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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
21/50

21. ”未来”

 三人とは誰か、と聞き返す必要などなかった。

 ラズエイダの鋭い眼差しは、明らかにオトやモムル、ヘステスのことを指してテレミアの心に問うていた。


「……三人は、悔しいけど、もう助からない。ラグーダの配下を殺した時点で、私は裏切り者になった。ラズエイダ、あんたなら分かるでしょ。ラグーダがみんなを生かしておくわけがない」


 テレミアは目を伏せ、沈む心を隠さずにこれから殆ど確実に訪れる未来を語った。

 右手を持ち上げ、顔の前で握り、そして力を抜く。

 ぱた、と手が太ももを打つ音が響いた。

 力なく笑い、テレミアは吐き出した。


「今の私には、それを止める力もない」


 それは覆しようのない事実だった。


 三人を救うためにテレミアに与えられた残り時間は、きっとあと少しもない。ともすれば、既に手遅れかもしれない。

 テレミアの乱心を知ったラグーダが本拠に残る手下に連絡を飛ばし、そして指示通りに三人が処刑されるまでに、長い時間がかかるはずもなかった。


 仮に救おうとするならば、だ。

 処刑が行われるその前にカライアに舞い戻り、たった一人でラグーダの館に攻め入り、生きているかすらも分からない三人を見つけ出し、武器を持たない足手まといの三人を連れて敵だらけの島から脱出し、仲間殺しに脱走企ての大罪人を始末して手柄を得ようとする海賊団の追っ手を撒き続け、都合良く六人で息を潜めることのできる場所を見つけ出す、というのがテレミアの勝利条件になるだろう。


 不可能でしかない。


 テレミアは、ヘステスがいつも「時間はおぬしの味方だ」と口を酸っぱくして語っていたのを思い出した。苦難を耐え忍べば、いつしかジャルダの子どもたちの中で最も若いテレミアにこそ天命が舞い降りるのだ、と。

 そんなことはなかった。時間はまるで、裏切るべきときを虎視眈々と狙い続けたかのような鋭さと悪辣(あくらつ)さで、テレミアに牙を剥いた。

 テレミアがこれまで必死に生きてきた僅か十五年の人生では、たった三人を救い出すための力を得るのにすら、全く十分ではなかった。


「……でも、それでいいんだよ」


 失意を覆い隠すために、テレミアは自分を正当化する、最早使い慣れてしまった論理を編み上げた。


「だって私は三人の仕える主で、三人っていう”駒”をどう使うも私の自由だから。私は何も間違ってない。主が死なないように駒が犠牲になった、ただそんなありきたりな結果が残るだけ。まぁもしラズエイダが三人のことを大切に思ってくれてるなら、いつか海賊団の誰よりも強くなったとき、みんなに報いるつもりで―――」

「いいや、今すぐに救いに行こう。行かなくてはならない」


 ラズエイダが強い口調で遮った。

 テレミアは驚いてその顔を見つめた。


 剣の仄かな光の反射が鳶色の空疎な瞳に浮かび上がっていた。


「今の私達の力があれば、不可能とは言い切れないだろう」


 テレミアは頭を振った。


「何を勘違いしてるのか知らないけど、どう考えても無駄だよ。きっと今頃船の上では私が仲間を殺したことが知れ渡ってる。すぐにでもラグーダは島の手下に三人を殺せって指示を飛ばすはず」

「そのようなこと、どうしてお前に分かる。ここからカライアまで情報を伝えられるような魔導が届くはずもない」

「何言ってんのさ、鳩を飛ばすんだよ。私達海賊がバカの集まりとでも思ってる?」

「その伝書鳩が飛ぶのをお前は見たのか? 少なくとも私の記憶にはないぞ。私とお前は全く同じ視界を共有していたはずだがな」

「見たはずないよ、私達は事を起こしてすぐに逃げ出したんだから」

「ならばどうしてお前は伝書鳩が飛んだと確信できるのか、と訊いている。見ていないのだろう?」

「そりゃ見てはないけどさ……っ」


 鼻につく物言いのラズエイダを前にして、段々とテレミアの言葉にも棘が生まれ出す。

 どうしてこんな当たり前のことで言い争わねばならないのか、テレミアにはまるで分からない。


「普通に考えて、ラグーダは絶対にすぐに殺すように命令を出すよ。わかんないの?」

「そうか? 憂さ晴らしをしたい、と思っているかもしれないではないか。ラグーダは冷酷な男なのだろう、自らの手で裁きを下すのをさぞかし好みそうだ」

「そんな目の前しか見えない間抜けなら、とっくに他の弟や妹に食われてるから。いい、私達が空に飛び去ったのをラグーダは知ってるの。合理的に考えれば、下手に手を出されても困るから、空を飛べる私達がカライアに辿り着くまでに人質はさっさと殺しておきたい。違う?」

「そうやって短絡的に人質を殺してしまえば、お前という得体の知れない敵に対する手札を失うことになるがな。それこそ目の前しか見えない間抜けの犯しそうな失態だ」

「……っ」


 テレミアが返す言葉に詰まったのを良いことに、ラズエイダは軽く鼻で笑って畳みかける。


「お前が口にする「合理的」など、全てお前の想像上での話だ。そして、これはラグーダの問題だ。奴ではないお前がどうして奴の振る舞いを確信できる。救い出せる可能性が僅かにでもあるのなら、今すぐに海賊の島に飛ぶべきだろう」


 ラズエイダはどうしても三人の救出にこだわりがあるようだった。

 同じ記憶を持っているはずなのに、どうして到底そのようなことが叶わないと理解してくれないのだとテレミアは苛立つ。


「じゃあ助けに行って三人が死んでたらどうするのさ。私達も死んで全滅だなんて結果になったら無駄足なんて話じゃないよ」

「お前はあの三人に育てられたのだろう、だというのに見捨てるのか?」


 見捨てるのか、と言われて、テレミアは頬を叩かれたような気分になった。

 一瞬思考が止まる。


 ぶんぶんと首を振って正しい論理を思い出す。


「……見捨てたくて見捨てるわけじゃない。私が死ぬわけには行かないの。それに、そもそも私がわざわざ”駒”を助けに行く義理なんてないし、第一」

「何もかもが間違っているな」


 またしてもラズエイダはテレミアの言葉を遮った。

 今度は嘲笑にも近いような成分を、彼の声色にはっきり感じ取ることができた。

 

「そもそも、お前は()()()()()を死なせたと自覚して生きていける性質(たち)ではないだろう?」


 ラズエイダがわざとらしく強調した”大切な家族”というのは、半月前にラグーダに向けてテレミア自身が使ったお飾りの言葉だ。

 心の中の誰にも見せたくない部分を明かされるのは、素直に不快でしかなかった。


「……わざわざ私の台詞をなぞるなんて本当に嫌味だね。どこまで記憶を覗いてくれたの?」

「まぁ、それなりには、な。知的な好奇心はある方だと自覚している」


 頬の引き攣る感覚を覚えながら、テレミアは一つの判断を下した。

 ラズエイダと自らの間にある繋がりを強く意識し、


「『今後許可なく私の記憶を読むことを禁止する』」


 命令を発すればそれは隷属の首輪によって具現化され、ラズエイダの身体と思考を縛る軛となる。


 しかしラズエイダの反応はといえば、「その程度か、甘いな」と小さく呟くのみだった。


「何、舐めてんの?」

「事実を述べたまでさ。お前は結局、甘い人間なのだよ」


 主人を小馬鹿にするような態度を崩さないラズエイダに対して、テレミアは重ねての命令―――『自由な発言の禁止』―――を発するべく再び繋がりを意識しようとした。


 しかしそれよりも早く、ラズエイダが「何より」と口を開いた。


「お前は一度として彼らを駒扱いすることを自分の本心として受け入れてなどいないからな。お前はただヘステスの教えに盲目的に従っているに過ぎない」


 畳みかけるようにラズエイダが暴いたのは、テレミアが必死に押し殺してきた葛藤だった。

 それは、決して誰にも見せてはいけないと信じて、自分ひとりで抱えきるのだと決意して、確かにそこにあると分かっていてなお、見ない振りを続けてきた本音だった。


「……デタラメ言わないで」

「何を言う、お前の記憶には確かにそう刻まれている」


 心を共有したラズエイダに対して、嘘や隠し事は通じない。


「三人に「命を捨ててもらう」と告げたあの時から、お前の心は張り裂けそうな程の罪悪感に軋み上がり続けているだろうに」


 それが例え自分に対する嘘であっても。


「違うか?」

「っ」


 最早ラズエイダの言葉を否定することも叶わず、テレミアはただ強く唇を噛んだ。


 ヘステスの教え―――自分だけを信じ、他者は一切の例外なく駒として扱う―――という絶対の基準は、敵ばかりの世界を生きてきたテレミアにとってたった一つの縋る先だった。

 ヘステスの説く正しい生き方に従えば世界に押し潰されずに済むのだと、テレミアはずっと信じてきた。

 こうして現実の余りにも苦しい外圧に晒されてその教えの歪さと、心のすり切れるような苦悩に苛まされながらも、テレミアは一度信じた世界の解釈を変えることができなかった。


 なぜなら、テレミアはそれ以外に信じられるものを知らないから。


「じゃあ何!」


 心に築いた壁を内側から壊されてしまったテレミアは、裸の心を振り絞り叫んだ。


「あんたは私に、私のためだけにみんなに捨てさせた命を、今更私の罪悪感だかのために無駄にしろって言うの!?」


 叩きつけられたテレミアの叫びに対しても、ラズエイダの瞳は揺るがない。

 超然としたまま、ラズエイダはゆっくりと口を開いた。


「”私なんていなければみんな幸せなのに”」


 ラズエイダはテレミアの口調を真似しながら、テレミアが一度も口にしたことのない言葉を生み出した。

 その裏側にある意図を全く読み取れず、テレミアは思わず「何を言ってるの?」と聞き返した。


 ラズエイダの口角だけが僅かにつり上がったのが分かった。それが意味する感情が何なのかは、分からなかった。


「気付いていないようだが、お前にもその思いはある」

「……は?」

「成人の儀の時が良い例だ。ミノタウロスの王から致命傷を食らい盾に命を救われるその直前、お前はオトに対して何を思った?」


 ラズエイダに誘導されるまま、テレミアの脳裏にオトと二人で成人の儀に挑んだときの記憶が蘇る。


 血を吐いて鈍い痛みの中崩れるように座り込んだあの時、自分の死を受け入れたその瞬間に真っ先に浮かんできたのは、”オトを私なんかのために死なせるわけにはいかない”、という願いだった。

 オトにはもっと、広い空の下で、好きなように、しがらみなく生きていてほしかった。そうさせてやらないといけないと思った。

 だから私はこう言った。「こんな私に付いてきてくれてありがとう、オト。もう、自由だよ」、と。


 思考が凍り付いた。

 それはまるで、


「私が死ぬからオトはやっと幸せになれる―――そう思っただろう」


 今は心を共有していないというのに、まるで測ったかのように都合良く、するりとラズエイダの乾いた感情が滑り込んできた。


「周りの者のためを思えば遙か昔に死ぬべきだった、そもそも生を受けるべきですらなかったお前が一人で生き延びること、それ自体が全くの無駄ではないか、ええ?」

「そん、な、」


 自分で形にしたこともないぼんやりとした空想を外から無理矢理形にされて、テレミアはついに返す言葉を失った。


「……私は誰にも望まれない、出来損ないの王子としてこの世に生を受けた。家来たちには辛い思いをさせ続け、挙げ句の果てには愚鈍な反逆者として国を追われた。私がただ生きるだけで周りの者達はみな不幸になった……だというのに!」


 ラズエイダはいつの間にか剣を消していた右手を握りしめ、地面を叩いた。

 自分のことを語り出したラズエイダの瞳には、剥き出しの感情が色濃く表われていた。空疎だった鳶色の瞳が取り戻した力を、テレミアは正面からたった一人で受け止めた。


「だというのに、満足に報いてやることもできなかった彼らは皆「ラズエイダ様のために」と告げて追っ手の前に身を躍らせた……私の悔しさを、悲しみを、葛藤を、苦しみを、お前も知っているだろう。シキ、フジュロ、レーバ、ウィラル、皆私が()()()のだ」


 一人一人の名前と共に、テレミアの脳裏にも在りし日の彼らの姿が思い浮かぶ。

 彼らが名誉の死を選んだその瞬間の、無力感に打ち震えるラズエイダの感情が我が物のように思い起こされる。


「皆が消えた後に残る空虚を埋めるのは、果てのない己の想像だ。己の想像が、皆の姿を形取り、幻影として忍び込み、心を蝕んでいく。記憶の中にあったはずの大切な人の笑顔が思い出せなくなっていく。代わりに、皆が命を奪われるその最期の瞬間に感じたであろう苦しみを想像するだけの時間が長くなっていく。己の無能を嘆くだけの時間が日常を埋めていく……そうしていつか、気付くのだ。私が居なければ、私が振りまいたあらゆる不幸はこの世に存在し得なかったのだ、と」


 テレミアの記憶に蘇る、かつて”皆”を率いたラズエイダの魂はどこまでも善良だった。

 自らの命よりも他者の命、配下の者の命を大切に思ってしまうほどに。

 他者の命を自分のために使わせてしまうことを許せないほどに。


 だから、ラズエイダの心はまるで当然のように全てを背負い込み、そして折れた。


 そうして生まれたのが、いつか見た”死んでいるように生きている”しなびた少年だった。


 ラズエイダは激情をその瞳に燃やしながら、静かに淡々と言葉を連ねる。


「とうに生への渇望すらも失った。ただ、私を生かすため誰かが命を散らしたという事実が私に生きろと命じるから、生きている……テレミア、お前は私と同じだ。お前のこれから辿る未来など、手に取るように分かる。ここで三人を諦めて逃げ出してみろ、お前は必ず、永遠に過去に呪われたまま生きることになる」


 ラズエイダの言葉が、恐ろしいまでの実感として脳髄に突き刺さる。

 テレミアには最早何を言い返すことも叶わない。

 それは未来の自分自身からの忠告だった。

 

「私はお前が憎い。心底憎い。腕輪を継承できる望みなど微塵もないまるで無価値なお前を信じ、辛苦を共にしてくれた仲間を切り捨てようとする、その浅慮極まる判断が憎い。三人を救うことのできる可能性を信じようともせず、我が身をかわいがる余りに怖じ気づいて逃げ出そうと思えるほどの甘えきった感性が憎い。仲間を失いたった一人生き残った先に残るものなど何もないのだと想像できない、拙劣(せつれつ)な思考が憎い……だが、お前は私という同類の記憶を得てしまった。仲間を犠牲にして生き残ることを選んだ”出来損ない”の痛苦を知ってしまった」


 そこで一度、ラズエイダは言葉を切った。

 視線を完全に囚われたテレミアが見つめるその先でラズエイダは立ち上がり、ずかずかとテレミアに歩み寄り、そして両手で乱暴にその頭を挟み込んだ。

 頭骨(とうこつ)を伝う衝撃がテレミアの脳を揺さぶる。


「故に敢えて問おう、テレミア!」


 煮えたぎるあらゆる想いを一言一句に迸らせながら、額をぶつける勢いでラズエイダは叩きつける。


「愚かにも全てを諦めて逃げ出し、永遠に過去に呪われたまま生きるか! 例え僅かであろうと残る希望に未来を賭けて命を燃やすのか! お前は、どちらを、選ぶのだ……っ!」


 荒い息づかいすら直接感じ取れる程に近づいたラズエイダの瞳から一筋の涙が落ちて、テレミアの頬に跳ねた。

 ようやく、テレミアはあることを理解した。


 不意に、ラズエイダの背後から手が伸びてきて、ぎゅっと彼の身体を包んだ。そのまま、その手はラズエイダの頬を伝う涙を拭った。


「イダ様は決して愚かではありません」

「……」


 ファンエーマはまるで赤子に言い聞かせるように優しく語りかける。


「私達は一度として、イダ様を出来損ないと思ったことなどありません」

「……ろ」


 ぶるり、とラズエイダの身体が震えた。


「私達は皆、イダ様のことを敬愛しております……ですから」

「……止めろ……っ」


 拭うそばから、どんどんと涙が溢れる。

 ファンエーマはそれを気にすることなく、何度も何度もラズエイダの頬を拭う。


「御身をそうやって断罪せずとも、良いのです」

「っあっ、あぁ、ああああ……!」


 しばらくの間、森にはラズエイダの嗚咽だけが響いていた。



 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 不意にラズエイダはテレミアの頭から両手を離し、そのままファンエーマの手をやや乱暴に引き剥がした。

 ファンエーマが身を引いたその横をすり抜けるようにして彼は元いた位置に戻って、どす、と腰を地面に下ろした。


「……ねえ、ファンエーマ」


 虚空を見つめるラズエイダから視線を外せないまま、テレミアはファンエーマの名前を呼んだ。


「もし、私が三人を助けに行ったら、ラズエイダは私と一緒に戦うことになる。生きて帰れるか、正直私には自信がない。……その上で、私がラズエイダを連れて行くって言ったら、ファンエーマはなんて答える?」

「……その答えを聞いて、テレミア様のお考えは変わりますでしょうか?」


 質問を質問で返された。

 テレミアは素直に答えた。


「きっと変わらない」

「左様でございますか」


 ファンエーマは静かに呟き、黙り込んだ。

 何度か口を開きかけ、そのたびに閉じるということを繰り返し、そして俯いた。


「……元のご質問に対してお答えするには、私の護衛という立場は適切ではありません。答えは一つになってしまいます」


 それはつまり、危険がある行動を看過するわけにはいかない、という回答になるのだろう。

 この人は妙なところで不器用だな、とテレミアは少し面白く思った。


 どうすれば立場という言い訳を許さずに本音が聞けるだろうかと考え、テレミアはファンエーマの首筋に手を当てた。そこには所有者登録を待つ状態の隷属の首輪が嵌まっている。


「……じゃあ、今ここで私の奴隷になってよ。私が命令すれば言いたいことも言えるよね」

「それではあまりにも乱暴ではありませんか」

「否定はしない。でも所有者登録のない首輪を嵌めたまま人前に出るわけにはいかないよ」

「……仰せの通りでございますね」


 小声で呟いたファンエーマはテレミアを目で促した。

 テレミアは所有の意思を念じ、すぐに主従の繋がりが生まれた。


「それじゃ、『ファンエーマが本当に思ってることを話して』」


 命令の意思を込めて言葉を発すると、ファンエーマはぴくりと肩を震わせて、そして観念したように口を開いた。


「イダ様を喪いたくないというのが間違いなく本心です。ですが、逃避行の中でどんどんと感情を表にしなくなっていくイダ様を見ていて、本当にこれでいいのだろうか、と自問自答を繰り返したのもまた、事実です。先ほどのイダ様のお言葉を聞いて、色々と腑に落ちたところがあります。……結果としてテレミア様の手の中に私どもは収まりましたが、ある意味ではイダ様にとって幸福であったのかもしれません。他者に自らの生死に関わる全てを握らせるというのは、イダ様にとって死した者達から託された責任から逃れる唯一の方法ですから」


 ファンエーマはそこで小さく笑った。


「こんなことを言ってしまっては、私は皆に顔向けできませんね」


 そして少しの沈黙の後に、僅かに目に涙を浮かべながらテレミアに告げた。


「もし、叶うのでしたら、イダ様の願いを聞き届けて頂きたく思います。イダ様の悲しい過去が、テレミア様の未来のために役に立ったならば、きっとイダ様は嬉しいはずです」

「……そっか」


 どこまでも主君を想うファンエーマの意志を受け止めて、テレミアは決意を確かな物にした。


「じゃあ、行かないとね」


 そうと決めれば、こんなところで油を売っている暇はない。

 膝に手を置いて、よっ、と声を出しながらテレミアは立ち上がった。

 大股でラズエイダの側に歩み寄り、そしてさっき彼にされたように、その頭を両手で勢いよく挟み込む。


「うっ」

「聞こえてたでしょラズエイダ、早く行くよ」


 まだ感情の波を制御し切れていないラズエイダの頭を振って、テレミアは彼を急かした。

 うぅおぉと彼の口から情けない声が漏れたのを笑えば、ラズエイダはむすっとした顔で立ち上がった。


「……これが海賊のやり口か?」

「よし、目が覚めたね。これ以上笑わないでおいたげるからさっさと剣を出して。合わさるよ」

「お前という奴は……」


 ラズエイダがぶつぶつと文句を続けながらも剣を生み出したので、テレミアも同じように盾を生み出して手を繋いだ。


 ふっ、と意識が遠くなって、そして戻る。

 息の詰まるような重い感情がひしひしと伝わってきた。


(うーわ、心ぐっちゃぐちゃ)

(仕方ないだろ! 僕だってこうなりたくてなったわけじゃない!)


 ろくに他人の気持ちも考えないでなんだ、とうるさいラズエイダを放っておきながら、テレミアは身体をファンエーマの方に向けた。


「ファンエーマはどうしたい?」

「私も連れて行って頂きたく思います。槍さえ見つかれば、私も多少の戦力にはなります」

「……命の保証はできない。いいの?」


 そうやって訊きながらも、テレミアにもラズエイダにも、ファンエーマが首を横に振るわけがないのは分かっていた。


「槍は主君のために振るうものです。何を躊躇うことがありましょう」

「分かった。ありがとう」

「私にはもったいないお言葉です」


 ファンエーマは頼もしく笑って答えた。


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