13. 紡ぐべき言葉
またのお越しをお待ちしております、という言葉通りの思いなど塵ほどにもこもっていないであろう挨拶を背後に、テレミアとモムルは奴隷商の店を後にした。
二人が出てくるのを待っていたらしいヘステスとオトがすすっと近寄ってきた。
「して、首尾はどうじゃった」
既にオトから事情は聞いているのだろう、細かい説明は必要ないと言わんばかりにヘステスは直接本題に踏み込んできた。
「理由は分からないけど、吹っかけられた。白金貨千枚だって」
テレミアは苦々しい感情を隠さずに答えた。
ヘステスは驚きに眉をつり上げ、年相応に萎れた額に更に深い皺が入った。
「……何と」
「交渉の余地もなし。アルタスと何かあるのか尋ねたら少し動揺した、ってくらいしか情報も得られなかった」
「それはまた、厄介な」
「困ったことになったよ」
振り返り店の建物を睨み付け、しかしそれで何が変わるというわけでもなく、テレミアは力なくうなだれた。
他に行く当てもなく、宿の方にとぼとぼと歩を進める。
一か八か奴隷商を襲うべきか、それともすっぱり諦めて迷宮に戻るかを天秤に載せていると、ヘステスの呟きが耳に届いた。
「……白金貨千枚、というのはちと信じがたいの。商売として破綻しておるわ」
それはテレミアも疑問に思っていたところである。
店主との会話を思い返す。
白金貨千枚、と提示してきた後、とても支払えないと怒ったモムルに対して店主は残念がるそぶりも見せなかった。まるで、あの場で売れるとはハナから考えていないようだった。
「あいつら、多分売ろうって思ってないよ」
「よもや先客か?」
「先客がいるならそう言うんじゃないかな。わざわざ私たちに商品として紹介する理由がないし」
「……じゃが、売る気がないのであればそもそも店主が出張ってくる必要もないであろう。おぬしらをさっさと追い払ってそれで終いとする方がよほど簡単じゃて」
「じゃあ何、本当にあの値段で売れるとでも思ってたってこと?」
「白金貨千枚、という設定を踏まえればあり得ぬ話ではないの。その額を出せる人間は儂も何人か知っておるぞ。おぬしも知るところで言えば船団長……ジャルダもその一人じゃの。無論、あの男が金を出すとすればそれは絶世の美女と決まっておるが。黒髪のみすぼらしい少年に心酔するような奇特な趣味の貴族がおるのやも知らぬな」
「……」
そう言われてみれば、確かに白金貨千枚というのは不思議な設定だ。テレミアの知る範囲だと、海賊団の有力者たちが乗るような大きな船を建造するのに大体それくらいかかるはずだ。が、言ってしまえばその程度の金額でしかない。海賊団の港にも大型船は片手の指に収まらない数が停泊しているし、たまに見かけるジャルダの船などその上に無数の装飾を施している。
売るつもりがないのなら、およそ個人が持ち得ないような額を付けたって構わないはずなのだ。
商売人が値を付けるなら、そこにはおそらくそれなりの理由がある。白金貨千枚で売れれば利益が生まれる、というのが最も分かりやすい解釈だろう。
あの二人を捕らえるのにかかった費用を回収しようとしているのだろうか? という考えをテレミアはすぐに切って捨てた。多少人を雇ったにせよ、たかだか二人捕まえるのに必要な金額とは思えない。
だとすれば、他にあり得るのは、ヘステスの言うとおり金を出す人間が存在するという可能性だ。
しかし、それにしたって値段の付け方がおかしい。相場がせいぜい金貨で十枚から五十枚だとして、その倍も付けておけば大して特徴のない男の奴隷など売れるはずもないだろう。そして買い手にしてみたって、安く上がるならそれに越したことはないはずなのだ。
それとも、白金貨千枚を出すという確約があるのだろうか? 商品の顔や身体も見ることなく、それだけの金額を支払える、そんな人間がいるとはとても―――
いや、いる。
「オト」
声をかけられるとは思っていなかったのか、オトの肩がぴくりと跳ねた。
「何?」
「あの店に忍び込んで、店員たちの会話を盗み聞くことはできる?」
「……警備の厳重さと、あと内部構造による。正直、今すぐはちょっと難しい」
「どれくらいの時間があればいいの?」
質問に対してオトは少し考え、答えるかわりに「必要な情報は何?」と質問で切り返してきた。
「私の予想を確かめられれば十分かな」
「なら、店に潜入して一から十まで聞き取る必要はない。手当たり次第店員の身体に『耳』を貼り付ける。今から『耳』を作れば今夜から仕掛けられるし、上手くいけば明日中にはなにか分かる、かも」
「そう。じゃあその感じでお願いしようかな」
「待て待て、何をおっぱじめるつもりだ」
モムルが差し込んできたので、テレミアは彼の方に身体を向けた。
「アルタスが”王子様”に懸賞金をかけたんじゃないか、って思ったんだ。ぴったり白金貨で千枚。あの奴隷商はあちこちで商売をしてるから、どこかでその話を拾ってきたんだとすればいろいろ筋が通ると思わない?」
「おぉ、それじゃ」
ヘステスの目がきらりと輝いた。どうやらこの予想は彼にとっても納得のいくものだったらしい。
「だとしてわざわざあの店から情報を集めてどうするんだ。お前のその予想の裏をとったところで何にもならねえぞ」
「まだ予想は全部言い終わってないよ」
「あん?」
モムルの怪訝な顔を見上げながらテレミアは言葉を続けた。
「あの奴隷商はわざわざ懸賞金がかけられている人間を捕らえたの。首をはねるんじゃなくて、ね。つまりさ、これからあの”王子様”は生きたままでアルタスに送られるはず。きっとそうしないと懸賞金がもらえないんだ」
そして、ここが肝である。
「移送の船がいつ出るかを特定できれば、襲って奪えるって思わない?」
三人が一斉に驚いて足を止めたので、テレミアも立ち止まった。
そこまで大それたことを言ったつもりもないが、彼らにとっては大きな衝撃として受け取られたらしい。
「そんなにびっくりすることかな?」
「……なぁ、一応訊くが、どうやって海の上で襲撃するつもりだ」
恐る恐る、といった具合にモムルは顔を窺ってくる。
海の上で船を襲撃するためには当然船が必要だ。
そして、テレミアは自分の船を持っていない。
故に唯一の回答は、
「ラグーダに成人前の思い出づくりとかって頼み込むつもり」
「それはならぬ」
「馬鹿かお前」
大人たちが同時に強く否定してきたので、テレミアは少し眉をひそめた。
「おぬしは既にラグーダと一度訣別を宣言したようなものなのじゃ。それを覆し今一度配下に加えてくれなどという主張が罷り通るはずがない」
「いいかテレミア、俺達は今ラグーダの敵なんだ。死にたくなければ絶対にそれだけはやめろ」
二人はテレミアを諫めようと必死に言葉を並べてくる。
ぽりぽりと頭を掻きながらテレミアは考えを並べた。
「別に思い出づくりって緩い表現にしなくても、船をもらった後もラグーダの配下でいるって約束をしてもいいと思うよ。船の装備にラグーダの希望通りのものを載せればある程度信用はしてもらえるでしょ」
それを聞いている間にも二人は何度も首を横に振った。
「楽観が過ぎる。そも、ラグーダにとって船の一隻などさして重要ではない」
「のこのこアイツの前に現れて「やっぱ協力してください」とか舐めたこと言ってみろ、次の瞬間にはお前の首が飛ぶぞ」
どうも、彼らとの間にある感覚の隔たりは思っていたよりも大きいようだった。
どうすれば納得させられるだろうか。
……ひとつ、ずっと昔から最終手段の一つとして頭の片隅に置いてきた方策がある。それを投じてみたら、どうなるだろう。
「もし必要なら、みんなをラグーダに献上するかもしれない」
「……何と」
「なっ」
「えっ?」
反応は三者三様だった。
テレミアはできるだけ感情を込めずに続けた。
「そうすれば流石のラグーダも、私に逆意があるだなんて思わないでしょ。だって手下をみんな人質にして丸裸になるって言うんだからさ」
「いや、お前、それは、だな!」
動揺を隠せずに、モムルが震える声で必死に反論を組み立てようとしていた。
それを尻目にテレミアは畳みかける。
「ひとつ、分かっておいて欲しいんだけどさ。……私の前には、今二つの選択肢がある。生きるか、死んでるみたいに生きるか、の二択。死ぬのはあくまでも結果の一つ」
死ぬ、という言葉をなんでもないように使うことをテレミアは躊躇わなかった。
それはテレミアにとって生まれてからずっと身近にあった概念だった。
「もしこの状況を受け入れて無策で成人を迎えたら、どうせ兄姉の誰かに殺される。殺されなくても、一生を誰かの下僕として終えることになる。慰み者になれたら、まだ良い方じゃないかな」
脳裏にエレーリィと”王子様”の昏い顔を思い浮かべる。
「そんな未来を受け入れたままで生きるのは、もう死んでるのと同じだと思うんだ。私が私のままで生き残るたった一つの道筋は、お母さんが私に遺してくれた伝説っていう博打に勝つこと、それだけ。だから」
……だから。
続く言葉をテレミアはすぐに紡げなかった。
紡ぐべき言葉はとっくのとうに頭の中にあったのに、である。
何があっても使いたくない、と心では願ってきた言葉。
それでも、頭のどこかで、生き残るための策を用意しなければならないと冷静な自分が囁いていた。
だからこそ、テレミアは今まで何度も、何度も探してきた。
自分ではなく、仲間の死を正当化できる、そんな言葉を。
テレミアは意識的に息を大きく吸って、限界まで膨らんだ肺がしぼもうとするのに任せて口を動かした。
「―――だから、私はそのためになんだってする。そして、もし私がみんなのことを一番効率的に使うことができるとしたら、それはきっとこうすることなんだと思う」
声を荒げてはいけない。間違った気持ちを込めてはいけない。
できる限り、平坦に、静かに、淡々と。
「私の命を繋ぐために、みんなの命を差し出すの」
死を宣告された三人から、音としての反応はなかった。
ヘステスは目を閉じて考え込んでいる様子で、モムルは愕然とした表情のまま固まっていて、オトは俯いて震えていた。
「みんなは私が自由に使える”駒”なんだってヘステスは教えてくれたよね」
テレミアは止まらない。
誰も止めてくれないのだから。
「みんなも、私の下にいる時点でこのままだったら私と同じような結末を迎えるはず。だったら、こうやって少しでも意味のある命の使い方をする方が良いと思うんだ。当然、全部が上手くいってラグーダにも打ち勝てたなら、私はみんなを取り返すよ。約束する」
こんな約束が果たせるはずもないのは分かっている。
反逆が確定した瞬間に、三人の持つ価値は消え失せるのだ。ラグーダはきっと裏切りへの報復として即座に三人の首を刎ねるだろう。
それでも、テレミアは己だけのために、やってくるはずもない未来がまるで当然の運命であるかのように語らなくてはならない。騙らなくてはならない。
心の軋む音など、聞こえてはいない。
「……別に、俺が死ぬのはこの際どうだって良いんだ。俺はそのために、俺の命に替えてもお前を生かすために生きてきた」
モムルが絞り出したのは、護衛としての彼の矜持が滲む言葉だった。
使い捨てにされると伝えられてもなお、モムルはテレミアへの忠義を見失ってはいなかった。
「だがよ」
そしてモムルは逆説の言葉を繋げ、テレミアの決意を揺さぶろうとする。
「それは、何を間違っても、お前に命を擲つような博打をさせるためじゃねえ。……なあテレミア、このままやっても負けるって決まったわけではないだろ。お前を勝たせるために俺達はここにいるんだ。俺達を信じてくれよ」
最後まで戦い抜くこと、それこそがモムルなりの忠義なのだと、テレミアにもよく分かった。
その決意表明は合理的な考えに基づくものではなく、故にテレミアも明朗な否定をし得ない。
「信じる、か」
だから、これは信念の話なのだ。
自分の命を賭すに値すると自分自身が思い込めるかどうか。
「……私が最後まで信じられるのは、私だけ」
テレミアは一度目を閉じ、ヘステスの言葉を諳んじた。
小さな頃から繰り返し叩き込まれたこの教えが、テレミアの信じることのできるたった一つの生き方だった。
ゆっくりと目を開けば、顔を苦渋に歪ませるモムルの姿があった。
すぅ、とテレミアは息を吸った。
「船団長ジャルダの娘として命じる。私に従って。私は私の信じる道を行く」
血という特権を仲間たちに振りかざしたのは、テレミアにとって初めてのことだった。
厳密に言えばいまだ何者でもないテレミアの命令に効力はないが、それでも「命じる」という重い言葉は、渋る三人に対しての効力を確かに発揮したようだった。
「成程、であれば仕方ないの」
”命令”の持つ意味を理解している歴戦のヘステスは、僅かな逡巡の後に首を縦に振った。
「……了解、だ」
続いて、モムルが悔しそうに呟いた。
信じる、という言葉を使った手前、きっとテレミアの口から紡がれた同じ言葉に抗する方法を思いつけなかったのだろう。
最後にテレミアは、ずっと黙ったままでいたオトの顔をじっと見つめた。身体中に分かりやすく恐怖を滲ませたまま、オトは真っ直ぐテレミアの目を見つめ返した。
「ミア、教えて。ミアは本当に、これしかないって、思ってるの?」
「これが、私にとって一番だと信じてるよ」
思っている、とは答えられなかった。
きっとその意味は伝わるだろう。
「……なら、そんな悲しい顔しないで」
少しの沈黙の後にオトは血の気の引いた顔で否定でも肯定でもない言葉を呟いて、ふっとテレミアの目から視線を逸らした。
悲しい顔、と言われてしまった。
ずっと曇りのない表情を作っていたつもりだが、分かってしまうものだろうか。
「……ごめんね、ありがとう」
テレミアは乾いた笑みで意識的に表情を上書きし、端的に謝罪と感謝を伝えた。
オトからの返事はなかった。




