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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
25/33

25. 再会

(……いくらなんでも、これはおかしいのではないか?)


 ラズエイダが発した疑念はそのままテレミアの抱いていた思いと一致していた。


 ラグーダの館をいくら歩いても、一向にまともな敵が現れないのだ。

 身を隠す場所もなくファンエーマを背負ったまま堂々と廊下を進むテレミアとラズエイダに対して、ラグーダの手下たちは何を考えているのか一人二人ずつでてんでばらばらに突っ込んでくるばかりであった。

 多重起動を覚えた二人にとって、その程度の的は障害にもならない。風魔導で足を止めさせたところに氷魔導を打ち込めば終いだ。

 これだけ暴れているのだから実力のある魔導士辺りが出張ってきても不思議ではないのに、無謀な突撃を仕掛けてくる下っ端以外にはたまにいかにも女中らしい格好の中年の女を見かけるくらいだ。その女中たちにしても怯えたように近くの部屋に飛び込んでいくものだから、二人は剣を呼び出すことはおろか、ファンエーマを背中から下ろすことすらしていない。


(テレミア、お前の覚えている限りでいい、この館にはどれほどの指揮官が詰めているのか教えてくれ)

(ラグーダが遠征に出てるときは十人もいないよ。でも、直属の手練れが二人だけってことはないはず)

(ではこれは何だ)

(……どこかを陣地にして防衛戦を(たくら)んでる、とか?)

(答えが頼りないぞ)

(詳しいことなんか知るわけないじゃん。私ラグーダ(あいつ)に信用されてなかったし)


「主様」


 思念の交換を(さえぎ)ったのはいまだ背負われたままのファンエーマだった。


「どうした?」


 尋ね返すと、ファンエーマは何度か鼻で息をしてからすっと指を伸ばした。


「濃い血の匂いがします。この扉の奥です」

「血?」


 テレミアとラズエイダは足を止め、指摘の入った扉を見つめた。

 特に何の変哲もない、周囲のものと変わらない扉に見える。


(開けてみよっか)

(ああ)


 手をかけ、引き開けると、下に続く階段が現れた。

 こぼれてきたひんやりとした空気には、確かに生々しい鉄の香りが漂っている。


(地下、か)


 すぐに地下牢という言葉が思い浮かんだ。

 ラズエイダも同じことを思ったようだった。

 

(地下牢というのなら、いかにも典型的だ)

(だよね)


 ラグーダの館における地下の存在をテレミアは知らなかった。

 あまり表に出したくない人間を置いておくのなら、そうした知られていない場所以上に適したところもないだろう。

 あてもなく探しまわるよりは少しでも怪しい方へと進むのが良いはずだと判断したテレミアは、階段を降りてみることを決断した。


「行こう」


 ファンエーマに伝わるよう意図を口に出して、テレミアとラズエイダは淀んだ空気の石段に向かって足を踏み出した。


 背中のファンエーマと自分の身体で槍を挟むように保持しつつ、空いた右手で灯り代わりの剣を(かか)げて進む。細い螺旋を描く階段を一歩下るごとに、肌に感じる空気が冷たくなっていくように思われた。

 方向感覚を失ったころに、突然目の前が開けた。


「うっ」


 ファンエーマが小さくえづいた。


 凄惨(せいさん)極まる光景が広がっていた。

 真っ直ぐに伸びる通路のそこかしこに死体が転がっていて、石の敷き詰められた床面にはもう足の踏み場もない。真っ赤に染まった排水用の溝の中では剥がれた肉片が血に押し流されていて、流された血の量のおびただしさを鮮明に写しだしている。

 様々な格好をした死体の中には階段に向かって這うような姿勢のものもいくつかあって、どれもが苦悶を顔に貼り付けたまま息絶えていた。救いを求めて地上へ逃げだそうとして、その最中に力尽きたのだろうか。

 むせかえるような血の匂いと絶望の残り香だけが薄暗い地下牢を満たしていた。


 しかし、地獄と呼ぶ他ないような惨状を前にして、テレミアが囚われたように見つめることになったのは全く異なるものだった。


 死体の積み重なるその先で、氷でできた壁が通路を塞ぐようにそびえている。

 白く霞んで見える壁の奥に、僅かに動く影が見える。


 三つの人影が、氷の奥で何かに気付いてそれぞれ首を動かした。

 目線が絡み合う。


「みんな」


 やっと口に出すことができた短い言葉を何度も繰り返し呟きながら、テレミアは熱に浮かされたように足を踏み出した。

 半ば振り払うような格好でファンエーマを下ろし、一歩、二歩と前に進む。


 一番小さい人影が怯えたように身を引いた。


(おい、彼らはこの姿のことを知らないのだぞ)

(……あ)


 浮かれた心に冷静な指摘を差し込まれて、テレミアの意識は完全に現世に引き戻された。


(えっと、元に戻りたいなって)

(そうだな)


 伝わっているはずの気恥ずかしさに対してラズエイダが何も言わないのが、かえってテレミアにはいたたまれなかった。


 元の二人に戻ることを望むとすぐに身体が金銀の光にほどけていく。

 遠くなった意識が戻ったとき、既にテレミアは一人で地面を踏みしめていた。

 自らの特徴たる赤髪が視界に(おど)ったのを見て少し新鮮な気分になるのは、半日以上もラズエイダと一緒になっていたからだろうか。


 ともかく、これで三人に誰がここにいるのか分かってもらえるだろう。

 もうテレミアと三人を隔てるのは一枚の氷の壁だけだ。


 改めて一歩を踏み出そうとする。


 しかし、冷静さを取り戻したテレミアの頭に浮かび上がった迷いがそれを押しとどめた。


 ……どんなふうに声をかければいいんだろうか。


 テレミアはここに至って、どうやって三人と再会すれば良いのかを考えていなかったことに気付いた。

 喧嘩別れをしたわけではないにしても、テレミアが最後に三人に残した印象は決して良いものではなかったはずだ。オトとモムルの二人など、ヘステスの家での最後の晩餐(ばんさん)では殆ど口を聞いてくれなかった。愛想を尽かされていてもおかしくないかもしれない。


 憎いだけの主君がのこのことやってきたとして、果たして笑顔で話しかけられて嬉しいものだろうか。

 だが、辛い思いをしたであろう三人を真顔で(ねぎら)うというのも、何かが違う気がしてならない。


 私はどうしたら―――


「ミア!」


 テレミアの葛藤を切り裂いたのは、唯一無二の親友の声だった。


 たった半月しか経っていないのに懐かしさすら感じさせる涼やかな響きに続いて、小柄な身体が突っ込むように抱きついてきた。


「嘘、じゃない、ミア、ミア!」

「……オト」


 オトの声色を聞けば、彼女の心がまだテレミアの側から離れていないことは明らかだった。


「また会えるなんて、思ってなかったっ……!」


 オトの腕が強く自らを包む感触が、何よりも心地よい。


 監禁中に着せられたのだろうみすぼらしい貫頭衣(かんとうい)だけを纏ったオトの温もりを直接身体いっぱいに感じながら、テレミアは己の選んだ非道がオトとの絆を引き裂かなかった幸運を噛みしめた。


「もう二度と、こんな思いさせない。絶対させないから」


 浮かんできた思いを偽らずに言葉にすれば、胸の中でオトは何度も首を縦に振った。


 氷の壁に空いた穴から残りの男二人が首を覗かせるまでに、そう長い時間はかからなかった。

 血塗れた抜き身の剣を持つ黒肌の大男、そして彼に背負われる少しぐったりした様子の老人を前にして、テレミアは今度こそしっかりと笑顔を浮かべることができた。


「モムル、ヘステス!」

「たまげた、こいつぁどういうこった?」


 モムルは目を丸くしてテレミアのことを見つめる。


「黒髪の少年に、あの面妖(めんよう)な人影が握っていた”輝く剣”、そういうことじゃろ」


 鼻から血を流しているヘステスが応じた。


「おぬしは賭けに勝ったのじゃな、テレミア」


 口角をつり上げ、愉快げに尋ねてきたヘステスに対して、テレミアはううん、と小さく首を振って答えた。


「一番の賭けに、たった今勝ったところ」


 ヘステスは狐につままれたような顔になって、かわりに、モムルの手がテレミアの頭に伸びてきた。

 正面から下向きに力を込められて、思わずテレミアは目を閉じた。

 わしゃわしゃと大きな手がテレミアの赤髪を乱す。


「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか、見直したぜ」

「辛い思いさせてごめんね」

「良いんだ、お前が悪いって言ってるんじゃねえよ」

「……うん。ありがとう」




 ひとしきり再会を喜んでから、テレミアはオトをそっと引き離し、無数に転がっている死体に目を向けて「何があったの?」と尋ねた。

 ああ、とヘステスが声を上げた。


「儂らがちいと暴れてやったのよ。無手(むて)の三人にすら勝てぬとは、ラグーダの兵の程度が知れるな」


 かっか、というヘステスの笑い声が地下牢の石壁に反響する。


「うそ、これ全部ってこと?」

「おお、そうじゃとも。初めは牢番を始末して終いと思っとったんじゃがの、後から後から羽虫のように沸いて来よった」


 まるで本当に虫を叩き潰しただけというような声色で語るヘステスではあるが、無残な姿の死体の中にはテレミアも顔を知っている手練れも何人も含まれている。

 決して簡単な戦いではなかったはずだ。


「久々に本気の爺さんを見たが、ありゃ鬼か悪魔かって具合だったな。今でも船団長の船にいておかしくないだろ」

「テレミアの評判に悪いと思うての、しばらく表だっての殺しは止めとったんじゃ。腕が鈍っとらんくて良かったわい」

「評判って、そんなこと気にしてたの」

「そりゃの。”天真爛漫のお転婆(てんば)娘”に惹かれるような女に目のない男どもを引き込むつもりでおったのじゃから、物騒な噂など立てちゃあおれんわ」


 そこまでを語って、ヘステスは大きく息を吐いた。


「とはいえ、もう儂は動けん」

「え?」

「魔素切れじゃ、魔素切れ。鼻から血が垂れとるじゃろ。文字通り頭が割れると思うほど痛いぞ」


 もう魔導の一つも使いとうないの、と呟いたヘステスは、そのままモムルの背中で器用に肩をすくめた。

 ヘステスの顔を見れば、確かに鼻から流れたらしい血が髭のあちこちを赤く染めている。

 先ほどからモムルに背負われたままでいるのは、おそらく重度の魔素切れによって身体が満足に動かないからなのだろう。


「私たちが来なかったらどうするつもりだったのさ」

「策が尽きていたわけではないが、まあ十中八九死んでおったじゃろうな」


 側のオトが小さく首を縦に振った。


「だから、ミアが来てくれて本当に助かった。私なんて武器がこんなのしかないからまともに戦えないし、ヘステスも潰れてたから」


 彼女の手には土を固めただけのいびつな杭が握られている。

 ヘステスが魔導で生み出したのだろうそれは、血を吸って黒ずんでいた。


「助かったなんて、私なんにもしてないよ」

「敵の増援が止まったのはミアが下りてくる少し前だった。ミアのおかげ」


 真っ直ぐ目を見つめてくるオトにそう言われて、テレミアは少し照れくさくなった。

 あまりそれを見られたくなかったから、テレミアは意識的に表情を切り替え、一つ息を吐いた。


 今考えるべきは、次にとるべき一手についてだ。

 新たな敵が来る前に逃走への算段をつけなければならない。


 置かれた状況は、もともと想定していた中ではかなり良い部類に入る。

 とっくに死んでいてもおかしくなかった三人と生きたまま合流することが叶い、そのうえテレミア自身も、それにラズエイダもファンエーマも健在でいる。

 一方ラグーダの手下たちは大分数を減らしている上に、ヘステスの奮戦で指揮系統も殆どが失われているものと思われた。


 残り僅かなラグーダの手下からファンエーマを含めた四人を守りつつカライア島を抜け出すことができれば、この救出作戦には一旦の区切りがついたものといえるだろう。

 その後の海の上での命を賭けた鬼ごっこについて考えるのは、海に辿り着いてからでいい。


 テレミアは顔を上げ、三人を視界に入れながら背後の階段を指さした。


「それじゃ、港に船を探しに行こう。さっさとカライアを離れるよ」

「待て」


 ヘステスがそれを制止した。


「敵はラグーダに限らんじゃろう。この騒ぎじゃ、館の外に他の者の手勢が詰めていてもおかしくない。その中におぬしという存在が現れれば無用な混乱を生む」


 そう言ってヘステスはテレミアの思いも寄らない場所を指さした。


「儂に考えがあってな。牢の最奥に向かってくれるか」


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