27. 襲来
横穴の出口は入口と同じように塞がれていたので、再びモムルが蹴飛ばすことで開通させた。
夜空が木々の隙間に僅かに垣間見えるような、林の只中の何もない場所に辿り着いた六人は、ヘステスの案内で目立たぬように隠れ港に向かった。
やがて、左右を高い崖に挟まれた内向きの浜が視界に広がった。
奥まった入り江の中に造られた桟橋を渡り、限られた人数でも操舵できるような小船を探す。すぐにモムルが少し遠くに停泊していた小型の帆船を調べて「三人もいりゃ動かせるぞ」と伝えてきたので、テレミアたちは各々船縁にかかった縄ばしごを渡って船に乗り込んだ。
モムルが錨を引き上げ、そしてラズエイダが静かに進み出た。
「『風よ』」
ラズエイダの魔導で生まれた風を受け、船と同じく小さな帆はいっぱいに膨らんで受ける力を船体に伝える。
ちゃぷちゃぷと音を立てる夜らしい小さな波を切り裂くように、六人を乗せた船は隠れ港から滑り出した。
「む、おぬしは風の魔導士であったか」
「ああ。貴殿の頭痛が治まるまでは帆風役を引き受ける。カライアから離れられるまでは、交互に睡眠をとりつつ船を進めるのでどうだろうか」
「妥当じゃな。おぬしは魔素切れまでどれほど保つのかの」
「そうだな―――」
風を操ることのできる二人が顔をつきあわせて話し始めた横で、甲板下の収納に積まれていた物資を調べ終わったモムルがひょこっと顔を出した。手にはランプや海図など、掘り出してきたのであろう道具類が握られている。
「メシは普通にやれば七日分ってところだな。ありがたいことにどれも腐ってないぜ。水は爺さんが魔導で出せるし、我慢すれば十日は補給無しで航海できるだろ」
「十日、か。逃げ切れる気がしないね」
「ま、無理だろうな」
モムルはどっかと腰を下ろし、海図を広げた。カライアを中心として北方海域の大部分を記した海図で、それなりの大きさがあった。
巻きぐせが付いて反り返ろうとする紙の端を手持ち無沙汰にしていたファンエーマとオトに押さえさせて、同じように座り込んだテレミアは島々の配置を眺めた。
「どれくらい逃げれば諦めてくれると思う?」
「船に乗せられる食糧の量が目安だろうな。補給なしで辿り着ける場所よりも遠くへ行こうとすると考えることが増える」
「金のかかる距離を追いかけてまで私を殺す気がラグーダや他の奴等にあるかどうか、ってことか」
「ああ。俺達はどこまでも遠くに逃げるだけだがな」
海賊団の港にいる船の中で最も大きいのは、時たまに帰ってくるジャルダの乗り回す船を除けば、おそらく先の遠征でラグーダが乗っていたものだろう。ラズエイダたちを積んでいたあの貨物船と比べても決して見劣りしない大きさがある。積める食糧は二ヶ月分といったところだろうか。片道で計算すれば一月分、それでもテレミアたちの五倍だ。
その上、船は一般に大きければ大きいほど速く進むことができる。速く、かつ遠くまで進む船と小船で競い合うというのは、あまりに分が悪い。
「まず間違いなく、何度か戦うことになるね。頑張らないと」
「最初に補給をする島をどこにするかだな。海賊団の息がかかってる近所の島にゃすぐに指名手配がかかるだろうから外すとして、逆に関わりが薄いのを選べば、俺達の情報が広まるまでに多少時間が必要なはずだ」
「その程度ならラグーダも思いつくよ。船の足はあっちが圧倒的に速いんだから、下手に遠くの島を目指すと先を越される」
「そうだな、この船で届く距離にある島の数なんてたかが知れてるか。全部に手を回すのは別に難しいことでもないな」
「ラグーダはまだ近くにはいないはず。カライアに着くまで残り半日くらいかな。日が昇ってから私たちを探し始めて、既にカライアから逃げた後って分かるまでにさらに半日。私たちが逃げそうな島全部に送る船を準備するのに、どんなに早くても二日。この推測で計算して良いなら、私たちと追っ手との距離は三日あるとみて良いと思う。だから、私たちの船で三日かかる距離の島に行こう。そしたら捕まらないで補給できる」
どう、とモムルの顔を窺うと、彼は少し考えた後に首を横に振った。
「いや、丸二日の距離にしておくべきだな」
「それだと私たちの足跡がすぐに辿られない?」
「尻尾は遅かれ早かれ掴まれる。それよか気にするべきは別だ。今の俺達には金どころか売り払って小銭にできるような持ち物すらないんだ。稼ぐんだか盗むんだか奪うんだかは知らねえが、さっさと島を離れられるとは思えねえな」
「あ、そうじゃん。補給に時間がかかるから、ある程度すぐに着けるとこじゃないと駄目ってことか」
「大分絞られてきたな。あとは船の速さ次第か……おい、爺さん」
ラズエイダと話していたヘステスが「何じゃ」と首をこちらに向けた。
「二日でどこまで行ける」
「ふむ。ちと海図を見せてくれるかの」
ヘステスはテレミアたちが車座に座る方に足を踏み出した。
その時、大きな波が打ち寄せたのか、不意に船が大きく揺れた。
「うぉっと」
ヘステスが足をもつれさせて倒れ、その先にいたモムルが老人の身体を受け止めた。
「おお、大丈夫か爺さん」
「すまぬな……外海の波は流石に大きいの」
「ん? ああ、入り江を抜けたんだな」
ラズエイダが吹かし続ける風の力で、六人は順調にカライアを離れようとしていた。
両側を崖に挟まれていた入り江を抜けて全方位に広がった水平線を隠すものは、背後に座するカライアの他に何もない。
はずだった。
「―――ミアっ」
「何?」
不意に鋭い声を発したオトは、目を見開いたまま一点を凝視していた。
震えるその人差し指が示す先を何気ない気分で辿る。
夜の闇の中に浮かび上がる、三本マストの巨船の影。
「……うそ」
”ラグーダはまだ近くにはいない”。
どれほど風魔導士を酷使しようと、例え天気が神がかり的に味方しようと、ラグーダがカライアに辿り着くまでにあと半日はあるだろう―――そう、テレミアは計算していた。
その思い込みが思い込みでしかないことを、現実が何よりも雄弁にテレミアに突きつける。
「そん、な」
カライアの北端から回り込むようにして、ラグーダを乗せた船がテレミアたちに向かって突き進んでくる姿が、そこにあった。
目の前に広がる光景は、テレミアにはまるで悪夢にしか思えなかった。
「ラグーダの船がいる! 北の方、すごく近い!」
「南に舵をとれいっ! 『風よ』、ぐぅ……!」
狼狽するばかりのテレミアを差し置いてオトが警告を叫び、即座にヘステスが指示を発した。彼自身は魔素切れをおしてラズエイダと共に風魔導を操り、少しでも船の速度を上げることを試みたようだった。
「っ、舵は俺が持つ! テレミア、オト、あと槍女! お前らは帆を一杯まで張れ! 破れるなんざ考えるな、一杯だ!」
モムルが舵に飛びつき、次いで彼の言葉通りに女三人は帆に繋がる綱を力の限りに引き絞った。
二人分の風魔導を最大の面積で受け止め、マストと船体とがそれぞれ軋みを唸らせた。
ギ、ギ、ギと悲鳴のような轟音を海に轟かせながら、受ける力の分だけ船は加速する。
小船はいくつもの小波を切り裂き、大波に乗り上げ、我が身にむち打つ人間たちを振り落とさんとばかりに揺れ動く。
テレミアは顔にかかった塩辛い水飛沫を振り飛ばしながら、背後に追っ手の姿を探した。黒い大きな影はすぐに見つかった。
これほどまでに頑張っているというのに、無情にも、その姿は間違いなく先程よりも大きくなっている。
船がまた大きく揺れた。
「―――っあっ」
横で綱を引いていたファンエーマの手が離れ、彼女の身体は船縁に叩きつけられた。
「ちょっと!?」
「申し訳、ありません……!」
謝るファンエーマは目の前の綱に改めて手を伸ばそうとするも、船の揺れに力なく翻弄されるばかりで立ち上がるのもままならないようだった。
テレミアは唇を噛んだ。
こうなるのも当然だろう、と頭の中のどこか冷めた部分では分かっていた。先の戦いで重傷を負ったファンエーマは、槍を杖代わりにしてやっと立っていたような状態だったのだから。
しかし、差し迫る危機が自分たちに襲いかかろうとしている今この瞬間においては、僅かな綻びすらも狂おしい程に心を締め上げる。
「ぐ、ふっ」
次に限界を迎えたのはヘステスだった。
横穴の中で止血した鼻血が再び噴き出したかと思うと、老人はうめき声と共に頭に手をついて崩れ落ちた。
状況は絶望的だった。
オトが歯を食いしばって綱を引き絞っている。小さな身体の彼女は綱を引いているというよりも暴れる綱に引き回されているようにすら見える。
モムルが進行方向を凝視しながら、波にもまれて暴れる船の動きを舵で押さえ込んでいる。しかし、舵をいくら回したところで、船の速度は上がらない。それどころか、風の送り手を一人失った船の速度は目に見えて低下した。テレミアには、小さくなった船の軋む音の代わりに背後の巨船から鬨の声が聞こえてくるような気がした。
テレミアは、どうして、と誰にも答えられるわけのない問いを夜空に放とうとした。
大きく肺を膨らませて、理不尽な現実に対してせめて目一杯の不満をぶつけようとして―――
「っ、違うっ!」
その本能の奔出の全てを拒絶した。
私は何故ここにいるのか、思い出せ。
分かっているはずだ。
「こんなところで、終わってやるもんか!」
みんなと生きる最良の未来を手にすると心に決めたから、ここにいるのだ。
そのために、私にはまだできることがあるはずだ。
「ラズエイダっ!」
「―――テレミア」
テレミアがラズエイダの名前を叫んだのと、いつの間にかテレミアの側にいたラズエイダがテレミアの名前を呼んだのは、全くの同時だった。
テレミアはラズエイダの目をしかと見た。
空疎なばかりだと思っていたその目に浮かぶ思いを、いつのまにかテレミアは深いところまで見て取れるようになっていた。
言葉など、二人には必要なかった。
テレミアは真っ直ぐに手を伸ばした。
「テレミア、どうしたっ!」
「ミア!?」
剣と盾を持つ二人の肌が触れ合い、金と銀の光になって渦を巻く。
光が人の形を成し、そして青い肌を持つ人あらざる者として二つの魂を一つにまとめ上げる。
〈――〉
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」
柔らかい風が小船の甲板を包んだ。
ふっと宙に浮き上がったテレミアとラズエイダを見上げる四人は唖然としていた。
「……待ってミア、どうする気?」
「決まってる」
テレミアとラズエイダは確かな意志で背後の影を見やった。
「私たちがあいつを倒せばいい」
全員で生き残るために、残された道はたった一つだった。
ラグーダに戦いを挑み、勝つこと。
大して速度の出せるわけではないこの船に必死に縋り付いたところで、まず間違いなくいつか追いつかれる。遠距離の魔導や弓矢の撃ち合いになったなら、きっと即座に敵の物量に押し潰され、反撃の余地もなく船ごと粉みじんにされるだろう。
テレミアとラズエイダは逃げおおせるかもしれない。だが、空を飛ぶ手段など持たない他の四人は海の藻屑と消えるのが分かりきっている中で、そのような結末を認めるわけにはいかなかった。
「おい、まさか一人で乗り込むなんて言うんじゃねえだろうな!」
「安心してモムル、私たちは絶対にここに、みんなのところに、帰ってくるから」
「無茶だっ、何百人居ると思ってる……!」
まるで乞うように声を振り絞って引き留めようとするモムルの姿は、テレミアの記憶にはあまりないものだった。
オトも呆然とした表情で震えるように首を振っている。
その横に踏み出した影があった。
「―――主様のお帰りを、お待ちしております」
芯の通った声だった。
ファンエーマは弱り切った身体で精一杯に腰を折り曲げ、背筋を伸ばしたままに頭を下げた。
顔を上げた彼女と目が合った。
ファンエーマは二人にだけ見えるように、ほんの僅かに微笑んだ。
「どうか、望む未来を、その手の中に」
「ありがとう、エマ」
小さく頷いて、テレミアとラズエイダは広い夜空へと舞い上がった。
遙か下で叫ぶ声を意識の外へ追いやりながら、闇に紛れるように高くまで。
やがて静けさが二人を包み、黒い海と星空、そしてラグーダの船以外には何も見えないところにまで辿り着いた。
これが最後の平穏だと思うと、どうしてもテレミアはあることを訊いておかねばならないような気がした。
(ねえ、ラズエイダ)
(何だ藪から棒に)
(さっきラグーダに戦いを挑むって決めた時、ラズエイダの方が私よりも先に決心してたよね)
(はて、どうだったか)
(ま、時間のことはどうでも良いんだけどさ、それより)
上昇を止め、推進力を全て水平方向に向ける。ひゅう、という音が耳を撫でた。
(あんたって、主人の私に平気で刃向かうし、あとこうやって命を賭けないといけない場面ですっごい思い切りが良いよね。びっくりするくらい)
(それがどうしたと言うんだ、今はそのようなことを話している場合ではないだろう)
(気になってることがあってさ。あんたがこうやって自分の身の破滅を恐れないのは、今も「死にたい」から?)
(……さあ、な)
(うん、やっぱり)
段々と三本マストが視界に大きくなってきた。
(私たちってお互いに嘘はつけないんだよ、知ってるでしょ)
(おめでとう、お前は僕の本音を言い当てた。一等賞だ。……これで満足か?)
(違う違う、そういうんじゃなくて。ファンエーマと三人で話し合った時に、あんた私のことを「同類」って言ってたでしょ)
(確かにそう言ったな。だがそれが何になる)
(私はね、生きていたい。そういう意味で、私とあんたは同類じゃない)
眼下に広い甲板が広がる場所に辿り着いた。
そこに無数の人影が蠢いているのがよく見える。
(ならば、なぜこうして強大な敵に挑む)
(私は「みんなと生きていたい」から。みんなと一緒に世界を統べる、そんな未来が、私が一番生きていたい未来なんだよ。いろんな邪魔者に目をくらまされて見失ってたけど、みんなを助けて、みんなが私のことを大切に思ってくれていたって知って、やっと分かった。あんたが私のお尻を叩いてくれたおかげ)
(……そうか、眩しいな)
(だから、残念かもしれないけど、あんたは私の仲間になった以上は死なせないから。これは主人としての命令ね)
(自分の半身に命令するとは、器用な奴だ)
(へへ)
二人は身体を支える風の殆どを遮断した。
当然のように海に向かって身体が引かれ、ぐんぐんと下向きに加速していく。
(何にせよまずは、目の前の障害を乗り越えることに心血を注がなくてはな)
(言われなくたって)




