19. 足掻き
高く舞い上がる。
船のマストすらはるか下に見える程にまで上昇して周囲を見渡せば、それほど遠くない場所に小さな島があった。
(あそこでいいかな)
(ああ。辿り着くまでに魔素切れを起こさないと良いのだが)
(速めに飛ぼうか)
(エマが苦しくない程度に、な)
目標に定めた島に向けて加速する中で、テレミアは眼下の船の群れを見つめた。
ひときわ大きな船が輸送船に向かってゆっくりと進んでいくのが見えた。三本のマストが特徴的なあの旗艦には、ラグーダが乗っていたはずだ。
予定とは大分異なる形にはなったが、これでラグーダとは完全に訣別したことになる。
それはつまり、三人の処刑が確定したということを意味する。
仲間殺しの罪は重い。テレミアはもうカライアには戻れない。きっと、三人の亡骸も拝むことはできないだろう。
テレミアは感傷のままに三人のことを思い浮かべた。
ラグーダの館の庭で跪く感情の抜け落ちた三人の顔が、温かな思い出を全て覆い隠していた。
(……ごめんね、みんな……)
届かないと分かっている気持ちを遙か彼方の海賊の島に向けて念じていると、ラズエイダの感情が昂ぶったのが分かった。
感傷を邪魔された気がして、素直にテレミアは不快感を押しつけた。
(……なにさ)
(いや、すまない。お前の記憶が流れてきたんだ。あまりにも、その……僕と似ていたから、つい)
(似ていた?)
(……これで伝わるか?)
その言葉を合図に、テレミアの思考に知らない光景が浮かび上がった。何を言われずとも、それはラズエイダの記憶だと悟ることができた。
先王の隠し子としてこの世に生を受け、窮屈な離れに押し込まれておよそ王族とは思えない不便な暮らしを送った幼少期。住み込みのメイドとして連れてこられたファンエーマという年上の女の子がたった一人の遊び相手だった。
風魔導に適性があると見定められ、魔導適性を持つ以上はと無理矢理王宮に連れて行かれたのは八歳の時だった。妾の子、”出来損ない”と白い目で見られながら必死に慣れない勉学に励み、分け隔てなく接してくれたシキやフジュロ先生のような優しい人の助けを借りながらようやく王位継承権を持つ者として認められたのが一二歳。祝福は第二王子の送り込んできた刺客だった。
それから王宮内での力関係を見極めながら本音を全て胸の奥にしまい込む生活が始まり、最後の転機は一五歳、内乱の正当性を担保するためのお飾りとして”出来損ない”は丁度良かったのだろう。気付かないうちに望まぬ戦いに巻き込まれ、当然のように敗れ去り、国を追われた。
(……東の果てにあるアルタスから遠く、遠くへと逃げる間に、何人もの大切な人が「お前は生きてアルタスの王になるのだ」と言い残して散っていった。シキも、先生も。そして、ここに僕はいる。僕は生き残ってしまった)
まるで自分など死んだ方がよかった、というような語り口でラズエイダは記憶の共有を止めた。
(どうだ、似ているだろう。十五番目の娘、テレミア)
掠れてしまった感情を載せた思念がテレミアに届いた。
(……そうだね。私と同じだ)
それ以外に返す言葉も思いつかず、テレミアはただ同意だけを伝えた。
テレミアの記憶となったラズエイダの記憶は、テレミア自身の過去と、そしてこれからの未来を全て見せ付けてくるかのようだった。
今、テレミアはかつてのラズエイダと同じように、大切な人を後にして海賊団から逃げだそうとしている。
そして、テレミアの側にはもう、ラズエイダにとってのファンエーマ―――エマはいないのだ。
果たして未来の自分が笑っていられるのか、テレミアには分からなかった。
魔素切れの兆候である頭痛に襲われることもなく、テレミアとラズエイダは危なげなく海を渡りきることができた。
辿り着いた島の上空で人目につかない場所を探して回る。
やがて見つけた人気のない森の中の空き地にふわりと舞い降り、ファンエーマの身体をそっと横たえる。
(この手枷とか足枷とか、なんとかしてあげられないかな)
(試してみるか)
剣を右手に生み出し、ファンエーマに「今から鎖を切る、動くなよ」と伝えて切っ先を当てる。
そのままぐっと体重をかければ、簡単に両手の枷を繋いでいた鎖は切り裂かれた。
続けて足枷の鎖も同じように破壊する。
(流石にアルタス様の剣だ、凄まじい切れ味だな)
(うん。使うときは注意しないと)
(そうだな、あれほど簡単に人が斬れるのだ)
二人で荒れ狂うままに海賊たちを斬り飛ばした時、剣は僅かな抵抗すらも感じさせなかった。
もしラズエイダが剣を生み出したとき、それに気づけていなかったら、と思うとぞっとする。
二人が思考を交わす合間に、ファンエーマは自由になった両手で身体を引き起こしていた。
ラズエイダが先にそれに気付いて、身体を動かした。
「あまり無理をするな」
「いいえ、問題ありません」
そう言ってファンエーマが立ち上がろうとしたのを押しとどめる。
「こんな時に意地を張る必要はない。あのような場所に居たのだから、気が滅入っているのが普通だ」
「……私は、イダ様の護衛なのです。このような醜態をいつまでも晒すわけには参りません」
「今は私がお前の護衛なのだよ、エマ。大丈夫だ、何も焦らなくて良い」
ファンエーマの肩を両手で包んでそう伝えれば、「ありがとうございます」という小さな答えが返ってきた。
よし、と頷いて手を離すと、ファンエーマは僅かに頬を染めて横を向いた。
「……ですがせめて、何か身を隠すものを探しに行くことを許しては頂けないでしょうか」
そう言ってファンエーマは殆ど裸に近い状態の身体を恥じらうように腕で包み隠した。
ラズエイダの思考が凍ったのがテレミアにはよく分かった。
少し間をおいて、ぐるん、と身体がそっぽを向いた。
「あっ、いや、と、だな」
ラズエイダの慌てふためく感情が途切れ途切れの音となって飛び出していく。たかだか十五の、未だ女を知らない男に、この状況を打開しろというのはなかなかに酷だろう。
テレミアは自分の口から初心な男の焦りが漏れるのをしばらく楽しんでから助け船を出した。
(はいはい、私が引き受けるよ)
(しかし、どうやって、だって、お前が見たら僕の目にもエマのからだが、そんな、見てはいけない、だろ)
(あーもー落ち着いてよ。多分だけどさ、盾とか剣を消すときみたいに「分かれたい」って念じれば元の二人に戻れると思うんだよね。一回やってみない?)
(わ、分かった、念じるんだな!)
ラズエイダが一心不乱に祈りだしたのを感じつつ、テレミアも同じことを頭に思い浮かべる。
すると何か冷たいものが心に差し込まれたような感覚が生まれて、身体に力が入らなくなった。色あせる視界の中で、青色の身体が金銀の光に崩れるように解けていったのが分かった。
一瞬意識が遠くなって、すぐに引き戻される。
どうやら自分は今地面に足を付けて立っているらしい。
両手を見てみると、それは至って普通の色をしていた。頭の中に他人の声が響いてくることもない。
少し物足りないような、寂しいような、そんな気がした。
「どう?」
「……戻れたらしい」
「よし」
隣にラズエイダが輸送船の中で見たままの粗末な格好で佇んでいた。テレミアと同じように両手をまじまじと見つめている。
「じゃああとは私に任せ―――」
「イダ様、お下がりくださいっ!」
大声とともにテレミアは思い切り突き飛ばされ、無様に地面に転がった。
弱っていたはずの身体のどこにそんな力を残していたのか、ファンエーマが姿勢を崩したテレミアの方に獣もかくやという程の速さで踏み込んできていた。
「駄目だエマ、そいつは!」
ラズエイダの叫びも、風のように駆けるファンエーマの耳には届かないようだった。
「『雷よ、我が―――」
尻を着いたままファンエーマの姿を正面から捉える。
右手を伸ばしながら必死の形相で突っ込んでくるファンエーマが唱えているのは、おそらく攻撃力を高めた雷魔導の詠唱だ。
テレミアは己の失態に気づき、血の引く思いで歯を食いしばった。
どうして忘れてしまっていたのだろう。エマからしてみれば、テレミアという人間は主人と彼女の居場所を暴いた、許すことのできない敵なのだ。先に敵意がないことを伝えてから戻らなければならなかった。
エマは最短距離で仇敵を殺しに来ている。
アレを食らってしまえばひとたまりもない。
躱さなければ死ぬ。
「『―――導に従い―――」
でも、どうやって?
もう目の前にまで迫ってきたエマの手が届くまでに、きっと剣を抜くだけの時間もない。
腕や脚を強化するオトの札を使ったところで起き上がる速さは大して変わらない。
盾を構えようとしても、もう腕を弾くことすらできないだろう。
こんなところで、私は終わってしまうのか。
いくつもの死線をくぐり抜けて、いくつもの命を踏み台にして、やっと望んだ力を手にしたのに。
ただの不注意のせいで。ただ私が油断したせいで。
三人の顔が思い浮かんだ。
きっともうすぐ、私のために命を失うはずだったみんなは、なんのために死ぬのだろうか。
―――足掻かなくてはならない。
「『―――集いて―――」
心臓の真上に向かって伸ばされるエマの手の只中に雷が生まれることを想像する。
ヘステスは教えてくれた。魔導は同じ属性の魔導で打ち消すことができると。出来の悪い私が納得するまで、ヘステスは何度も、何度も、訓練に付き合ってくれた。
ヘステスの手加減してくれた魔導に対してだって一度も成功したことはない。
それが何だというのだ。
どれだけ細い道筋であろうとも、最後まで諦めるわけにはいかない。
私が一人で勝手に諦めることを、絶対に三人は許してくれない。
すべきことは単純だ。
エマの手から放たれるであろう雷を、丁度打ち消すような向きに雷を放つのだ。
絶対に目を離してはいけない。瞬きすらしてはいけない。
たった一瞬の過ちが、死に直結するのだから。
〈――〉
無機質な声が聞こえた。
「『―――迸れ』!」
「『雷よ』っ!」
ファンエーマの手が胸を強く打つ。
二つの魔導が放たれた肌の境界には光が生まれ、バチバチと激しい音を立てる。
勢いのままにファンエーマの身体が突っ込んできて、テレミアはファンエーマと絡み合って地面を再び転がった。
頭を何度も地面に打ち付け視界がちかちかと明滅する中で、テレミアは最後まで魔導のぶつかり合う場所から目をそらさなかった。
短くも、まるで永遠にも思えるような時が過ぎ、ぢっ、という鈍い音が、ファンエーマの魔導の効力が失われたことをテレミアに伝えた。
即座にテレミアは彼女から全力で距離をとった。
流石にファンエーマも寝転んだ状態からは反応し切れないようで、追撃はないように見えた。
ファンエーマが顔をあげ、魔導をぶつけたはずのテレミアが何事もなかったかのように動いているのをその視界に捉えた。
「まだ、死なないのですかっ!」
「エマ、待つんだ!」
ファンエーマの首にラズエイダの腕がかかった。
上からのしかかるようにしてラズエイダはファンエーマの動きを封じる。
「イダ様!?」
「彼女は敵ではない!」
「はなして、くださいっ!」
「私が保障する、だから止めてくれ!」
「何か、あってからではっ、遅いのです!」
「落ち着け、落ち着くんだ!」
主従の二人が言い争ううちに、テレミアは態勢を整えることに成功した。
ラズエイダと分離したことで腰に戻ってきていたいつもの剣を引き抜き、遠くに放り捨てる。
ファンエーマの目が見開かれた。
「これで、わかった!?」
返事はなかったが、彼女が静かになったのをテレミアは肯定の意味として受け取った。
ファンエーマの手とぶつかった左胸に掌を当てる。
心臓はまだ鼓動を止めてはいなかった。
安堵が胸を満たして、テレミアは大きく息を吐いた。




