32. 心を偽ること
テレミアとジャルダ、そしてラズエイダは、風魔導士たちの死骸の転がったままの船尾楼甲板の上に登った。
おびただしい量の血と船に揺られてころころ転がる肉の切れ端が惨憺たる情景を生んでいたが、それに眉をひそめるような感性を持ち合わせた人間はこの場には居なかった。
テレミアはラズエイダの前に立った。
盾と剣をそれぞれ手に握り、覚悟を決める。
「……いい?」
「ああ。早く終わらせてしまおう」
「もしかしたら、もしかしたらなんも起こんないかもしれないから」
「……希望は持たずにいよう。裏目に出たときに辛くなるだけだ」
「分かってるよ、ああもう……!」
テレミアは一度天を仰ぎ、そして二人は空いた手を重ねた。
金銀の光が渦巻き、中で一つの輪郭が徐々に露わになる。
人の形と表現するには、その輪郭は歪が過ぎた。
やがて光が完全に失せて―――
「っ、ぐ、ぅぁ……!」
生まれ出でた生物がその場に崩れ落ちた光景を形容するのなら、ぐちゃり、という擬音が最も適しているだろう。
ボロボロの片手片足と頭の三つを生やした胴体が、あまりの痛みに悶えて震えていた。
〈――〉
「『治癒、の、力よ』……『治癒の、力よ』……ち、『治癒の力よ』……」
苦痛のあまりに働きの鈍い思考を酷使して何度も治癒魔導を自らに行使する。
まともに魔導を練り上げることもできないために治療はひどくゆっくりで、一言口にする度に口の中に残ったいくつかの歯が震えてガチガチと音を響かせた。
「ハッハッハッハ、こいつぁひでえ! ヒィ、ハ、ハハハハ!」
その無様な光景が何か笑いのツボを刺激したのだろうか、ジャルダが二人の側で腹を抱えて笑い転げている。
(お前の父親はっ、良い趣味をっ、しているな、っぐ……!)
(ほざく暇があったら、魔導を……つかえっ!)
思念をぶつけ合い苦しみを共振させながら、テレミアとラズエイダは治癒魔導を放ち続けた。
二人の身体から痛みらしい痛みが消えるまで、ジャルダが笑い止むことはなかった。
ひとまずの応急措置を終え、二人は回復した思考力でもって欠けた手足を生やすための上等な治癒魔導を行使することにした。
まず左腕を取り戻すべく、肩の少し先の丸っこい膨らみに右の手を添える。
無事な右の腕と見比べながら、同じような見た目で骨と肉と皮が元通りに生える様を想像する。
〈――〉
「『治癒の力よ、我が身を在るべき――」
「む、それは止めとけ」
「んぐっ」
ジャルダが突然口を手で塞いできて、詠唱が乱暴に中断された。
「下手な魔導で使い物にならねえ腕を生やすより、ヘステスに任せれば良い。治癒魔導なら奴の腕が一番だ。俺も何度か生やさせたしな」
見ろよ、とジャルダは袖をまくって腕を露わにした。確かに目立った継ぎ目もなにも見当たらない。
「奴に言わせれば、人体の造りを知らねえままで治癒魔導を使うのは愚の骨頂なんだとさ。いちいちご高説を垂れやがるのは全く気に入らなかったが、確かに他の治癒魔導士と比べればヘステスが治した後の方が遙かに身体の反応が良い。斬られた口を治させた後はしばらく飯が美味くて仕方なかったぜ」
それはいかにもヘステスらしい逸話だった。
「……なら、そうします」
小さく返事をして、テレミアとラズエイダは近くにあった柵を頼りながら一本の足で立ち上がった。
一度も使ったことのない魔導で自らの治癒を試みるよりは、熟練者に任せるのが良いだろう。ジャルダが見せてくれたように、きっと綺麗な手足を生やしてくれるはずだ。
ヘステスがラグーダに味方していない限りは、という前置きがつきはするが。
側に置いておいた突剣カサノルを拾い上げる。
〈――〉
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」
少し高い場所からジャルダを見下ろす形になったので、敬意を示すために二人は頭を垂れた。
「命を救って頂いて、本当にありがとうございました」
「礼なんざいらねえよ、俺が欲しいものは分かってるだろ?」
「……はい」
「んじゃ三年後な。楽しみに待ってるぜ」
ジャルダはまるで友人に「また明日」と言うかのような軽薄さで死合いの約束を投げつけてきた。
そのままジャルダは手を振って、そして海に向かって身を躍らせた。
ばしゃん、という音が耳に届く。
(どうやってここに来たのか不思議だったけど、まさかただ泳いできたってこと……?)
(いや、服は乾いていたぞ。今はさておき、先は何かの魔導を使っていたのではないか?)
(確かに。どんな魔導なのか全然わかんないけど)
(ヘステスなら何か知っているかもな)
(……)
ヘステス、という名前を思い浮かべるだけで心が揺らぐ。
モムルも、オトも。
裏切りの嫌疑がかかったのはたった三人だ。
この世界でテレミアが唯一信じることのできた、かけがえのない三人。
誰が私の仲間なのか。
誰が私の仲間ではなかったのか。
(これは僕の予想だが、きっと裏切り者は一人だけだろう。そうでなければ、ラグーダの館で三人が暴れていたことへの説明が付かない。だから、その……)
行く先もなく巡るテレミアの思考の中に、ラズエイダがぽんと考えを投げかけてきた。
「だから、その」の後にラズエイダが続けようとしたのは、「気落ちするな」とか「希望を持て」とか、そういう励ましの言葉だった。
それをテレミアはひどく疎ましく思った。
驚いたラズエイダが思念を途中で止めて、それで初めてテレミアは自分の抱いた刺々しい感情に気付いた。
(……ごめん)
(すまない。今は……戻ろう)
テレミアの言葉にならない心の内をありのままに受け止めたラズエイダは、柔らかく謝罪を置いて、そして周囲に吹く風の勢いを強めた。
苦しさから逃れるための考え事を欲していたテレミアは、無言で魔導の操作に集中した。
二人はやがて空の高くにまで飛び上がって、そして四人の待つ小船が浮かんでいるはずの方へと滑り出す。
テレミアの葛藤が無意識に邪魔をするのか、その速度は酷くゆっくりなものだった。
(まとめるぞ。裏切り者の存在に僕達が感付いたことを悟られないよう、僕達はこれから何も知らないように振る舞う。ラグーダと戦いはしたが、まともに言葉も交わすことなくジャルダの干渉が入った、ということにする。少なくとも、三人の態度を見るまではこれ以上の情報は開示しない。エマも含めて、だ。それでいいな?)
眼下に浮かぶ小船を見据えながら、テレミアはラズエイダの考えを何度か反復した。
(うん、大丈夫)
静かな返事を受けたラズエイダの感情が、ひときわ大きく「心配」の方に振れたのが分かった。
(しばらくは合わさったままでいい。僕が側に居る)
(……ありがとう)
突っ張る理由もなく、テレミアは素直にその配慮を受け入れた。
そして、二人は小船に向かって降下を始めた。
段々と小船の姿が視界に大きくなる。
その上ではどうやら二つのことが起きているようだった。
肩で壁により掛かるように座り込んだヘステスの背中を、オトがゆっくりとなでさすっている。反対の手には水の入った革袋が握られているから、ずっと介抱をし続けていたのだろう。
帆柱の側には、モムルとファンエーマが立っている。よくよく目を凝らしてみれば、どうやらファンエーマの長い髪をモムルが乱暴につかみ上げているように見えた。
(テレミア)
一瞬心が過熱したのを諭すように、ラズエイダがテレミアの名前を呼んだ。
ラズエイダの主導で、二人は一度深く息を吸った。
(エマが恨まれる理由も想像ができる、彼女はモムルの願いに反して僕達の背中を押したんだ。このことはモムルを攻撃する理由にはならない)
(……分かってる)
状況を整理することでラズエイダはテレミアの感情を鎮めた。
ファンエーマではなくモムルを庇うという判断を下せる程にラズエイダは冷静で、それだけにテレミアは対照的な自分の心の持ちようが醜いものに感じられた。
惨めな思いを抱えながら、テレミアは周囲の風を操った。
真っ先に二人の存在に気付いたのは、やはりオトだった。
オトは索敵の術を行使していたのか、風が船に届く前に何かに引かれるように空を見上げた。しばらく視線が夜空を彷徨った後にどうやら捜し物が見つかったのか、慌ててモムルの方を向いて何かを口にした。
モムルがファンエーマを投げ捨て、オトの側に駆け寄った。オトが指さす方を必死に辿っている。
やがて青色の身体を支える風が船の上にも届き始め、帆がゆらゆらとはためき始めた。
その頃にはヘステスやファンエーマも、舞い降りてくる二人をしっかりと視界に収めているようだった。
ファンエーマの顔には涙が浮かんでいた。
彼女以外の三人が浮かべるのは、唖然というような表情であるだろうか。
喜びと、驚きと、心配と、他には各人で少しずつ違った色味の感情がこもった表情。
その色味が何を意味するのかを知れればいいのに、とテレミアは心の底から思った。側にいるラズエイダの感情のように、嘘偽りのない、そのままの思いを知ることができたなら。
叶わぬ夢でしかない。
とん、という軽い音と共に足を下ろし、風を遮断する。
「ミア、そ、その……!」
オトが最初の反応を示した。
何度も欠けた手足に視線をやるオトから飛び出した言葉には、心配の感情が強く込められているように思える。
「大丈夫、見た目だけだよ。応急処置は自分でしたからもう痛くもないし」
「そ、う……っ」
そう言うなり、オトは両手で顔を覆った。
唇を噛んで、しゃくり上げているような息づかいが聞こえる。
小さく、何度も繰り返し頷きながら、「良かった、良かった」と呟いている。
「お前、よく、生きて……!」
「よくやったぞ、テレミア!」
泣き崩れたオトにかわってモムルとヘステスが言葉をかけてきた。
込められているのはきっとテレミアの身を案じる感情であったり、誇らしく思う感情であったりするのだろう……もしも二人が裏切っていないのであれば。
テレミアの前に並ぶ三人は、まるで何も変わっていないようにしか見えなかった。
嘘が混じっていると知っていてなお、三人の振る舞いは全て本物にしか思えなかった。
裏切られたと分かっていてなお、テレミアの心には生きて三人と再会できたことへの喜びが満ちた。
ああ、この暖かさの中に飛び込んでしまいたい、みんなの輪の中で揺蕩っていたい。
それは封じられるべき思いなのだと、テレミアは正しく認識した。
本音を全て頭の片隅に追いやって、思考を妨げられないように蓋をする。
静かになった頭の中に適切な発言を思い浮かべる。
適切な表情を作り出す。
流れるように、自動的に、テレミアは動くことができた。
できてしまった。
裏切り者の存在を知らなかったなら、私はきっとこうする。
はにかむような笑顔、みんなを安心させるための明朗な声色、少しおどけるような身振り。
「言ったでしょ、みんなのところに帰ってくるって」
満面の笑みの裏側に、テレミアはあらゆる思いを完璧に隠しきった。
それは自分でも驚くほどに滑らかで、そして誰よりも自分に対して冷酷だった。
嘘をつくこと、心を偽ることが己の日常であった不運を、テレミアは心の底から呪った。
「ただいま、みんな」
こうして、テレミアは三人の仲間を失った。




