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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
三章 「友達」の意味
69/99

69. 道化には決意を、友には言葉を

「カラバラーセまではあといくつ島があるのだったか」

「四つ、のはず」

「そうか。この窮屈な生活もそろそろ折り返しといったところなのだな」


 何気ない風を装いながら、あらかじめ組み立てておいた話題で会話の流れを掴む。


「手紙の配達にも慣れてきた頃だろう、そちらはどうなのだ? 楽しい物なのか?」

「歩き回るばかりで退屈。でも、手紙を届けた相手の反応を見るのは、少し面白い」


 期待通り、オトは任された仕事のことを自ら語り出した。

 こうして語ることが出来るのなら、きっとオトは充実した経験を積んでいるはずだ。


 ラズエイダは「ほう」とだけ相づちをうち、話の続きを促した。


「手紙を送る人は、大体故郷の島を離れて他の島に出稼ぎに行ってる人たち。手紙を受け取るのは家族が多くて、みんな郵便局章をつけた人を見るだけでちょっと嬉しそうな顔をする」


 出稼ぎに行くような労働者が皆文字を読み書きできるのだから、きっとこのディトリーデの教育機構は相当に優れたものであるのだろう。過去に何か違う選択をしていたなら、この国で学び、アルタスに持ち帰り治世に活かしていくこともあり得たのかもしれない。


 ───そんなことを話しても、オトの気を引けなどはしない。いつかテレミアの思考の中にでも垂れ流して、呆れたような感情を導くタネにするくらいがちょうどいい。


「郵便局員とは、なるほど、それなりに格式の高い役職であるのだな。ドレッシュ様やこの船の船員達を見ているばかりでは気づかなかったが」

「そうみたい。……そういえば」


 ふと机袖にオトが手を差し込み、棚の引き出しを開けて小さな徽章を取り出した。

 話の流れから察するに、


「郵便局章か?」

「うん」

「お前も正式に局員として登録されたのか?」

「ドレッシュにもらった。「俺の部下でいるうちはつけておけ」って」


 オトは声色を低め、父をこけにするような調子で言う。

 ラズエイダは苦笑いで「職権乱用とはこのことだな」と返した。


 オトは満足げに目を細めた後、僅かに唇を引き締めた。


「でも、きっとこうしなきゃいけなかったんだと思う」

「ああ。他人の目線からお前を守るためなのだろうな。ドレッシュ様の考えも別に間違ってはいない」

「……配達する手紙の中に、たまに真っ白な小包が一緒についてることがある」


 唐突に話題が切り替わった。

 ラズエイダは静かな目線によってオトに会話の続きを委ねた。


「それを受け取った人は、泣いたり、怒ったりする。ドレッシュや私につかみかかってくる人もいる」


 それだけ聞けば、何のことを言っているのかは予想がついた。


「……死亡通知と遺品、あるいは遺書か」

「すごい。どうしてわかるの?」

「アルタスにも同じ仕組みがあった。王国艦船隊の兵員は常に兵舎に自らの遺書と遺品を揃えておく。海の中から死体を引き上げるのは、よほどでもなければ割に合わないからな。船が沈んだことが判明したなら、当人の希望したとおりの宛先に遺書と遺品が届けられる」


 細い目を丸くするオトに向かって、ラズエイダは「すまない」と手を振った。

 話の腰を折ってしまった。少し出しゃばりすぎたかもしれない。


「……最近は戦争らしい戦争もなくて、死人が出るような戦いをするのは、大体国の外からやってくる海賊相手。だから、私は郵便局の人って思われないと困る、らしい」

「ただでさえ恨みを買っているのに、その当人が家族の遺品を運んでくるなど屈辱的な仕打ちでしかない。そうだろうな」


 オトは複雑な感情が織り交ぜになった表情で頷いた。

 テレミアと似たようなことを感じているのだろう。自分たちのやり方が人々にとってどれほど憎いものなのか、今になってようやく気づいたのだ。

 カライアで搾取される側にいた彼女たちが、外に出て今度はカライアでの過去によって苦しむことになるのだから、この世は不条理と言うほかないだろう。


 しかし、今は同情などに気を割くときではない。

 繰り出す機会を窺っていたある問いをぶつけるのに、絶好の機会を得ているからだ。


「オト、お前は海賊のことをどう思っている」


 問われたオトは、質問の真意を探るようにラズエイダの顔をじっと見つめ、しばらくしてからふぅと細く息を吐いた。


「……別に何も思わない。私はカライアで生まれたから、他にできることもなかった」

「そうか」


 最初の問いに対する答えは、別にさして重要でもない。

 オトが海賊としての生き方をどう思うのかを、彼女の中に形として作り上げる必要があっただけだ。

 

「また同じように海賊として生きたいと思うか?」


 質問を重ねる。

 今度の答えはほとんど間を置かずに返ってきた。


「わからない。ミアが海賊に戻るなら、私も同じようにする」


 ドレッシュとテレミアの二人を載せたオトの天秤は、あまりにも簡単に一方に傾いた。ラズエイダは自分の中にあった確信をさらに深めた。

 彼女はやはりテレミアにとって何にも代えがたい存在だ。

 

「テレミアの代理としてお前に願おう。彼女の支えであり続けてくれ」

「当たり前」


 鼻からふんすと音がした。何を当然のことを、とでも思っているのだろう。


 だからこそ、これからオトに解き明かす事実は、オトに足下を掬われるかのような思いをもたらすに違いない。


「というのが、テレミアの()()()の頼みだ」

「……えっ?」

「これから、お前にテレミアの個人的な思いを聞いて貰おう。彼女には話すなと口止めされているのだが、もういい頃合いのはずだ」


 オトの雄弁な表情には、願ったとおりに不安と戸惑いが浮かんでいる。

 それを利用しようという己の浅ましさには思い切り目を瞑り、ラズエイダはオトをテレミアにつなぎ止め、テレミアにオトを受け入れさせるための策略を展開し始めた。


「テレミアは、お前がこの船で色々な物を見聞きすることを咎めないし、お前自身の見識を広めるために、与えられる仕事をしっかり学んでおくべきだろうと考えている」

「どういう意味」

「お前の才能を活かす場所がテレミアの隣にあるとは限らない。例えテレミアの側を離れることを決意しようと、テレミアはお前を怒りはしない」


 オトは心の内を隠さないままにぶんぶんと何度も首を横に振った。


「何言ってるの、ミアはそんなこと言わない」

「テレミアは実際に、私にそうやって吐露している」


 語気を強めてオトの反発を遮る。

 ほんの数ヶ月前まで、互いを知らない全くの他人であったはずの人間が語る”テレミアの思い”が全て真実であるのだと、オトは信じることができるだろうか。

 そうさせるに足るだけの信頼関係をオトとの間に築けていることを祈りながら、しかしそのそぶりは一切表に出さずに、ラズエイダは話を続けた。


「テレミアは、お前に対して心から申し訳なく思っている。ラグーダの館の地下牢に身代わりとして差し出して、お前の命を捨て去ろうとしたこと。まるで未来のない彼女にお前の未来を縛り付けてきたこと。海賊という野蛮な身分でお前の人生を定義してきたこと。テレミアはお前を()()()()()()()()()から解き放つべきなのではないかと考えている節がある」

「……なんで」

「お前が大事だからこそ、だ」


 ぴくり、とオトの肩が震えた。

 少し待ってみても、反論を試みる様子もない。


 テレミアという人間をよく分かっている彼女のことだ。「オトが大事だからこそ」という一句が偽りのない言葉であると受け入れざるを得ないのだろう。

 

「ドレッシュ様は、少し過ぎたところがあるかもしれないが、それでもお前を幸せにしてやろうという決意は疑いようもなく本物だろう」

「……ん」


 細い鼻声がオトの返事だった。

 今頃きっと、オトの中では様々な思いと想像が渦巻いているはずだ。

 後は、その渦の中から一筋の渇望が吹き上がるのを促せばいい。


「あのお方はお前には何一つ不自由をさせないはずだ。共にいれば、平穏で、安らかで、仕事や日々の暮らしの些細なことに充足感を得る満ち足りた日々を送ることができる。父親とゆく配達の仕事は、退屈かもしれないが、決して空しいものではないだろう?」

「……」


 情報を増やし混迷を深めさせる。

 オトの顔はだんだんと俯いて、いよいよ血の気が引いてきたようにすら見える。


「テレミアと共にいることを選べば、お前を待つのは血に染まった争いの日々だ。三年後に控えるジャルダとの戦いのみではない。大迷宮で何度も死と隣り合わせに踊ることになるだろう。ラグーダが隙を見つけて襲いかかってくる可能性も高い。そうでなくとも、今こうして海賊である過去を知られてギリギリの綱渡りを強いられているのだからな。心安まることなどないだろうよ」


 ラズエイダはそこで一呼吸置いて、乾いた唇を湿らせた。

 オトの表情を窺いながら、そろそろ頃合いだろう、と心を決める。


「お前が取るべき選択は一つだ」


 強く言い切って、揺れ動くオトの瞳を見据える。

 その中に揺るぎない決意が宿ることを祈りながら、ラズエイダは準備してきた台詞を繋いだ。


「目前に安穏の暮らしがあるというのに、わざわざ命を他者のため使い果たす意味などあるはずもない。それも、不幸ばかりをお前に押しつけるような()のために、だ」


 屑、という単語が空気を揺らした瞬間に、あてもなく見つめるものを探していた紺青の両目がピタリと動きを止めた。


「オト。あの女と袂を分かて。今が最大の好機だ」


 善意の皮を被った侮蔑は、オトの表情をどこまでも冷え込ませていく。


 それを見たラズエイダは、”己の言葉がオトに届かないことを知って、オトに対する同情を膨らませる”。


「安心しろ、分かるように説明してやる」


 架空の同情に沿って、”オトのための言葉を探してやる”。

 オトの目にはきっと、勝手な妄想に酔いしれる滑稽な道化の姿が映るはずだ。


「私が見るに、お前とテレミアの関係は歪でしかない。……お前は幼い頃からずっとテレミアに良いように使われてきたから、自覚がないかもしれないが。いいか、正気になって考えてみろ。テレミアはお前に無理矢理剣を握らせ、便利な手駒としてこき使い、挙げ句の果てには身代わりとして敵の親玉に献上したのだぞ? テレミアはお前にとって友達でも何でもない、ただの搾取者だ」


 何もかもを分かったかのように語るこの口が、テレミアという高潔な存在に似つかわしくない独りよがりな道化の口であればこそ、オトの想像の中でのテレミアは光り輝く。

 その灯りはきっと、迷いの渦の中を照らしてオトに道を指し示すだろう。


「安心しろオト、お前はもう十分テレミアに尽くした。私が保証する。お前はもう自由を満喫して良いんだ。孤児院から連れ出して毎日遊んでやった、だと? その程度の恩を命でもって返す義理など誰が求められるものか。私ならテレミアに本音を告げて、見捨てることだって考えるぞ。ああ安心しろ、今のテレミアなら、平気な顔をして受け入れてくれるに違いないさ、何せ───」

「っ」


 一筋の光が客室の中に閃いた。

 喉に冷たい感触が走る。


「知ったように話さないで……!」


 ラズエイダは目線だけで首に向けられたものが何なのかを確認した。

 剥き身の小刀をラズエイダの喉に向けて、オトは五月蠅いその口を閉じさせようとしていた。

 いつだったか、テレミアが「オトは籠絡よりも拷問を選ぶ」と語っていたのが思い起こされた。テレミアの見立ては間違っていなかったようだ。

 それはしかし、こうした武力で諍いを解決する方法を磨き続けてきたことの何よりも雄弁な証明でもあって、ラズエイダには無性に哀れに思われた。


「……私は、ただ、お前のためを思って」

「黙って。何を企んでるのかは知らないけど、私は絶対にミアを見捨てたりなんかしない」


 つっ、と鋭い痛みが首に走った。


 怒りに滾るオトの目に、ラズエイダは己の企みが成就したことを確信した。

 これで、オトは自身を「テレミアの味方」とより確固に定義するだろう。


 憐憫を忘れ、恐怖を押し殺し、堪えがたく溢れたような笑みを表にする。

 オトは少し驚いたような顔をして、それをすぐに引き締めた。


「その言葉を聞きたかった」


 互いの呼吸の音がうるさく聞こえるほどの沈黙がどれほど続いただろう。


「どういう意味」


 オトが口だけを動かして尋ねてきた。


「テレミアがお前にとってかけがえのない存在であることを、私は一度たりとも疑ってはいない。お前がテレミアを裏切ることなどあり得ない。そんなことは分かっていた。それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 流麗な言葉の裏に嘘の香りを寸分も香らないように閉じ込める。

 表情から笑みを消して、切実な願いを込めた色を貼り付ける。


 ラズエイダは刃先が皮膚を貫かないように気をつけながら、片膝をついてオトを見上げる姿勢を作った。流れるような仕草で、喉元の小刀を握るオトの小さな手をそっと包む。

 オトがすがりつく手を振りほどくことはなかった。


「どうか、テレミアを救ってくれはしないだろうか。お前にしかできないことがある」

「……え?」


 見つめる先で血色の熱が肌から抜けて行き、瞳の深い青が蘇る。

 一度怒りに均された心から怒りをそのまま抜き去ってしまえば、後に残るのはあらゆる言葉を余さず啜り取るがらんどうの器だけだ。


「先に私が語った諸々のうち、テレミアがお前を引き留めるつもりがないというのは、全くの事実だ。それどころか、罪深き海賊であった過去を、テレミアと共に生きた過去を、綺麗さっぱり忘れて欲しいとすら思っている。テレミアはお前と別れたくなどないのに、お前のことを思いやるばかりに、己の罪だけを数えてしまうばかりに、心に無理矢理蓋をしようともがき苦しんでいる」


 そこで、敢えてラズエイダは言葉を区切った。

 最も効果的な一撃を与えるために、考えを深めさせる時間を作る。


 息を吸って、吐いて、吸って、目を見開く。


「───その末路が、一昨日起こった便所での一件なんだ」


 オトの顔色が明確に変わった。

 

「考えるのに疲れ果てたテレミアは、身体を男に明け渡すことで楽になろうとした。そうすれば、少なくとも罪は赦されると思ったらしい。テレミアの悪い癖だ……なまじ頭が回るために、想像が行き過ぎてしまう」


 喉からオトの握る小刀が離れていこうとする。今やラズエイダの手が代わりに刀を支えているような状態だった。


「テレミアが真に必要としているのは、長い時間を共にしたお前が与える赦しだ。”私をただ素直に受け入れていい”、”何も躊躇わずに私の手を取っていい”、そういうお前の言葉が必要なんだ。そうしなければ、近いうちに彼女は罪の意識に押し潰されてしまうかもしれない」


 これまでオトにテレミアたちのことを語って聞かせるときは、テレミアが表面的に見せる強がりの部分だけを選んでいた。弱い部分を語るのは、これが初めてだ。

 オトは驚くのかもしれない。

 それでも、これだけの言葉を積み重ねた末に、彼女が拒絶を選ぶことはないだろう。


 オトの見開かれた両目をしっかと見つめ、ラズエイダは静かな声色を意識的に選んで最後の一押しを与えることにした。


「改めて、私の願いを伝える。何があってもテレミアと共に在ると、そう伝えてやってほしい」


 紺色の髪がふわりと揺れた。


「わかった。早いほうがいい?」


 まっすぐに目的を達しようとするオトらしい返しが、ラズエイダにはとても頼もしく聞こえた。


「そうだな、できることなら、今すぐにでも」

「……難しい。きっとドレッシュが来るから、部屋を空けられない」

「いつなら悟られずに済む?」


 オトは少し考えて、「明日、ハーダーンに着いたら」と答えた。


「船の中だと、通路が狭くてどうしても隠れる場所が少ない。島で仕事をして、その夜にみんなのいる場所に行く。仕事の後ならドレッシュも疲れてあまり会いに来ないから。ただ、かなり遅い時間になると思う」

「分かった。ではそのつもりでテレミアに伝えておこう……いやはや」

「?」


 あまりにもあっけなく済んでしまうものだから、ラズエイダは少しおかしくなって笑ってしまった。

 それを不思議そうに見るオトに向けて、ラズエイダは頭を垂れた。


「すまなかった。お前を試すような真似をした。どうしても、テレミアと共に生きていきたいとお前に強く思わせる必要があった」

「元からそうだった。今のは全部余計」


 オトが口をとがらせるのを、ラズエイダは初めて目にした。やはり、彼女の感情表現はとても豊かだ。


「そうかもしれないな。だが、何も知らずに突然「今までありがとう。私とは別れて、幸せに暮らしてね」とテレミアに言われたら、お前はどうしたと思う?」

「……わからない」


 目を伏せて素直に答えるオトの肩をラズエイダはぽんと叩いた。


「お前はテレミアの願い通りに、テレミアと別れたかもしれないだろう? そうはさせまいと私なりに頑張ろうとしたのさ……まぁ、私も考えすぎていたところはあるな。許してくれはしないだろうか」

「……こういうとき、貸し一つって言う。それでいい?」

「一つでいいのならむしろありがたいほどだ。不自由な身ではあるが、返せるように努力しよう」


 椅子を引いて、ラズエイダは立ち上がった。


「長くなった。今夜はこのあたりで失礼する」

「またね」


 涼やかな挨拶を背後に扉を開け、細い通路に踏み出す。


 釣られている灯りの中の蝋燭を見るに、ずいぶん遅い時間となってしまった。普段なら娘にとりつくお邪魔虫が出て行くのを今か今かと待ち構えているドレッシュの姿も見えない。


 今夜はテレミアに直接記憶を読み取らせてはいけないかもしれない。まっさらな状態でオトと向き合う方が、きっと彼女にとってはいい方に働くだろう。


 いくらか明るい気分で、ラズエイダは船の底の方にある船倉への歩みを進めた。

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