くろがねの歌 1話 遺物
夏の蒸し暑い日。僕は我が師の部屋で慌しく動いていました。
「髭剃りましたね」
「ん」
「髪結ってますね」
「ん」
「歯は?」
「さっき磨いた」
「じゃあ、これ羽織って下さい」
「暑そうだなー」
「でも正装じゃないとだめって、最長老様が」
僕は我が師の肩に手早く黒い外套をかけてやりました。
我が師の顎はつるつる。束ねた髪は洗髪したて。腹立つぐらいの男前です。最長老様から借り受けた杖を渡してやれば、どこからどう見ても立派な導師。
これから我が師は最長老様の代理人として、湖の向こうの街へ渡ります。
王国西の遺跡から「遺物」が出土したそうで、それを引き取りにいけと命令されたのです。
「遺物来るの、十年ぶりだな。前のは『断罪の祭壇』て奴でさ。ボタン押すと、目の前の奴らをみんな焼き尽くすってやつだった」
「うわ、えげつないですね」
「機能よく分からんでスイッチ押しちゃって。バルバトスが全治三ヶ月の大やけどした」
「それは災難でしたね」
今はすっかり忘れ去られた恐ろしい古代兵器や、人間を怠惰に導くような高技術品。
こういったものは見つかり次第、我が寺院に封印されることになっています。
なぜなら、古代の超技術は一度ならずこの大陸を破壊し尽くしてきたからで。
その反省から、「危険な遺物は寺院に封印されるべし」と、大陸憲章に定められたからです。
我が寺院全体が魔法の結界で守られているのは、このためなのです。
「じゃあ、行って来る」
昼過ぎ、我が師は大きな箱を抱えて小船に乗り込みました。
寺院のために毎朝魚を獲ってくれる、メセフの漁船です。供物船とこの漁船だけが、結界が張られた湖を渡るのを許されています。
あ。我が師が甲板にどんと置いた箱から、ピンクの耳の先っぽが。それってもしや。
「ん? あ、ピピちゃんだよ。お役人に返してこいって、最長老に言われた」
我が師は船べりからひらひらと手を振りました。
「そいじゃな。 いい子にしてるんだぞー」
ほどなく、我が師を乗せた小船は音もなく滑り出しました。
魔法の風が船を押していきます。
僕は小さく手を振って見送りました。船の姿が見えなくなるまで。
湖の向こうに船影が消えると。僕は湖の岸辺にある岩に座り、一通の封書を袂から出しました。
『アスワド、君の手紙が来てとてもうれしかった。君の励ましのおかげで希望が持てた。
こちらに来てうすうす分かったのだが、我が師バルバトスが手を回して、
ファラディアにメキドを攻めさせたらしい。
メキドをわざと窮地に陥れさせて僕の家の支持者を焚きつけ、僕を王に据えたようだ。
大臣たちは僕の師を盲信している。
ひんぱんに密書をやりとりして、その言葉通りに政を行っている。
でも、僕にはその密書を全く見せてくれない。玉座に座っていろと言うだけだ。
我が師と大臣たちは、ファラディアを攻め返すつもりだ。
僕は戦争になるのをなんとか止めたくて抵抗している。
皆はそんな僕を臆病者とみなして、誰も僕の言葉を聞かない。
だがつい先日、この手紙を託すことができるような味方を一人得た。
彼女と、がんばってみる。君もどうか元気で』
赤毛のトルからの本物の手紙。隊商たちがうまくやってくれたのです。
何度読み返しても、最後の行の『彼女』という文字に見間違いはなく。
俗世間にはなるほど確かに女性というものもいたなぁと、口の端がムズムズしてしまいます。
しかしトルの状況は逼迫しています。他でもないトルの師その人が、彼の命をとろうとしているのですから……。
昨夜僕はトルの髪の毛の灰で警告の手紙をしたため、我が師に「式鳥」を飛ばしてもらいました。鳥の形に折られた僕の手紙は、淡く光って宵空をはばたいていきました。
相手のもとへ確実に、一昼夜で着くそうです。
どうか無事に届き、トルが悪者たちの毒牙にかかりませんように……。
日帰りで帰る予定と聞いていましたが。その日、我が師は帰ってきませんでした。
「心配いらぬ。きっと役人に歓待されているのだ」
長老様たちはそう仰っておりましたが、何の音沙汰もなく、あっという間に三日が過ぎました。
一体、どうしたというのでしょう。
四日目になると、弟子たちの間でヒソヒソ話が交わされるようになりました。
「今回の遺物、すっごく危ないものなんじゃない?」
「ああ、だから一番下っぱのアスパシオン様に行かせたのか」
「うん、きっと様子見ってやつだよ」
「つまりイケニエだね」
弟子たちの話を耳にして、僕の不安ははちきれんばかり。
我が師は、露払いの役目を負わされたのでしょうか?
そもそも、あの我が師に最長老様が仕事を命じるなんておかしなことです。
最下位の序列でどこの派閥にも属しておらず。鼻をほじって寝ることしかしなくて。口を開けばやる気の無い言葉。そんな我が師を、最長老様はひどく嫌っています。
もしかして。嫌っているからこそ、あえて「失っていい者」として遣わしたのでは……。
その日も、我が師は帰ってきませんでした。
翌朝。僕は船着場で漁師のメセフから、街の噂を聞きました。
我が師は街の庁舎の遺物保管室に案内されるや、中身を検分するといって部屋にひきこもったそうです。その直後から、阿鼻叫喚の叫び声や轟音が部屋から漏れてきて、今もその音がずっと聞こえてきているというのです。
「導師は遺物から飛び出す悪魔たちと戦っているのだ」
街の人はそう囁き合い、戦々恐々と庁舎を見上げているとか……。
僕は真っ青になり。最長老様に訴えに走りました。
「お願いします、どうかお師匠さまを助けてください!」
ですが。最長老さまは大丈夫だと笑うばかり。長老さまもだれひとり、取り合ってくれません。
「心配しすぎだ、アスパシオンの。すぐにけろっとした顔で帰ってくるぞ」
黒髭のバルバトス様がほがらかに仰います。この方にそう言われても、全く信用できません。
その笑顔の裏で、恐ろしい企みをしているのですから。
他の偉い方々も、何もせずに待つつもりのようです。
我が師の訃報か。それとも遺物を携えて生還するかを……。
「ちくしょう!」
僕は歯を食いしばり、船着場に走りました。
なんとかしないと。だってもう四日経つのです。
ああ、我が師を助けなくては……!
午後いっぱいかけて、僕は漁師のメセフを説得しました。
「し、しかしお弟子さま、そいつはとても危険なことです」
「頼みます! 誰も動いてくれないのです。僕が行くしかないんです」
「いくら銀のコマをもっとくれると言われても……」
「僕が君を脅して、無理やり言うことを聞かせたことにしますから!」
その夜。僕は寺院をこっそり抜け出して、人目を忍びながらメセフの船に乗りこみました。
弟子が寺院を出るのはご法度。
韻律の技を完璧に扱えぬ者、すなわち半人前が外へでることはまかりならぬ――そんな規則があります。体がガクガク震えます。
禁を犯したことも。我が師が危機に陥っていることも。どちらも怖くて怖くてたまりません。
でも。でも。
わが師を助けなければ……!
街に着くや、僕はメセフの案内で噂の庁舎へと走りました。
レンガ造りのその建物の前に着く前から、背筋が凍りつくような金切り声が聞こえてきます。この世のものとは思えぬ恐ろしい声です。
僕は庁舎に飛び込み、恐ろしい声のする部屋を目指しました。
その部屋はすぐに分かりました。何人もの衛兵が、扉の前で固唾を飲んで張り付いていたからです。
ドドドドとかダダダダとか、ガガガガとか、悲鳴の合間にすさまじい轟音が聞こえてきます。
廊下を走って来た僕を見て驚く衛兵を押しのけて。僕は鍵がかかっているその扉をばんばん叩きました。
「お師匠さま!」
その時。
部屋の中から、地獄の底から響きわたるような低音が聞こえてきました。
『我こそは闇の帝王カンダラーハ! 導師の術など毛ほども聞かぬわ!』
雷鳴の音。そして、誰かの辛そうな呻き声……。
『うわっははは! 勝負にならぬぞ!』
僕の顔からみるみる血の気が引きました。
「嫌だ! お師匠さま! 死なないで! 死なないで! ちくしょう開け!!」
叫んだ瞬間。だらんと、長い耳が頭から垂れ下がりました。
な、なぜ、ウサギの耳が……!
いえ、今はそんなことを気にしている場合ではありません。僕は渾身の力を込めて、扉にばんと両手を当て。吹き飛ばしの韻律を唱えました。
扉に打ちつけた僕の両手から虹色の光が飛び出して。扉が勢いよく部屋の中へ倒れます。勢い余った僕も一緒に部屋の中に転げました。
中は真っ暗です。壁の一面だけが煌々と輝いています。
その壁一面に、火だるまになった導師の姿が……!
「う、うそ! お師匠さまああああ!」
間に……合わなかった……?
いやだそんなの……。やだ……!
――「あ、弟子? なにしてんの?」
え?
床に手をつきぼろぼろ涙をこぼす僕の背後から。いつもの声が聞こえました。
ふりむけば……ソファに埋まってくつろいでいる我が師の姿が……。
え……えええっ?
光る壁と我が師を交互に見つめ、呆然とする僕。我が師は光る壁を指差して、上機嫌に言いました。
「いやあこの幻燈、超面白いね! シリーズもんで百作もあるのよ。主人公は古代の超有名人、伝説の俳優ピッドラ・ブラッド! これがもぉ超美人でさー♪」
「え……幻……燈?」
ってあれですか? お芝居の……映像、ですか?
光る壁の中で、きわどい衣装の姫が闇の帝王を一刀両断にしています……。
まさか。
これが、遺物?
「全部検品しないといけなくてさ。今五十六作目。古代兵器目白押しでめっちゃ面白れえ。ピッドラ愛してるう!」
おもしれえって。愛してるって。僕が、どれだけ心配したと……
あ! み、耳!
僕はあたふたと頭を抑え、ぼそぼそ韻律を囁いてウサギの耳を消しました。部屋の中が暗いので、幸い我が師は気づいていないようです。
「ていうか弟子、なんでここにきたの? あ、もしかして」
我が師は満面の笑みをうかべ。僕の頭をぐりぐりと撫でてきました。
「寂しくて、一人で眠れなくなったのか?」
う。やめろ。いじるな。
それ以上いじられると――。
「じゃあ寺院帰ったら一緒に寝ようねえ。あ、でもおねしょはするなよ」
「うあああ!!」
きれるんだってば。
「触るなちくしょうう!」
「よしよし、泣くんじゃない。ごめんな、ひとりにして」
「泣いてねーよ!!」
床に突っ伏して、痛恨の勘違いに沈んでいく俺の背を。
我が師はどさくさまぎれにいつまでも擦っていた。
にまにまと、光る壁に映るきわどい衣装の姫君を眺めながら。