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九条陣屋火事

徳川家康の旌旗は湿った海風の中ではためき、遠くでは九条陣屋の輪郭が朝霧と山霞に霞んで、まるで伏せた巨獣のように見えた。山沿いに築かれたこの砦は稲妻奥地への要所であり、今は強敵によって堅く守られている。


本多忠勝——「徳川の魂」と謳われた猛将は、象徴的な鹿角脇立兜をかぶり、黒光りする南蛮胴具足には戦塵がまとっていた。陣前に立ち、鋭い眼光は霧を貫き、静かに見えて杀机に満ちた砦を見つめていた。背後には二百の徳川精鋭が黙って立ち並び、人数は少ないものの百戦錬磨の士ばかりで、瞳には主将への絶対的信頼と戦いへの渇望しか宿っていなかった。


「鬼の平八」の胸中には少しの侮りもなかった。守りを固めるのは雷光のような射撃で知られる九条裟羅、類まれな才覚と剣術を持つ神里家の令嬢・綾華、さらに八百の稲妻精鋭武士と足軽であることを知っていた。この堅城を強攻するのは卵で石を叩くようなものに他ならない。


陣屋内、九条裟羅は最上階の櫓台に立ち、鋭い瞳で下方の徳川軍の細い陣を眺めていた。その姿は天を翔る猛禽のように凛々しかった。

「たった二百人か。本多忠勝は慢心か、それとも何か企んでいるのか」

裟羅は身側の神里綾華に低く囁いた。綾華は雪のような白い衣をまとい、扇を軽く閉じ、清らかな面差しで答える。

「裟羅様、油断なさいませ。『三河の狼』の名は嘘ではありません。相手が弱々しく見えるほど、隠された殺気は鋭くなる恐れがあります」

砦壁の外、まばらな敵陣に不安な暗流が潜んでいるように感じられた。八百の稲妻兵士はすでに布陣を整え、弓には矢がつがえ、刀は抜かれ、沈黙の中に殺気が充満していた。


最初の試撃は午後に始まった。徳川の兵は波のように砦壁に押し寄せたが、稲妻軍の密集する矢雨と精確な鉄砲の前に一歩も前へ進めなかった。落石や丸太が轟音とともに落ち、凄惨な叫び声が上がり、徳川軍の先鋒は引き返さざるを得ず、泥濘の地面に数十の屍を残した。本多忠勝の顔色は沈黙し、天下三名槍の一つ「蜻蛉切」を振り回して幾筋かの流矢を払い、部隊に陣を崩さぬよう喝した。彼は稲妻軍の守りの厳重さと粘り強さを目の当たりにした。九条裟羅の指揮は冷静を欠かず、神里綾華の軽やかな姿は必ず危機の箇所に現れ、手にする太刀「霧切」の冷たき閃光は幾度も登壁を試みる敵を撃ち返した。


夕日が沈み、空を鮮やかな血赤に染め上げた。徳川軍本陣の空気は重く、初戦の敗北に兵力の劣勢が露わとなった。本多忠勝は蜻蛉切の冷たき槍杆を撫で、眉を強く寄せた。強攻はすでに望みがない。ここで堅城の前に足止めされるのか。


その時、穏やかな足音が近づいてきた。軍師・黒田官兵衛は墨色の袈裟をまとい、軍配団扇を手に、ゆっくりと本多忠勝の側へ歩み寄った。いつも細めていた瞳には、すべてを見通す輝きが宿っていた。

「平八様、この亀甲殻に悩んでおられるのでしょう?」

官兵衛の声はやや枯れていたが、人心を落ち着かせる力があった。


忠勝は鼻で笑った。

「官兵衛、何か妙案があるのか。その黒田節で城壁を歌い崩すつもりか?」


官兵衛は薄ら笑いを浮かべ、団扇で九条陣屋の背後に広がる深い林と、砦の木造部分を指した。

「ご覧ください。このところ日照りが続き、海風は湿っても山内部の木々と建物の材はすっかり乾いています。山沿いに築かれた九条陣屋は守りには有利ですが、それは……火の回り込みにも有利だということです」

声を潜め、続けた。

「今夜は東南風が吹く。天が与えた好機です」


忠勝の瞳に閃光が走った。

「火攻めか?」


「まさにその通りです」

官兵衛は頷いた。

「すでに密かに多くの燃えやすい物と油を用意させ、夜に忍び込ませて砦壁下と林縁に仕掛けさせます。火が上がれば風が勢いを加え、燎原の火となるでしょう。敵は炎に呑まれるか、あるいは……このるつぼから飛び出すか。われわれは外で待ち構え、労を逸して敵を待つのです」


忠勝は深く息を吸い、官兵衛の肩を強く叩いた。

「よし。この計に従おう。成功すればお前が首功である!」


子夜、月は闇に隠れ風は強かった。身のこなしの軽快な数十人の徳川忍者が物の怪のように火付けの道具を持ち、ひそかに指定の場所へ潜り込んだ。稲妻軍の歩哨は警戒していたものの、夜闇の脅威をすべて察知することはできなかった。


突然、一筋の火箭が夜空を裂き、落ちる星のように干薪と火油の積まれた隅へ見事に射ち込まれた。


どかっ――!


炎は一瞬にして立ち上がり、飢えた獣のように乾いた材木を貪り食らった。ほぼ同時に複数箇所で火が点り、東南風が勢いづき、火の粉と炎を砦の中心部と林の奥へと巻き上げた。


「火だ!火がついた!」

「早く消火せよ!」


九条陣屋の内部はたちまち混乱に陥った。驚きの叫び、泣き声、材木の燃える音が入り混じる。真っ赤な火炎が天に昇り、黒煙は星と月を覆い隠した。消火しようとする稲妻の兵は熱気と煙に押し返され、秩序は突然の災害の前にあっという間に崩れ去った。


九条裟羅は居室から飛び出し、目に飛び込んできたのは地獄のような火の海だった。

「卑怯者!こんな手段を使うとは!」

裟羅は歯を食いしばり、即座に決断を下した。

「全軍、聞け!陣屋を捨て、西門から突破せよ!じっと待ち受けては死ぬだけだ!」


神里綾華は袖で口元を覆い、咳き込みながら言った。

「裟羅様、敵は門外に伏兵を敷いているに違いありません!」


「わかっている!」

九条裟羅は彼女の手を取った。

「中に残れば死ぬほかない。飛び出せば一縷の望みがある!隊を結集し、わしと共に突破だ!」


砦門は炎の中で轟音とともに崩れ落ち、煙にまみれ狼狽した稲妻の兵たちが決壊した洪水のように殺到した。陣地の盾を失い隊形は乱れ、多くの者は武器すらまともに握れていなかった。


しかし彼らを待ち受けていたのは、徳川軍がすでに構えた鉄砲隊だった。


「狙え!」

「撃て!」


どんどん――!


豆が弾けるような鉄砲音が一斉に響き、白い煙が立ち昇った。鉛弾は死の嵐となり、最前線の稲妻兵士たちを瞬く間になぎ倒した。悲鳴が絶えず、当たった者は刈り取られる麦藁のようにひれ伏した。混乱はさらに増し、突破しようとする稲妻軍はまるで目に見えぬ死の壁に衝突したかのようだった。


混乱が頂点に達したその瞬間、雷鳴のような怒号が戦場を揺るがした。


「徳川の本多忠勝、ここにいる!鼠共、命を捧げよ!」


本多忠勝は真っ先に駆け、丈二の蜻蛉切を手に、まるで戦神のように崩れゆく稲妻軍の中へ突入した。彼の通るところ刀光は閃き、槍影は縦横に舞い、血風雨を巻き起こした。稲妻兵士の刀剣が具足に当たっても飛び散る火花が散るばかりで、傷つけることは叶わなかった。蜻蛉切が一振りされるごとに血しぶきが上がり、複数の命が刈り取られた。羊の中に虎の如く無敵を誇り、混乱の敵陣に道を切り開き、混乱の中でもなお掲げられる九条家の旗印を目がけて突き進んだ。


「九条裟羅!わしと一騎討ちせよ!」

忠勝の怒号は戦場の喧騒をも圧し消した。


火炎に照らされ、九条裟羅は護衛を払いのけ弓を引き絞り、瞳は鷲のように鋭くなった。

「本多忠勝!増長するな!」

この徳川猛将を討ち果たさなければ勢いを取り戻せず、部隊の突破の時間を稼げないと悟った。三本の矢はほぼ一直線に繋がり、鋭い破空音を立てて忠勝の面門、喉元、胸元へと襲いかかる!


忠勝は身をかわすこともなく、蜻蛉切を車輪のように躍らせた。「カチン、カチン、カチン」と清らかな音が響き、雷光のような三矢をすべて払い飛ばした。駕る馬は止まることなく、瞬く間に九条裟羅の目前まで迫った。


裟羅は弓を捨て刀を抜き、太刀の冷たき閃光が決意の面映し出した。一声の気合とともに身を躍らせ、刀光は布のように忠勝に斬りかかる。この一撃は彼女の渾身の技であり、肉眼で捉えがたいほど速かった。


しかし本多忠勝の戦闘経験は計り知れない。この鋭い一撃に対し、彼はわずかに身をかわすだけで、蜻蛉切は毒龍の如く後から先に出て、裟羅の技の唯一の隙――旧力が尽き新力が生まれぬ瞬間――を的確に突いた。


「ッシャク!」


槍先が鎧の隙間を貫き、肉深く突き刺さった。九条裟羅の身体は激しく震え、刀勢は消え失せた。彼女は信じられぬように身を屈め、自らの体を貫く槍杆を見つめ、血は槍穂から滝のように流れ落ちた。


「え……雷光……永遠……」

苦しそうに言葉を吐き、瞳の輝きは急速に失われていった。


本多忠勝は腕を振り、彼女の屍を馬下へ叩き落とした。

「九条裟羅、討ち取った!」

その声は鐘のように響き、稲妻軍の精神の支柱が崩れ落ちたことを告げた。


少し離れた場所で必死に抵抗を指揮していた神里綾華はこの光景を目撃し、胸を抉られるような痛みを覚えた。

「裟羅様!」

悲鳴を上げ、万事休すと悟った。忠実な家臣の捨て身の護りのもと、涙を浮かべて九条裟羅の倒れた場所を一瞥し、神里流霰歩を発動し、姿は炎と煙の中で幾度か瞬き、混乱する戦場の隅から消え去った。


主将の戦死、神里綾華の敗走により、稲妻軍の抵抗は完全に崩壊した。生き残った兵士は土下座して助けを乞う者、散り散りに逃げる者もいたが、多くは徳川軍に情け容赦なく討ち取られた。戦場は次第に静まり、炎の燃える音と負傷者の断末魔のうめきだけが残された。


本多忠勝は屍山血海の中で馬を止め、蜻蛉切の槍先はまだ血を滴らせていた。黒田官兵衛の知略と自らの武勇が織り成したこの勝利を眺め、恐ろしげな鹿角兜をゆっくりと外し、堅固で疲れを宿した面を現した。


「戦場を清め、損害を調べよ」

厳しい声で命令し、再び燃え盛る九条陣屋の廃墟と、遠く稲妻の深い奥地へ視線を送った。この勝利は東照神君覇業の道における新たな踏み石に過ぎず、「鬼の平八」の戦いはまだ終わらない。焦げ臭さと血生臭さが空気に充満し、徳川家の旗がこの地に一層はためくこととなった。

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