16. 二つ目の賭け
二階構造の吹き抜けのようになっている広い空間に、お揃いの防具を身につけた護衛の傭兵たちがそれぞれ武器や手を構えてこちらを睨み付けていた。彼らが背中に守る何人かの非戦闘員の中に、テレミアにも見覚えのある顔があった。
「あんたもいたんだね」
「……よもや、貴女が牛鬼海賊団の一員だとは」
サランダ島で王子を捕らえた奴隷商の主人が貴賓の一人としてそこにいた。
彼はアスタルの伝説については知らないかもしれないが、王子に白金貨で千枚もの価値があることを知っている人間である。
ラグーダにそれが伝わってしまう前に、息の根は止めておくべきだろう。
「皆様、お気を付けください。あの赤毛の女が持つ盾は虚空より現れ、そして消えるというとんでもない魔導具です。加えて雷の魔導も使うことができる、と聞いております」
「情報の提供に感謝する」
主人の言葉を聞いた護衛たちがテレミアに対する警戒を引き上げたのが分かった。
テレミアは思い切り舌打ちした。
手札が殆ど全て暴かれたのだ。状況としては最悪の部類に入るだろう。
ついでに言えば、口を封じることができない味方の海賊たちにも、盾の秘密の一部について知られてしまったことになる。
どこまでも足を引っ張ってくる槍使いを心の中で呪いながら、テレミアは懐の札を触って確かめた。
槍使いの女に見せていないのは、今のテレミアの手持ちだとこれだけだ。
残り二枚しかない、使い切りの身体強化。
これだけを頼りにして手練れ揃いであろう護衛たちを相手にするのは、どう考えても分が悪い。
だとすれば、真っ先にとるべき手段はこうだろう。
「一応訊くんだけど、降参する気はないの? あんたたちの味方は殆どもう残ってない。私たちはまだいくらでもここに戦力をつぎ込むことができる。あんたたちは海の上で孤立してるんだから、戦ったって無駄だと思うんだけど」
護衛の中で最も歳を食っている男がその問いかけに返してきた。
「貴様ら海賊の言う「降参」が意味するところは「見逃してやるから後で死ね」だろう」
テレミアは心の内で舌を巻いた。彼はよく分かっている。
王子について知っている人間がいる以上は、只の一人も生かしておくわけにはいかない。最終的には降参を宣言した人間も全て海に放り捨てていくつもりだった。
とはいえ、「その通りです」とでも言ったならば一瞬で全てが終わってしまう。
あくまでもこの場の絶対強者は自分で、ただの気まぐれで情けをかけてやろうとしている、そういう印象を与える必要がある。
「んー、まあ普段ならそうなんだけど、私たちの方にも結構被害が出ててさ。人をつぎ込めばあんたたちを殺すのは別に難しくないよ。けど、やっぱ死人は出るんだよね。お互いに死ななくても済むならそれで良いでしょ」
敵意も緊張もおくびにも出さないように意識しながら口を回す。
兄姉たちに揉まれる中で生き残るために覚えた技が、まさかこんなところで役に立つとは。
「ほら、丁度そこに奴隷を扱ってる人も居るし。私たちの奴隷になる、ってことでここは手を打たない?」
そう言ってテレミアは奴隷商の主人を剣で指し示した。
「ね、あんたもさ。今ここで殺されるのと、奴隷になってでも生き延びるのとだったら、奴隷になる方がまだ幸せでしょ」
「そ、それは」
商売の場で命のやり取りなど学ぶことはできなかったのだろう、王子を巡る交渉ではまるで狸のようだった男の額には脂汗が浮かんでいた。
どうやら彼を説得するのが一番簡単そうだ。
「耳を貸してはなりません、この女に私達を生かしておく理由はない」
冷静さを保っている護衛が奴隷商の主人をなだめる。
彼らがいる限り、すぐにバレる嘘は通じないだろうか。
ならば、嘘の種類を変えるまでだ。
「帰りたければ家族にでも手紙を書きなよ、それなりの金が届けば解放したげるから」
それは実際に牛鬼海賊団ではよくある金稼ぎの手段だった。
攫ってきた人間が裕福なようであれば親族をはじめとする関係者に脅迫文を送り、身柄と引き換えに金を手に入れる。
この辺りの出身であれば手口を聞いたことくらいはあるだろう。
それ自体は「嘘」ではないのだ。
「で、で、では」
だからこそ、嘘は嘘に思えなくなる。
「なりませんぞ!」
「命の方が大事だ!」
裏返った声で叫んだ奴隷商の主人は、テレミアの前によたよたと踏み出して膝をついた。
「奴隷にでも何にでもなる、殺さないでくれ……!」
「うん、賢明な判断だね。私もありがたく思うよ」
紛れもない本心からの感謝を奴隷商の主人に述べて、テレミアは他の乗客たちを順に見つめた。
「わ、私も! 死にたくない!」
「手紙っ、書きますっ、どうかお許しを……っ!」
次々と降参の宣言が上がっていく。
非戦闘員の殆ど全員が甘い蜜に捕らわれた段階で、テレミアは「あんたたちはどうする?」と護衛たちを束ねているらしい歳を食った男に視線を向けた。
男は怒りに狂った表情でテレミアの目を睨み付けた。
「血迷わないでね、あんたの答え一つでこいつらの首が明日も繋がってるかどうか決まるんだから」
だからどうか、素直に諦めて欲しい。
私にだって、死ねない理由があるのだ。
祈るように返事を待っていると、憤怒を顔に浮かべたまま、男は言葉を絞り出した。
「……戦う意味が、なくなってしまった」
「そうだね。だれも戦いを望んでない」
「……貴様の望むとおりにすれば良い」
そう言って、男はゆっくりと剣を構える手を掲げ、ふっと力を抜いた。
男の手から剣が滑り落ちて、がたん、という音が船長室に響き渡った。
この瞬間、船はテレミア、もといラグーダのものとなった。
王子を手に入れるという、二つ目の賭けの勝利への道筋が開けたのだ。
「ありがとうね。じゃあ、早速一つ注文」
何を命じられるのだ、と乗客たちの顔が強ばる。
テレミアは、ぱん、と手を叩いて、にこやかに笑った。
「この船、沢山奴隷が積んであるでしょ? 今、ここで、全部所有権を放棄して」
「……やはり、貴女は」
「黙って。これから余計な発言は一切許さない」
ぴしゃりと奴隷商の主人の口を閉じさせ、テレミアは背後に詰める海賊の男たちの方に振り返った。
死線をくぐり抜けてきた彼らの顔は、恐怖からの解放と目の前につるされた報酬への期待の二つが入り混ざって、喜悦に歪んでいた。
「な、なぁ、奴隷ってことは、よ」
「ま、そう逸らないで」
小さく咳払いをして、テレミアは両手を広げた。
「ラグーダ兄様が言ったように、みんなには手柄を立てたら奴隷を手にする権利がある。生きてこの場所まで私と共に進んできてくれたみんなは、十分に手柄を立てた。……他の男たちに持って行かれる前に、好きな女を選びなよ」
男たちは今日一番の歓声を上げ、口々にテレミアを褒め称えた。抱きつこうとする者まで現れる始末だった。
我先にと船室の方に駆け出そうとした男たちを必死に引き留め、テレミアは捕虜たちの処理を進めた。降参を宣言した乗客たちの腕と脚には縄を回し、護衛たちは手足の健を切断して簡易的な治癒魔導で傷口だけを閉じさせる。加えて猿轡も噛ませ、詠唱を封じる。
隠れて魔導を使おうとする者が居れば即座に殺せ、と見張りを申し出た数人に命じ、テレミアも目当ての奴隷を探すために船長室を離れた。
テレミアは未だ濃い血と煙の香りが漂う輸送船の中を進んだ。
制圧の完了していなかった船室の方でもそれなりの抵抗があったようで、途中何人かの水夫服を着た死体と、傷口を押さえて蹲っている海賊たちに遭遇した。
戦いの趨勢は決したのだからじきに治癒魔導士が来るだろう、とそれらしい励ましの言葉をかけながらも、テレミアの意識は常にある一つの捜し物に向けられていた。
何度か見つけた大量の金銀に宝石、装飾品が積み上げられた船室には目をくれてやる必要も感じなかった。
やがて、船の前方で野太い歓声が上がり、すぐに泣きわめく裸の女を担いで走って行く男と何人もすれ違った。
どこか空いている船室を見つけて事を始めるつもりなのだろう。
喧しい方を目指して階段を下ると、男たちのたむろする船倉の前に辿り着いた。
「コイツは俺のだ!」
「俺の方が先に触っただろうが、横取りは許さねえぞ!」
「てめえはあのデブで我慢しとけば良かったんだよ!」
「あぁ!?」
すっかり怯えている女たちを前に、海賊たちはあーだこーだと言い合っている。
察するに、ここに残っているのは奴隷の中でも満足な方のものを求めた欲張り共なのだろう。
テレミアは蝶番ごとたたき壊されていた隣の船倉に繋がる扉を押しのけた。
所狭しと積み上げられた寝台に男たちが殆ど裸で寝かされている。
思った通り、こちらが男の奴隷の部屋らしい。
光が殆ど差し込まない暗い船倉の中を進む。
定期的な世話自体はされていたのだろうか、特に糞尿が垂れ流されていたりすることはなく、また海賊たちに荒らされている最中にしては思いのほか落ち着いた空気だった。
奥に進むにつれて船倉は段々と狭くなっていく。
隙間をつくらないように置かれた寝台のせいで迷路のように入り組んだ中を歩いていると、突然行き止まりが現れた。
船首に相当するであろう一点に向かって閉じていくような二枚の壁の間に、他の奴隷よりも少し広い空間を与えられた少年がいた。
鳶色の瞳は、記憶にあるものにも増して虚ろだった。
王子はずかずかと近寄ってきた赤髪の女をチラリと見上げた後、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。
「……」
歓迎などされるはずもないか、と自分を納得させる。
テレミアは王子の首に巻かれた黒色の魔導具に触れた。
彼は少し身じろぎしたが、他に抵抗らしい抵抗を見せる様子もない。
所有者登録のない奴隷を我が物とするには、首輪に触れてその意思を念じれば良い。その奴隷がよほど強い人間でない限り、すぐに主従関係が成立する。
「―――うん、これでいいね」
魔素的な繋がりが成立したのを感じ取って、テレミアは頷いた。
これで王子は文字通り、テレミアのものだ。
喜びよりも先に安堵が心に満ちて、テレミアは目の前に横になった少年の肩に腕を置いて感傷を噛みしめた。
やがて我に返ったテレミアは、王子の背中に手を入れその身体を起こした。
前に見たときには艶やかだった長い黒髪はボサボサで、汗で湿った王子の肌のそこかしこに張り付いている。
きっと、捕まるまではあの槍使いが毎日丁寧に手入れをしていたのだろう。
……正直、私の趣味とは合わない。あと邪魔だ。
テレミアは剣を抜いた。
王子はぴくりと肩を震わせた。
「怖がらないで。髪の毛を切るだけ」
「……そうか」
うなじの前で髪を束ね、剣を宛がう。
綺麗に整えるのは後でどうにかするとして、ひとまず肩の上くらいまで短くしておくことにした。
何度か剣を引く。そのたびに切り離された髪が寝台に舞った。
やがて全ての髪を切り落としたテレミアは、王子の手を引いた。
「立って。外に出るよ」
「……」
王子は言葉を発することなく、ゆらりと立ち上がった。




