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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
31/53

31. しがらみ

 怒牛海賊団の頂点たる男、ジャルダがそこにいた。


「意味? んなもん気分だ気分、お前を止めた方が面白そうだからこうした」


 そう言い放って、ジャルダは場の空気感に全く似つかわしくない豪快な笑い声を響かせた。


「お前の船をたった一匹でここまでボロッカスにできる魔物がいて、しかもそいつと言葉が通じるだぁ? 面白いに決まってるじゃねえか、俺も混ぜろや、なぁ」


 ジャルダは無造作にラグーダの脚を蹴った。二人の喉に乗せられていた脚が離れて行く。


「おい魔物、俺の言葉が分かるか? お前は何なんだ? 何かしゃべってみろ」


 そしてジャルダは”魔物”との会話を望んだ。


 これが命をつなぐための最後の希望なのだとは考えるまでもなく分かる。

 もしもここでジャルダに気に入られれば、もしかするとこの場を切り抜けることができるかもしれない。


 一連のジャルダの態度からは、彼が己の実力に圧倒的な自信を持っていることが察せられた。

 次代の船団長の筆頭候補たるラグーダが手下の殆どを戦闘不能に追い込まれるほどの戦いを繰り広げた末にようやく追い詰めた存在を、自分は片手でひねり潰せるのだと信じて疑っていない。そうでもなければ、これほど軽率に拘束を解かせるような真似はしないだろう。


 一般に老人と呼ばれる歳になった今でも世界中の金銀財宝や美女を追い求め、カライアにいることの方が少ないジャルダとは、テレミアはまともに言葉を交わしたこともない。だから、彼がどのような人間であるのか、何を好むのか、そういうことをテレミアは何一つ知らない。

 しかし、その自由奔放を絵に描いたような人格は、いつかヘステスが思い出話として語って聞かせてくれた姿そのままだった。


 力と自信に裏打ちされた自由。

 この男に媚びは通じないだろう、と気付いてからは、何を言うか真面目くさって考える方が馬鹿馬鹿しいようにすら思えた。


 軋む身体にありったけの力を込めて、どうにか言葉を形にする。


「……おとう、さま」


 ジャルダの目が驚愕に見開かれた。


「お、お父様だぁ?」

「は、い……っ」


 流石のジャルダといえど、”魔物”に父と呼ばれる経験はあるはずもないだろう。

 まず最初の印象としては「面白い」を貫くことができただろうか。


 次に、テレミアとラズエイダは分離を選択した。


 甲板に横たわった状態で二人の身体が現れる。

 合わさった姿では失われていた左の手足は、二人共に元通りの状態で揃っていた。

 身体中を満たしていた痛みはまるで嘘のように霧散していて、気味が悪いとすら思えるほどだった。


 テレミアはゆっくりと起き上がって、ジャルダと向き合い、左胸に手を添えて頭を下げた。


「お父様とエレーリィ母様の娘、テレミアです。ラグーダ兄様と戦うためにあの姿になっていました」


 ジャルダは「テレミア?」と口の中で何度かその名前を転がした後、何かに思い当たったのか、パチリと指を鳴らした。


「ああ、あれか、ヘステスの野郎が育てたいっつって一人で引き取った奴だ。だよな、ラグーダ」

「……そう聞いたな、お前の口から」


 水を向けられたラグーダが疲れた表情で返した。

 その様子を気にかける様子もなく、ジャルダは一歩テレミアの方に近寄って、その顔や身体をまじまじと観察した。


「で、あれはお前とそこの汚えガキが変身した姿だと」

「はい」

「成程、分かった分かった。流石俺の血だ、想像も付かねえことをしてきやがるぜ」


 意外に反応が薄いのだな、とテレミアは思った。

 もう少し質問を受けるものと想定していたが、ジャルダは既に目の前で起こったことをありのまま受け入れているらしかった。


 ジャルダがラグーダの方に首を向けた。


「で、なんでお前はコイツを虐めてたんだ?」

「俺を利用して力を手に入れたからだ。直接的にも、間接的にも、俺の手下を何十人と手にかけている。殺すには十分な理由だろう」


 ラグーダは大剣でテレミアの身体を指した。


「どいてくれるか、俺はそこの女を殺さなくてはならない」


 ラグーダの声色は、ぞっとするほどに冷たかった。

 

「なーるほどな」


 軽い口調でジャルダが応じた。

 ジャルダの前に、仲間殺しの罪を背負うテレミアとその罪を問うラグーダの二人が並んでいる、という構図が出来上がっていた。


 いつの間にかテレミアの立場ばかりが不利なところに置かれていた。

 慌てて口を挟もうとする前に、ジャルダから評決が下された。

 

「ま、俺の顔に免じてここは許してやってくれや。少なくとも殺しを認めるつもりはない。テレミアは俺の娘だ」


 ラグーダがぎろりと睨んできて、テレミアはようやく自らの口からえっ、という声が漏れたのに思い至った。

 下手に刺激を加えてはかなわないと唇を結ぶ。

 

「俺の手下の命を、お前は何だと思っている」

「んなの俺の気にすることじゃねえな。てめえの仲間より俺の娘の方が俺には大事だ。悔しければ今ここで俺を殺してみろ」

「……狂人め」


 ひどく独りよがりで、テレミアにしても理解しがたい理由で、ラグーダの訴えは退けられた。

 生まれてから一度たりともテレミアはジャルダを家族と思ったことはない。

 そもそもジャルダの方も、テレミアという名乗りを聞いてからしばらくはその存在を思い出すことすらなかったのだ。

 だというのに、「娘の方が大事」とは、いったいどういうことなのか。


 とはいえ、これでようやく、身の安全が確保されたことになる。

 絶望的でしかなかったラグーダとの戦いを、テレミアとラズエイダはほぼ最大の戦果を掴んだ上で生き残ったのだ。

 安堵が胸に満ちて、テレミアは大きく息を吐いた。


「ま、運がなかったと思って諦めろや。それによ、お前は元々コイツのことを適当な理由を付けて殺すつもりで飼ってたんだろ? それが今更お前の手下を殺しただの何だの、別に何にもならねえな」

「チッ」


 ラグーダは舌打ちだけを残し、もう問答は結構だとばかりにジャルダに背を向けた。

 大剣を背中に戻して空いた彼の右手は、この一連の流れの中ずっと近くに倒れていた頭巾の子どもに向かって伸ばされた。

 ラグーダはぐったりとしたまま動かない子どもをむんずと担ぎ上げて、そして船内に去って行った。


「邪魔者は消えたな」


 扉が閉まるのを待って、ジャルダがそう発した。


「邪魔者、ですか」

「ああ、あの野郎はあれやこれや煩いからな。頭が固すぎるぜ、誰に似やがった」


 肩をすくめたジャルダは、「さて」とテレミアの方に向き直った。


「お前はこれからどうすんだ?」


 それは今のテレミアが最も答えに窮する質問だった。


 私に、戻るべき場所はあるのか。


 仲間のうち、誰かがラグーダに情報を秘密裏に流していた。誰が裏切り者なのか、テレミアには知る方法がない。

 裏切り者の前に無防備な姿を晒すことは、いつかまた己の首を絞めることにつながるに違いない。


 それでも、


()()のところへ、戻ります」


 テレミアは小さく、しかし確かな声で、結論を出した。


 仮に三人とファンエーマの元に戻らなかったとして、である。


 ヘステスの魔素切れが回復するまでは自然の風に頼る以外に逃走の手段を持たない四人は、きっとすぐにラグーダに捕まってしまうだろう。

 ジャルダがラグーダに禁じたのは、「テレミアを殺す」ことであって、「テレミアの一派に一切手を出さないこと」ではない。つまり、ヘステス、モムル、オト、ファンエーマの四人を殺すことは禁じられていない。


 例え裏切り者が出たところで、他の人間が今もテレミアの仲間であることには何の変わりもない。

 自分のことが可愛いからと仲間たちを見捨てて逃げ出すのは、テレミアが一度心に刻んだ覚悟に真っ向から矛盾していた。


 私は、みんなと生きる未来を掴むために、ここにいるのだ。


「仲間たちが、私を信じて待ってくれているはずなので」


 ジャルダはその答えを聞いて、にやりと笑った。


「良いねえ、俺たち海賊はそうでなきゃな。金銀財宝と良い女、それに仲間との馬鹿みてえに楽しい日々を追い求めて生きるんだ」


 どうやらお眼鏡にかなう回答を生み出せたらしいことにほっと胸をなで下ろす。

 しかし、間髪入れずに「だがな」とジャルダは言葉を続けた。


「お前、逃げ出すつもりだろ?」


 テレミアは凍り付いた。


「ラグーダの野郎と正面切ってやり合った以上、お前とあの汚えガキだけならまだしも、お前の仲間はもうカライアでは生きていけないだろうしな。お前らがこんな夜更けに戦ってたのもよ、カライアからこっそり出て行く途中に捕まったとかだろ? お前は一人でラグーダに抵抗できっから時間稼ぎ、その間に仲間が遠くまで、ってところか。お前がラグーダに完敗したのを除けば、まあ悪くない戦略だったな」

「……それ、は」

 

 完全に正しい分析でもって、ジャルダはテレミアの思い描いていた全てを言い当ててみせた。


 海賊団の掟の中には、脱走者には死あるのみ、という一節が存在する。

 例え思考を丸裸にされていたとしても、ジャルダの前でそれを堂々と認めるわけにはいかなかった。

 しかし、他に何を口にできるわけでもない。

 

「否定も肯定もしない、ねえ」


 ジャルダは小さく呟いた。


 次の瞬間、テレミアの喉元にジャルダの握る突剣が突きつけられていた。

 先程のラグーダと同じように、その動きを目で追うことはまるでできなかった。


「本気で俺から逃げるってんなら、掟通り、お前を殺さにゃなんねえなあ。残念だ」


 曰く、どうやらテレミアは殺されねばならない、らしい。

 つい先ほど、仲間殺しの罪を許したのはジャルダ自身であるというのに、その口から全く正反対の意味の言葉が生み出されていた。


 「狂人め」というラグーダの捨て台詞の意味が理解できたような気がした。

 ジャルダが浮かべている凶暴な笑みのその内側に、何が巡っているのかまるで分からない。


「ほら、答えろよ。逃げんのか、逃げねえのか、どっちだ」


 それでも、テレミアにはもう考えるしか手立てがない。


 事実は二つ。

 テレミアの命を、ラグーダの手から、ジャルダが守ったこと。

 今、そのジャルダが、テレミアに向けて死をちらつかせていること。


 ジャルダの辿った思考としてありうることは、なんだろうか。


 ジャルダはラグーダを嫌っていて、ただラグーダに満足感を得させたくなかった?

 脅した上で自分の手駒にすることを望んでいる?

 ただ自分で珍しい存在(魔物)を殺したかっただけ?

 

「何か言ってみたらどうだ、ええ? ダンマリはつまんねえぞ?」


 喉に突剣の切っ先が触れては離れを繰り返す。

 相変わらず、ジャルダの顔には何かを面白がるような笑みが浮かんでいる。

 ただ、それは、テレミアをいびる兄姉たちがよく浮かべているような意地汚さのにじみ出た表情とは、何か違って見えた。


 いうなれば、無邪気な少年の浮かべるような、そんな笑み。


 テレミアはある仮説を思いついて、それを今までに見たジャルダのふるまいや言動と照らし合わせた。

 そこには一つの筋が通っているように思えた。

 然らば、ジャルダの求める答えは、おのずと浮かんでくる。

 テレミアにとっては抱える問題を全てまとめて先送りにするような、今この瞬間を生き延びるためだけに自分の首を絞めるような、そんな答えが。


 嘆く心に蓋をして、テレミアは真っ直ぐにジャルダの顔を見据えた。


「……逃げるつもりは、ありません。旅に出るだけです」

「ほう?」


 ここで自信なさげに、嫌々言わされているかのように吐き出すのは、きっとジャルダにとってはとても”つまんねえ”ことだろう。


「いつかきっと誰にも負けない実力を付けて、帰ってきます」


 喉元の剣先をむんずと掴む。

 ジャルダがそれを咎めることはなかった。


「私が、お父様を越えてみせます」


 その言葉を聞いたジャルダの顔は、みるみるうちに喜悦に歪んでいった。


 ”お前を倒すのは私だ”。 

 自らの力に揺らぎのない自信を持つこの男にとって、この宣戦布告はきっと、

 

「よく言った!」


 心が沸き立つものであるに違いない。


「楽しみだ。強え奴と戦うのは最高だからな」


 刃を掴んだままのテレミアの右手を、ジャルダはそっと引き剥がした。

 血の滴る手のひらに、ジャルダは何を思ったか、自らの突剣の柄を押しつけた。


「え?」

「銘を【カサノル】という。かつて世界を二分する戦いを引き起こした死者の王が振るったらしい、曰く付きの名剣だ」


 テレミアは自分が握ることになった武器をまじまじと見つめた。

 鏡のように美しく光を湛える刀身の中に、仄かに赤く筋が通っている。


 ジャルダはこの剣をタダでくれるというのだろうか。


「……ありがとうございます、と言えばいいですか」

「あ? ちげえよ、コイツぁ()()だ」


 がはは、とジャルダは豪快に笑った。

 意図を汲み取れず、テレミアは怪訝な表情を浮かべた。


「俺はな、自分のモノが人に取られるのが大っ嫌いでな。その剣だってそうだ。俺以外の人間が握ってるのを見るのは……そうだな、虫唾が走るって気分だ」


 言葉とは裏腹に、ジャルダの声色や表情から覗える彼の感情は相変わらず喜悦そのものでしかない。


「今はお前に()()()()()()()()()()


 奪われるも何も、自分で預けたのではないか。

 そう思った瞬間に、ジャルダの右手がテレミアの額に伸びた。

 節くれ立った指が眉間に伸びる様を、テレミアはただ眺めるしかなかった。


「三年後にお前を殺して奪い返す」

「!」


 つっ、と突きつけられた人差し指がテレミアの額から鼻筋をなぞり、鼻先で離された。


「残念なことに、もうこの身は老いぼれだ。早々にくたばる気もねえが、お前が帰ってくるのを何十年と待つわけにもいかねえ。だからよ、三年で帰ってこい。その力を三年かけて磨いて、俺に挑んでみせろ。怖じ気づいて逃げるようなら、海の果てまででも追いかけて殺してやる」


 いいな、とジャルダが念を押した。

 否を返すことができるはずもない。


 ああ、結局、私はしがらみの中にしか生きられないらしい。


「……はい」


 あらゆる感情を圧し殺して、テレミアは確かに頷いた。

 その瞬間に、三年という長くも限られた時間が、テレミアの新たな敵となった。


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