聖女祭の思い出
木々が色づき、オークナッツが落ち始めた秋の晴天。
「さあ! ケーキを焼く季節がやってきたわ!」
クレアはいつもそう言って、僕の手を引いて森へ飛び出した。
クレアは、僕の年の離れた従姉妹で、もうすぐ六十歳になる。
けれど、その心は十歳の僕よりも無邪気で無垢な子供のままだった。
彼女は外で働いたり結婚した経験がなく、ただ森の古い丸太小屋で、僕と、そして足の不自由な黄色い老犬ピートと一緒に暮らした。
僕たちの目的は、年に一度の「聖女祭」に、世界にたった数人しかいない「僕たちの友達」へ贈る、特製のフルーツケーキを焼くことだった。
聖女祭とは、聖女が世界を救った日であり、そして聖女の命日でもある。
僕たちは聖女の献身に感謝して、聖女が世界で一番美味しいと言った、貧しい農夫の妻が作ったというフルーツケーキを再現するのが決まりになっていた。
「レン、見てごらんなさい。今年はオークナッツが豊作よ」
クレアは、白髪の混じる銀髪を揺らしながら、木の実をかごに集めていく。
ケーキを焼くには、たくさんの材料が必要だった。森で拾った木の実、蜂蜜、ドライフルーツ、そして一番肝心な隠し味は、めったに手に入らないドワーフが造る「燃える蜜酒」だった。
僕たちは、一年に一度、商人からレーズンにドライイチジクに燕麦の粉を買うためと送料のため、数カ月前から「ケーキ貯金」をしていた。
ドブネズミを退治して冒険者ギルドからもらった銅貨、薬草を売った小銭。古い長靴の中に隠した革袋の小銭をベッドの上にぶちまけて、クレアと二人で何度も数え直すのが、僕たちの秘密の儀式だった。
「三十、三十一……これだけあれば、あのドワーフの偏屈じいさんも、一番いい蜜酒を分けてくれるわね」
クレアは、子供のように目を輝かせて笑った。
◇
暗いキッチンで、薪ストーブの炎が爆ぜる。
大きなボウルの中で、蜜酒に浸したオークナッツと、すりつぶした燕麦の粉が混ざり合う。えもいわれぬ甘く芳醇な香りが小屋を満たす時、僕たちの世界は、宇宙のどこの宮殿よりもゴージャスだった。
焼き上がった三十個のケーキは、僕たちが「友達」と認めた人たちへと郵便で贈られた。
軒下に泊めて欲しいと迷い込んだ旅の騎士、僕たちを街から家まで馬車に乗せてくれた親切な御者、一度も会ったことはないけれど、はるか遠くの王都から僕たちの聖女のケーキの質問に返事をくれた老賢者。
「クレア、僕たち、もう一文無しだね」
残ったケーキのクズをピートと分け合いながら、僕は言った。
「いいのよ、レン。私たちは、私たちの心を聖女や貧しい農夫の妻のように、あの人たちに分けたんだから」
そして、聖女祭の当日。
僕たちがお互いに贈り合うプレゼントは、決まって手作りの風船だった。
クレアは、スライムから抽出した液体をピカピカに磨いた泥団子に塗り、液体が乾いたら水で泥を洗い流し、僕のために綺麗な青い風船を作ってくれた。
僕もクレアのために、不器用な手つきで緑色の風船を作った。
風の精霊が強く吹く丘の上で、僕とクレアは魔法をかけて軽くした、膨らませた風船を大空へと放った。
「見て、レン! 私たちの風船が、空の海を泳いでいるわ!」
クレアは歓声をあげ、草原を走った。老犬のピートも、短い尾を振ってそれを追いかける。
スライムで作られた風船は、空高く昇ると、まるで本物の星のように優しく発光し、光の尾を引いて冬の青空に溶けていった。
「神様、私はもう、このまま天国に行ってもいいくらい十分過ぎるほど幸せよ」
クレアは草の上に寝転がり、空を見上げて呟いた。
「クレア、ダメだよ。来年も、その次も、ケーキを焼かなきゃいけないんだから」
「そうね、レン。あなたと一緒なら、何度だって」
……それが、僕とクレアが一緒に過ごした、最後の聖女祭になった。
次の年、秋が来る前に、僕は学校に行くため、父親の住む街に引っ越したからだ。
そしてクレアは3カ月後、静かに聖女様の元へと還っていった。老犬のピートも、彼女の後を追うように眠りについた。
やがて僕は大人になり、宮廷の魔導具師になった。
街には豪華なご馳走や、生クリームで飾られた本物のデコレーションケーキがある。
けれど、あの古い木小屋のストーブの匂いや、オークナッツのほろ苦い香りに勝る美しいものは、この世界のどこにも見当たらなかった。
今でも、冬の冷たい風が吹くたびに、僕は空を見上げる。
雲の隙間に、あの時二人で飛ばした、青と緑の風船が今も泳いでいるような気がしてならないのだ。




