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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
序章 海賊と王子
14/36

14. 「私は、まちがってない」

 オトの尽力で情報はすぐに集まった。


 テレミアの予想したとおり、アルタスの第五王子である少年には白金貨千枚の懸賞金がかけられており、奴隷商は大金を手にするべく王子とついでに護衛の女を犯罪奴隷としたのだった。

 王子が手に入ったという知らせは奴隷商の上層部にも伝わっており、本店のある島から輸送用の船団が既に出港しているということだった。


 その船たちがサランダに辿り着くにはおおよそ半月かかる、という情報までを掴んで、テレミアたちはカライアに戻ることとした。



 船旅を終えたのが昨日、そして今日、テレミアの姿は牛鬼海賊団の根城たる屋敷の中にあった。


 カライア島の二割ほどを占める敷地の中には船団長ジャルダの住まう本殿の他に大きな庭や無数の別宅があり、それらを繋ぐようにして木の板でできた通路が張り巡らされている。

 そこかしこで水夫服を着崩したり膝丈のパンツだけを着た上裸の男たちが酒を引っかけて、酔って下品な話で笑い合うか殴り合いの喧嘩をしているのが日常の光景だった。


 そうした荒くれ者たちのたむろする中をモムル一人を伴って進む。

 赤髪という際立った特徴もあって、殆どの人間はテレミアという存在について認知していた。船団長の娘であると知っているから、女であっても彼らも手を出そうとはしない。


「よぉ、辛気臭い顔してんなぁ」


 だから、こうして声をかけてくる人間は、大体テレミアを下に見ることができるような人間だ。


「こんにちは、ルカ兄様」


 テレミアは即座に敵意を感じさせない声色を作って、横から強く肩を叩いてきた人間に応じた。

 肩から手を離す際に無遠慮に胸を撫でられたことへの憤りを意識の外へ追いやりながら、にへらとだらしのない表情を浮かべた己の兄の一人に相対する。


「聞いたぞ、船を持つんだってな」

「はい、成人の儀を越えましたから」


 嘘をつく理由も無いので正直に頷くと、ルカは背後に控える彼の手下たちの方を向いて「だってよ、コイツマジだぜ」と笑い飛ばした。

 

「いやぁお前、バカだわ! どうせ勝ち目なんてないんだからラグーダの下でヘコヘコしてりゃ良いものをよぉ!」

「ええと、私はまだラグーダ兄様の」

「ま、お前がバカであろうがアホであろうが、んなこたぁ鳥の糞ほどにどうでも良い」


 テレミアの弁明に耳を傾けることもなく、ルカは独りよがりに言葉を続けた。


「それより船を持つってことはよ」


 シャッ、と金属同士がこすれる音が響き、次の瞬間には喉元にルカの持つ曲刀の切っ先が押し当てられていた。


「こうなっても文句は言えねえってことだわな」


 ルカの顔を伺うと、そこには海賊としての生を存分に堪能している種類の人間が浮かべる、弱者を虐げることを楽しむ気分の悪くなるような笑みが張り付いていた。


 反射的に、テレミアの思考はすっと冷え込んだ。


 ああ、()()()()()()()()


「あっ、あの、私は、まだ正式には成人ではない、のでっ」


 テレミアはひゅっと細く息を吸い、怯えた顔を作って、ゆっくりとその場に膝から崩れ落ちた。

 喉に押しつけられたままの刀に僅かに力が込められたのを感じとったテレミアは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()首を動かした。


 決して小さくない痛みと共に、温かいものが鎖骨の方に流れ落ちていくのを感じる。


「に、兄様、私はまだ、ラグーダ兄様のっ!」

「わーってるわーってる、ラグーダの野郎に言質をくれてやる気もねえ」


 ようやく刀が離れて行ったので、テレミアは傷の入った喉を押さえ、よろよろと力なく立ち上がった。


 嗜虐心が満たされたか、豪快に笑いながらルカはテレミアに背を向け手を振った。


「じゃあな。ああ、次に会うときには、お前は首だけだったりするかもな」

「ルカ兄様、お元気で」


 おうよー、と言って去って行くルカの姿が見えなくなるまでテレミアはその場を動かなかった。


 ゆっくりと喉から手を離す。血で掌が真っ赤に染まっていた。

 持ち込んだ水筒の水で手の血を洗い流していると、まだ傷が塞がっていなかったのか、首筋に液体が流れるこそばゆい感触がした。


「モムル、包帯とか持ってたりしない?」

「ほら」


 ずっと横で静かに佇んでいたモムルに訊けば、既に用意していたのか間髪入れずに白い布が差し出された。


「ありがと」


 首に巻き付け、ひとまずの止血とする。


「……すまねぇ」

「いいんだよ、こんなの辛くもなんともないから。だってルカに会ったってのに骨も折られてないんだよ?」


 渋い顔のモムルに明るい声で返し、木の板でできた通路を再び歩き出す。


「それよりも屋敷の外での警戒をしっかりした方が良さそうだね。まだみんな私のことを舐めてかかってくれてるみたいだからいいけど、事故死を狙われても全然おかしくないや」

「……ああ」

「それじゃ、行こっか」


 鈍い返事のモムルを引きずるようにしてテレミアはぐいぐいと進んだ。


 島に戻る前からモムルはずっとこんな調子だった。

 やりにくさを感じはする。

 とはいえ、こうなる理由に心当たりしかない以上、テレミアにはどうすることもしがたいのだった。



 必要最低限の言葉しか発しようとしないモムルを後ろに、テレミアは目当ての建物の門をくぐった。


 自分を中心としてざわめきが広がっていくのを感じながら広い廊下を進む。 

 突き当たりにある大きな部屋が、今日の目的地だ。


 廊下と部屋とを区切る布の前に立ち、テレミアは少し咳払いをして覚悟を決めた。


「ラグーダ兄様、いらっしゃいますか!」


 少しの間があって、さっと布が引き上げられた。

 入室の許可が下りたものと判断し、ゆっくりと足を前に進める。


 刺激的な香の香りが満ちる部屋の最奥に、何人かの護衛を控えさせたラグーダが座っていた。

 刺々しい視線があちこちからテレミアを突き刺す。


「こんにちは兄様」


 出方を伺うよりは普段通りに”考えの浅い小娘”を演じた方が良いかと判断したテレミアは、「都合を付けてくれてありがとうございます」とラグーダの返事を待たずに続けた。


 大きな舌打ちに続いて、唸にも似た低い音が響いた。


「良くものこのこと顔を出せたものだな」

「兄様を怒らせるようなことをして、ごめんなさい。今日はそのお詫びも含めて、話を聞いてもらいたいです」

「事ここに及んで「お詫び」、か」


 吐き捨てるように言ったラグーダは傍らに置かれていた大剣に手を伸ばした。


「に、兄様?」

「育てられた恩を忘れた駄犬にふさわしい躾は何か、考えるまでもない」


 剣が鞘から抜き放たれる。そのままゆっくりとラグーダは立ち上がった。

 大きな身体が庭から差し込む太陽の灯りを背にして、伸びた影がテレミアを覆った。


 テレミアは「ひっ」と細く悲鳴を上げ、恐怖を滲ませた顔でラグーダを見上げた。

 彼の目には確かな敵意が灯っていた。


「何だ、何か言いたいことでもあるのか駄犬」

「ふ、船を持つと宣言こそしましたけど、私は一度だって兄様の下から離れるとは言っていません!」

「その二つがどう違うと言うんだ、ええ? 犬にしか分からん論理を人様に振りかざすな」


 ラグーダが一歩テレミアの方に踏み出すたびに、床材の木がぎぃ、と軋みをあげ、その音は段々と大きくなっていく。


 最早一手の過ちも許されない。


「船ごと、兄様に差し上げようと思って! 私が兄様の下でしか生きていけないのはよく分かっています、自分の船が欲しいだなんて一度も思ってません! だから、どうかお許しください!」

「見苦しいな」


 ラグーダが歩くのに合わせて揺れる剥き身の剣の刀身が、光を反射しちらちらと瞬いている。


 恐怖が募るのをそのまま表情に貼り付ける。

 冷や汗が止まらないが、身体がすくんで動かないから()()()()


 それでいいはずだ、と自分に言い聞かせる。

 何か腹の中に隠し持っているだなんて思わせないように、ただ恐怖に震えるだけの小娘を演じる必要があるのだから。


「兄様を裏切ろうだなんて考えていたら、わざわざ兄様の前には戻ってこないはずです!」

「そうか。ならそもそも裏切りを疑わせるような真似をするのが間違っていたな」

「兄様、どうして私を殺そうとするんですか!? 私の裏切りなんて、兄様にとっては別に恐るるに足らないことではないですか!」

「お前はそこまで間抜けだったか? 【猛化の腕輪】の継承者になりうるお前が死ねば、それだけ俺の継承の可能性が大きくなる。それ以外に理由など必要ない」

「私はラグーダ兄様のために他の兄姉と戦ったって良いんです、私が兄様の味方であるとどうしたら兄様は信じてくれますか……っ!」

「さあ、な。少なくとも、お前が死ねば敵ではなくなる」


 ついにテレミアの目前に辿り着いたラグーダは、もう十分だ、とばかりにテレミアの懇願を切り捨てた。

 テレミアはきつく唇を噛んで頭を垂れた。


 ラグーダが右手で握る剣がテレミアの左肩に乗り、包帯が巻かれた細い首に刃が押しつけられた。


「遺言くらいは聞いてやろう」


 冷たい声が降ってきた。

 どうやら、情けの一片くらいをかけるつもりはあるらしい。



 ここで、私の心は()()()


 すっ、と感情の抜け落ちた透明な表情を作る。

 首のすぐ横で金属の温度が徐々に生ぬるくなっていくのを鮮明に感じ取りながら、テレミアはこのときのために編み上げてきた言葉を頭の奥から引きずり出した。


 さあ、私の運命を、試してみよう。


「私の配下を皆、兄様に差し上げます」


 乾いた声で空気を震わせる。


「そこのケト族のモムル、ここにはいませんが忍びのオト、そして私の世話役である元船団長付き船医のヘステス。三人とも、今これから兄様のものです」

「……ほう?」


 ラグーダは今日初めて、テレミアの言葉に対して興味を示した。


「私が産まれてからずっと側にいてくれた、私にとって何よりも大切な家族です」

「……」


 つい数日前に本人たちに向かって”駒”と言い放ったその口で、”大切な家族”という艶やかな言葉を紡ぐ。


 なんと見苦しいのだろう、などとは露ほどにも思ってはいけない。

 これがテレミアの選んだ道なのだから。

 テレミアが三人に選ばせた未来なのだから。


「もし兄様が私を信じられないというなら、三人を私の身代わりとして兄様の側に置いておいてください。私は三人を殺させないために、兄様の手足となり、身を粉にして働きます」


 ただ力なく床を見つめながら、小さな声で白旗を揚げる。

 まるで全ての希望が打ち砕かれたかのように。

 あたかも他人を犠牲にしてまで意地汚くも生き残ろうとしているかのように。


「―――ふん、成程」


 果たして、ラグーダは嘲るように笑った。


「それがお前の()か」


 次いで、剣がテレミアの首から離れていく。


「その程度の腑抜けのためにわざわざこの手を汚すこともない」


 ラグーダはぶっきらぼうに鞘を拾い上げて剣を収め、近くにいた護衛の一人に耳打ちした。その護衛は首を縦に振り、急ぎ足で部屋を出て行った。


「今晩までに三人をここに連れてこい。良いな」


 ラグーダはどっかりと元の椅子に腰を下ろして言った。


「分かりました、兄様」


 一つ目の賭けに勝ったのだ。

 今重要なことはそれだけだった。




 人質として三人の身を預けることが決まったと報告するべく、テレミアは屋敷を離れヘステスの家の方に向かった。

 着いてからモムルが「俺の家を片付けたい」と申し出てきたのでそれを認め、テレミアは一人でヘステスの家の垂れ幕をくぐった。


 玄関を通りすぎ、ヘステスを探しながら居間に顔を出す。

 そこに白い髭を蓄えた老人の姿があった。


 卓を挟んで反対に座ると、ヘステスが杯を差し出してきた。

 軽く礼を言って口を付ける。


 酒精の香りが広がって、思わずテレミアは杯を傾けようとしていた手を止めた。


「お酒?」

「真に今生の別れになるかは分からんが、儂らが共にいられる最後の時になるやもしれぬのじゃ。これくらいは、の」

「……わたし、まだ何も言ってないけど」

「そのしかめっ面に書いてある」


 そう言ってヘステスは自分の分の杯に酒を注ぎ、テレミアの手にあるものと重ねた。

 テレミアはヘステスが酒を呷るのをただ黙って見つめていた。



 杯を下ろし、ふぅと一息ついたヘステスは、身を乗り出し、テレミアの肩に手を乗せて笑った。


「案ずるなよ、儂は今おぬしのことをこの上なく誇りに思うておる」


 ヘステスの褒め言葉は、荒海をたったひとりでかき分けて進むテレミアの選ぶ針路が”正しい”ことを、眩しい灯台の光のような鮮明さでもって保障した。

 

「おぬしは正しく成長した。情に篤く、しかし絆されず、他者の信義を道具として扱うことのできる、人の上に立つにふさわしい女になったのじゃよ」

「……うん」


 ヘステスは「それでこそ儂の子じゃ」と感慨深そうに頷く。

 人生の師であるヘステスを満足させられたことを認識したテレミアの脳は、混迷を極める思考の上に安堵を分厚く塗り重ねた。


 テレミアは気付けば手に握った酒杯を空にしていた。


「オトはまだ”大規模な輸送船団”の噂を撒いておるはずじゃ。じき戻ってくるじゃろう。モムルはどこかの?」

「家を片付けたいって言ってた」

「ははあ、あやつにも片付ける荷物があったか。弓の他に興味などないと思っておったわい。さて、最後の宴じゃ、若人のために肉も用意せねばな」


 ヘステスは台所に向かっていって、テレミアは居間に残された。

 四人で囲むことのできる低い卓の前にただ一人。


「……私は、まちがってない」


 酒精の残り香に火照る喉からこぼれた小さな呟きは、誰にも届かないまま宙に溶けていった。




 日が落ちる少し前に、テレミアは三人を伴って再びラグーダの館の門をくぐった。


「こちらに」


 待っていたのであろうラグーダの手下の一人がすぐに近寄ってきて、四人を先導する位置に付いた。


 彼女に連れて行かれた先には小さな中庭があった。

 ラグーダを始めとして、彼の主だった手下たちが揃って並んでいた。


「遅い」

「申し訳ありません」


 テレミアの謝罪を待つことなく、ラグーダは鷹揚に手を掲げた。

 六人の男たちがそれぞれ手に何らかの道具を持って進み出た。


 テレミアは三人を置いたままラグーダの後ろに進むように指示され、それに従った。


 庭の中央で三人は膝をつくように命じられ、後ろに組まされた手に縄がかけられた。

 続いてモムルの身体には大仰な重しが、ヘステスの腕には鈍い色の腕輪が、オトの脚には大きな足枷が、それぞれつけられていった。


 ふん、とラグーダは満足げに口角をつり上げ、テレミアの方に振り返った。


「さて、これでお前の”家族”は俺の物となったわけだ」

「……はい」

「間違っても逆らおうとは思うなよ」

「……分かっています」


 後ろ手に縛られた三人がどこかへと引っ立てられていくのを視界の隅に収めながら、テレミアは感情の乗らない声で答えた。


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