くろがねの歌 5話 テレイス
信じられない光景を見た僕は、湖の岸辺に向かって怒鳴りました。
「やめてください! 何してるんですか! お師匠さま!!」
しかし我が師は無反応。
鉄の兵士たちは、兜の中心からビーッ、ビーッと光線を出して、周囲の家々を焼いていき。ガシャガシャと音を立てて、街の中へ移動していきます。
我が師も不気味な高笑いとともに、ずんずんその後をついていきます。黒い衣がなびく様は、あたかも死神か、宵闇の魔王のよう。
「おやおやこれは」
ヒアキントス様が呆れたように片眉を上げ。
「どうなっとる?」
デクリオン様があんぐり口を開け。
「由々しきことですな」
メディキウム様が顔をしかめ。
「あれは間違いなく、アスパシオンであったな」
バルバトス様が腕組みをしてうなずき。
そして。
「倒しましょう!」
ユスティアス様が、杖を構えて仰いました。
「操っている者を殺せば、兵士は止まります!」
殺す? 我が師を? そんな……!
「湖の結界が切れる区域に入るんで、みなさま注意してください!」
船頭のメセフが叫びます。
船が風編みの結界を抜けるなり、ユスティアス様は舳先に走って、韻律を唱えました。すると杖の先から白い光の玉が飛び出し、岸辺を走っている鉄の兵士へ一直線。
ボン!
光の玉は鉄色の兜に見事に命中。
撃たれた兵士は動きを止め、石畳の上にガシャンとくず折れました。
「こら! いつのまにそんな危ないもんを覚えたんじゃ? わしゃ教えとらんぞ!」
デクリオン様が目を丸くして叫ぶも、ユスティアス様は答えずに、次々と岸辺に光の玉を放ちます。
すると湖からの攻撃に兵士たちが反応して、くるりときびすを返し。その兜の隙間から、ビーッと反撃の光線を放ってきました。
「うわあ!」「ひい!」
身をかがめる船上の弟子たち。次々にあがる悲鳴。
熱線に撃ち抜かれ、船の帆がめらめら燃えて消えていきます。
「船を守らねば」
メディキウム様が冷静に韻律を唱えるや。船の周囲に、白い霧が立ち込めました。
すると。今度は帆柱めがけて放たれた熱線が、白い霧に触れたとたんジュッと音を立て。周囲にキラキラと光の粒をまき散らして蒸発しました。
しかし魔法の霧は、その一回の攻撃を受けただけですぐに消えてしまいました。
「むう。恐ろしい熱量ですな」
「白霧の技では追いつきませんね。兵士自体を追い払いましょう」
ヒアキントス様が、すわ己れの出番と杖を掲げます。が――。
「大丈夫です! 任せて下さい!」
ユスティアス様が、光の玉をものすごい勢いで放ちました。
ボンボンと轟音をたてる光弾に撃たれ、岸辺近くの兵士たちがどんどん倒れていきます。
ヒアキントス様は黒髭のバルバトス様と顔を見合わせ、肩をすくめました。
「勇ましいことですね」
「まったくだ。我々は見物しているだけでよさそうだな」
お二人はなんだかとても落ち着いています。雰囲気がおかしい感じがするのは、気のせいでしょうか?
かたや、彼らの向かいの船べりにいるデクリオン様は、気が気でないといった面持ちでそわそわしておられます。
「お、おい、ユスティアス、そんなにたてつづけに魔力全開にしたら、ぶっ倒れるぞ?ほどほどに……」
「大丈夫です!」
獅子奮迅のユスティアス様のおかげで、船着場周辺は安全になりました。しかし兵の本隊と我が師は、街の中へ移動したようです。
焦げ臭い埠頭へ着くなり、ユスティアス様は船から飛び降りて、まるで弾丸のように街中へ走っていかれました。
「こら!待て!いかん!」
デクリオン様があわてて後を追われました。
「おやおや。困ったものですね」
「抜け駆けとはな。これは我々だけで、街に結界を張らねばならんぞ」
ヒアキントス様とバルバトス様がぼやきながら船から降り。悠然と先の二人の後に続きました。
僕も我が師を止めんと、船から飛び降りて走りかけたのですが……。
「いかん! 君は、私についていなさい」
メディキウム様にとっさに腕をつかまれ、阻止されてしまいました。
「で、でも! 暴れてるのは、僕の師です!」
リンのお師匠様は厳しい顔で首を横に振り、また勝手なことをしたら、今度は鍾乳洞送りになるだけでは済まぬだろうといさめてきました。
「それに見習いでは止められぬ。導師のことは、導師に任せておきなさい」
腕を掴まれ止められた僕は、街の中へ消えていくヒアキントス様とバルバトス様を目で追いました。街の交差点を曲がり、その姿が見えなくなる瞬間。二人は一瞬互いに顔を合わせました。
二人の口がニヤリと引き上がったように見えたので、僕の心はひどくかき乱されました。
ああどうか。今のは、僕の見間違いでありますように……。
僕を止めたメディキウム様は、下船した蒼き衣の弟子たちをぞろっと引き連れて、船着場付近の兵士の残骸を調べました。
ユスティアス様が倒した兵士は倒れたまま動かず、そこかしこに山のように積み重なっていました。
「頭部に魔力を受信する装置が入っているようだ。兜を狙って衝撃波を打ってその回路を破壊すればよいが、君たちにはまだできぬだろう。もしこれから出くわしたら、己が身に結界を張って身を護りなさい」
それからメディキウム様は、事前に導師様たちと申し合わせた手筈について述べられました。
「わし以外の導師の方々は、兵士どもとその操者を街の中央広場へ追い込みつつ、内郭の城壁に結界を張っていく予定であった。ユスティアス殿が先走ったゆえどうなるかわからぬが、わしと救護班たる君らは、当初の予定通り街の外郭を周り、街の人々の救助を行おうぞ」
街の内郭とは、庁舎や役場関係の建物が集まっている公的な区域のことで、とても古い城壁に囲まれています。その範囲はとても狭く、一周するのに一刻とかかりません。
これに対して外郭とは、商店街や居住区など、その他の区域のことです。辺境の街ですので、やはりさほど広くはありません。半日もかからず一周できる規模です。
建物のそこかしこから赤い炎がちらつき、街は火の海です。
僕たちは炎と煙に注意しながら外郭をめぐり、路上に倒れている人たちを助け起こして、街外れの大きな庭園に運びました。
広い芝生が広がるそこには、すでに街の人たちが大勢避難してきていました。街の管理官やお役人の姿も見えます。街の医師や薬師が、焼け出された人々を看てまわっています。
メディキウム様が話をするためにお役人のもとへ向かわれました。
僕は怪我人を急いで芝生に寝かせ、二人の話が聞こえるところへそっと移動しました。
「なぜあんなものが出てきたのか……皆目わかりません」
汗ばんだ顔を袖でしきりにぬぐうお役人は、ひどく当惑した顔をしていました。
我が師は牛の買い付けのために、役人たちの案内で街公営の牧場へ行ったそうです。ところが、牛を見ているうちに突然その牧草地に大穴が開いて、陥没に巻き込まれたのだそうです。
役人たちが我が師を救い上げねばと、あたふたしながら街からの増援を待っていると。あの鉄の兵士と、すっかりおかしくなった我が師が、穴から這い上がってきたとのことでした……。
メディキウム様は難しい顔をして仰いました。
「牧場の地下に、たしかひとつ古い遺跡がありましたな。しかし見回りをされなくなって優に二世紀は経つものであったはず。アスパシオン殿は、そこに眠る何かに取り憑かれたに相違ない」
はやる心をなんとか抑え、僕はみなと一緒に怪我人の手当てを手伝いました。 家を焼け出された人々の多くは、ひどい火傷を負っていました。寺院からありったけ持ってきた軟膏や薬、包帯がみるみる無くなっていきます。
人々はしきりに、「水を」と、訴えます。メディキウム様は予想通りだという顔で、てきぱきと指示を飛ばしました。
「普通の水はだめだ。傷口から体液を失いすぎて脱水症状を起こしているから、栄養のある薬湯か、薄い塩水を少しずつ飲ませなさい」
僕は一所懸命人々の手足に包帯を巻き。薬湯を飲ませて回りました。
でも。
頭の中では、ユスティアス様の言葉が、何度も何度もよみがえっていました。
『操っている者を殺せば……』
『殺せば……』
『殺せば……』
突然。バリバリバリバリと、空が割れるような恐ろしい轟音が響き渡りました。と同時に。街の中央あたりの上空に、一瞬稲光のようなものが――。
「お師匠さま……!」
ついに僕はいてもたってもいられなくなり。人影にまぎれて、こっそり公園の外へ飛び出しました。
そして、走りました。燃える街の中を。
無意識に、不吉な予言ともとれる、ひとつの願いを口走りながら。
「死なないで! みんな、死なないで!」
街は、まだぼうぼうと燃えています。
赤い熱気と煙。
夏の盛りの暑気も合わさって、ぶわっと噴きだしてくる汗。汗。汗。
街の人々は、ほとんど避難を終えたのでしょうか。道路には動いている人の姿は見えません。
でも。
ところどころに倒れたまま動かぬ体が見えます。
煙で窒息したもの。ひどく焼けたもの。おじいさん。おばあさん。子供をかばってそのまま動かなくなったお母さん……。
ありえない――。
我が師がこんなことをするなんて。絶対何かの……。
と、その時。
僕の耳に、信じられないものが聞こえてきました。
「空よ……わたしは……飛んでいく
綿虫になって……飛んでいく」
商店街の路地の方から流れてくる、途切れ途切れのか細い歌声。
この歌は……!
「十の年のお迎えに……
お船にのって……」
嘘だ。まさかそんな。あの歌は有名な歌ではないけれど、きっと違う……。
心の中で必死に否定しながらも。僕は聞き覚えのある歌声を追って商店街に入りました。
「だいじょうぶよ……こわく、ないから。お歌、もっと歌って……あげるから……ニンジンの歌とか……」
少女の声が聞こえます。いっしょに聞こえたのは、しゃくりあげる男の子の声。
「ニンジンの? ピピ? ピピちゃんの歌? 歌ってくれるの?」
「そうよ……」
僕は必死になって声の主を探しました。色とりどりの看板と屋台が並ぶ通りに目をこらし、耳を澄ましました。
「ひとかじりすればそれとわかる
その根がそうだと魂が気づく」
どこ? どこにいる?
ああ、なんて弱々しい。でもきれいな歌声……
「心をば焦がす橙の炎
魂をば焦がす聖なる炎
燃え上がりしその……根こそ……」
歌が、途切れました。フッと、ろうそくの火が消えるように。
その直後。
「おねえちゃん……おねえちゃん……目を開けて!」
男の子の泣き声があがりました。僕は力のかぎり走って、そこにたどりつきました。
商店街の奥の果物屋の前で、手足が焼け爛れた小さな男の子が泣いています。そのそばには、倒れている少女……。
少女は、十代半ばぐらいで。半身をひどく焼かれていて。泣き叫ぶ男の子に揺さぶられていました。
僕は彼らの元に走り寄りました。
「おねえちゃん! テレイスおねえちゃん! いやだあ! 死なないで!」
刹那。
がつんと重たい棍棒で殴られた感覚が、僕の頭を襲いました。
「テレ……イス?」
僕は、揺さぶられる少女をまじまじと見つめました。
心の中で、違う、絶対違う、と否定しながら。
だって幼なじみのテレイスは街の外の小作人の娘で、この街にいるはずは……
「その子……テレイスって……いうの?」
僕が彼らのそばに力なく膝をつくと、男の子はしゃくりあげながらいいました。
「およめさん……ぼくの、いちばんおっきいおにいちゃんの、およめさん……こわい兵士から、ぼくをまもってくれたの……」
僕は、動かなくなった少女を見つめました。
穴のあくほど、見つめました。
体を半分焼かれた少女は、もう息をしていませんでした。目を閉じて。ぴくりとも。
その焼かれていない方の顔には、記憶に焼きついた顔の面影がありました。
「嘘だ……違う……」
僕は茫然として、必死に心の中で否定しました。
これは、僕の幼なじみのテレイスではないと。きっと違うと。あの子じゃないと。
でも。
この子は歌っていました。あの歌を。あの白綿蟲の歌を……。
「おねえちゃん、ごめんなさい! ぼくのせいで、ごめんなさい……!」
泣き叫ぶ男の子と。動かなくなった女の子と。そして僕のところに。白くふわりとしたものが落ちてきました。
いくつもいくつも、空からほろほろと。
それは夏に降ってくる虫。
あの、白綿蟲でした。




