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第四話:騎士隊長の敬意と大賢者の助言

血に渇く短剣の一件から、数日が過ぎた。

冒険者の男が店に駆け込んでくることもなく、エルリックの日常は再び、望んでいた通りの静けさを取り戻していた。午前中は店の裏手でささやかな家庭菜園の土を耕し、昼下がりは古書の修復に没頭する。時折訪れる村人たちの、他愛のない世間話に耳を傾ける。そんな穏やかな毎日が、彼にとっては至上の幸福だった。


王都での出来事は、もはや遠い世界の記憶となりつつあった。

その日も、エルリックはカウンターでハーブの仕分けをしながら、鼻歌交じりで過ごしていた。そんな彼の耳に、店の外から聞こえてきたのは、明らかに場違いな音だった。


カツン、カツン、と規則正しく響く、重厚な金属の靴音。

オークヘイブンのような辺境の町では、まず耳にすることのない、騎士のプレートメイルが立てる音だ。その音は、寸分の狂いもなく、彼の店の前でぴたりと止まった。


次の瞬間、ドアベルが重々しく鳴り、息を呑むほどに荘厳な姿をした人物が店内に足を踏み入れた。

磨き上げられた白銀の鎧。腰には見事な装飾が施された長剣。そして、その全てを着こなす、鋼のように鍛え上げられた長身の体躯。先日、旅商人を装って店を訪れた、あの鋭い眼光の男だった。しかし、今の彼が放つ威圧感は、その時の比ではなかった。


「……王国騎士団、第三騎士隊隊長、ヴァレリウス・クライヴと申す」


低く、厳かな声が店内に響く。エルリックは、思わず手にしていたハーブの束を落としそうになりながら、椅子から立ち上がった。

(騎士団の、隊長……!? なぜ、こんな辺鄙な店に……)


混乱するエルリックを前に、ヴァレリウスは微動だにせず、真っ直ぐに彼を見据えていた。その瞳には、畏怖と敬意が混じり合った、不可解なほどに真摯な光が宿っていた。

「先日は、姿を偽り貴殿の御業を盗み見る形となり、非礼を働いたこと、深くお詫び申し上げる」


そう言うと、ヴァレリウスは胸の前で拳を合わせ、騎士の最敬礼をとった。エルリックはますます混乱するばかりだ。

「は、はあ……。いえ、あの、人違いでは……」

「いいや」


ヴァレリウスは、エルリックの言葉を遮るように、しかしあくまで丁寧な口調で続けた。

「貴殿が、あの一瞬で『ゴブリンスレイヤー』の怨念を鎮めた御仁であることは、このヴァレリウスの目が確かに見届けた。我が不明を恥じるばかりだ。このような場所に、貴殿ほどの『大賢者』様が隠棲しておられたとは」

「だ、大賢者……?」


エルリックの頭の中は、疑問符で埋め尽くされていた。話が全く見えない。怨念を鎮めた、というよりは、残留思念を宥めた、というのが彼の認識だ。それをなぜ、これほどまでに大事に捉えられているのだろうか。


ヴァレリウスは、エルリックの困惑を「賢者特有の謙遜」あるいは「自身の正体を試すための韜晦」と解釈したようだった。彼は構わず、本題を切り出した。

「本日は、賢者様にご叡智を拝借したく、参上仕った次第。……我が一族に伝わる、この剣について、ご高察を賜りたい」


ヴァレリウスはそう言うと、背負っていた長大なケースを静かにカウンターに置き、中から一本の大剣を取り出した。

それは、美術品としても一級品であろう、見事な両手剣だった。刀身は月光を凝縮したかのような淡い輝きを放ち、鍔には緻密な紋様が刻まれている。しかし、その美しさとは裏腹に、剣全体からはズシリと重い、歴史の圧力が発せられていた。


「これは、我がクライヴ家に代々受け継がれてきた宝剣、『アイゼンヴィレ(鉄の意志)』。幾多の戦場で勝利を齎してきた、栄光の剣だ。しかし、この剣には一つの問題がある」

ヴァレリウスは、どこか苦しげに言葉を続ける。

「この剣を振るう者は、戦闘が長引くにつれて、徐々に理性を失い、敵味方の区別なく斬りかかる狂戦士と化してしまうのだ。我ら一族は、これを乗り越えるべき試練と捉え、強靭な精神力でねじ伏せることこそが使い手の証としてきた。だが、俺は……未だ、この剣を完全に掌握するには至っていない」


エルリックは、その言葉を聞きながら、そっと大剣に指を伸ばした。ヴァレリウスが息を呑んで見守る中、彼の指先が、冷たい鋼に触れる。


【呪物鑑定】――発動。


流れ込んできたのは、怨念や悲嘆ではなかった。

それは、圧倒的なまでの『誇り』。

初代の持ち主と共に建国の戦いを駆け抜け、二代目の持ち主と共に竜を屠り、三代目の……。何百年にもわたる、クライヴ家の栄光の歴史そのものが、この剣には宿っていた。狂戦士化の現象は、呪いではない。この剣に宿る、あまりにも強すぎる「勝利への意志」が、使い手の精神を凌駕してしまうがゆえの副作用なのだ。


この剣は、道具ではない。クライヴ家の歴史そのものであり、歴代当主たちの誇りの集合体。いわば、それ自体が一つの人格を持った、気高い存在だった。


「……なるほど」

感応を終えたエルリックは、静かに目を開いた。


「隊長殿。この剣は、呪われてなどいません。ただ、非常に誇り高いのです」

「誇り、高い……?」

ヴァレリウスが、怪訝な顔で問い返す。エルリックは頷いた。


「この剣は、自らを単なる『道具』として扱われることを良しとしません。力でねじ伏せようとすれば、より強い力で反発するでしょう。それは、この剣が何世代にもわたり、あなたの御先祖と共に戦い、勝利を分かち合ってきた『戦友』だからです」


エルリックの口から紡がれる言葉は、彼が感応で読み取った、ありのままの事実だった。

だが、その言葉は、ヴァレリウスの耳には、深遠な真理を突く賢者の箴言として響いていた。


(戦友……だと……!? 我らはこの剣を、力を引き出すべき『器』としか見ていなかった。だが、この賢者は、剣に宿る『魂』の本質を、一瞬で見抜かれたというのか……!)


ヴァレリウスの背筋に、衝撃とも畏敬ともつかない戦慄が走った。


エルリックは、そんな騎士隊長の内心など露知らず、骨董品を扱う店主としての、ごく当たり前のアドバイスを続ける。

「大切なのは、この剣の歴史を尊重することです。戦いの時だけでなく、日頃から手入れをし、語りかけてあげてください。これは、あなたの『相棒』なのですから。力で支配するのではなく、対等なパートナーとして、信頼関係を築くのです。そうすれば、この剣もきっと、あなたに応えてくれるはずです」


ごく、単純な助言だった。古い道具を大切に扱うための、基本的な心構え。

しかし、ヴァレリウスにとって、それは天啓に等しかった。


(支配ではなく、信頼関係……! 対等なパートナー……! なんということだ。これこそが、我が一族が何百年も見出すことのできなかった、この宝剣の真の理……! この方は、剣の理、魂の理、世界の理そのものに通じておられるに違いない!)


彼は、感動のあまり言葉を失い、ただ目の前の穏やかな青年に向かって、再び、深くこうべを垂れた。

「……賢者様。その御言葉、我が魂に刻み込みました。このヴァレリウス、生涯の恩義、決して忘れませぬ」

「は、はあ……。お役に立てたのでしたら、何よりです……」


完全に話の大きさに置いていかれているエルリックは、曖昧に微笑むことしかできなかった。

ヴァレリウスは、恭しく大剣をケースに収めると、懐からずっしりと重い金貨袋を取り出し、カウンターに置いた。

「これは、今回の鑑定に対する、ささやかな礼だ。お納めいただきたい」

「い、いえいえ! そんな大金はいただけません! 助言料として、銀貨二枚もいただければ十分です!」


慌ててそれを押し返そうとするエルリックの姿すら、ヴァレリウスの目には「金銭に執着しない賢者の無欲さ」の証として映っていた。結局、半ば押し付けられるように銀貨二枚だけを受け取ると、ヴァレリウスは満足げに頷き、再び最敬礼をして店を去っていった。


一人残された店内で、エルリックは手のひらに乗せた二枚の銀貨を見つめ、途方に暮れていた。

(一体、何だったんだ……? あの騎士隊長様は、あんな当たり前のことを聞くためだけに、わざわざこんな辺境まで……?)


彼には、自身の言葉が、相手の中でどれほど壮大に誤解され、神格化されてしまったのか、知る由もなかった。

彼はただ、今日の夕食の材料を買いに行くには十分な金が手に入ったな、とぼんやり考えるばかりであった。

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