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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
15/33

15. 海戦

 三人をラグーダに差し出し再び彼の配下となってから半月が経った。


 その間、テレミアは一度ラグーダの大規模な略奪に連れ出されて、モムルの援護もオトの補助もなしに先鋒として防衛戦力の主力艦への切り込みを命じられ、これを辛うじてやり遂げた。


 ラグーダはその戦果に満足したようで、次の遠征にもテレミアを先鋒として組み込んだ。


 直接目標を伝えられることこそなかったものの、様々な人間の会話を盗み聞いて情報を総合した限りでは、標的となるのはどうやらサランダに高価な代物を回収しに向かったという噂のやけに大規模な船団であるらしかった。


 最後までオトが撒き続けてくれた種が確かに芽吹いたのだと知って、テレミアは届かないと分かっている感謝を天に向かって念じた。



 潮風が頬の傷口に染みて鋭い痛みを発し、男たちのひしめく甲板を見下ろす場所でテレミアは思わず顔をしかめた。

 ラグーダの指図なのだろう、前回の戦いで負った傷は折れた骨以外まともに治療してもらえず、身体中がじくじくと熱を持って腫れあがっている。

 傷を見せればすぐに綺麗にしてくれたヘステスは、もうテレミアの側には居ない。


 テレミアは少し遠くを並進する、牛の角の旗がはためく三本マストの大きな船を睨み付けた。

 それが何になることもないと分かっていても、他に怒りをぶつける先もない。


 テレミアの乗るさして大きくない船に集められたのは突撃部隊として編成された者たちで、いわば捨て駒に近いような、ラグーダにとっては失っても痛くない下っ端がそのほとんどを占めていた。

 出港以降船内の雰囲気は殺気立っていて、むやみに会話をしなくてもいいという一点においては秘密を抱えるテレミアにとって利のある環境ではあった。しかし気の許せる相手が一人もいない中で息を潜めれば流石に精神的な疲労が募っていく。

 それでもテレミアは耐え続けた。三人の命を踏み台にした計画を、これっぽっちの苦労に耐えられないからと水泡に帰してしまうわけにはいかなかった。


 テレミアの横に一人の男が進み出てきた。彼はラグーダ直属の手下の一人で、この突撃隊をまとめる指揮官の立場にあった。

 男は大きく息を吸い込み、「接敵は間もなくだ! 貴様らは標的の本船に乗り込み腰の引けた雑魚どもを蹴散らせ!」と芯の通った声を響き渡らせた。


 いよいよか、とテレミアは腰に提げた刺突剣の柄を握りしめた。


 しばらく前から風魔道士たちが交代で帆に強い風を送り続けており、船は軋みを上げながら全速力で前進していた。

 前方には標的の船団の姿がだんだんと大きくなってきている。

 その中に、剣を宿した王子がいるはずだ。


 ざわついた甲板に再び男の声が響く。


「いいか! 貴様らはこの戦いにおいて、最も苦しく危険な役割を担うことになる!」


 うぅ、という唸りが荒くれ者たちの群れから漏れた。

 死を目の前として怯えを感じないわけがない。


 男は続けて叫ぶ。


「だからこそ、キャプテンは貴様らに特別な報酬を約束した! 俺たちが狙う船には多くの奴隷が積まれている! 手柄を立てた者にはその中から一人を与えてやろう!」


 おおっ、と歓声が上がる。

 普段なら強奪した金銀財宝や攫った女は最終的にはキャプテンの持ち物となり、下っ端に巡ってくる分け前などたかが知れたものにしかならない。

 それが奴隷一人を与えるというのだから、相当気前が良い報酬だ。


 その報酬として、テレミアは王子を手に入れるつもりでいた。

 男娼にしたい、とでも言えば怪しむ相手もいないだろう。ただの黒髪の萎れた少年を欲しがる人間がよもやテレミア以外にいるとも思えない。


「斬れ、刺せ、突き落とせ! 隣の男が一人殺すなら二人を殺せ、そして望む褒美をつかみ取って見せろ!」


 最後に指揮官が右腕を高く突き上げて演説は終わりを迎えた。

 男たちの呼応する声が広い海に轟く。


 演説を終えた指揮官は振り返り、テレミアと目を合わせた。


「……さてと、妹君」


 何を言われるかなど分かりきっていたので、テレミアは彼の言葉を遮るように口を開いた。


「分かってるよ。私はこいつらの先頭で突っ込めば良いんでしょ?」

「ああ。それがラグーダ様のお考えだ。少しでも犠牲を減らすに越したことはないからな。妹君のような力のある奴に先鋒を託すことができるのは非常にありがたい、と仰せだ」

「そこまで高く買ってくれるんだったらせめて傷くらい治してもらえない? 気が散って仕方ないんだけど」

「いいや、それは無理な相談だな」

「そう」


 ハナから期待などしていなかったので、今更何とも思わない。


「じゃ、私は準備してくるから」

「期待している」


 指揮官は接敵後もこの船に残ることをテレミアは知っている。

 ラグーダ直属の手下の中で、捨て駒のように扱われるのはテレミアだけだ。


 階段を降り自分に宛がわれた船室に向かいながら、テレミアは歯を食いしばった。


 全てを賭けてまで望んだものがもう目と鼻の先にあるのだ。

 ここで死んでなどやるものか。




 海戦の火蓋は逃げる側の輸送船団が遠距離攻撃用の魔導を放つことで切って落とされた。


 追う側の方が長い射程の魔導を放つ必要があることから、遠距離で魔導の撃ち合いになれば追いかける海賊たちに勝ち目はない。

 故に、海賊たちは攻撃を捨て、防御に徹しながらひたすらに距離を縮める。


 雨のように降り注ぐ炎や氷の槍の殆どは水であったり氷の壁に遮られて撃ち落とされていく。

 一部が防御をすり抜けて船の帆に直撃することもある。もし大きな穴が開いてしまったり、火が付いた後に水魔導による消火が間に合わなければその船は進軍から離脱し、一度体勢を整えることになる。


 とはいえ襲撃に慣れた海賊団の魔導士たちは大きな問題も起こさず、やがて二者は弓が届くほどの距離にまで近づく。


 そこからが海戦の本番である。

 互いに矢除け兼魔導除けの分厚い金属板を纏った装甲船を前線に押し出し、攻撃を()ねのける。装甲船の背後で影になる位置からは矢の他に中距離攻撃用の魔導が放たれる。いよいよ密度を増した魔導を全てはじき返すことなど到底叶わずいくらかは船に着弾するが、それは相手も同じことである。

 こうなってしまえば、状況は完全に膠着する。次の展開を導くのは、どちらの魔導士が先に魔素切れなどで力尽きるか、或いはどちらの船が先に焼け落ちるか、の二つであることが大抵だ。


 先に限界を迎えたのは輸送船団の方だった。

 消火が間に合わなかったか、装甲船の一つが激しく燃え上がり、集中した攻撃を受けきれず海に沈んでいった。

 生じた隙を突いて魔導士が多く乗った船に矢が雨あられと降り注ぎ、二隻目が海の藻屑と消える。

 あとは一方的だった。

 輸送船団からの魔導攻撃の密度が下がったことで海賊側の魔導士たちは防御に割いていた人員を攻撃に回し、その分だけさらに輸送船団側は劣勢に追い込まれる。

 次々に装甲船や護衛船が落ち、やがて輸送船団の本船が海賊たちの前に脇腹を晒すようになった。


 つまり、突撃部隊のための舞台が完成したということである。


 風魔導で帆を一杯にはらませたまま、テレミアたちを乗せた船は魔導に矢が飛び交う戦場の中を一気に突っ走る。斜め向きに突っ込むような形で本船に迫り、やがて、ゴズン、と鈍い振動がテレミアの身体を揺らした。海賊船からかぎ縄や縄ばしごが無数に投擲(とうてき)され、接舷してすぐに二つの船は固く結びつけられた。


 テレミアは甲板に置かれた矢除けから身を乗り出し、縄ばしごの一つに足をかけた。

 二歩分ほど横に矢が突き立ち、甲板が砕けた木くずがテレミアの脚を打った。

 すぐに反撃が飛ぶが、壁に身を隠した射手に当たる気配はない。

 天を見上げれば、今も魔導と無数の矢が飛び交っている。


 テレミアは目を見開き、顔をくしゃくしゃにするように笑った。

 あらゆる一撃が自らの命を刈り取るような嵐の中に放り出された今、怯えて動けなくなる以外には無理矢理にでも笑うしか感情を表出する方法を思いつけなかった。


「進めええええ!」


 背後で指揮官の男が号令を放った。


「うあああああ!!」


 本能のままに叫び、テレミアは縄ばしごを駆け上がった。

 二つ隣の縄ばしごを進んでいた男が射貫かれた。

 最もピンと張っていた右端の縄ばしごが船の動きのためにはじけ飛び、乗っていた男たちは皆海に落ちていった。


 何人もが武器を振るうことすらなくその命を無為に散らしていく。

 しかし今のところ運命はテレミアに味方することを選んでいるようで、一切の傷を負うことなくテレミアは輸送船の甲板に辿り着いた。


 ついさっきまで絶え間なく続いていた魔導による攻撃の跡だろう、そこかしこで火が上がっているのを避けながら、テレミアは船長室に続く扉のひとつに狙いを定めた。

 射線の通らない場所を探して身を寄せ、ある程度まとまった数が揃うのを待つ。


 大体二、三十人は集まっただろうか、という頃になって、テレミアは剣を引き抜いて声を張り上げた。


「突入する! 覚悟があるなら付いて来いっ!」


 めいめいの武器を構えた男たちが鬨の声を上げるのに合わせ、テレミアは木製の簡素な扉を強引に蹴り開けた。


 目の前で通路は正面と下の二叉に分岐しており、正面には弓を構えた水夫が見えた。

 船長室はきっと正面に進んだ先だ。

 躊躇うことなく真っ直ぐ走り出し、勘に任せて跳躍する。

 曲げた膝の下を鋭い風が抜けていって、テレミアの後ろで扉を抜けていた男が「ぐぇ」と汚い声を出して崩れ落ちた。

 次の矢をつがえる水夫の狙いが定まらないよう、壁や天井を蹴るように跳ね回り、速やかに肉薄する。


「嘘だろ!」


 勢いのまま首から脳髄を一突きすれば死人(戦果その一)の完成だ。


 細い通路の奥を見ると、槍を構えた男二人が只でさえ狭い空間を埋めるように突っ込んできていた。

 逃げ場はおそらく頭の上になるのだろうが、助走を付ける余裕がない。

 さっき射貫かれた男が通路を塞いでしまったからか、正面から槍を受け切れそうな味方も近くにはいない。


 テレミアは懐に手を突っ込み、一枚の札に触れた。


「『脚』」


 軽く身体を捻りながら二人の男の頭上を飛び越え、そして背後から二人同じように左胸を貫く。

 札の残りは二枚。サランダでオトが持たせてくれた分はこれで全部だ。


 ようやく通りみちを確保できたのか、通路を駆けてくるドスドスという足音を聞きながら、テレミアは近くの船室の扉を開けて中に入り、誰にも見られていないことを確かめながら盾を左手に生み出した。

 攻撃の飛んでくるはずもない安全な空間に身を置いたことで一瞬緊張の糸が解れて、ガクガクと震える膝から力が抜けようとする。

 床を強く踏みしめることでテレミアは気の緩みを押し潰した。

 舐めてかかって死ぬわけにはいかない。


 

 廊下に戻ると、新しく隊の先頭になった男が丁度目の前にいた。


「遅かったね」

「俺らと比べないでくだせえ、お嬢さまが馬鹿げてるだけですって。ところでその盾は?」

「そこで見つけた。使えそうだからもらってきた」

「へぇ、そりゃ運が良い。お嬢さまに死なれたらたまったもんじゃねえ、幸運に感謝ですぜ」

「ま、私の後ろが一番安全と思って死ぬ気で付いてきなよ」


 返事を待たずにテレミアは歩き出した。

 すぐに通路は終わりを迎え、扉がテレミアたちを出迎える。

 外から見えていた限りの船の構造から考えると、この先は遠距離攻撃を担う魔道士たちが詰めている大部屋になるだろうか。

 魔導に対抗するなら定石は金属盾だ。


「誰か、金属の大きな盾を持っている奴は居る?」


 すぐにあちらこちらから否定の声が上がった。

 

「居るかよ」

「んなの持ってハシゴを登れってことですかい?」


 なるほどそれもそうか、とテレミアは考え直し、一つの作戦を立てた。


 テレミアは乱暴に壁を蹴った。


「この薄っぺらい壁に大穴を空ける自信がある奴は?」

「それなら俺が」

「俺も」


 こちらにはすぐに何人もの立候補者が現れた。


「お前とお前、こっちの船室に入って。お前とお前は逆」


 テレミアはそこから四人を選び出し、通路の両側にある船室に配置した。


「どうせ魔導士たちは部屋の角で私たちを待ち伏せようとしてる。壁をぶち破ってそいつらを直接殺す。わかった?」


 おう、という太い声がいくつも返ってきて、すぐに覚悟の決まった海賊たちが持ち場に散っていった。


「さん、に、いち!」


 バン、バリバリという木が割れ裂ける音が左右から響いた。

 直後にテレミアは通路の扉を開け放ち、盾を構えて部屋に突入した。


「ぐあぁっ!」

「何だとっ、は、放てっ!」


 死角から侵入者を撃ち抜こうとしていただろう魔道士たちの身体は、既に見るも無惨に血に塗れていた。

 問題は、部屋の奥に待ち構える残りの魔道士たちである。


「『飛べ氷杭』!」

「『炎よ我が導に従え』っ!!」


 ラグーダは突撃部隊に弓や(いしゆみ)を使う者も魔導を扱える者も組み込んではくれなかった。

 故に、前進するための手段はただ一つ。


「あああああああああ!!!」


 テレミアは声の限り叫んで駆けた。隣を走る男たちも、迎え撃つ魔道士たちも叫んでいた。


 恐怖のるつぼとなった大部屋で、魔道士たちが放つ魔導と、テレミアを先頭に無謀な突撃を仕掛ける海賊たちが衝突した。

 

 胸と顔を隠すように構えた左腕の盾にいくつもの衝撃を感じながら、テレミアは無我夢中で前に進んだ。


 部屋の奥の壁が盾の外の視界に広がったところでテレミアは右手の剣を振りかぶり、狙いも定めずにそれを突き出した。


 ぐにゅん、という柔らかい感触がした。


「ぐぶっ―――『炎よ―――」

 

 剣の刺さり場所が悪かったのか、魔導の詠唱が今刺したはずの女の口から聞こえてきた。

 剣を引き抜き、恐怖に顔を引き()らせた魔導士の女の喉を改めて貫く。


 やや遅れて、テレミアと同じように部屋を渡りきることのできた幸運な海賊たちが次々に一撃を加えだし、そして魔導士たちは全滅した。


 物言わぬ女の死体で剣にこびりついた血を拭い、振り返る。

 肉が焼けるぐじゅぐじゅという音が響く大部屋の中には、凄惨(せいさん)な最期を迎えた死体がいくつも転がっていた。


「ふひ、ひ」


 運良く生き残った男がひとり、悍ましい光景を前に奇妙な笑い声を上げて膝から崩れ落ちた。

 テレミアは彼に一瞥をくれてやることもなく、すっかり目の据わった男たちに向けて剣を掲げた。


 テレミアの背後には、豪華な装飾の施された、血で汚れた観音開きの扉があった。

 ここが船長室だ、とテレミアは確信していた。


「あと一つ」


 男たちを奮い立たせるためではなく、自分に言い聞かせるために、テレミアは呟いた。


 あと一つ越えれば、王子が手に入る。

 あと一度運命が味方してくれれば、それで世界をひっくり返すような力がこの手の中に収まる。


「行くよ」


 短い言葉に覚悟を込めて、テレミアは扉を引き開けた。

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