝ち誇った顔で部屋から出ていきました。
ああ、どうしたらここから出られるでしょう。どうやったら……。
午後になりました。
ヒアキントス様が瞑想室にこもられている間に、レストが親友の黒肌のラウを連れて、蒼一色の部屋にやってきました。与えられた当番を早々に切り上げてきたのでしょう。
「へえ、これがウワサのまだらウサギか」
黒肌のラウはかごの中の僕をじっと覗き込みました。レストがくすくす笑います。
「ひどいだろ? ハゲハゲで」
「なんか、仰向けにひっくり返ってるぜ?」
「え?」
レストは檻のすきまから指を入れて突っついてきました。
「微動だにしないな」
「おい、動けよ」
レストの指がつんつんしてきます。僕は我慢してわざと白目をむきました。するとラウは、僕が期待する言葉をするっと言ってくれました。
「これ、死んじまったんじゃないか?」
とたんにレストはあわてふためきました。
「そ、それは困る! お師さまに怒られる! あの方は、怒ると鬼のようでそれはもう……」
「うーん、じゃあ、リンに見てもらえば? あいつメディキウム様の弟子だから、薬学の心得あるだろ」
「ああ、そうだな!」
レストは僕入りの銀のかごを抱えて部屋を出ました。彼はラウに協力してもらって当番中のリンを探しあて、むりやり救護室へ引っ張っていきました。
リンとその師メディキウム様は、ふだん救護室で薬を作ったり煎じたり、怪我人病人の面倒を見たりしています。今は丁度瞑想の時間なので、メディキウム様はおられません。午後のこの時間は、こっそり事を済ませるには絶好の時間帯です。
優等生のリンはかごの中で白目をむいている僕をしばしじっと見ていましたが、首をふって深いため息をつきました。
「これはもうだめかもしれませんね。心臓をマッサージしてみます。……む? かごの扉が、韻律で閉じられてますけど?」
「大事な預かり物だからって、お師匠さまがかけてる。解除できるか?」
「ええ、なんとか」
さすが優等生。リンは少々手こずりながらも、見事にかごにかけられた韻律を解いて、格子の入り口を開けました。
すっと入ってくる白い手。
まだ我慢です。かごの外に出されるまで、なんとか白目を……。
「あ。目が動いた?」
う。黒肌のラウが目ざとく気づいてしまったようです。
まずいです。こ、こうなったら!
「わっ!?」
「きゅううううう!」
ごめん、リン!
言葉にならない声で叫びながら、僕はリンの手にがぶっと噛みついて。彼がおもわず手をひっこめた隙に、ばねのような後ろ足で踏み切りました。
黒肌のラウがひゅうと口笛を吹きました。
「おお、飛んだ♪」
「まっ……待てまだら!」
「息を吹き返したな。よかったじゃんかレスト」
「バカラウ! よくない!」
「でも、死んでなかったじゃんか」
「でも、逃げたじゃないか!」
レストとラウが漫才みたいな会話をする中、僕は勢いよくかごから飛び出して。とっさに後ろ足でそこらへんの花瓶やら薬ビンやらツボやらを蹴り飛ばし、賢いリンが僕に足止めの韻律を唱えるのを阻止しました。
「ああ! お師さまの薬が!」
「きゅううううう!」
ごめん! 本当にごめん! でも、かごに戻るわけにはいかないんだ……!
僕は救護室から逃げ出して、弾丸のように駆けました。
力いっぱい足を動かしながら。
寺院の最上階、最長老様の部屋をめざして。




