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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
29/33

29. ラグーダの見下ろす先で

 アルタス、剣、奴隷、差し出せ。

 何を言われたのかを理解した瞬間に、テレミアの思考はただ一面の白に染まりきった。


 この男は、私たちだけが、私の仲間だけが知るはずの秘密を、手にしている。


「どうして、お前がっ!」

「無駄口を叩くな」


 左腕にぬるりと冷たさが走り、それに焼けるような痛みが続いた。


「あああああッ!」


 本能的に痛みの走った場所を押さえようとして、何度か右手が空を切った。

 左腕が途中から失われていた。

 甲板に落ちた左腕だったモノは光の粒に解け、夜空へと舞い上がっていく。

 それはまるで魔物の(むくろ)が溶けて消えるときの光景のようだった。


「ああぁ、ぁ、っあああ!」

「チッ、(やかま)しい……おい、レシュー」


 ラグーダが誰かの名前を呼び、横に背の低い女が進み出た。


「はい」

「傷だけ塞げ」

「かしこまりました」


 レシュー、と呼ばれた女はのたうちまわるテレミアとラズエイダに向けて手を伸ばした。


「『治癒の力よ、この者の傷を満たせ』」


 最も初歩の治癒魔導が腕の切り口を包み、ぶよぶよとした肉が腕の代わりに生成される。

 ラグーダが直接名前を呼ぶ程の治癒魔導士というだけあって、その腕は確かだった。

 女が仕事を終えたとき、青色の身体から左腕が失われたという結果だけが残り、痛みは完全に消え去っていた。


「黙って奴隷を差し出せば楽に殺してやろう。抵抗する度に腕、脚を切り落とす。五回目からは生やした上で斬る」


 破壊的な苦痛に全てを(なら)されたテレミアの中では、ぐるぐると思考が一点を中心に巡る。


 ラグーダの口から「アルタス」「剣」「宿した」「奴隷」という言葉が現れた。

 この世界でそれらの単語を繋げて意味のある言葉にすることができる人間は、テレミアの他に五人しかいないはずだった。


 まずはラズエイダ、ファンエーマ。

 彼らにはラグーダとの接点はなかった。


 残るは、ヘステス、モムル、オト。

 いつだって側にいてくれた、大切な仲間たち。


 ラグーダがああやって語れる理由は一つしか考えられない。

 誰かが漏らした、それ以外にあり得ない。

 なのに、その事実を誰も教えてくれなかった。

 カライアの外に出るまでに、十分に時間はあったはずなのに。


 それはまるで、己が秘密を漏らしたことを隠したいかのようで。

 それはまるで、私のことを(たばか)ろうとしていたかのようで―――



 認められないから、認めたくないから、テレミアはそこで思考を止める。

 しかし他のことに意識を向けられるはずもなく、また最初から同じことを考える。


(テレミア)


 ラグーダは何と言った。

 アルタスの英雄の剣を宿した奴隷を差し出せと言った。


 私と、ラズエイダと、ファンエーマと。

 ヘステスと、モムルと、オトだけが、知っているはずのことを口にした。


(テレミア!)


 どうして?

 どうして?

 こたえはひとつ。


 ―――嫌だ、考えたくない。


(テレミア、僕に返事をしてくれ!)


 叩きつけるようなラズエイダの思念が、無限の回廊の中に迷い込んでいたテレミアの心を現世につなぎ止めた。


(……なに……)

「さっさと答えろ……右腕も必要か?」


 急かすラグーダの声が静まりかえった船の上に響いていた。

 それはまるで遠い世界のことにしか感じられなかった。

 

(正気に戻ったな。いいか、今から僕が時間を稼ぐ。お前はその間にこの場を切り抜ける策を考えるんだ)


 どうやらラズエイダはまだこの絶望的な状況を打開することを諦めていないらしい。


 それがテレミアにはどうしても滑稽(こっけい)に思えた。

 自分の決意も、吐き出した言葉も、何もかもが滑稽に思えて仕方がなかった。


(そんなことしたって、また痛めつけられる)


 一瞬のうちにラズエイダの怒りの感情が膨らんだ。


(目を覚ませ、「みんなと生きていたい」と言ったのはお前だ! せめて意地汚く生き足掻(あが)くのがお前の責務のはずだ!)

(あははははは、「みんな」なんてさ……)


 それはなんと(むな)しい響きか。


(私には、もう―――)


 ―――”みんな”もなにも、残っていないのに。


 全てを放り出してしまうための言葉が形になることはなかった。


(僕がお前と共にいるだろう!)


 テレミアの思考を上書きするようにラズエイダが叩き込んだ。


(僕はお前の仲間なのだろう、死ぬことは許さないのだろう! 僕はまだお前と共にいる! 僕の心を読めるお前なら分かるはずだ、僕はお前を裏切りなどしないと!)


 ラズエイダの叫びが、熱情が、諦念(ていねん)に封じられた心の扉をこじ開け、テレミアの中のどこか深い場所に響き渡る。


 僕はお前を裏切らない。

 それは今のテレミアにとって他の何よりも必要な()り所だった。

 力強い思いがラズエイダと心を一つにするテレミアに伝染して、淀んだ感情を強引に拭い去っていく。


 死ぬことを望んでいたはずのラズエイダの心からは、生への渇望が溢れ出していた。


(……どうして)


 どうしてそんなことを思えるのだろう。

 テレミアは、ラズエイダの記憶の中にその根源を探した。


(決まっているだろう)


 長い時間を遡ることもなく、すぐに答えを見つけることができた。

 あの輸送船の上で、ラズエイダを無謀な突撃に駆り立てた衝動があった。


(”僕が諦めた先で誰かが死ぬのは嫌だ”)


 テレミアの気付きと、ラズエイダの確たる思いが交差した。


(他に理由など必要ない)


 たったそれだけの理屈だった。


 たったそれだけの理屈で、ラズエイダは自らの望みすら忘れ、テレミアと共に生きる未来を心の底から信じて手を差し伸べているのだった。


 テレミアがラズエイダを仲間として認めたように、ラズエイダもテレミアの存在を既に「失いたくないひと」として胸中に受け入れているのだと、テレミアは確かに思い知った。


 二人の心は一つ。二人は互いに、互いの紛れもない心の内を明らかにし続ける。

 信じていた仲間たちの裏切りがテレミアの心に空けた大穴を、他の何よりも信じることのできるラズエイダの感情が埋めていく。


(良いか、ラグーダは僕達のことを何も知らない。そこにつけいる隙があるはずだ。僕は必ずそれを見つけ出してみせる。僕を信じろ、僕もお前を信じる)

(……わかった)


 他に適切な返事を思いつくことができず、テレミアはただラズエイダの意志に従うことを選択した。

 

 ラズエイダは身体の操作を完全に一人で掌握すると、即座に緊張に強ばった顔を作り、


「や、やめて! 来るなっ!」


 と悲鳴にも近い声を出した。


「どうした?」


 ラグーダが訝しげに見下ろす中で、ラズエイダは目を見開き、身体を丸め、苦しみに(もだ)えるような声を続けざまに発する。


 しばらくそうしてから、ラズエイダは苦しむふりをピタッと止めて、辺りをわざとらしく見回して怯えるように首をすくめた。


「この女を殺すのはどうかおやめください、私めも死んでしまいます」


 一連の演技が意図したところは、「テレミア」と「ラズエイダ」の二つの人格の分離にあった。

 「テレミア」に抑圧されていた「ラズエイダ」が表に出てきたというように演じることで、二つの人格が同じ身体に、どちらかがどちらかを支配する形で押し込まれている、という誤解が生まれる。


 その光景を見せ付けられたラグーダは、「ラズエイダ」が味方につくかもしれないと思い込み、殺すという選択を取れなくなるだろう、とラズエイダは踏んでいるようだった。


「……お前が例の奴隷か?」


 ラズエイダによる苦悶の演技の間ずっと剣の切っ先を押しつけていたラグーダは、やや圧力を緩めて尋ねてきた。

 その尋ね方は、まさにラズエイダの望んだ通りのものだった。

 

「例の、というのが何を指すかは分かりかねますが……奴隷というなら、確かに私めはあの船に運ばれているうちは奴隷の身分でございました。私めはアルタス王国第五王子、ラズエイダと申す者にございます……何の因果かこのテレミアとかいう女に飲み込まれ、ここにおります」


 恐怖の表われを感じさせる震え声を駆使しながら語るラズエイダは、口を動かす裏で淀みなく頭の中にこれから使う嘘を組み立てていた。


 テレミアはその姿に自らの過去を重ねた。

 ラグーダの前ではいつも本来の自分ではない何かを演じていたし、本当の気持ちは隠し通そうと努めていた。そうしなければいつ不興(ふきょう)を買ってもおかしくなかったし、どんな屁理屈で殺されるのかわかったものではなかった。

 きっと、ラズエイダも同じだったのだろう。自他ともに認める弱者として、そうやって命を繋いできたのだ。


(さっさと考えろ、時間が経ってはボロが出る)

(ご、ごめん)


 ラズエイダが思考の合間に釘を刺してきたので、テレミアは慌てて脱出のための策を様々に検討し始めた。

 

「飲み込まれた、と?」

「はい。無我夢中で剣を振るっていたはずが、気付けばこのようなけったいな身体に閉じ込められておりました。本来この身体はテレミアが支配しているものでございまして、私めも彼女の支配下にあったために元の身体を取り戻して逃げることもままならず、皆様の前にこうして無態(ぶざま)を晒す羽目になったというわけでございます」 


 今のテレミアとラズエイダが必要とするのは、ラグーダの剣による牽制をかいくぐることだ。

 攻撃をしてラグーダの動きを封じ、逃げ出すための時間を作るというのが最も単純だろう。魔導か、剣か、はたまた素手か。


 しかし、何かの不審なそぶりを見せれば即座にラグーダに四肢を斬り飛ばされるという制約を踏まえると、そもそも魔導を発動するための詠唱すらしてはいられない。

 すると残るのは剣か素手の二択になる。

 しかし、剣も素手も、攻撃を加えるのにはどうしても時間がかかるし、身体を動かさないことには何も始まらない。素早い動きを見せれば、ラグーダは間違いなくその意図に気付く。

 動かないままに攻撃を放つことが理想だが、そのような方法はあるだろうか。


「それが何故わざわざ俺の前に姿を現した」

「皆様がお望みは我が身でしょう。しかしこの身から我が身一つを分けるには少々危険を(おか)さねばなりません故、皆様にご説明すべくこうして表に出て参りました」


 思いつく限りの攻撃手段を記憶の中に探る。

 ヘステスに教わった、世界に存在するたくさんの魔導。その中に、例えば一文字の詠唱でいいような魔導がなかっただろうか。

 モムルに叩き込まれオトと練習した、あらゆる環境で戦い抜くための武術。その中に、圧倒的な不利を覆せるものがあったかもしれない。


 こうして三人のことを思い出すのは、テレミアにとっては苦痛以外の何物でもなかった。


 テレミアの人生の大きな部分を占める彼らがラグーダと内通していたことは、色鮮やかな数々の思い出を疑念の中に堕とし、歪め、輝きを奪い去っていた。

 皆を”駒”だと信じていた頃のテレミアであれば、何も感じることなく受け入れることができたのかもしれない。しかし、一度彼らを”大切な仲間”と思い込んだテレミアに、このあまりに非情な真実を簡単に飲み込むことなどできるはずもなかった。


 心を無にしていくつかの候補を選び出し、吟味(ぎんみ)する。

 どれも決定打たり得ないという感覚があった。


「皆様に散々痛めつけられたために、つい先程テレミアの支配が明らかに弱まりました。その隙を突いて、支配権を奪い取って、今こうして皆様とお話をすることが叶ったという次第になります……私めはこのような場所で死にたくなどありません、仮に見逃して頂けるのであれば是非ともそうして頂きたい。そのためならば皆様の配下にでも何にでもなりましょう」


 それなら、ラズエイダたちと出会ってからはどうだろうか。

 ファンエーマの使っていた技に何か使えるものはなかったか。

 ラズエイダの知識に、記憶に、そして一つとなって過ごした時間の中に、何か思いもよらない切り札を見つけることができないだろうか―――


「……お前がテレミアでないという保証はどこにある。我が身可愛さにテレミアが演技をしている可能性をお前は否定できるのか」


(ラズエイダ)

(―――よし、分かった)


 二人の心に同じ絵が描かれた。


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