戦いに備えるもの
朝日が昇るより前に、俺は工房にいた。
金床。炉。鉱石。昨日と同じはずの風景が、なぜかほんの少し違って見える。
それは、きっと――昨夜の気配のせいだ。
庭の木立で感じた目。魔物のそれとは違う、理性の残滓のような意志。
あれはただの野生じゃない。
……誰かの手が入ってる。
「帝国、か……」
思わず口に出す。
この領地が、帝国の実験場になっている可能性。
父はずっと黙っていたけれど、昨夜の気配で、確信に変わった。
「お兄様!」
振り向くと、リリスが元気よく工房に駆けてきた。
……昨日よりも、ほんの少しだけ凛々しい顔だった。
「今日の修行メニューは何ですか?」
「……ああ。まずはポーションづくりからだ。回復できるようにしておこう」
「任せてください!ふかふかクッションとしても、剣の鍔にもなれる覚悟で来ました!」
「鍔はやめとこうか。怪我するから」
思わず苦笑する。
それでも、リリスが前を向いてくれているのは、救いだった。
あいつは、自分の出生をまだすべて知らない。
帝国の血を引く娘――それがどれだけ重い意味を持つかを。
そして今、帝国が再び彼女を利用しようとしていることも――
取得 薬学Lv:35
取得 製薬Lv:32
取得 道具作成Lv:43
取得 魔力付与Lv:36
「お父様から伝達があります。至急、執務室へとのことです」
工房に入ってきた執事の声で、俺はポーションを置いた。
「わかった。リリス、少し休憩しててくれ」
「はい!休憩も、全力でがんばります!」
「……その意気込みの使い方、間違ってる気がする」
執務室に入ると、父と騎士団長が地図を広げていた。
村の一角。焦げ跡。点々と残された足跡。
「これは?」
「昨夜、魔物の群れが通過した村の外れだ。被害は軽微だが――」
父が目を伏せる。そして、手渡されたのは、黒く焦げた“軍旗の断片”。
そこには、確かに帝国の紋章があった。
「偽物ではない。素材、刻印、魔導繊維……正真正銘、帝国軍のものだ」
「……領内で帝国が動いてると?」
「おそらく魔物の制御実験。村に痕跡があった。
問題は、それを誰に使うつもりなのかだ」
父が視線を外す。その先に置かれた文書。
……使者が届けた封書。
俺はその中を見て、凍りついた。
《適合者候補:リリス・ランデル》
……やはり、来たか。
リリスの中には、“帝国が欲する何か”がある。
それが血なのか、素質なのか、魔力的な適性なのかはわからない。
だが一つだけ確かなのは――
「俺が守らなきゃ、誰が守るってんだ」
午後。再び工房に戻ると、リリスが細工台の前で寝落ちしていた。
ちいさなハンマーを握ったまま、くうくうと寝息を立てている。
寝顔は無防備で、子供で……それでも、誰よりも強く生きようとしている。
「守るって、いったんだ。なら――」
俺はそっと彼女の肩に布をかけ抱き上げる、工房の明かりを落とした。
夜、風が吹いた。
バルコニーから見下ろす森の奥。
見られている感覚が消えない。
帝国は、リリスを奪いに来るだろう。
だったら、戦ってやる。
魔物でも、帝国でも、この兄が、すべて叩き返してやる。