18. ラズエイダ
意識が覚醒する。
目を開けば、死を覚悟した瞬間と変わらない景色が映り込んだ。
一瞬の混乱から立ち直り、起き上がる。
正面に剣を握ったまま尻餅をついている男がいたので、剣を突き出す。剣幅が広いから普段よりは刺さりにくいが、それでも良い切れ味のおかげで、期待通りに胸を貫いてくれた。
―――どうして殺そうと思ったんだっけ?
―――エマ。
大切な人の顔が脳裏に浮かんで、僕は自分を衝き動かすものを思い出した。
そうだ、エマを助け出さなくてはいけない。
戦いの中でも、国を追われてからも、何人もの仲間たちが僕ひとりのために死んでいった。
こんな出来損ないの王子なんかに味方してしまった、罪のない人たちが。
誰かが死ぬ度に、僕の魂は血塗られていく。出来損ないで、誰かを捨て石にしないと生きていけないような価値のない命が、誰かの血で黒く染まっていく。
もうこれ以上、僕が諦めた先で誰かが死ぬのは嫌だ。
せめてエマだけは、安らかに……!
剣と盾を構える。
エマがいるはずの方を向く。
沢山の男たちが僕とエマの間に立ち塞がっている。
どうすれば全部片付けることができるだろうか。
迷うよりも突っ込んでから考えれば良い。
走り出す。
早く、手遅れになってしまう前に助けないと。
〈――〉
何か声が聞こえた気がして、一気に身体中に力が漲る。
まるでオトの札を使ったときみたいだ。
視界の片隅に浮かんでいる縦長の四角が、ほんの僅かに紫色で塗りつぶされた。
それが何を意味するかは分からないけれど、身体が軽いのは間違いない。
最も近くに居た一人を狙う。武器を構えてこそいるが、こちらの速度が明確に上だ。
防御が間に合わない速度で剣を振り下ろす。
「何だとぉ!?」
剣を振り下ろした後にできる隙を衝いて別の男が斬り込んでくるのは読めていたから、盾で防ぐ。
弾かれた男に盾を消した左腕を伸ばし、雷を放つ自らの姿を思い浮かべる。
〈――〉
魔導を発動する直前、また何かが聞こえた気がして、そして少し紫色が大きくなった。
「『雷よ』」
「あぐ、あぁぁっ!」
がくがくと身を震わせて男は崩れ落ちた。
魔導を使い終わったら、紫色は小さくなった。
にしても、なるほど雷は便利だ。
剣を振り回すこともなく道を拓くことができる。
「おい、お嬢さま! お嬢さまなんだろ、なぁ!」
だが、それよりも簡単な方法を僕は知っている。
そうか、”風”ならまとめて始末できるね。この規模だと少し想像するのに時間はかかるけど……こんな感じかな。
〈――〉
「『風よ我が導に従い吹き荒べ』」
甲板に嵐が発生する。木箱や樽は軽く吹き飛び、何人もの男たちが姿勢を崩して壁に叩きつけられ、運が悪ければ海に転がり落ちていった。
悪くない。ここまでの威力が出るとは思わなかった。男たちの大半は吹っ飛ばせたみたいだ。
ただ、エマがいる辺りは狙えなかったから、それなりの数を残してしまった。……さっきエマの首をつかみ上げたアイツもいる。絶対に殺してやる。
「……てめぇら、覚悟決めろ。アレはもうお嬢さまじゃない」
「畜生、分かってらぁ」
残った男たちは何かをぶつぶつと呟いて武器を構えた。
剣が二人、斧が一人、短剣が一人、槌が一人。
遠距離攻撃持ちがいないのはありがたい。ラグーダのあてつけに感謝することになるとは思わなかった。
「うぉああああ!」
「っらああああ!」
斧を持ったのと剣を持ったのが一人ずつ、左右から挟むようにして迫ってくる。
正面からは少し遅れて三人。
捌けるだろうか?
難しそう。どちらを先に潰すにしても、結局背後をとられてしまう。
シキみたいに氷の魔導が使えれば良いんだが―――
〈――〉
ぐん、と紫色が目に見えて大きくなった。四角の半分より多いくらいの部分を埋めているだろうか。
「!」
「ぐあっ!」
見つめる先に酷く歪んだ氷の塊が生まれ、シキの魔導ほどの勢いこそなかったものの、それなりの速度を持って斧を持っている方の男に衝突した。
当たり所が良かったのか、情けない悲鳴を上げた男はその場に蹲り、手からは斧が滑り落ちた。
適性などないし、そもそも詠唱すらしていないのに、どうして氷魔導が発動したんだろうか。
分からない。けど、これでやりやすくなった。斧の男はもうこちらに向かってくるつもりもないみたいだから、剣の男一人に集中して、斬り飛ばせばそれでいい。
それか、ひょっとすれば氷魔導で片付くかもしれない。確か、シキはこのような具合に詠唱していた。
〈――〉
「『飛べ氷杭』」
剣を盾で受け止め、剣を振り回すのでも雷魔導を使うのでもなく、氷魔導で無力化を試みる。さっきの不格好な氷とは異なり、今度は頭の中で思い描いたとおりの綺麗な形をした杭が生み出された。
狙いを付けるとすれば、やはり柔らかい腹だろうか。
「ぐ、舐めんなぁ!」
まずい、躱された。流石に分かりやすかったかもしれない。
落ち着こう。相手の重心は崩れているから、足を払ってあげればすぐ転けるはず。
「ぬおぉ!?」
ほらね。
なるほど、これで狙いが付けやすくなった。
〈――〉
「『飛べ氷杭』」
動けないでいる剣の男のみぞおちに一撃を突き刺して、次に移る。
三人が一斉に襲いかかってくる。特に左の奴は身体がでかいから斬りにくそうだ。
右後ろに少し下がり、一人だけを相手取れる位置をとる。
〈――〉
「『風よ』」
左の大男を風魔導で牽制してさらに三人をばらけさせる。
盾で一人目の振り下ろした槌を受けて、お返しに利き腕を剣で切り飛ばしつつ後退。
これで孤立した二人目は短剣持ちだ。
短剣を盾で処理するのは難しいから、やり方を少し変えよう。
〈――〉
「『飛べ氷杭』」
「ぬっ、ぶへぁっ!?」
敢えて速度を抑えた氷魔導で回避を誘導して、その先に剣を振り下ろす。
後は一人だけ、剣は握り慣れているらしいが足捌きは素人のそれだ。どうとでもなる。
振り下ろされた剣の軌道は馬鹿正直だから軽く躱して、
〈――〉
「『雷よ』」
「ク、ソ、がぁっ……!」
これで障害は何もなくなった。
忘れないうちにアイツを殺さないと。
そうだ、忘れてはいけない。
最初の氷魔導で傷を負った斧の男が這いずるようにして遠ざかろうとしている。
蛞蝓の這ったあとみたいに血が甲板に塗り伸ばされていてとても気持ち悪い。
〈――〉
「『飛べ氷杭』」
「がっ」
威力を強めた氷の槍でさっきエマを苦しめたアイツの首を貫く。
いい気味だ。
これで、今度こそ、終わりだ。
視界にずっと浮かんでいる四角から紫色がすっと薄れて、身体に漲っていた力がどこかへと消えていった。
何だかよく分からないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
僕の他に立っている人間がいなくなった甲板の真ん中で、エマはもう布と呼べるかも分からないくらいにボロボロの生地の中で縮こまっている。
ごめんよ、エマ。僕のせいで。
「エマ、大丈夫か?」
何か乱暴なことはされていないだろうか。ああ、首にアザが残っている。
さっきのシキの氷魔導のことを踏まえると、ひょっとしたらヘステスが使うみたいな治癒魔導も使えるかもしれない。治してあげよう。確かヘステスは、傷口を埋めるように魔素が集まることで失われた肉体を補填する、みたいな話をしていた。
エマの首のアザを覆い隠すような魔素の集まりを想像しながら手を伸ばす。
〈――〉
どうやら想像したものは正しかったようで、魔導が発動するときにいつも現れる声が響き、紫色が視界の四角を満たすように出現した。
よし、治癒は問題なく行えそうだ。
「『治癒の力よ―――」
「ひっ!」
首のアザに触れた直後、エマは怯えるように身体を丸めた。
じゃらじゃらと鉄の鎖が音を立てた。
「ど、どうして」
「いや、ぁっ……!」
「安心してよエマ、治してあげるだけだから」
「やめ、て……」
「……?」
エマが僕にこんなことをするだなんて。助けてあげたのに、どうしたのだろう。僕のことに気付いていないのか?
気付くもなにも、あんな悍ましいことをされていたんだから、知らない人間に触られたら怖がるに決まってる。
知らない人間? 何を言う、ずっと僕の側に居てくれたんだぞ。
……”僕”? 僕って、なに?
まるで当然のように頭に浮かぶ一人称を疑問に思った瞬間、
(―――!?)
”テレミア”は己を取り戻した。
(私、は、何を……?)
慣れない感覚の宿る両手を持ち上げる。
肌が、淡い青色をしていた。
(……は?)
手を上下させれば、明らかに人間離れした色の腕が確かに意思の通りに動く。
右手にはいつもの刺突剣ではなく、光り輝く幅広の剣が握られている。
おそるおそる、テレミアは視線を右手から右腕、そして身体の方に動かした。
淡青色の肌に金銀の筋が彫り込まれている。肩に掛かる髪の色が黒い。肌と同じように、金銀の筋がいくらか入っている。
首を折り、身体を見下ろす。そこにあるはずの胸の膨らみはなく、黒色の布が筋肉の筋を僅かに浮かび上がらせながら纏わり付いていた。
これは、私の身体じゃない。
(何だ、これはっ!)
頭の中に誰かの声が響いて、テレミアは思わず頭を抑えた。
(何だって、それはこっちの台詞だって!)
(!?)
(あんた、)
誰、と問おうとして、テレミアは思考の中にその答えを得た。
(……ラズエイダ、って言うんだ)
名前を呼ばれたラズエイダの驚く感情があまりにも生々しく心の中に伝わってきて、テレミアは自分までも驚いたような気分になった。ついでラズエイダは何やら思考を巡らせた後に、同じことを返してきた。
(お前は、テレミアと言うのだな)
奇妙な感覚だった。
思考の中に自分とは異なるもう一人が存在しているのが分かる。相手の感情や記憶が、まるで自分のものであるかのように感じ取れる。
テレミアは自分がいつの間にか左腕を見つめようとしていることを自覚した。
左腕を見つめる。
(盾を出すぞ)
ラズエイダがそう断ってくるよりも前に、テレミアはひとりでに「盾を出そう」と念じていた。何の問題もなく淡青色の肌の上に銀色の盾が出現する。続けてテレミアはラズエイダが望んでいる行動を本能的に感じ取り、左腕をねじるようにして盾のあちらこちらを観察した。
どうしてそのようなことができるのか分からないが、確かに二つの異なる意思が一つの身体を動かしていた。
テレミアは一つの結論を得た。
ラズエイダも同じ結論に辿り着いたのが分かった。
(つまり、この身体は)
(……僕達二人が合わさってできたもの、ということになるな)
到底信じがたい、馬鹿げたことだが、現実に起こっている以上そう認めるしかない。
(なんでこんな)
(僕が知るはずがないだろう)
二人して途方に暮れる。
(元はといえば暴走して殺されかけたあんたを守るために―――)
その時、テレミアはあることに気が付いた。
私は、誰を殺した?
背筋が凍るような感覚がして、テレミアはわなわなと震えた。
おそるおそる辺りを見回す。
何人もの男たちが力無く、或いは痛みに悶えながら、潰れるように横たわっていた。
切り飛ばされ刺し貫かれた男たちの身体から噴き出した血で、甲板は赤黒く汚れていた。
風魔導で吹き飛ばされただけの幸運な海賊たちは、化け物を見るような怯えた目でこちらを見つめていた。
最早船の上の誰も、テレミアのことを”テレミア”として見てはいなかった。
(……なん、で、そんな)
(逃げるぞ)
思考の中にラズエイダの宣言が響いた。
(……え?)
(お前の記憶を元に考えれば、このままここに居ればラグーダの配下が大勢やって来るだろう。味方を殺した悪人としてか、裏切り者としてかは分からないが、間違いなく僕たちはラグーダの敵になる。すぐにでもこの場を離れなければならない)
言われてみれば、それは至極当然のことだった。
配下である男たちが何人も殺されたのだから、ラグーダは下手人に報復しようとするに違いない。逃げる以外に選択肢はない。
(でも、どうやって?)
(フジュロという老人を思い出せるか)
ラズエイダの伝えてきた名前を彼の記憶の中に探る。大事な人の一人だったとすぐに思い出すことができた。
(……ああ、先生ね)
(先生が使っていた技に、風で空を飛ぶものがあった。近くの島まで飛ぶぞ)
確かに、先生はよく小さな私を抱えて宮殿の庭を飛び回ってくれた―――違う、これは”私”の記憶じゃない。
自我の境界を確かに意識しておかないと、またさっきのようにラズエイダの思考に飲み込まれてしまいそうだ。むやみに記憶を辿るのは止めておくべきだろう。
(幸い、この身体はあらゆる魔導に高い適性があるらしい。僕には習得できなかったが、今なら先生の技を再現することもできるだろう)
ラズエイダはぐいぐいと話を前に進めていく。
テレミアはあることを思い出した。
(待って、エマは?)
(抱えて飛ぶ、当然だ)
(そっか)
よかった、と伝えようとして、テレミアはその感情の歪さに思い至った。
(……他人のことをあんなに大切に思わされてたの、すっごい変な気分)
(そうだろうな)
短い同意が返ってきた。
(さあ、時間がない。さっさと飛ぶぞ)
(うん)
二人は剣と盾を消して身を屈め、改めてエマの身体に手を伸ばした。今度はアザに触れるのではなく、そっとエマの手を握る。
さっきはあれほど怯えさせてしまったから、もっと”イダ”を前面に押し出さないといけないだろう。
ラズエイダの思考から必要な言葉が浮かび上がってきたのに任せ、テレミアは身体操作の主導権を彼に託した。
「安心してくれ、エマ。こんな見た目をしているが、私は間違いなくイダだ」
エマの手を握った方とは反対の手で優しく肩を撫でながらラズエイダが語りかける。
今度は拒絶されることはなかった。
「……」
エマは虚空を見つめたまま、僅かに固く結ばれた唇を解いたのみだった。
尊厳を冒涜されるかのような苦難を一身に受けたその心は、深く深く傷ついてしまったようだった。
恐怖を思い起こさせないよう強く抱きしめるようなことはせず、そっと膝枕にエマの頭を受け止め、ただゆっくり腕をさすり続ける。
「大丈夫、大丈夫だエマ。もう怖くない。私はここにいる。何があっても、このイダがお前を守ってやる」
そうやって何度も声をかけていると、やがてエマの瞳に微かな光が宿った。
「……イダ、様……?」
「そうだ、お前の仕える主のイダだ。……訳あって、姿が変わってしまっているがな」
「……信じて、よいのですか?」
「証明できるものは何もないが……ああそうだ、お前はいつも庭の柑橘の木の下でとりとめもない話をして私を笑わせてくれたな」
「……あ、あ」
強ばっていたエマの表情が緩み、そして彼女は救いを求めて手を伸ばそうとして、手枷がかちゃんと音を立てた。
空を見上げる格好のエマの瞳に一瞬で涙が満ちた。
「っ、申し訳、ありません……!」
「いいんだ、エマ、いいんだ。お前が生きていてくれるだけで」
赤子をあやすように語りかけながら、治癒魔導を準備する。
エマの視界に入らないように気を付けながら、首のアザに向けて手を伸ばす。
〈――〉
「『治癒の力よ、この者の傷を満たせ』」
すぅ、とアザが消えた。
続けて、両腕をエマの身体の下に差し込む。
〈――〉
何か無機質な声が脳に響いたと思った瞬間、身体に力が漲ったのが感じられた。
エマを軽々と胸の前に抱え、立ち上がる。
(さっきからちょこちょこうるさいけど、これ何なんだろ)
(さて、な。考えるのは後で幾らでもできる、今は別のことを優先しよう)
(そうだね。ええと、先生は確か)
ラズエイダの記憶の中でフジュロが教えてくれたように、背中や足を支えるように風が吹き上がることを想像する。強ければいいというものではない。身体を包む空気ごと、まるで水の中にある泡のように、一体として空に浮かべるのだ。
〈――〉
詠唱を唱えようと言葉を思い浮かべた時に、視界に浮かぶ四角が一気に紫色に染まり切った。
それが魔導が発動する合図なのだろう、とは二人とも既に理解していたから、二人は自信を持ってフジュロの詠唱を自らの言葉として奏でた。
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」
ふわり、と穏やかな風が集まってきた。
一人では難しい緻密な風の操作も、二人で分け合えばなんと言うことはない。
「それは……!」
エマが驚きに目を見開いたその時に丁度身体が浮き上がった。
ラズエイダが片方の目を瞑って笑いかける。
「さあ、空の旅といこう」




