11. 閃き
ヘステスが小言を言うのに疲れ果て、ようやく思い出したかのように槍使いの女に付けられた傷を治してくれた頃には、とっくに丸い月が空の高いところに輝いていた。
儂は寝る、とヘステスが去って行ったその扉から、にゅっと頭が伸びてきた。
「ミア」
テレミアが一人でいるのを確認して部屋に入ってきたオトの手には、何枚かの札が握られていた。身体強化の札だろう。
「今作った。これからは札をいくつか持っておいて。何があるか分かったものじゃないし」
「……さっきはありがとう」
「ううん、私は宿に走っただけ」
「それでも」
聞いた話によれば、街の偵察をしていたオトはたまたまテレミアと少年が倒れるところを目撃し、何かが起こったとヘステスを呼び寄せてくれていたらしい。
テレミアはその素早い判断に命を救われた、という形になる。
どれだけ感謝を伝えても伝え足りないくらいだろう。
「なあ、テレミア」
オトから差し出された札をしまい込んでいると、モムルも部屋に入ってきて、どっかりと窓際の椅子に腰掛けた。
「さっきのアレは、何だ?」
「……アレ、って、どれ?」
「アレってかもう、全部だな。お前とガキが身体から出した光と、その後に生まれた剣と盾、お前が盾を吸い込んだのはもうこの際いいとして剣の方はガキに吸い込まれていったな。この辺だ」
テレミアはそっとため息をついた。
「……分かると思う? 盾のことだってよく分かってないのに」
盾を左腕に構えることを想像すると、いつものように光が湧き出し、盾の形に収束する。
生まれた盾の所々には金色の意匠が形取られていて、手に入れたときのような銀一色の表面ではなくなっていた。
「これが何か分かる人がいるなら是非とも話を聞かせて欲しい、って私が一番思ってるよ」
「ま、だよなぁ」
モムルは両手を頭の後ろに回して、投げやりに窓の外に視線をやった。
「金色の模様が入ってる。これはあの男の子となにかあったから?」
かわりにオトが質問を続けた。
「そう。あいつから金色の光が出てきて、私から飛び出る銀の光と混ざって、いろいろあってこんな感じになったの」
「言葉にすると尚更意味分かんねえなぁ……」
「ね。ただ私はお金をあげようとしただけなんだけど」
「それで、さっき剣って言ったのは?」
「盾がなんか剣と二つに分かれてさ。この盾みたいに無骨な感じじゃなくて豪華な剣だったよ。あいつに吸い込まれていったから私にはもう出せないけど、オトも見たら綺麗って思ったはず」
オトがふーんと呟く横で、いつの間にか窓の外を眺めるのをやめていたモムルが水を呷った。
「……もしかしたらあのガキ、今頃お前みたいに剣を出せるようになってるかもな」
「かもね」
盾を吸い込んだ後に盾が出せるようになったのと同じ理屈が通じるのなら、確かに少年が剣を出せるようになっていてもおかしくはない。
「だとして、どうしてモムルやオトにはその力が宿らなかったんだろ?」
「お前が分かんねえなら俺達に分かるわけねえだろうよ」
「まあね。他人に触るたびに気絶するようじゃあまともに生きてられないから、正直そうならなくてよかったって思うけど」
「違いねえ」
「……盾の力の一部をあの男の子に奪われた、とか、そういうことは起こってない?」
ふとオトが差し込んで、二人は静かになった。
「その、もし光の吸収ができなくなっていたら、良くないと思う」
沈黙に気まずさを覚えたのか、後ろにまとめた髪をくるくると弄りながらオトが説明を付け加えた。
テレミアはオトが指摘した盾の弱体化という可能性について考えた。
もしこれまでのような身体の強化ができなくなってしまったとすれば、ヘステスと膝をつき合わせて練った海賊団の掌握に向けた計画に大きく支障をきたすだろう。
それだけはなんとしても避けなければならない。
既に成人の公表を控えたテレミアには、殆ど時間が残されていないのだ。
正式な発表はできる限り遅らせられるようヘステスが掛け合ってはいるが、それでも近い将来にテレミアは船の長になる。その時点で、簡単には手を出させないだけの実力を持っていなければならない。というよりは、持っていられるはずだった。
全て、盾の能力の喪失というたった一つの欠陥だけで、簡単に崩壊する計画だ。
もし、本当にオトの言うとおり盾が使い物にならなくなっていたら、どうしたらいいだろうか。
……すぐには思いつかない。
不意に、考え込むテレミアの頭に手が置かれた。
「今日はもう寝ようぜ」
顔を上げようとする前にわしゃわしゃっと乱暴に頭を撫でられて、思わずテレミアは首をすくめた。
「明日のことは明日考えろ。タダでさえ疲れ果てることをしたんだ、さっさと身体を休めた方が良い」
「……でも、もし」
「良いから寝ろ」
「……わかった」
モムルに強引に思考をたたき折られたテレミアは落ち着かない気分を無理矢理鎮め、寝る支度を始めた。
しかし心の内の不安は広がるばかりで、それはベッドに入って目を閉じてからも変わらなかった。
翌日、テレミアたち四人は朝の早い時間に宿を発ち、木こりたちの行き交う【彷徨える大蛙の森】の入り口付近をそそくさと通り抜け、人気のない奥のほうに向かった。
「じゃあ、確かめるね」
「うむ」
ヘステスには既に疑念を共有していたので、テレミアが意図したところはすぐに伝わった。
オトが木々の間に姿を捉えた蛙を指さし、そこに向かってテレミアが駆け出す。蛙が足音に気付く前にヘステスが風の魔導を飛ばす。
外傷こそ受けなかったもののバランスを失った蛙が一瞬だけ硬直し、隙を見逃さずモムルが矢を打ち込む。
串刺しになった蛙にテレミアがとどめの一撃を加え、それで蛙は光になった。
「お願い……」
祈るようにテレミアは盾を掲げ、そこに光の粒が飛び込んでくるのを待つ。
左腕の前で盾は脈打ち、光を放った。
その時にはもう、テレミアは懸念が現実のものとなってしまったことを悟っていた。
盾から放たれる光は弱々しいままで、まるで頼りなかった。
天に昇っていく蛙から生まれた光の粒のうち、おそらく一割にも満たない程度だけが、テレミアの元へと集まってくる。
集まらなかった分の光が空気に溶けて失われたのを見て、テレミアはがっくりと肩を落とした。
「マズいことになったの」
いつの間にか近くまで来ていたヘステスがぼそっと呟いた。
「どうしよう」
半笑いで返す。
人の目がなければ泣いてしまいたいくらいには絶望的な状況だった。
「どうしようも何も、その分魔物を狩り続ける他なかろうて」
「……そうだね」
吸収できる量が減ったのなら、それを補えるだけの量を狩る。
とても単純で明快な論理だ。非の打ち所がない。
どこか遠くから蛙の鳴き声が響いてきたので、テレミアは身体を億劫に引きずるようにして再び動き出した。
しばらく経ったころ、疲労困憊のテレミアを見かねたモムルが休憩を提案した。それにオトが合意したことで、四人は座り込んだ。
「……まぁ、そう落ち込むには早いぜ」
黙々と持ち込んだ食料を口に詰め込んでいると、横からモムルが声をかけてきた。
「まだ足掻くだけの時間はあるだろうよ、何もそこまで思い詰める必要はない」
「だといいね」
「いいか、焦りは何も生まないからな。一人で突出したらむしろ効率が下がるぞ」
「分かってる」
返事をする時間すら惜しい。
「……なぁ爺さん、なんか言ってくれよ。アンタなら何か思いつくだろ」
「無茶を言うでない、儂かて手は尽くしているつもりじゃぞ」
モムルは素っ気ないヘステスの返事にため息をついた。
「そうじゃなくてな。こう、テレミアの手綱を握れるような言葉をだな」
ヘステスの食事をとる手の動きが止まった。
「それは今のテレミアに必要か?」
「必要も何も、このままだとどこかで壊れちまうぞ」
「この程度で壊れるのなら、それはテレミアが覇者の器たり得なかったというだけのことじゃろうな」
「あのな」
男二人が言い合っているのを尻目に、すっ、とテレミアの隣にオトが身体を滑り込ませた。
「大丈夫だよミア、何があっても私が一緒にいる」
ヘステスに聞かせまいとしているのか、オトは囁くような声で語りかけてくる。
「そっか」
「だから、もっと私を信じてくれていいから」
「うん、信頼はしてる」
「……私たちは、ミアが大切だからここにいる。それはきっとあの二人も変わらない。忘れないで」
「ありがとう」
丁度手に持っていたパンがなくなったので、テレミアはゆらりと立ち上がった。
「じゃあ、みんなはまだ食べてて良いよ。私は蛙を探してくるから」
そう言い残すなり歩き出したテレミアの背後で、モムルとオトが慌てて荷物をまとめ始めた。
「待て、俺も行く」
「私も」
すぐに二人はガサガサと藪をかき分け、早足で進むテレミアに追いついた。
「ありがとう、二人とも」
「……おうよ」
「……うん」
二人の返事が暗い色を帯びていることに心を砕くだけの余裕は、今のテレミアにはなかった。
夜。
疲れ果てた身体を引きずるようにして、テレミアは宿の部屋に滑り込んだ。
崩れるように寝台に横になって、天に向かって手を伸ばす。力を込めてみたり、抜いてみたりする。
間違いなく、そこに宿る力は昨日よりも大きくなってはいる。
しかし、変化の程度は昨日までと比べれば微々たるものだった。
落ちてきたテレミアの手を受け止めたベッドシーツがぱさりと音を立てた。
同時に、ぎぃ、と扉が開く音がした。
足音が段々とテレミアの元に近づいてきて、止まったと思ったその少し後に白い髭が揺れるのが視界に入った。
「なんじゃだらしのない」
「……ごめんなさい」
反射的に謝罪を口にしたが、それ以外に何を言えば良いのか分からなかった。
誰に何を言われても、何度考えてみても、自分の手から未来が滑り落ちていったという実感を打ち消すことは叶わなかった。
それでも抗い続けなければ何かに押し潰されてしまうという恐怖が、今のテレミアをまるで外から操るように動かしていた。
私はいま、何を思えば良いのだろうか。
ぼんやりしていると、ヘステスの手が額に伸びてきた。
「とっておきじゃぞ……『明日を生きる活力をこの者に与えん』」
何らかの詠唱と共に、ヘステスの手に橙色の暖かな光が集い、やがてそれらが一斉に放たれる。
すっ、と手足が冷える心地がした。
「これは?」
「疲労回復を促進する魔導じゃ。少し前に読んだ西方の古書から仕入れたものでな、治癒魔導よりも遙かに適性持ちが少なく希少性が高いようじゃの。繰り返し使うと身体の老化を早める故濫用は禁物じゃが、一度使うくらいであれば問題あるまい」
「そっか、相変わらずだね」
「適性」という言葉はあらゆる魔導を使いこなすヘステスにはまるで当てはまらないのだ、というのはよく知っている。
テレミアは疲れの取れた、しかしまだどこかに重しが乗っているように感じられる身体を起こして、薄く笑った。
「それで、どうしたの? わざわざ来てくれるってことは何かあったんでしょ?」
生まれてからの長い付き合いだ、ヘステスが不必要に慰めの言葉を安売りするような慈悲の心に溢れる人間でないことくらい分かっている。突き放して這い上がらせた方が成長に有効だと判断すれば、軽く一ヶ月はテレミアを放って自分のために時間を費やすことに何の躊躇いもない、この老人はそういう類いの教育者だ。
ヘステスは髭を撫でながらじっとテレミアの目を見つめ、やがて「ふむ」と軽い音を漏らした。
「おぬしの行く道は何も変わっとらん、それだけ伝えに来た」
「……え?」
虚をつかれたようなテレミアの顔を見て、ヘステスは片方の眉をつり上げた。
「過程がどうであれ、おぬしが行くのはハナからどうせ茨の道と決まっておったであろう。何を迷うことがある」
茨の道、といってしまえば、それは確かにその通りだ。
しかし、既にテレミアは引き下がれない一線を越えてしまっている。
今頃海賊団の本拠地の港ではテレミアのための船が仕上げられつつあるだろう。
そして船が我が物となるその時が、他の兄姉にとってはテレミアを血祭りに上げる大義名分を得るその時なのだ。
長兄ラグーダの庇護を失ったテレミアなど、彼等彼女等にしてみれば闇に葬るのは容易いことである。ともすれば最もテレミアの手の内を知るラグーダが真っ先に動くのかもしれない。どう転んだところでテレミアは勝ち目のない戦いを強いられる。
これまで必死に敵を作らないように立ち回ってきた末に初めて自分から一歩を踏み出したところで、想定外の問題に足下を掬われてしまったのだ。
「でも、私、どうやっても勝てない」
ポロリとこぼれたのはきっと偽りのない本音だった。
「今はな。それを覆すのが時間じゃろうて」
「もう時間は私の味方じゃない」
まるで調子の変わらないヘステスに、テレミアは行き場のない鬱憤を投げつけた。
「式典まであとどれくらいあるの? 何ヶ月? それとも何日? たったそれだけの間に一体何ができるって言うのさ」
「今の盾であっても身体を鍛えることは出来よう。儂もできる限りに式典を引き延ばす」
「鍛えたところで誰にも勝てないんじゃ意味がないよ」
「負けを認める必要などない。今からでも脱走して、別の場所で再起を図ればよい」
「脱走は死罪だって掟で決まってる。逃げ出した奴等がどんな姿でカライアの広場に晒されてたか、まさか私が知らないとでも思ってる?」
「掟がなんだというのじゃ。追っ手のかからない場所まで逃げおおせれば良いだけじゃろう」
「逃げるって、どうやって? ここまで来たみたいに商船をのんびり乗り継ぐの? それともたった四人で操縦できるような遅っそい船で逃げ切れるとでも?」
「……なに、いざとなれば儂が囮となろう。老いぼれた身なれど、そこらの海賊など相手にもならぬよ」
「……」
それじゃ無駄死にだよ、と喉まで出かかった言葉をテレミアは飲み込んだ。
もう十分だ。
これ以上続けたところで、私の気分は晴れない。
窓の外に視線を向ける。
夜も遅い時間なのに、未だ街並みは明るい。
現実から一時でも目を背けるべく、テレミアは街を眺めていて思い出したあることについて、ヘステスに尋ねてみることにした。
「あの男の子はにさ、どんな事情があったの」
「あの男の子、とは?」
「昨日いろいろあった二人のうちの、私と同い年くらいのあいつ」
「ああ、彼奴はおそらくアルタスの王族に連なる人間じゃろうな」
「アルタス?」
思いがけない名前が出てきて、テレミアは思わず聞き返した。
「アルタスって、お母さんの?」
「そうじゃの、おぬしの母はアルタスの貴族の出であったはずじゃ」
「うん、よく覚えてる」
遠い場所にある国、というくらいの感覚でしか知らなかった母の故郷の実在を改めて知ることは、テレミアに奇妙な感覚を与えた。
「なんていうか、本当にあるんだね。知ってたのに、変な感じ」
「遙か東方の国じゃからの。この辺りでは出身の者を見かけるのも珍しい」
それで、あの少年について、ヘステスはなんと言っていただろうか。
たしか、「漆黒の髪」とか、そういう感じのことだったか。
「王様は黒い髪の毛を生やしてるんだね」
「うむ。故に東方世界では漆黒が富と力の象徴と言われておるらしいの。この辺りではとんと聞かぬし、儂も実物を見たことなどなかった故、ああして脅すのは半ば賭けではあったが、上手くいって何よりよ」
「だからあの槍使いの女はあんなに焦ってたんだ」
「大方跡継ぎ争いか何かに負けて国を追われたのじゃろうな。身につまされる話じゃ」
「……そうだね」
つまり、あれは自分の未来の一つである、というわけだ。
生きる希望もなく、追っ手の影に怯えながら隠れて過ごす毎日。
テレミアは少年の顔に深く刻まれていた絶望を思い出した。
いつか私も、ああいう顔をしながら、死んでいるみたいに生きるようになってしまうのだろうか。
「おぬしの盾が彼奴にだけ反応したのは、ともすれば血のつながりがあるからなのかもしれぬの。エレーリィはその辺りを一切口にしなかった故、最早知る術は残されてはおらぬが」
「お母さんが王女様だった、か……そういうことも、あるのかもね」
言われて、なんとなく腑に落ちた所はある。
母はアルタスという国に対して強い愛着を持っているようだった。子守唄の殆どは彼女の故郷の話で占められていたし、寝物語の中にアルタス建国の祖を称えるものがあったのもよく覚えている。
たしか、神から託された剣で邪なる神を倒すとか、そういう感じの―――
「……あれ?」
脳裏に一筋の光が走った。
その軌跡を一心に追いかける。
なにかが繋がろうとしている。
「―――『そこで他の神様たちは考えました。考えて考えて、そして一振りの剣を生み出しました。太陽のように輝く剣は、ある人間の男に託されました』」
記憶に刻み込まれた物語を、初めて自らの口から紡ぐ。
あの時、”王子様”の身体に吸い込まれていったのは、闇夜の中で光り輝く、煌びやかな剣だった。
そして、物語はいつもこうやって結びの場面を迎えていた。
「『いつかまたこの世界が危機に陥ったなら、私の子どもたち、孫たちが神より託される剣を振るい、世界を救うであろう』」
ヘステスは言った。
少年はおそらく、アトラスの王族に連なる人間である、と。
テレミアの思考の中に、一枚の絵が浮かび上がった。
ゆっくりとヘステスを見上げ、テレミアは囁くように空気を震わせた。
「……ねぇ、ヘステス。ひとつ、思いついたかも。二人を呼んできてもらっても良い?」




