3話「ソワレ」
「足疲れたぁ~~」
助手がベッドにドスンと座り、足を伸ばして靴を軽く飛ばす。
ハンクも多少疲れてはいたが、今の助手のように靴を脱いで足をもみ始めるほどではなかった。彼は体力には多少自信があった。かつては剣をとり、今は存在しない魔物たちと切りあったのだ。さすがに今では剣を戦いに持ち込むには相当気合を入れないといけないが。
素足をパタパタしながら助手は予想外の言葉をハンクにかけてきた。
「今日の夜のパーティーってドレスコードあんのかね。」
あっ……正式なパーティーだ、ないわけがない。
「なぁ、ハーヴェ?お前、ドレス持ってきた?」
「いいや? ハンクは?」
ハンクの驚愕の顔を見て、ハーヴェもその少女のような顔を驚愕にゆがめていく。
「「あっ」」
二人から、頭、肩、背筋と血の気が引いていく。
「ど、ど、ど、どうすんの?」
「あ、あ、あ、いや、わからん。」
二人で頭を抱える。
なぜ思いつかなかったのか。昨日聖女に教えてもらった観光地に行っているときに買っておけばこうはならなかった。もう店は閉まっているだろう。
三〇分ぐらいか、二人は現実逃避のようなキャッチボールとはいえない会話をぽつぽつと繰り返し、お互い無言になったとき――
救世主が現われた。
コンコン。
「……どうぞ」
「あー、ハンクさんとお連れのレディ?」
頼りない案内人、アストライオスだった。
「なんの用だ……?」
ハンクはうつむいたまま、ドアを開けて入ってくるアストライオスに声をかける。
「あっ、いえ、あのですね……」
その男の要領を得ない言葉に少しいら立った。八つ当たりなのはわかっていた。だがそのいら立ちは一瞬で霧散することになる。
「お……? おおおおおぉおお!」
隣で助手が騒ぐ。何だと顔を上げると、そこにあったのは燕尾服とドレスのセットだった。
「うお……まじかよ」
ハンクは歓喜よりも困惑が上回ってしまった。
「ここに来るときの荷物に明らかにそういう服が入っているようには見えなかったので、もしかしたら……と来てみたんですが……」
頼りないとか思っていたハンクは大きく見直すことになった。この男は人の事情や感情をよく見ている。つまりハンクにとって間がいい男だった。
「ありがとう、本当に助かった……マジで、言い値を出そう」
「いえ、お金は結構です。お礼と言っては何ですが、まぁ仲良くしましょう、困ったときはお互い様ですよ。」
ハンクにはこの男が何よりも光り輝いているように見えた。
「着方、わかりますか?」
「頼めるか……?」
――あと、こいつも、と助手のほうを見ると。
「いや、あたしは一人で着れるわよ」
この女の生活力を考えると、信用できるか怪しい。
「やはり、女性を呼んできてくれ……」
「いや、着れるって言ってんでしょ!? うわ、もう来てんじゃん! ちょ、着れるって。まっ………………」
助手は隣の部屋に速やかに連れていかれた。
「これも星図か?」
「いいえ、目の良さと観察眼です」
男は優しく微笑む。安心感のある表情だった。
___________________________
ハンクはいつもの雰囲気とは真逆のこぎれいな黒の燕尾服を身につけていた。髪はオールバックにされ、彼は自分で言うのもなんだが、結構似合っていると思った。
その隣には薄い黄色のドレスを着た助手。
助手は背丈、顔こそ少女だが、そのすらっとしたボディラインの見えるシンプルなドレスによって、外見年齢はプラス六歳ぐらいになっていた。髪は後ろで結ってあり、いつもより少し大人っぽい、美少女だ(?)。
「お前、なんでいつもワンピースなんだ?」
普段ワンピースばかり着ていることに疑問を持った。
「楽なの」
ムスッと言い放つ。さっきの対応は気に入らなかったらしい。
「らしいな」
ハンクの口元に微笑みがこぼれる。
二人は歩みを進める。
天文台の右館には、ひと際大きな会場ホールがあった。複数の白いクロスのかかった丸テーブル、各グループ分ある椅子。すでにカトラリーはセットしてあり準備万端だ。
部屋は大量の燭台で照明が確保されており、外の日はもうすでに赤いというのに、会場内は日中のように明るい。
奥には舞台があった。ビロードの幕がかかっていながら、舞台装置もあることがわかる。大きな舞台だ。
劇でもやるのかと、案内に従って割り当てられた席に着く。机には上質な紙で「ハンク様御一行」と書かれていた。
二人は真ん中ぐらいの到着時間だった。次々と招待客が会場の席についていく。時期、給仕係にシャンパンが運ばれた。こういう場所を全く知らないハンクも、これが「ウェルカムドリンク」と呼ばれるものだということは知っていた。知識だけはあったが、実物は見たことがなかったサービスに年甲斐もなく内心わくわくが止められなかった。
フルコースとはどんなものなんだろう、前菜って何のためにあるんだろう。様々な感情が渦巻く。それは助手も同じだったようで、二人の間に唾を飲み込む音がする。
ほかの招待客は周りの人と交流を深めているというのに、二人の机は明らかに浮いていた。
二人には歓談という概念がよくわかっていなかった。
「なぁ、俺たち相当場違いじゃないか?」
「わかっとるわ、でもどうしていいかわかんないからこうしてんのよ。」
二人はただ無言で歓談が終わるのを待った。
「そもそも、この時間何なの? このテーブルにはあたしたちしかいないじゃない。」
妙に後ろで流れる弦楽器の音が耳に残った。
____________________________________
司会の声がかかる。
二人の救世主、アストライオスの声だった。
どうやら、聖女の祝辞が始まるようだ。
聖女は慣れていた。完成された所作で壇上に上がり口を開く。
ありきたりなテンプレートをなぞった前置きの後、本題が始まる。
「今日から六十年前、星の町が生まれました。そして……」
この街が星の街になったのは、ここ天文台完成からだった。最初はただの研究機関だった。
「私が星図を記し、北極星によってこの街は繁栄してきました……」
彼女が現れ、ポラリスの力でここは宮殿になった。三十年、それが彼女がただの観測拠点の町から、巨大な街に作り変えるのにかかった年月だ。
「さぁ、共に不動の運命の星を称えましょう」
「完璧な未来に!」
聖女がグラスを持ち上げる。
「「「完璧な未来に!」」」
ハンクたち以外の招待客たちが一斉に声を合わせる。どうやら毎年の恒例らしい。出遅れたハンクたちは声こそ間に合わなかったが、遅れてグラスを掲げた。
聖女は冷たい笑みをうかべ壇上から降りる。
司会が入れ替わり言った
「ではこれより皆様へ余興として、演劇を始めたいと思います。」
どうやら劇が始まるようだった。
「食事とご一緒にお楽しみください」
夜に向けて行う劇「ソワレ」というやつだろうか。
________________________________________
幕が上がった。演目は典型的な悲恋劇である。
劇は、一人の平民の男と王女が出会う場面から始まった。
二人は恋に落ち、仲を深めていく。だが、身分の差が彼らを引き裂く。王に見つかり、その仲は無残に裂かれてしまうのだ。
王国は失脚し、時がたった。二人は再び平民として再会する。平民の女はこれで結ばれると喜び、アプローチする。最初は男も喜んだ。だが話すうち蘇った熱は冷めていく。
男は王女の地位に惚れたわけではなかった。しかし目の前の彼女はもうかつてのように特別な光を宿してはいなかった。
きっと王女という立場も含めた存在が、男の愛した女だったのだ。
この劇も毎年の恒例、伝統的な名作なのだという。
「王女を愛した男」
時代に合わせて細部を変えつつも、運命に翻弄される愛の物語として人々の胸を打ち続けている。
男は王女と知り、知らず知らずのうちに彼女に本来とは異なる色を重ねてしまったのだ。
______________________________________
ハンクは食事そっちのけで劇に集中した。演出、舞台装置、人を引き付ける何かがそこにはあった。
自分の小説に何か取り入れられないかと、ブックポーチからメモを取り出そうとするが、部屋に置いてきていることに気付く。
仕方がないので助手と感想を話すことにした。
「普遍的な問いだな。人が誰かを愛する時、本当に見ているのはその人か? それともその人に投影した特別な光か?」
ハンクが助手に向けて声をかける。
しかし帰ってきた答えは別の人物のものだった。
「その人が放つ光さ。」
アストライオスだった。
「でも人ってのは、きっと歪んだ主観でしか、人を図れないんだとあたしは思う」
ハーヴェも口を開く。
「その誤差を少なくするものこそが、いわゆる観察眼なんだと私は思います。」
男は続ける。
「きっと私の観察眼は真の愛を見失わない」
____________________________________
劇が終わるころにはもう夜十時を回っていた。
二人が会場から出ようとしたとき、声がかかる。「待ってください。」
デジャブ、昨日にもこんなシチュエーションはあった。
振り返ると、やはりハンクの嫌いな冷たいほほえみを浮かべる聖女がいた。
「少し、遊びませんか?」
次回「チェス・ウィズ」