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風編みの歌 7話 香膏(ベルサム)

 今日はとても暑いです。頭上からさんさんと陽が射してきます。

 僕は額の汗を拭きながら、露天の中庭の真ん中でざっくざっくと鍬をふるいました。

 今週の僕は畑当番。

 寺院では、いろんなハーブや野菜を中庭で作っています。供物船からいただくパンとチーズだけでは、さすがに栄養が偏りすぎるからです。

 今日はニンジンを収穫したあと、空いた場所を耕しなおして、肥料を入れて、ハーブの種をまく予定なのですが。


「暑い……」


 汗が止まりません。

 ふと中庭に面した洗い場を見やれば、洗濯当番の弟子たちが、実に気持ちよさそうに洗濯しています。僕は恨めしい気持ちで天を仰ぎました。

 こちらは汗で蒼い衣がべとべとです。なぜお天道様は、先週晴れてくれなかったのでしょう。

 べたべた気持ち悪いので、僕は衣を脱いで作業することにしました。衣を脱ぐと、袂からするりと羊皮紙の封筒が落ちました。


「あ……」


 親友のトルからの、やっと来た嬉しい便り。

 短い言葉でしたけれど、僕にとってこれほど嬉しいものはありませんでした。だからお守りのようにしてずっと衣の袂に入れています。

 熱を出して養生している間に、僕はトルにあてて返事を書きました。友の師であるバルバドス様に、密書と一緒に送ってくれるよう掛け合うと、黒髭の御方は快く預かってくださいました。

 僕の手紙は昨日来た供物船に乗せられて湖を渡り。たぶん今頃は荷馬に乗せられて、大街道を西へ西へ向かっていることでしょう。

 大事な手紙を袂に入れ直し、腰布一枚になった僕は、再び鍬を振り上げました。

 袖や裾が体にまとわりつかないで、いい感じです。

 炎天下、重い鍬をひたすら、ざっくざっく。

 よし、あともうひと畝……。





 ひとしきり働いたあと、僕は洗い場の隣にある風呂場でサッと汗を流しました。

 流し場で水をかぶってぷはっと息をついたとたん。小窓から「ひいいい!」と悲鳴が聞こえてきました。

 この声は……我が師のようです。


「クソオヤジ、また瞑想サボってノゾきを……!」


 やめろと再三言っているのに、我が師は、「わが子の発育を毎日確認してるんだ」と主張して譲りません。確かに、「痩せすぎだ」とか、「筋肉がない」とか、もっともらしいことを言ってきますが……困ったものです。

 僕は能面のような顔で小窓から顔を出しました。

 狭い岩壁の間にはまっている我が師は、なぜか顔面蒼白です。


「お師匠さま?」

「弟子が焦げてる!」

「は?」


 我が師は僕を指さして叫びました。


「まっ黒!」


 ああそういえば、農作業のせいで体がこんがり焼けていますね。腰布一枚で作業しましたから。


「雷電の韻律で焼かれたのか? それとも呪いか? いったい誰にやられたんだ? 今すぐとーちゃんに教えなさい。速攻で韻律ぶっ放して、そいつを焼き殺してやるからっ!」


 いや呪いじゃなくて、日焼けですって。魔法でなったんじゃないんですってば。


「太陽のせい、だと……?」


 ちょ……天に手をかざして呪い放ってもムリですって。 

 いくらなんでも太陽は砕けないでしょうが! もう沈みかけてるし。 


「うあああ! こ、こんなに焦げたら……お、俺の弟子は……弟子は……」


 我が師は両膝をつき、両手で頭を抱えて叫びました。


「どこにもお嫁にいけねええええ!」


 僕は壁に頭をぶつけてがっくりうなだれました。 

 あの。だから。再三言ってますけど。僕、男なんですってばお師匠さま。

 せめて婿と言って下さい……。





 次の日の午後。

 相も変わらずの炎天下、今日も衣を脱いで畑を耕す僕のもとに、我が師がニコニコ顔でやってきました。


「弟子ー!」

「う」


 僕はわざと背を向けて鍬を振り上げました。この無邪気な笑顔は要注意です。この表情の時に関わったら、十中八九ろくなことになりません。 

 

「弟子、ごくろうさん。メディキウムにいいもん貰ってきたぞー」

「メディキウム様?」


 リンの師匠の名を聞いて、僕は思わず手を止めて振り向きました。

 メディキウム様は、黒の導師にしてはめずらしく、白の技である薬学や医術に精通されておられます。

 もともとは黒の技とは対極関係にある白の技を研究されていたものが嵩じて、ご自身も手ずから薬を調合するようになられたのだそうです。その私室にはありとあらゆる薬草や秘薬が並んでおり、さながら病院のよう。このためにメディキウム様は、寺院の救護室の監督官に任ぜられていらっしゃいます。


「もうバツグンに効くってさ」


 我が師は得意げに、円錐形の白いかたまりをサッと差し出してきました。

 薬でしょうか。あのう、風邪はもう治りましたし、どこもケガしてませんけど?


「いや、日焼け止めだよ。日焼け止め」


 これが? 軟膏みたいですけど、体に塗るんですか?


「頭の上に載せるんだってさ。これで弟子はもう焦げないし、真っ白美人にもどるぞお♪」


 我が師は円錐形のかたまりを僕の頭のてっぺんに載せ、ふんふん鼻歌を歌いながら去っていきました。

 かっと照りつける日差しの下、いい匂いが頭からぷんと漂ってきます。


「あ、これ、お香が入ってるんだ……」


 僕はなんだか不思議な気持ちで、鍬を振り上げました。

 照りつける太陽の熱で、頭のてっぺんに乗せたものがじわじわと溶けてきます。

 ぽとぽとぽとぽと、髪を伝って垂れてきます。だらだらだらだら、顔に流れて。肩に流れて……。

 同じ畑当番の弟子たちが、鍬をふるう手を止めて鼻をつまみ、こちらを睨んできました。


「おまえ、超臭いぞ」


 むせかえるような、花の香り。頭がくらくらしてきます……。

 う? なにか、幻が見えてきました。

 空に飛びかう光の粒? これは……まさか精霊?

 なぜ、こんなものが見えるのでしょう? ぜったいこれ……違うでしょう。日焼け止めじゃないでしょう!

 まずい……! 光の精霊って、確か空の上に巣があるって図書室の本にあったような。

 頭からだらだら溶けた軟膏を垂らしながら、僕はあわてて畑から離れました。

 芳香に寄せられて、ぽわぽわとまたたく光の粒が群れなして追いかけてきます。

 僕を空の高みへ連れて行こうと、腕に絡みついてぐいぐい引っ張ってきます。金属をすり合わせたような音がキンキンと響いてきます。


 ツレテク?

 ツレテコ!

 イコイコ!

 ソラ。オソラ!


 まずい……まずいまずい!

 僕は精霊たちにふわりと体を持ち上げられてしまいました。

 一体どうすれば?

 精霊を追い払う韻律なんてまだ知らないし。自分の体を重くする韻律もまだ……。

 万事休すかと蒼ざめたその時。天の助けか、回廊にリンのお師匠さまの姿が見えました。


「め、メディキウム様ー! た、たすけ……!」

「おやおやこれは……」


 メディキウム様はふわふわ宙に浮く僕を見るなり、さっとひと言韻律呪文を唱え。あっという間に精霊たちを追い払いました。


 ザンネン。

 ザンネンネ。

 ソラ キレイナノニ。

 ナノ二。


 韻律の力に押しやられた精霊たちは、うわっと中庭に去り。次々と空へ昇って消えていきました。

 助かった……!

 へたへたと床にへたり込んだ僕を見て、メディキウム様はころころと笑われました。


「アスパシオンどのは、香膏(ベルサム)も一緒に弟子にあげてしまわれたのか」


 え?


「夕餉のあとに、導師らで精霊遊びでもしようかと差し上げたものなのに」

 

 精霊遊び?


「その香は夏の晩に、精霊を寄せて楽しむ時に使うものじゃ。特に光の精霊は香を好むゆえ、すぐに集まってくる。頭に載せて溶かして全身に香をまとえば、かように宙に浮いて飛んで遊ぶこともできる」

「あのう……香膏(ベルサム)も一緒に、ってどういうことですか?」

「ふむ? アスパシオン殿に弟子のためにと頼まれて、その香と一緒に特製ヨーグルトをひと壷お渡ししたのだが。ヨーグルトに香料と油を混ぜたものは、とても日焼けに効くのだよ。冷却効果に加え、焼け肌の回復に非常によろしい」


 ええと。渡されたのは、この香りの軟膏だけなんですけど……。

 僕は急いで頭を洗い、自分の割り当ての分を速攻で耕してから、我が師の姿を探しました。

 ヨーグルトと聞いて、嫌な予感がしました。我が師は、それはそれは、意地汚いのです……。

 ほどなく。僕は、(かわや)の中から我が師の唸り声が聞こえてくるのを発見しました。


「あ。やっぱり……」


 案の定、我が師は食べ物だと勘違いして……食べてしまったようです。

 香料と油脂が入った、特別加工のヨーグルトを。


「お師匠さま! なんでちゃんとメディキウム様の説明を聞かないんですかっ」

「だってえ、日焼け止めはお香の方だと思ったし、壷からはうまそうな匂いしてくるしー」

 

 こいつは……ほんとに……!

 僕の堪忍袋の尾はまた……


 きれた。


 

「何で食べるんだ! あんたってばほんっと、いつも早とちりして、しかも意地汚ねーんだよ! ご飯以外のものむやみやたらと食べるなと、何度言ったら分かるんだ! 小神殿のお供え物食べて見事に腹壊して、最長老様に鬼のように怒られたの、忘れたのかよっ?」

「忘れたー。それいつの話?」

「三年前!」

「弟子ちゃん、すごい記憶力いいなぁ」

「あんたが忘れっぽいだけだ!」

「でも言葉遣い、またど不良になってるよ? お、落ち着こうよ」

「うるさい! 大体あんたは……」


 ひとしきり厠の前でクソオヤジに説教をかましていると。なんだか続々と僕の後ろに長蛇の列ができ始めてきた。

 黒き衣の導師様も。青き衣の弟子たちも。みんな、お腹を抱えてうんうん唸って、ずらっと並んでる。

 あれ……? メディキウム様の姿まで、列の後ろの方に見えてる? なんだか、みんなすごく蒼い顔をしているような。

 え? これは一体……?

 異様な光景にしゅんと落ち着いた僕の耳に。


「朝食べた魚、もしかして腐ってたんじゃないか?」


 後ろの行列からのヒソヒソ声が聞こえてきました。

 金髪のレストが腹を抱えてしゃがんでいて。すぐ後ろにいる黒肌のラウが、口を抑えて呻きながらうなずいています。


「たぶんな。ちょっと匂いが、アレだったから」

「早く空いてくれぬと困る。これはちょっときついぞ」

「うむ。しかし、俺たちだけじゃなく、みんなやられたようだな」


 ええっ?!

 いやでも、我が師のお腹の不調は、きっと混ぜ物ヨーグルトのせいで。

 いやでもまさか、朝の魚のせい? 一体どっち?

 そういえば僕のお腹もなんだか……!

 ああ、たしかにもうじき夏至の月。 

 蒸し暑くなってきて、魚にもっとたっぷり塩をまぶさねばならないところを、調理係の弟子たちが塩をけちりでもしたんでしょうか。

 

「お師匠様、早く出てきてくださいよ。後がつかえてるんですよ!」


 僕は血相を変えてバンバン厠の扉を叩きました。そうしている間にも。後ろに並ぶ列はあっという間に、どんどんどんどん、増えてゆくのでした……。




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