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風編みの歌 6話 魔法のお粥

 

 赤毛のトルが寺院を出てひと月後。

 ビアンチェリ家の生き残りがメキドの新しい王に即位し、ファラディアとメキドが休戦協定を結んだというニュースが大陸中に流れました。

 北の辺境にある我が岩窟の寺院にも、供物船からその噂が入ってきました。

 その内容は、

「若き王は瞬く間にメキド国内の混乱を収め、精力的に政を行っている」という、とても喜ばしいものでした。

 僕はトルから手紙が来ないかと首を長くして待っていましたが……手紙はいっこうに送られてきませんでした。

 バルバトス様の方には、毎週供物船が来るたびに密書が届いているようです。

 きっと忙しいのだろうと、僕は思いました。

 王になったばかりな上に、王宮内も宮殿の外も混乱しているはず。落ち着いたらきっと書いてくれる。僕は自分にそう言い聞かせました。


「トルは僕のことを忘れたわけじゃない……」


 僕はひとり、勉学に打ち込みました。図書室で本を読み漁り、韻律を必死で覚えました。

 前にも増して、週変わりの当番にも精を出すようになりました。 

 親友がいなくなり。ひとりで食事をするようになった寂しさに、耐えるために。

 




 さみだれがしとしと降る日。

 洗濯当番に当たった僕は、中庭に面した洗い場で、寝台の敷布をがしがし踏んで洗いました。

 露天の中庭に雨が吹き込んできて、夏至も近いというのにひどい寒さでした。

 岩窟の寺院では、蒼き衣の弟子たちが週番制で様々な仕事をします。

 洗濯、掃除、調理、繕い物、家畜や畑の世話……ひと通り当番が回るまで三ヶ月はかかります。

 これでは乾かぬだろうと思いながら冷たい雨風にさらされた岩場に洗濯物を干し終わりますと。

 夕刻を報せる鐘がごんごん鳴りました。

 導師さまたちが湖にせり出した岩の舞台に集まって風の歌を編み、寺院を護る結界を作る時刻。

 それが終わりますと、いよいよ夕餉です。

 寺院には料理人などおりません。食事もすべて、当番の弟子たちが準備します。

 湖の向こうの街から捧げられるパンやチーズの供物が、食事の主なメニュー。

 弟子が作るのは魚の塩漬けぐらい。

 僕は急いで調理場に走り、お師匠様のお食事を盆にもらって小食堂へ持って行きました。

 当番だけでなく、自分の師のお世話をするのも弟子の修行のひとつなのです。

 数百人の弟子が一度に食事する大食堂とは違い、小食堂はとても狭い部屋です。

 約百人の黒き衣の導師さまが、ここでさみだれ式に食事を摂られます。

 普段は会話もほとんどなく落ち着いている雰囲気で、食べたらすぐに席を立たれる方が多いのですが、今日は週末。にぎやかに会話が弾んでいます。外から椅子が持ち込まれ、小食堂はぎゅうぎゅうづめ。

 週に一度のお楽しみ、食事に加え、ブドウ酒が供される日だからです。


「北の王国の噂をご存知で? 変な風習が流行っているとか」

「ああ、毎夜宴会ばかり開いている王の所ですな?」

「宴の料理の数がなんと数百種類とかいう……」

「そこでガチョウの羽の軸で喉をつついて、お腹にたらふく入ったものを外に出してしまうのだそうで。

それからまた、続きを食して全種類味わうのだそうですよ」

「いやはやもったいない。パンと塩漬けの魚で、十分足りるのに」


 数百種類の宮廷料理って、一体どんなごちそうなのでしょう……。

 僕はそんなことを思いつつ、お師匠さまの杯にブドウ酒を注ぎました。

 ちなみに我が師は大のお酒好き。扱いは要注意です。


「杯に入ってたの、少なかった! いつもより指一本分少なかった!」

 

 案の定今回も木の酒杯に指を突っ込み、大声で僕に主張してきます。


「お代わりくれ! いいだろ弟子ぃ? 指一本分でいいからぁ」


 もうほんと、どこかの居酒屋のオヤジそのものです。


「酔いまわってますよ。もうやめましょう」

「らいじょおぶ! 指一本ぐらい、よゆー」


 大丈夫じゃないでしょう。ろれつ回ってません。

 しかし今夜は「指指」しつこいです。「指」で攻めてくるつもりです。


「指一本分ですね。はいはい」


 僕はぞんざいにうなずいて、水で十倍ぐらいに薄めたブドウ酒をほんのちょっぴり杯に注いでやりました。


「うおー。うまいー!」


 我が師は酔っ払うと味など全く分からなくなるので、絶対ばれません。


「弟子!でもちょっと足りないよ? 指一本分ってさあ……」

「ああ、縦に一本分のことですね。はいはい」


 想定内です。僕はさらに水で数十倍に薄めたブドウ酒を杯に注いでやりました。


「いい子だ弟子! とーちゃん感動! うれしいっ」


 こんな父親、頼まれてもいりませんてば。


「弟子ものめー!」

「だめですよ。弟子は飲酒禁止です」

「いいからのめー!」

「だめですって」 

「い・い・か・ら♪」

「うおぷ!」


 すっかりできあがった我が師は突然ざんと立ち上がり。僕の肩をひしとつかみ。


 僕が盆に載せている「原液」のはいった水差しをひっつかんで、その先っちょを僕の口にいきなり突っ込みました。


「弟子もそろそろ、お酒の味おぼえとけ。がはははは!」


 目を白黒させ、僕は反射的に赤い液体を飲み込んでしまいました。

 たぶんかなりの量が喉を通ったでしょう。騒ぎ立てたら周りにばれる、罰を受けると思ったものですから、それはもう必死で黙って飲み下しました。

 幸いほろ酔い加減の導師様たちは、部屋の隅のよっぱらいオヤジには眼もくれず、楽しく歓談されておられて、こちらの騒動には全く気づかなかったのですが。


「う……なんか、ものが二重に見える……」


 皿を下げようと手を伸ばしたとたん、僕は頭がひどくくらくらして。ふらつきながらどんと食卓に

倒れ込み。

 それから――意識を失ってしまいました。





 目の前で誰か泣いています。黒い髪の女の人のようです。


「かわいそうに、こんなに熱だして。ああ、神さま」


 女の人は、ぼろぼろ涙を流して僕の頭を撫でています。

 ああ、この人は僕の……。

 ということは、これは、夢?


「お粥作ってやるからね。ああどうか、食べておくれ」


 ほわりと、いい匂い。ああ、お粥だ。小さい頃よく食べた、卵入りの……

 僕は手を伸ばしました。

 でも手に触れるなり、女の人とそのお粥は、ふっと消えてしまいました。


「ごめんね、ごめんね」


 女の人の姿が掻き消えたあとに。誰かの泣き声が聞こえてきました。

 さっきとは違う声です。

 突然フッと目の前に、小さな、黒い髪の男の子が現れました。


「死なないで。お願い死なないで」


 男の子がぼろぼろ涙を流して懇願しています。

 これは……誰?


「これあげるから、死なないで。ペペ!」


 男の子の手には、大きなニンジン。

 その子が、ニンジンを僕に差し出してきました。

 何で? 僕、ウサギじゃないですって……ニンジンなんか、いらないですってば……!

 僕が腕を大きく振り薙ぐと。男の子の姿は、フッと消え去りました。

 僕が欲しいのは。欲しいのは……。

 

 母さん……母さん……。

 

 夢の中で僕は泣きました。

 なんだかとても寂しくて寂しくて、たまりませんでした。

 

 ああ、母さんのお粥が食べたい……。

 




 ハッと目を覚ませば。僕はお師匠様の部屋の寝台に寝かされておりました。そばには涙ボロボロ、鼻水ズーズーの我が師がひっついています。


「弟子ぃいい! 目を覚ましたのか! よかったあ」


 僕は我が師の後ろを見て蒼ざめました。最長老さまが、天突く山のようにずんと立っておられます。

 飲酒がばれたのでしょうか。こ、これは恐ろしい罰が下されるのでは……。


「やっと熱が下がったな。私の秘薬が効いたようでなによりだ」


 しかし最長老さまはニッコリなさり、しばらく養生しなさいと言い置いて部屋を出ていかれました。

 頭から疑問符を飛ばしまくる僕を、我が師がぎゅうと抱きしめてきました。


「弟子ぃ! おまえすごい高熱で三日三晩意識不明だったんだぞ。きっと変

な風邪もらっちまったんだなあ。もう俺、弟子がマジで死んじゃうかと思ってあわてちまったよ……」

 

 風邪? 

 いや絶対、あなたがムリに飲ませたお酒のせいでしょう。そうでしょう!そんなヒイヒイ泣いたって許しませんから!


「熱下がってホントよかったなあ。あ、そうそう。おまえが熱でうんうん唸ってる間にさ。手紙きたぞ」

「えっ?」


 我が師が一通の封書をひらひらさせたのを、僕はすかさずひったくりました。差出人の名前を見たとたん、僕の顔は満面の笑みでほころびました。


「トルからだ……!」


 待ちに待っていた親友からの手紙です。封を開けて中を見ると、短い手書きの、共通語で書かれた文章がありました。


『アスワド、僕は元気だ。心配しないで』


 トルナート・ビアンチェリという公式の署名が、その分厚い立派な便箋の下にあります。なんだか嬉しくて、僕は一気に体が軽くなりました。


「よかったトル……!」

「弟子、ほら食べろよ」


 え?なんですかお師匠さま。そのお盆に載ってる、異様な湯気が立ってるものは?


「お粥」 


 はい? 


「おまえうんうんうなされて、お粥食べたいってしきりに呻くもんだから。俺、がんばって作っちゃった」 


 ちょっと……待ってください。一体誰が、作ったんですって?


「だから俺が。作ったの。風邪の菌をぶっとばそうと、不老不死の秘匿韻律と、悪霊払いの最上級韻律と、神さまもぶっ飛ばす最強結界韻律をぐにぐにとお汁の中に封じてだな、」


 秘匿韻律? それ長老級しか知らない韻律じゃ……一体どうやって習得したんですか。

 もとい。


「生まれて初めてお粥つくっちゃったー♪ 弟子、食べて食べて♪」


 すっごくまずそう……。いりませ……。


「ふがっ!」


 木のスプーンにズモモと掬われたソレが、いきなり僕の口につっこまれました。

 瞬間。

 僕は口を覆って寝台に倒れ込みました。


「ま、まずい? し、塩入れすぎた?」


 ちくしょう……このクソオヤジ! 一体どんな魔法をかけやがっ……


「ちょっと! 布団かぶんないで。顔出してよ! 弟子! 弟子ー!」


 おいしいなんて、口が裂けても言うものかと、僕は布団の中で歯を食いしばって、じわじわ出てくる涙を拭きました。

 ええ、死んでも絶対……

 言うもんか!


 母さんのお粥と、全く同じ味だったなんて。 



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