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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
30/33

30. 空へ、そして地へ

「私めにはかの年端(としは)もいかぬ女よりも余程知恵がありましょう。例えば私めは古今東西の盤上遊戯に通じております。或いは、東方海域の海図を細かに書き出すこともできます」


 ラズエイダは敢えてテレミアを侮蔑(ぶべつ)するような言葉を選びながら、二つの提案を口にした。


「ほう?」


 ラグーダは片方の眉をつり上げた。少しラズエイダの話に興味を持ったように見えた。


「誰か大きな紙とペン、それに東方の海図を持ってこい、上の船倉にあるだろう」


 号令によって何人かが船の奥へ駆け込んでいった。

 彼らが戻ってくるまでに、テレミアとラズエイダはものを書くのに都合のいい木箱の前に移動することになった。

 相変わらず、右肩のすぐ後ろに、いつでも腕を切り落とせるように、あるいはいつでも命を絶てるように、ラグーダの剣が添えられている。


 息を切らせて戻ってきた男が抱えてきた海図と紙とがラグーダの手に渡った。

 二人の視界に入らない位置で古びた海図が、二人の前には無地の紙が、それぞれ広げられた。


 別の男がペンとインクを持って戻ってきた。


「書いてみろ」


 差し出されたペンを残った一本の腕で受け取る。


 気付けば甲板の上には沢山の人間が集まっていた。

 彼らの目は全て、敵か味方かも分からない、得体の知れない存在に向けられている。

 僅かな動きすらも見逃してはもらえないだろう。

 

 しかし、一歩間違えれば即座に終わり、という状況にあって、二人の心は()いでいた。

 テレミアもラズエイダも、「一歩」程度の危ない橋など、これまでの人生で幾度も渡ってきている。


 ラズエイダは()()()()()()()()()、ペンを持った腕を伸ばした。


「ここをアルタスの本島パラヴェールといたします。次いで西方にアルタス領グレンディ諸島、北からザナディ、ラカディ、グレンディ、ポレニア、エオリア」


 テレミアは準備として、とある検証を始めた。


「北方との接続海域には、北からズベンダレフ公爵領フレフィ、同じくズベンダレフ公爵領ミリュリュー。こちらはこの辺りではひときわ大きな穀倉でして、迷宮から産出される良質の麦が周辺諸国に輸出されております」


〈――〉


 ちらり、とラズエイダがおそるおそる反応を(うかが)うように辺りを見回す。

 誰もそれを怪しむことはない。


 たまたま視線を向けた先にあったかがり火が、テレミアの願い通りに揺らいだ。

 成果を得て、テレミアの検証は一つ先に進む。

 

「ズベンダレフ領は強く安定した風の吹く海域としても有名でして―――」


 無造作にラズエイダが口にした「風」という単語に対し、ぴくりと身体を震わせる人間が何人もいた。魔導の詠唱を警戒しているのだろう。

 ラグーダも、手に持つ剣をぐっと押しつけてきた。伝わってきた感触と痛みからして、最低でも肌は貫かれているだろうか。


「おい」

「ひっ……し、失礼いたしました、詠唱に関わる単語は口に出しません故、どうかご容赦を」


 ラズエイダは首をすくめ、身体を強ばらせ、ラグーダの圧にいとも簡単に屈する気の弱い姿を演じる。

 そうやって警戒を解きほぐして、薄い勝ちの目を少しずつでも積み重ねる。


〈――〉


 バタバタと帆がはためく音が静まり返った甲板の上に響き渡った。


 ラズエイダは一つ咳払いをして海図の作成を再開した。


「東方海域においては、船を進めるなら真っ直ぐ目的地を目指すよりもズベンダレフに立ち寄り、その……()()を捕まえる方が早く着く、というのが常識となっております」


 「検証」を終えたテレミアは、策を実行に移す準備を始めた。

 ラズエイダと緻密な連携をとりつつ、決定的な瞬間が訪れるのを待つ。


「アルタスから見て南西には皆様と同じような海賊の治める島々が位置しております。例えばララマなどは鉱石迷宮を持ち繁栄した島でございますが、ここ百年は「死神海賊団」の支配に置かれております。ララマより船を運びやすい隣のジュラムも―――」


 ほんの僅かにラグーダの突きつける剣から伝わる力が緩んだ。


(今だ)


〈――〉


 脳内に響く乾いた声に、ゴァ、という音圧が連なる。


 テレミアとラズエイダ以外の人間にとっては何の前触れもなく、ただ青色の人型だけを狙い撃つ都合の良い突風が吹いた。


「!?」


 反応の遅れたラグーダが剣を突き出した先に、既に獲物はいない。


 初めてテレミアとラズエイダが一つになった輸送船の上で、詠唱もなにもせずただ願っただけで氷の魔導が発動したことがあった。その時に生まれた氷は酷く不格好で到底実践に()えるものではなかったが、もしも同じことを二人の熟達した風や雷で再現することができれば、それは計り知れないほどの武器となる。

 魔導の発動のためには、例えどれほど短くとも詠唱を口にせねばならないというのは、テレミアやラズエイダのみならず、魔導というものに携わる誰もが知る基本原理である。だからこそ、戦いに通じていればいるほど、魔導の発動条件が満たされないときに魔導に対する警戒は薄れてしまう。


 テレミアは二度の「検証」で思いのままに風が吹くことを確かめて、そして今、出せる限りの威力で魔導を放ったのだった。


 風の魔導で己を吹き飛ばした二人は、その勢いのまま思い切り甲板を蹴り飛ばした。

 周囲に詰めかけていた数々の敵の頭上を飛び越え、帆から垂れ下がる綱を掴んで更に上に加速、三本のメインマストとそれぞれから張り出された帆を支える柱を踏み台にして飛び回る。

 飛翔のための魔導を使ってもいないのに、まるで曲芸師かのように自在に空に舞い上がることができるような気がした。


「上だ、奴を狙い撃て!」


 一心に突き進む二人の身体を目がけて無数の攻撃が放たれるが、二人を後押しするように吹く風と激しくはためく帆が失われた左腕の代わりに盾の役目を務めて、その殆どを遮断する。


 それでもやはりモムルにヘステスのような腕利きのボウガン使いや魔導士はいて、


「―――っ!」


 丁度蹴り出そうとした脚に短矢が突き刺さって、二人は足場を踏み外した。更に、飛んできた氷の魔導がいとも容易く腹を貫く。

 上向きの速度を失った身体は海に引かれて落ち始める。

 

 しかし、心臓や脳髄を貫かれなかったのなら、それは幸運に他ならない。

 生きている限り、思考が回る限り、二人は抗い続けることができるのだから。


 二人は風の魔導を切って、別の魔導を練り上げた。


〈――〉


「『出でよ氷壁』」


 丁度すぐ下にあった横向きの柱を支えとして氷の床面が生み出され、二人はその上に半ば潰れるように着地した。

 ズガガガッ、といくつもの攻撃が刺さる音がすぐ下から聞こえてくるが、どれも一撃で分厚い壁を貫けるほどの威力はないようだった。


〈――〉


「『治癒の力よ』」


 刺さった矢と氷杭を引き抜いて治癒魔導で簡単に傷を塞ぎ、


〈――〉


「『風よ』」


 そして休む間もなく二人は再び風を背にし空に向けて跳び上がる。


 バン、という激しい音と共に氷が砕かれたのはその直後だった。

 甲板をちらりと観察すると、モムルが使っていたものよりも二回りは大きな石弩(いしゆみ)が空に向けられているのが見えた。


 次に同じことをしたとき、おそらく傷を癒やすだけの余裕は与えられないだろう。

 それはただ攻撃を一方的に受け続ける二人にとっての圧倒的な不利を意味する。


 だから、二人は対策を考えて実行に移した。


〈――〉


「『出でよ氷壁』『出でよ氷壁』『出でよ氷壁』―――」


 破壊されてしまうのなら、先にいくつも生み出しておけば良いのだ。

 幾重にも重なるように氷の壁を置いておけばそれは単純な盾としても働く。

 魔導とは異なり、石弩に連射は効かない。

 壊すべき対象をすぐ狙い撃つことができなければ、折角の兵器も無用の長物だ。


 そうやって段々と船の上を自分たちだけに都合の良い空間に変えて行けば、いつの間にか攻撃が二人を襲うことはなくなっていた。

 氷を通して白くかすんで見える甲板の上で、無数の海賊たちがなすすべなく右往左往しているのがよく分かった。

 何人かが二人を追いかけるようにマストに飛びついて登ってきているのも見えた。しかし、風魔導の後押しもなく、ただ腕と脚の力だけでよじ登る彼らが二人に追いつける道理はなかった。


 そして、二人はマストの頂上に辿り着いた。

 石弩の攻撃によって氷が砕かれる音が何度も響く。

 必死にマストをよじ登る敵の顔が段々と近づいてくる。

 それでも、遙か先の二人に彼らの手は届かない。

 あらゆるものを視界に収めることができるこの場所において、二人には時間をかけて魔導を練り上げるだけの時間が生まれていた。


 ラグーダを始めとして彼の名だたる手下たちが一堂に会しているのがよく見える。

 怒牛海賊団の覇権を争う兄妹たちの中でも特段に強いラグーダの、その力を構成する殆ど全ての部分が、大海原の只中で眼下に広がる小さな甲板に密集している。


 憎き敵が眼前に無防備に首を差し出しているかのようなその光景に、テレミアは打ち震えた。

 運命を切り開くために、これ以上の機会はなかった。


 氷の舞台の上から、風の動く様を指揮するように右腕を伸ばす。



 ふと、甲板上のラグーダと目が合った。


〈――〉


 乾いた声が響く。視界に浮かぶ四角に紫色が満ちる。

 それは魔導の発動を知らせる合図だ。

 二人は詠唱を口にするために肺から息を押し出す。


「『風よ我が導に従い吹き荒べ』」


 瞬間、()()()()()()。風に巻き上げられた砂や埃や木くずの粒が光と影を絶え間なく混ぜ込み、揺らぎだけで構成された空間を生み出していた。

 甲板の上の海賊たちは容易く吹き飛ばされ、そして風に立ち向かうだけの力を持つ屈強な者たちも飛び交う人間の嵐に巻き込まれて次々に海へと飲み込まれていく。


 戦いの趨勢(すうせい)はこれで決した、と誰もが思うはずのその光景の中で、しかし、テレミアはラグーダから視線を外すことができなかった。

 吹き荒れる風はおろか、吹き飛んできた人間とぶつかる衝撃に対しても微動だにしない彼の目には、テレミアが未だかつて見たことのない鋭い光が宿っていた。


 彼の側に、頭巾を被った小さな子どもが立っているのが見えた。

 子どもの周りには土でできた壁が風を防ぐように並んでいた。


 ふと、その子どもが小さな手をラグーダの方に伸ばした。


 得体の知れない予感への恐怖が冷たく背筋を食む。


(……剣を)

(どうした)


 テレミアはラズエイダに語りかけた。


(何か、くる)


 橙色の光がラグーダの身体を包んだ。

 テレミアとラズエイダは生み出した剣を構えた。


 ラグーダが地面を蹴った―――


「―――死ね」

「―――!?」

 

 その動きを、目で追うことはできなかった。


 気付けば目の前に大剣を振りかぶった姿のラグーダがいた。


 身をよじりながら剣を合わせるも、防御は間に合わない。

 不利な体勢から振り上げた剣はラグーダの圧倒的な膂力(りょりょく)によって簡単に弾き飛ばされ、それでも(なお)殺しきれない勢いを受けて二人の身体は宙に舞った。


 遠ざかるマストの頂上を見れば、そこには青色の脚が一本取り残されていて、淡い光を放ちだしていた。


 自分たちで作った氷の床面に何度も身を打ち据えられながら墜落していく。

 あっという間に、空の高くから甲板にまで、二人は連れ戻された。

 最初にここを離れた時と違うのは、今はもう戦える人間が一人も残ってはいないことである。それはラグーダ側の人間も、そしてテレミアとラズエイダ自身もだ。


 左腕と左脚を失った状態で、更に全身の骨が砕けている。

 気を失っていないのが不思議なほどだった。


 痛みに喘ぐためだけに残されたかのような意識を振り絞って、二人は治癒魔導を発動しようと口を動かした。


〈――〉


「……『治、癒の…ぁぐ」


 喉を踏み潰され、詠唱は乱暴に遮断された。


「まだ息があるとはな」


〈――〉


 無詠唱での治癒を試みる。

 僅かに痛みが和らいだ。


「便利な能力だ」


 そう言ったラグーダは、中途半端に塞がった左脚の傷口を改めて剣で切り裂いた。


「考えなしに魔導を使おうといつまでも魔素切れを起こさずに戦い続けられ、どのような仕掛けかは知らないが詠唱もなしに魔導を放てる……これだけの力が手に入らないというのは少々(しゃく)に障るが、最早貴様を生かしておく理由など存在しない」


 ラグーダの声が、全ての未来はとうに閉ざされたのだと二人に言い聞かせる。


「無能と評したのは撤回しよう。貴様は確かに俺の手を(わずら)わせた」


 身体が動かない。

 細く途切れ途切れの呼吸、心臓の鼓動すらも(こら)えがたい痛みを帯びる。


「だが、船は三日後には元通りだ。海に落ちた者達も溺れ死んでさえいなければすぐにでも救い出せよう。貴様が無謀にも俺に挑んで為せたことは、所詮その程度に過ぎない。貴様は、己の無力を噛みしめながら死ぬために、ここに来たという格好になるわけだ」


 己の身から噴き出すようにして天に昇っていく白い光をただ無力に見上げる。

 涙が溢れて止まらない。


「駄犬にふさわしい最期だな。惨めで、哀れだ」


 ラグーダは二人の胸に向けて剣を突き出し―――



「よぉ、ちょいと待てや」


 刃が肌に食い込む寸前のところで、止まった。

 ラグーダの喉元に、煌びやかな突剣が突きつけられていた。


「……これはどういう意味だ―――」


 恨めしげにラグーダが(うな)った。


 突剣を持ち手の方に辿り、何が起こったのかを涙に霞む視界の中に確かめる。

 皺の入った皮膚がよく締まった筋肉を包む腕には、金色の腕輪がこれ見よがしに巻かれていた。


 その腕輪の持ち主のことを、テレミアは知っている。


「―――船団長(親父)


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