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風編みの歌 3話 理想の家庭

『 空よ わたしは飛んでいく

 綿虫になって飛んでいく 』


 あ……。この声は。

 懐かしい……。この声をまた聞けるなんて。


 『十の年のお迎えに

 お船にのって飛んでいく 』


 パッと目に浮かんできたのは。

 白装束の自分の姿。綿虫みたいな自分の姿。

 すぐ目の前には。黒い衣の人。

 ああ、この歌。もしかしたら、僕らのこと?

 きっとそうだ。十の年のお迎えって、きっと……。

 テレイス。テレイス。

 会いたい……。



 心地よい朝日に頬をくすぐられ、僕は目を開けました。

 寝台がいくつも並ぶ共同部屋には、もうほとんど弟子の姿がありませんでした。

 僕はあわてて起き上がり、蒼き衣に袖を通しました。

 まさか寝坊するなんて。

 むかいの寝台で黒肌のラウが鼻歌を歌いながら、ヤシ油で髪を固めています。彼はいつも身だしなみに非常に気を使っております。天人花の香油もひそかにつけているぐらいです。ここには、彼を見て心ときめかせる婦女子はひとりもいないのに……。


「ラウまだか? そんなに熱心に身繕いしたって、無駄だぞ?」


 そばで待っている金髪のレストが、まさに僕が今思ったことをくすくす笑いながら言ってからかいました。ラウは真面目な顔で答えました。


「無駄なものか。プレーミーはいつも僕のそばにいる。この心の中に」

「プレーミー?」

「恋人って意味。僕にはマンゲタラがいたって、前に話しただろ」

「マ……?」

「ああ、婚約者って意味さ」


 そうだったな、とレストは思い出したようにうなずきました。

 ラウは時折、故郷の南方語を混ぜ込んで話します。それは大抵、言葉にすると恥ずかしいことや、誰かに悪口を言う時です。

 ラウとレストが共同部屋を出て行くのとほぼ入れ替わりに。


黒髪(アスワド)、おはよう。急がないと魚獲りに遅れるよ」 


 寝坊した僕を見かねて、赤毛のトルが洗顔用の(たらい)を持って来てくれました。


「すみません、トル」

「君がなかなか起きないなんてめずらしいね」


 トルはもと王子とは思えないほどよく気がつきます。もしかすると、父親が王位を奪われたあと、かなり苦労したのかもしれません。

 トルと連れ立って船着場で魚獲りをして。それからいつものように朝の風編みの出迎えのために待合の広間に行きますと。

 風編みの歌が唄い終わっていっとう始めに、最長老様が降りてこられて、僕の方へまっすぐ近づいてこられました。

 え。まさか。また我が師が何かしたんでしょうか。

 確かに今日の風編みの歌も、ひとりだけ枝葉が分かれてもう一本の幹になりかけてましたが……。

 

「アスパシオンの。今宵、そなたの師を討論会に召還する」


 最長老さまはため息混じりに告げました。


「絶対に欠席せぬよう、そして時間に遅れぬよう、師を討論室によこすように」


 最近は最長老さまも解ってきて、のらりくらり馬耳東風の我が師に直接言うのはあきらめて。僕に「師に伝えるように」といろいろお命じになります。

 我が師は、ウサギのペペの生まれ変わりだと思い込んでいる僕の言うことだけは、とりあえず耳に入れてくれるからです。

 鼻をほじりながらのん気に岩の舞台から降りてくる我が師を眺め。

 僕は口を引き結んでうなずきました。


「分かりました。必ず師を出席させます。それで、今宵の討論会のお題はなんですか?」

「うむ。今宵議題とするのは俗世間一般の『家庭』についてだ。夜までたっぷり時間がある。きちんと勉強させて、討論室によこすのだぞ」

「はい、そのようにいたします」


 



岩をくりぬいて作られた部屋の奥に、簡素な寝台が置いてあります。

 その寝台の上で、黒き衣をまとった我が師がごろごろしておられます。

 昼下がりということで惰眠をむさぼりたいようです。

 午後は瞑想の時間のはずですが、本日もいつものごとくサボることに決めたのでしょう。

 当番仕事である寺院の回廊の掃除をし終えてきた僕は、ため息混じりに師の部屋に入りました。

 午前中いっぱい我が師に警戒され、なんやかんやと話を反らされごまかされてきましたが。そろそろ、覚悟を決めてもらわなければなりません。


「お師匠様、『家庭』なんて、そんなに難しい主題じゃないでしょう?」


 我が師は寝転がったままウヘァと顔をひきつらせました。


「それ無理だって。およそ俺らには縁のない話だろうに」


 ですよねえ。

 ここは人里はなれたド辺境の寺院で、独身の男しか住んでいないんですから。

 岩をくり貫いたうすぐらい寺院の中で、頭のてっぺんが円はげなお兄さんとか、髭のむさーいおじさんとか、よぼよぼ白髪のおじいさんとかが、毎日韻律の修行してる所ですからねえ。

 

「一生寺院にこもって、およそ家庭なんて持てない奴ばっかりなんだから、そのお題、マジで無理。討論中ブドウ酒おかわり自由とか言われても、無理。つうか、こっわい最長老の前で討論とか、なにそれどんな拷問なのよ?出たくねえええ!」


 ですよねえ……。

 我が師は頭を抱えて悶絶しておられます。

 さもあらん。

 寺院の討論会は、最長老さま主催で週末に一度開かれるもの。 

 導師様方が序列順に順繰りに、七人ずつ出席することになっております。

 出席者は己の持てる知識を総動員して、主題について議論を戦わせなければなりません。

 夕餉の後の七の刻から、日付が変わるまで。えんえんと。


「でも出席しないと面倒ですよ。最長老様は怖い方ですからね。怒られるだけじゃすみませんてば」

「先週のお題の『服飾』だったら、なんとかなったのに」

「なぜですか?」

「『大陸ファッション誌』、盗み読みしたからさぁ」

「ちょ……盗み読み? なんですかそれ」

「デブのデクリオンが厠かわやに置き忘れていったのをちろっと見たんだ。厠で雑誌読むのってなんか不思議とリラックスできるよなあ」

「はあ、まあ、そうですね」

「その雑誌にさ、美少女特集載ってたんだよ。めっさおもしろかった」

「はあ。びしょーじょですかー」


 僕が棒読みで返すと、我が師は寝台から半身を起こし、頬をほんのり赤らめて、うっとりのたまわりました。


「各国の太陽神殿少女合唱団の制服の比較記事だったんだけどさ、地元のエティア王国のが一番ださいんだよな。スメルニアは雅で着物の柄もすごく繊細でいい感じ。でも一番よかったのは南王国のだな。ヘソ見えてて、ミニスカートで、露出度超高くってさー。弟子に着せたいこれ! って俺思っちゃったよ。あれ着たら、絶対かわいいぞ!」

「なんで僕が着ないといけないんですか」

「弟子、かわいい顔してるじゃん。歌もうまいし、俗世にいたら絶対少女合唱団に入れるわ」


 僕、もう声変わりしてるんですけど。お師匠様。


「デブのデクリオンに感謝だな。超眼福だったわぁ」


 このクソオヤジ……毎度のことながら、本当に救いようがありません。人様のものを盗み見るなんて。しかも大衆誌とか。やばいですってそれは。

 黒き衣のデクリオン様は、とかく俗世のことを研究するのがお好きな方。ひがな一日「大陸ファッション誌」とか「帝国騎士日報」とか「流行歌手名鑑」などという雑誌を読みふけっておられる。研究目的であると真顔で主張なさるので、長老様方はデクリオン様が大衆紙を定期購読することを、しぶしぶお認めになっておられます。

 そう、いわゆる、特例です。


「お師匠さま、それでは寺院に来る前の、ご自身の家庭のことを叙述なされては?」


  討論会のことに話を戻すと。煩悩の塊の人は、とたんに真っ暗どん底な顔になりました。


「思い出したくない……」


 あ。もしかして地雷踏んだかも。


「俺の家はスキマ風だらけで寒くてさぁ……いっつも家族はケンカばっかり。妹は借金のかたにどっかに売られちまったし。オヤジは飲んだくれで母ちゃんは外に男作るし、弟は病気で死ぬし……あああ、無理。この寺院に来て、ペペに出会うまでほんとひどいもんだったよ」


 うわ……貧乏家庭自慢大会とかだったら、ぶっちぎりで優勝できそうな感じ。


「ペペはほんと、かわいかったんだよなぁ。冬に抱っこして寝たら、湯たんぽになったしさぁ」


 指をわきゅわきゅ動かして、ほわほわのウサギを撫で愛でる仕種をなさるお師匠様。

 うぁ……なぜかこれ以上根掘り葉掘り聞いてはいけないような気がびんびんします。話の腰をベキッと折りましょう。


「それでは!ご自分が導師ではなく俗世の人間であると仮定しまして、『もし結婚して家庭を持つとしたらこうであるのが理想である』、というお話をなさってはいかがでしょう!」

「けっこん……だと?」

「大陸の!理想の!家庭像というものをですね!カイヤールの倫理学を引用し、レニスラフの修辞学を駆使してですね、かくあるべし!とご提示なさっては?」

「結婚というものは。好きなやつとする。それがいちばんだろう」

 

 ですよねえ。

 僕もそう思います。

 ……って、いきなり寝台から降りて、ずいっと目の前にせまらないで欲しいんですけど。


「ぼ、僕、男……ですよ? お師匠さま」

「相手はごっついカワイイやつ。それがいちばんだろう」


 ですよねえ。

 僕もそう思います。

 ……って、ひしっと手を握らないで欲しいんですけど。


「だから僕、男ですってば。お師匠さま」

「つまり。好きでカワイイやつと家庭をもつ。それがいちばんだろう!」


 ですよねえ。

 僕も激しくそう思います。カワイイ女の子と結婚とか、もう最高。まさにこの世の真理。

 ……って、なぜそこで、恋しくってせつなくって口をへの字に曲げた顔をしてくるんですかこの人?


「お師匠様、何度言っても解らないようですけど、僕は――」

「なんで……」


 あ。ちょっと待て。なんだか、ものすごくいやな予感が。


「なんで……」


 うわ。今にも泣きそう。ってことは……。


「なんで、ウサギと人間は結婚できないんだぁああ! 教えてくれえええ、弟子いいいい!」

「……」


 やっぱり。

 必ずウサギにいきつくんだ、この人……。

 変な勘違いして……めちゃくちゃバカみたいですね、僕。

 でもなんだか、今とってもホッとしました。すごくホッとしました。


「あの。それ訴えればいいんじゃないですか? 最長老さまとかが、その悩みに答えてくれるかもしれませんよ。あ、そろそろ夕の風編みのお時間ですね」


 ぐいとお師匠様の顔を両手で押し返して、僕は棚の時計を指さしました。


「ほら五の刻ですよ。とっとと石舞台に行って下さい」


 風編みは、朝と夕の二回行わなければなりません。半日経つと、魔法の力が薄れてしまうからです。

 永遠なるものなど、この世には存在しないのです――。






 夕の風編みに続いて夕餉を終えたあと。僕は嫌がる我が師の背をずんずん押して、なんとか討論室に押し込むことに成功。とりあえず最長老さまに命じられたことを果たせてホッとしました。

 最長老さまを本気で怒らせると、実はかなり怖いことになります。

 恐ろしきかな、情け容赦ない呪いが飛んでくるのです。

 なにせここは、黒き衣の導師の寺院。呪殺なんぞお手のもの、恐ろしき黒の技を息をするように行使する、道師たちの暮らす場所なのですから。

 かわいい女の子と結婚して家庭をもって。子供をもつ。

 そんな普通の夢が僕にも昔ありましたけど。今はもう、決して叶わぬ夢。

 討論会が終わったら、我が師は場所など関係なしに愚痴りに来るでしょう。我が師の部屋で帰りを待つことにしましょうかね。みんなが寝ている共同部屋でガアガアやられたら、たまったもんじゃありませんから。でも我が師の部屋には寝台と椅子とテーブルしかないんですよね……。

 本でも借りて読んでいようと、僕は図書室に入りました。夜の図書室は真っ暗で不気味。カンテラを持ってくればよかったと後悔しつつ本棚の奥に進むと。


「どうも、はっきりせぬ」


 ヒソヒソと、誰かの話し声が。


「また同じ出目だ」


 あ……。トルの師匠のバルバトス様?


「これほどやってもどちらにも振れぬとは、面妖ですね」


 冷ややかな声も聞こえます。この声の主は、ヒアキントス様です。

 またこの二人? そしてまた……サイコロの出目の話?


「では、別の方法を試してみられますか? 丁か半か、答えがそれしか出ぬものを」

「うむ。頼む」

「御意に」


 僕は息をひそめ、二人が暗闇の奥からすうと動いて出て行くのを待ちました。

 それから少し間を置いて、警戒しながら図書室から退出。なんだか、お二人に気づかれてはいけないような気がしたからです。

 ドキドキして題名をよく見もせずに抜き出してきた本を抱きしめて、僕は我が師の部屋へと足早に、でも足音をしのんで行きました。

 部屋の灯り壷をひとつだけ点けて、本をめくると。現れたのは、きれいな姫君の挿絵。


「あ。これ、古代童話集……?」


 挿絵の姫は十歳ぐらいの容姿。なんともかわいらしい少女。

 そのために。たちどころに幼馴染のテレイスを思い出してしまいました。

 いまや彼女は、年頃の少女。もしかしたら、もう誰かと結婚してるかもしれません……。

 う。なんだか胸のあたりがしくしく痛みます。

 テレイス。テレイス……。

 踊る風。風に揺れる黄金の穂。降りしきる白綿蟲。

 テレイス。テレイス……。

 元気にしているでしょうか。

 

 会いたい……。 





――「ただいま弟子ー!」

 

 砂の時計が十二の刻をさした頃。

 うとうとしていた僕は、部屋に帰って来た我が師に起こされました。

 なんだかひどく上機嫌です。もしかして……討論会は、大成功だったとか? 

 どすんと寝台に腰を下ろした我が師は大興奮。弾丸のように喋りだしました。


「弟子、あのさ、俺がどうして人間はウサギと家庭を持てないのかってみんなに相談したらさ、もうめちゃめちゃ盛り上がっちゃって! 倫理的にはどうだとか、哲学的にはどうだとか、なんかもううんちくたらたらすごいのよ。人間と獣の掛け合わせは可能かとか、亜人族の祖先はトカゲかトリかとか、話が科学的なことにまで飛んじまってさぁ、もう議論白熱。話題提起した俺、みんなからすっごく褒められた!」

「よかったですねえ」


 僕はあくびをしながら頭をこっくりこっくり。ああ、とても眠い……


「お疲れ様でした。それじゃ僕、共同部屋に戻って寝ますね。おやすみなさい……」


 目をこすりながら師の部屋を退出。背後から師がなにか仰ってきたけれど、半分寝ぼけている僕は何を言われたかよくわからず。共同部屋の自分の寝台にもぐりこんだとたん、夢に落ちました――。





 踊る風。

 風に揺れる黄金の穂を背に、年頃のかわいい少女が、にこやかに笑っています。


『ぺぺ』


 ちょっと首をかしげ、はにかんで。


『ペペ、愛してるわ。ほら、お夕飯よ。大好きでしょう?』


 そのまっ白な両腕に。山盛りいっぱいのニンジンの籠を抱えて。

 ニンジン……

 ん? ニンジン?

 ああ……。

 たしかに、大好きだったかも……?

 僕は籠に手を伸ばして、ニンジンをむしゃむしゃ。

 かわいい少女とにっこり笑い合いながら、むしゃむしゃ。

 あれ?

 この女の子、なんか髪が黒くなってる?

 あれ?

 女の……子? じゃ……ない? 少年?

 あれ?

 なんだか姿が変わったその人に。

 僕はよくしってる人の口調で言われました。


『ぺぺ、もっと食べろよ』

『うん! ハヤト!』


 ハヤト?

 それは、だれ?

 何で僕は、そんな返事をこの少年に?

 

 わからないまま。僕は夢中でにんじんを食べ続けました。

 何本も何本も食べ続けました。

 なんだか。幸せな気分でふわふわしながら。



 




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