表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/36

淡化池惨事

血池稻香


血池の稲香


織田軍は淥華池辺に横たわる農民三百の屍を踏み越え、

勝利のもと米を行囊に満たし凱旋した。

だがその夜、軍営に米の香りが満ち溢れた時、

兵士たちは皆、釜で蒸された米の粒が次第に紅く滲み出すのに気づいた。

一口飯を含めば、濃厚な鉄錆の生臭さが鼻を衝く……




淥華池の水気は年中絶えることなく、初夏の午後には立ち昇って妖しき幻境を作り出す。沼沢が点在して天光山色を映し出し、澄んだ池辺には丹念に耕された稲田が広がり、緑の絨毯は視界の果てまで続いていた。稲穂は実り始め、やがて重く黄金に染まる未来が偲ばれる。風が渡れば、稲葉の擦れる音とせせらぐ水声だけが、静けさを包んでいた。


この平穏は、突如打ち砕かれた。


足音、武具の触れ合う音、そして土地の訛りとはかけ離れた粗野な号令が、凪いだ水面に投げ込まれた石のように、この地の安らぎを引き裂いた。五十余人から六十人余りの雑兵が、簡素な胴丸をまとい陣笠をかぶり、槍や打刀を手に池の対岸から進んできた。長旅の疲れが動作に滲むものの、その瞳には激しい渇望が燃えていた——獲物を見つけ、略奪して飢えを満たす貪欲な眼差しである。


率いるのは体格のがっしりした雑兵頭で、顔に古い刀傷が横たわり、濁った目は凶悪に光っていた。見渡す限り広がる稲田を眺め、喉仏を上下させた。美景に感嘆するのではなく、間もなく手に入る穀物への渇望に他ならない。


「急げ!刈れるだけ刈り取れ!袋をすべて満たせ!」

雑兵頭の嗄れた声は、断じて拒む余地のない命令だった。


兵士たちは飢えた狼が羊の群れに飛び込むように、膝まで浸かる水田に踏み入った。稲刈りの仕方を知らぬ彼らは、乱暴に稲藁を掴み、腰の短刀で、あるいは素手で引き折り、手持ちの布袋や行囊に無造作に詰め込み、時には着物を脱いで稲を包んだ。青々とした稲苗は踏み荒らされ引き裂かれ、濁った泥水が湧き立った。


「やめろ!何をする!」


田んぼの畦から叫び声が上がった。最初は数人、やがて数十人、百人に及ぶ。淥華池の農民たち老若男女は、鍬や熊手、棍棒を手に四方から押し寄せ、畦を塞いだ。顔には驚愕と怒り、そして武装した兵士への隠しきれぬ恐怖が浮かんでいた。白髪白髭の老農が人々に推されて前に出、雑兵頭に深く一礼し、興奮で震える声で訴えた。


「兵の殿方、どうかお慈悲を!これは淥華池の老若が一年暮らすための糧です。もうすぐ収穫の時期、このように持ち去られては、我々は生きていけません!」


雑兵頭は痰を吐き、柄に手をかけ、笑い歪んだ刀傷が一層醜く浮かんだ。


「生きる?戦う我らこそ生きる権利がある!織田家の武士は天下布武のため血を流し汗を流している。お前たちの米を徴発するのは、恩恵を与えてやるのだ。退け!」


老農はひざまずき、濁った涙を流した。

「どうか命だけはお助けください!稲はまだ完全に熟しておりません、持ち去っても無駄です!」


その嘆願に応えたのは、冷たい刀の弧光だった。


「くどい!」


雑兵頭の打刀が予兆なく抜かれ、上から真っ逆さまに振り下ろされた。老農の哀願の声は絶え、信じ難い表情のまま首が泥に転がり、頸から鮮血が噴き出して一面の稲を紅く染めた。


一瞬、時が止まったかのようだった。


次の瞬間、静寂は激しく打ち砕かれた。


「討て!」


誰が最初に叫んだか分からぬまま、雑兵たちは束縛を解かれた獣のように咆哮し、無防備で農具しか持たぬ農民たちに襲いかかった。槍は粗末な着衣を容易に貫き、血肉と臓腑を砕き散らす。打刀が舞い、血しぶきが舞い上がる。絶叫、哭き声、哀願、罵倒、武具が肉に食い込む鈍い音、骨の砕ける甲高い音……先の風と水声は一瞬にして悲鳴と惨響に塗り替わった。


虐殺。


徹底的で、非対称な虐殺である。


農民たちは抵抗を試みるも、鍬は胴丸に叩きつけても浅い窪みをつけるだけ、熊手は容易に払いのけられる。彼らは刈り取られる稲のように次々と倒れ伏した。鮮血は溢れて淥華池の澄んだ水に流れ込み、広大な水面を妖しい薄紅色に染め上げた。屍は畦や水田に無造作に横たわり、稲は押し倒され血と泥に浸かる。空気には吐き気を催す濃厚な血腥さが立ち込め、元の清らかな稲の香りと水気を覆い隠した。


雑兵頭は血の海の真ん中に立ち、刀を杖に少し息を弾ませ、顔に血沫を浴びていた。瞳には鬱憤を晴らした昂奮と残忍な歓びが宿る。周囲を見渡し、抵抗する者が一人も残っていないことを確かめた。


「数を確認せよ」


兵士が大まかに数えて報ずる。

「頭、約三百人程です」


雑兵頭はまるで数字を聞くように無表情に肯いた。

「荷物をまとめ、米をすべて詰めて引き上げる準備をせよ」

足元の農民の屍を邪魔な石でも蹴飛ばすように、軽く蹴った。


兵士たちは黙って命令に従い、重い息遣いと道具の触れる音だけが響く。泥と血に汚れた奪い取った米を、あらゆる袋と行囊に詰め込む。重たい戦利品が肩に圧しかかり、芽生え始めた不安を一時的に封じ込めた。隊列は再び整い、屍と血の水を踏み、修羅場と化した淥華池を後にした。背後に残されたのは、果てしない静寂と、濃く漂う血腥さだけだった。


夕陽が彼らの影を長く引き伸ばし、血色の池と稲田に歪な姿を映し出した。


丘陵の裏に設けられた臨時の軍営に戻った頃、空は夕暮れに染まっていた。営内には次々と篝火が焚かれ、略奪に出た別の小隊も次々と帰還し、それぞれの戦利品を携えてくる。営の広場には米が幾重も小山のように積み上げられ、生き還った安らぎと野蛮な歓喜の空気が漂った。誰も淥華池で起きた惨事を口にせず、あるいは意図的に話題を避け、少し激しい穀物徴発に過ぎぬと思い込もうとしていた。


大釜が火にかけられ、清水を注ぎ、淥華池から奪った米を研ぎ入れた。米粒は清水に浮き沈み、篝火の光を浴びて、普段よりも異様に透き通った輝きを放っていた。


「飯がもうすぐ炊き上がる!」炊事の兵士が声を上げた。


濃厚な米の香りが立ち込め、兵士たちの空腹と張り詰めた神経を和らげる。多くの者が椀を持って釜の周りに集まり、心安らぐ香りを貪るように嗅いでいた。


ついに、飯が炊き上がった。


釜の蓋が開けられ、白い蒸気が立ち昇り、一層芳しい稲の香りが辺りを満たす。兵士たちは殺到し、木杓子で熱々の飯を椀によそう。


「おや?」


最初に飯をよそった兵士が怪しむ声を上げた。篝火の傍らで椀を覗き込むと、真っ白な飯の中に、ほのかな紅が滲んでいるように見えた。


水面に墨を垂らしたように、紅色は瞬く間に飯全体に広がった。一点、二点、一面……瞬く間に椀の飯は、妖しく粘り気のある暗紅色に染まり果てた。


「こ、これは何だ?!」彼は思わず叫んだ。


その声に周囲の兵士が注目し、やがて飯をよそった者全員が同じ異変に気づいた。どの椀の飯も例外なく急速に紅く変わり、凝固した血のように濃く、揺らめく篝火に仄暗く光を反射している。


色だけではない。


先の米の香りに代わり、言いようのない異臭が営内に充満した。濃厚な鉄錆の生臭さが鼻を衝き、身の毛もよだつほどの臭気——それは血の匂いだった。生々しく濃烈で、椀の中にあるのが飯ではなく、湧きたての温かい血であるかのように思わせた。


「オエッ……」堪えきれず嘔吐する者も現れた。


顔に刀傷のある雑兵頭も、今や血紅の飯が盛られた椀を手に、篝火の光に青ざめた顔を震わせていた。取り繕って箸で飯をつまみ、目元に近づける。米粒は完全に血色に浸され固まり、吐き気を催す生臭さを放っていた。


彼は勢いよく椀を地面に叩きつけた。


「ふざけるな!何事だ?!」


磁器の椀は砕け散り、血紅の飯があちこちに飛び散り、生臭さは一層強まった。


恐怖は疫病のように軍営に広がった。兵士たちは猛毒でも扱うように椀を投げ捨て、互いの青ざめた顔と地面の凄惨な「血飯」を見つめる。淥華池で死に目を閉じぬ三百の瞳、流れ河となった鮮血、立ち込めた血腥さ……次々と脳裏に蘇り、目の前の血飯と空気に充満する窒息するような血の匂いに、完全に重なり合った。


篝火がパチパチと音を立て、恐怖に歪んだ人々の顔を照らし出す。


誰も言葉を発する者はいない。


鉄錆のような血の臭いだけが、実体を持つかのように濃く立ち込め、一人一人を纏い、隙間なく絡みつき、呼吸を締め付けていた。


夜は、まだ長い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ